ある年に原稿で書いたことをリライトして整理しました。
今はまた違うアプローチをするかなと思いますが、載せてみます。
うちの小学生も席替えに一喜一憂。席は先生が決めているみたいです。
・席替えは完全くじ引き制
ぼくが小学校の担任をしていた頃、学級での席替えは月に1度、完全くじ引き制でした。4人ずつのアイランド形式に並べられた席で、割り箸に数字が書かれたくじを引いてその席に座ります。毎回悲喜こもごも。そんな中、私は子どもたちにこんな感じの話をしていました。
ぼくたちはこれからの人生でたくさんの人と出会います。価値観が合う人もいれば、合わない人もいる。それは当たり前だよね。全員と親友になれる、友達になれるというのはどうやらウソらしいということに気づいてきたでしょ?(笑
でも自分の考えの違う人ともいい関係をつくる、せめて傷つけあわない関係をつくるってとても大切なことだと思うんだよね。そのことを難しい言葉で多様性っていいます。
『へえ、自分とは考えの違う人がいるんだなあ』という当たり前のことに気づいて、その人ともいい関係をつくる。せめて故意に傷つけ合わない関係をつくれるといいね。
お互いの『違い』を強みとして活かし合えるような関係になったら、もっとステキだよね。
・ランダムが生む新たな関係性
くじ引きですから、当然「ああ、あの2人が一緒になってしまった・・・」みたいなことも起こります。1ヶ月間、机の下でお互いのことを蹴り合っていたり(笑)。でも数ヶ月後、運命のいたずらでまた同じ席になった2人は、結果、自然にトラブルなく暮らすことができるようにになったこともあります。
「なんかオレたち成長したよね-」なんて言いながら。
こんなこともありました。
とてもおとなしい真奈美さん。教室ではほとんど話しません。そんな真奈美さん、なんという偶然かクラス一活発な(にぎやかな)浩一君とくじで隣になりました。どうなるかなあと、ちょっとひやひやしながら観察していました。
あまりにもズカズカとその女の子に踏み込んでいってコミュニケーションをとる浩一くん。なんと真奈美さんの心の壁はスッと下がっていったのです。1ヶ月後には2人で算数の時間に、
「こういちー、今日はどっちが早く解けるか勝負!」なんて教室で思わず言っちゃうように。それ以来真奈美さんはクラスでも自然に話すようになりました。浩一くんの遠慮なさがうまくいくこともある。もしかしたら「おとなしい子」というラベルが邪魔をしていたのかもしれません。ランダムによる偶然の出会いは、担任が想定していない、こんなステキな出来事を起こしてくれることがあります。
どうしてもぼくたちは、「この子はリーダー」とか、「この子はおとなしい」とか、「この子とこの子は相性が悪いから一緒にしない方がよい」などの先入観を持ってしまいがちです。それらの先入観にはある程度根拠らしきものがあるので、「だからリーダーを各班に分けよう」とやってしまいがち。しかしそれでは、いつも決まった子しかリーダーをする機会がありません。その先入観が成長のチャンスを阻害することもたくさんあるように思うのです。
ランダムに席を決めることにより、様々な可能性に開かれます。自分では選ばないような人との機会が生まれるのです。
・多様なメンバーと関わる機会は実はあまりない
教室という場は、実は多様な人と関わる機会があまりないのが現状です。一斉授業がメインだとすると、授業中は多様なメンバーと関わる機会はほとんどありません。休み時間はたいてい、いつも決まった数人のメンバーで過ごします。給食の時だけグループでおしゃべりしながら食べる。そんな感じです。実は教室の中でコミュニケーションを頻繁にとっている相手はごく少数なのです。そしてそのメンバーで固まり始めると、排他性を生み出していきます。流動的に多様な人たちと多様な人間関係を作っていくにはなんらかのきっかけが必要です。子どもたちが自分で突破していくのには限界があるのです。そこに教員の役割があります。学級の中で多様な人に出会う。対話を重ねる。年間11回、毎月席替えを繰り返すことで、多様なメンバーと関係性を構築する機会となりそうです。
