電波ソングとは、音楽ジャンルの一つである。「萌え要素」や「電波な歌詞」により驚異的な中毒性を有する楽曲のことをいう。
特徴
およそ以下のような特徴のある楽曲が「電波ソング」とされる。
以上1,2の「いずれか」の特徴を楽曲が、しばしば「電波ソング」と呼ばれている。特に、同人音楽やアニメ・ゲーム界隈の電波ソングは、「萌えソング」とも呼ばれている。電波ソングのファンは、大きく(1)萌え系or非萌え系、(2)同人音楽・アニメ・ゲーム系orそれら以外の2軸4象限のマトリクスで分類することができる。
萌 え 系 |
同人音楽・アニメ・ゲーム界隈系 萌え系電波ソング 萌えソング |
アイドル系電波ソング |
非 萌 え 系 |
同人音楽・アニメ・ゲーム界隈系 その他電波ソング |
その他の電波ソング |
同人音楽・アニメ・ゲーム界隈 | それ以外 (アイドル、一般歌手など) |
同人音楽・アニメ・ゲーム界隈系電波ソング
歴史
同人音楽・アニメ・ゲーム界隈系電波ソング発展の経緯
電波ソング誕生前夜(1980年頃)
同人音楽・アニメ・ゲーム界隈の誕生する以前においても、この系統の電波な特徴を有している楽曲は存在していた。1983年にはテクノポップユニットYMOが「君に、胸キュン。」をリリースした。この曲は当時オリコンチャートが絶大なる集計力と影響力を有していた時代において、オリコン2位の売上を記録するほどの人気であった。ボーカルは男であるものの、この曲には随所に「キュン♪キュン♪」という擬音が散りばめられている。
電波ソング誕生前夜(1989年頃)
電波ソングは「美少女ゲーム」や「エロゲ―」の主題歌から発展したとされる。桃井はるこ(2012)は、アイドル育成ゲーム「アイドル八犬伝」の劇中歌「君はホエホエ娘」(1989)が電波ソングの特徴を有する楽曲の始祖であるとした。1989年当時のゲームプログラムを収録した記録媒体は「フロッピーディスク」や、発展途上の「フラッシュメモリ」が中心であったため、大容量のデータを収録することが不可能であった。それゆえ、BGM音楽はコンピューターに内蔵されていたシンセサイザーである「FM音源」や「PSG音源」が中心であったため、音楽的表現が技術的に制約を受けていた。
電波ソング黎明期(1990年代)
ところが、ゲームのプラットフォームであるハードウェアや記憶媒体が進化したことで、BGMの音楽的表現の技術的制約が解消され、音楽表現の幅が広がっていった。記憶媒体がフロッピーディスクからCD-ROMへ移行すると、記憶容量が数百倍にも跳ね上がり、現在のCDと同じ音質のBGMや楽曲を収録することが可能になった。これを機に主題歌が付属する美少女ゲームが主流となった。1992年の「卒業 ~Graduation~」を皮切りに、「ゆみみみっくす(1993)」や「ときめきメモリアル(1994)」などの美少女ゲームに主題歌がつくようになり、これらが電波ソングの特徴を強めていったが、いまだアニメ主題歌・ゲーム主題歌の枠に収まっていた。
他方、今日の電波ソングの特徴を有する楽曲を歌うアイドルが、アニメやゲームの声優や主題歌を務めるようになったことから、こうしたトンデモ系の楽曲とゲームやアニメの文化が近接していった。その最たる例が宍戸留美である。宍戸留美はアイドルとしてデビューしたが、会社の方針により特殊なキャラ付けがなされたアイドルとして売り出された。のちに彼女はアニメやゲームの声優を務めた。後の宍戸留美はおジャ魔女どれみ♪の瀬川おんぷを演じており、多数のキャラクターソングもリリースした。
秋葉原にオタク文化が集積しはじめた頃の1996年、電波ソング発展に貢献した桃井はるこがアイドル活動を開始した。1997年には小池雅也の楽曲提供により、桃井はるこが「GURA GURA」をリリースした。小池は「かわいい声に汚れた音を乗せると、ギャップで萌えが引き立つはずだ」というコンセプトのもとで楽曲が提供された。桃井はるこは「萌え」をコンセプトに活動し、「ときめきメモリアル」のヒロイン藤崎詩織のコスプレにパワーグローブという出で立ちで、当時は「コンピューターとゲームの街(桃井はるこ,1997)」であった秋葉原や、原宿での路上ライブ活動を始めた。
