銀行内の人事闘争の果てに
当時の住銀内部の「権力闘争」の実態についても、これでもかと内情が明かされている。
「イトマン事件をめぐって、当時の住友銀行幹部たちは勢力が二分されていました。
河村社長や伊藤寿永光氏に近い磯田会長、西副頭取らは問題をどうにか明るみに出さないように画策し、一方で『改革派』の松下武義常務らは早く膿を出さないと大変なことになると警鐘を鳴らしていた。
しかも、そこに銀行内の人事闘争が絡んで、行内ではすさまじい権力闘争が繰り広げられていたのです。
たとえば、支店長会議の後に磯田会長、西副頭取らが料亭に麻雀をしに行くのですが、そこに一部の専務や常務を呼んで仲間に引き入れるなどは当たり前。改革派の急先鋒と思われていた松下常務に至っては、目障りだとして地銀に飛ばされそうになったこともありました。
一方の改革派も対抗すべく、副頭取や常務が辞表を揃えて、磯田会長に辞任を突きつける動きにまで発展していた。
しかし、改革派もまた時には保身に走るような姿を見せるなど、私からすれば誰がほんとうにこの問題に正面から取り組む気があるのかと暗澹たる気持ちでした」
そうした中で、國重氏は冒頭のように、みずから「内部告発者」となることを決意したと言う。
「闇の勢力からすれば、保身に走るばかりのひ弱なバンカーたちを騙すのはちょろいもので、日に日に住銀を喰い物にし、多額のカネが闇へと消えていこうとしていました。
私はそれを、黙って見過ごすことができなかった。だから内部告発文書を送り、まずは大蔵省を動かすことで、イトマンを、そして住銀を救いたいと思ったのです。
もちろん、私が内部告発者であったということは、いまに至るまで明かしたことはありません。『Letter』を送る際には、封筒に指紋を残さないように必ず手袋をし、最後には念を入れてふき取ることも忘れませんでした」
イトマン事件は磯田会長の退任、河村社長解任などを経て、最終的には司直の手によって河村、伊藤、許の各氏らが逮捕されることで終結する。
「私は河村社長解任のために裏で動き、イトマンの役員たちに多数派工作を仕掛けたりもしていました。
もちろん、一人のバンカーがそこまで手を下していいものなのか、という想いはありました。しかし、いまでも私があの時動かなかったら、住銀はもっとイトマンにカネを貸し込み、5000億円程度の損失では済まなかったと思っています。
そんな人間だったので、行内では次第に『危険な人物』と見られるようになり、取締役には同期最速組でなったものの、事件後にはいち早く銀行本体から出されました。ただ、後悔はありません。あのころほど熱く、楽しかった日々はなかったと思っています」
イトマン事件の裏では、たった一人で立ち上がり、闇の勢力と闘い、上層部を動かしたバンカーがいた。その「秘史」がいま、世に明かされる。
「週刊現代」2016年10月15日・22日合併号より