(席替えは週1回でも、あるいはフリーアドレスでよいのかもしれませんね。)
人間関係の流動性を確保するには、席替えだけではもちろん不十分です。私は、
①自由に席を移動して学ぶ、ゆるやかな協同ベースの個別化の時間。
②班で行う協同的な学習、
③班とは別の新たなメンバーで行う協同的な学習
④会社活動(係活動)など、1日の授業の中で多様な人と関わりあう機会
等を頻繁に設けていました。
①がけっこう多かったので、実質、学ぶ場・座る場を自己決定できる時間が毎日ありました。これすごく大事ですが、またそれは別の話。
また朝の会は「朝のサークルタイム」として、全員で丸くなって進めますが、その際も、「毎日両隣を変えて座ろう」と提案していました。
特に初期は意識して「関係を混ぜ」(リワイヤリング)、コミュニケーションの量を貯める機会を増やす。担任の大事な仕事だと考えています。このような機会を作り続けることで、「だれとでもそこそこうまくやれる」という開放的な人間関係を築いていくチャンスがふえます。
ある年の新学期が始まって6日目。6年生の振り返りジャーナルにはこうありました。
クラスが始まって1週間たったけど、もう元1,2,3組が混じり合って、もう誰が何組だったかわからないくらい。いろんな人としゃべったり教え合ったりしています。男子とも普通にしゃべるようになっててびっくり。3組はすごく居心地がいいです
もちろん、いいことばかりがあるわけではありません。
多様なメンバーと関わる機会が増えれば増えるほど、当然対立やトラブルも起きます。でもそこにこそ学校の意味があると考えています。そもそも私たちが社会で生きていくとはそういうことなのです。その対立をどう超えていくか。その対立を自分やコミュニティの成長にどう変換していくか。その違いをどう承認しあうか。そのことを体験的に学ぶ場が学校ではないでしょうか。
「じゃあ、席替えを毎月くじ引きにすればいいのか!」という話ではありません。くじ引きの席替えはあくまで方法にすぎないのです。学級の状況ではそれがうまくいかないこともあるでしょう。目的と学級の状況に応じて、適した方法を選ぶこと。その見極めがぼくらには求められています。
・人間関係の流動性
苫野一徳さんは、『教育の力』(講談社現代新書)の中で、逃げ場のない教室空間が、今日のいじめや苛烈な人間関係の、もっとも大きな要因になっているとしたうえで、それを克服するために以下のような提案をしています。
〜それぞれの生徒が、自分なりの仕方で多様な人たちと多様な人間関係をできるだけ豊かにつくっていける環境を整備することです
人間関係の流動性をある程度担保し、同質性から離れられる機会を保障するのです。そのことによって、多様な生徒たちが、<自由>な存在同士として相互承認の関係を互いに築き合っていけるような機会を作り出す。そうした一定の流動性に開かれた学校空間の設計が、今日きわめて重要なのではないかと思います。
ぼくはこの論に同意しますそしてそのための方法の一つが「席替えのくじ引き制」だと考えています。
もちろんいつでも流動性があればいい、という単純な話でもありません。
かつての学級では、例えば「掃除」は、「お掃除プロ制度」として1学期間同じメンバーで同じ場所で行っていました。これは、清掃を「掃除プロをめざすプロジェクトチーム」と位置づけ、目標を達成するためのプロジェクトチームとして学び、対話を重ねてチームとしての成熟を大切にしていたからからです。学習の中でもプロジェクト学習の中では一定期間同じチームで学びます。このようなコミュニケーションを深めながら目標に向かっていく機会の場合は、その期間「替えない」ということを大切にします。しかしこれも解散→次のプロジェクトで新たなメンバーで再結成というプロセスを踏んでいました。
とはいえ。
今の学校はあまりにも流動性が低いのではないでしょうか。意識して流動性を高める方策が必要だと考えています。