1998年12月電波ソングとして確立されたおそらく最初の曲「メイドさんRock'n Roll(エロゲー「MAID iN HEAVEN 〜愛という名の欲望〜」主題歌)」がリリース。過激でアダルトな歌詞が一部で話題になった。
電波ソング人気の拡大(2000年代前半)
美少女ゲームの世界観を広げることが目的の電波ソングは隆盛を極めた。2000年代初頭になるとインターネットが爆発的に普及し、PCユーザーのコミュニケーションプラットフォームである2ちゃんねるが、美少女ゲームや電波ソングの話題を共有する場として機能した。2001年11月には桃井はるこが「萌え」を追求したロリ声妹系ソング「いちごGO!GO!(エロゲ―「いちご打」主題歌)」を制作して人気を得た(発売当時はアダルトゲームであることを理由に名前を出していなかった)。これを機に「萌えソング」の魅力を確信し、桃井はるこは2002年2月、小池雅也と共に「UNDER17」を結成した。「萌えソングを18禁という束縛から解放し、誰もが楽しめる萌えソングを作る」というコンセプトを掲げて楽曲の提供に取り組んだ。これを筆頭として、現在まで活動を続ける電波ソング・萌えソングユニットが続々と結成された。
2000年に活動を開始したKOTOKOは2001年3月「恋愛CHU!(エロゲー「恋愛CHU! -彼女のヒミツはオトコのコ?-」主題歌)」をリリース、萌え系電波ソングとしてはじめて一般流通に乗り店頭で販売された曲となった。また、ゲーム発売前に全国の販売店で店頭デモとして曲が流されたため、電波ソングが広く認知されるきっかけになった。引きつづきKOTOKOは2003年3月に「さくらんぼキッス ~爆発だも~ん~(エロゲー「カラフルキッス」主題歌)」をリリース。萌え系電波ソングの第一人者として認知されるようになっていく。
同年2003年にはMOSAIC.WAVが結成され、8月には初のシングル「Magical Hacker ☆ くるくるリスク」がリリースされた。MOSAIC.WAV結成当初は貸切のメイドカフェ等でPCゲーム主題歌カバーライブを行っていたこともある。後に、MOSAIC.WAVは電波ソングを数多く世の中に送り出していくこととなった。また、2003年7月にはave;newが結成された。ave;newは妹系をコンセプトとして萌え系の電波ソングに特化した。さらに、2ちゃんねるにおいて盛んに話題に上った電波ソング「巫女みこナース・愛のテーマ(2003年5月)」が収録されたエロゲ―が発売されたのも同時期である。「巫女みこナース・愛のテーマ」はFlash黄金時代において、AAを使ったアニメーションのBGMに使われ、人気を博した。
2003年を境に、美少女ゲームの主題歌を中心に活動していたアーティストがTVアニメやTVCMの主題歌を担当するようになった。これは、桃井はるこが目指したように、電波ソングが急速に市民権を得ていったことを意味した。その最たる例が、桃井はるこ(UNDER17)の「マウス Chu マウス(2003年1月)」や、あべにゅうぷろじぇくとの「快盗天使ツインエンジェル(2006年)」、MOSAIC.WAVの「片道きゃっちぼーる(2007年7月)」である。2005年には「巫女みこナース・愛のテーマ(2003年5月)」がdwangoのTVCMに使用された。
2005年になると、MOSAIC.WAVは電波ソングを「AKIBA系POP(A-POP)」と定義し、電波ソングのポジショニングを明確化した。その第一作が「キミは何テラバイト?」であり、従来の萌え系電波の成分に加えて、ストーリー性の強いアンビエントな電波ソングなど、幅広いテーマの楽曲が制作されるようになった。
音楽ジャンルとして定着した電波ソング
2007年頃には「萌え」や「オタク文化」が秋葉原に定着し、電波ソングを制作するユニットがますます増加した。2007年3月には「fripside NAO project!」が結成され、Vo.のnaoの声質を活かして電波ソングに特化し、楽曲が制作された。また、東方Project人気の高まりを背景に、2006年からIOSYSを中心に企画された東方ボーカルアレンジCDが発売された。その中には萌え系電波ソングも数多く含まれた。それらは2007年頃に登場した初期のニコニコ動画において、絶大な人気を誇った。2007年12月には、IOSYSにおいて萌え系電波ソングのボーカルを務めたmikoが、ユニット「アルバトロシクス(Vo.miko)」を結成した。
2000年代中葉になると、PCの性能向上やDTM、DAW環境の充実により、個人が低コストで音楽を制作することができるようになった。この技術的制約の解消により、VOCALOID「初音ミク」を用いた自作曲が制作され、ニコニコ動画上において爆発的に流行した。初音ミクは萌え系のキャラクターであったため、初期の初音ミク曲は電波ソングの特徴を有する曲が多かった。さらに、初音ミクの萌えを強調した「VOCALOID電波ソング」も登場した。
また、このような技術的制約の解消により、電波ソングに特化した同人サークルが続々と立ちあげられるようになった。2009年に「プチリズム」シリーズをリリースする「ボヤッチオ・Confetto(メインVo.ななひら)」が登場した。ロリ声のななひらはニコニコ動画に「歌ってみた」動画を投稿する歌い手としてデビューし、電波ソングの世界に参入した。2009年12月には「おでんぱ☆スタジオ」も結成された。2015年現在、コミックマーケットやM3では数多くの電波ソングCDが販売されている。
一方、こういった同人活動のみならず、商業作品においても引き続き電波ソングがリリースされるようになった。2009年に登場したアイドルマスターでは、各キャラクターのコンセプトに合わせたキャラクターソングが発売された。それらの中には電波ソングの性格を帯びた楽曲も存在した。また、2015年のアイドルマスターシンデレラガールズでは、シンデレラプロジェクトのキャラクターの一人である妹系キャラの双葉杏が、電波ソングを歌っている。
萌え系電波ソングがオタク文化の産物とされるようなった経緯
電波ソング黎明期に美少女ゲームをプレイしていた顧客層はPCに関する知識が豊富な層に限られていた。1989年前後のPC市場は様々な規格が乱立しており、Windows 3.1以降のPCよりも求められる専門知識が多かった。この頃の秋葉原は日本一の「電脳街」であり、パソコン関係の製品を取り扱った店舗が数多く存在しており、ハードウェアのみならずゲームを含めたソフトウェアを取り扱う店舗が営業していた。そのため、美少女ゲームをプレイしていた層が秋葉原を利用する機会が多かった。
1990年代の中ごろに差し掛かると、現在のオタク系コンテンツを総合的に取りそろえる店舗が登場した。1994年にはとらのあなの創業以降、パソコンゲームやアニメ、マンガ、音楽、同人ソフト、ホビーグッズ、およびそれらの二次創作やオリジナル作品の同人誌、同人グッズを取り扱う店舗が続々と登場した。当時、同人誌を扱っている店はまだ少なく、同じビルの2階に入居していたPCパーツショップ「湘南通商」とはしごして、同人誌やジャンク品を買い漁るマニアの姿が多く見られたという。これを機に、コミックマーケットをはじめとした同人グッズ即売会に向けて制作された創作物や、「萌え」、「オタク」に関係する品物を取り扱う店舗が集積していった。PC関連商品と美少女ゲームの組み合わせがオタク文化を秋葉原に集積させる起爆剤となった。1995年から1996年にかけてエヴァンゲリオンが絶大な人気を誇って以降、オタク文化が急激に人気を増し、オタク文化のクラスターが秋葉原に形成されるに至った。
MOSAIC.WAVは電波ソングを「AKIBA系POPS(A-POP)」と定義しているものの、「アキバ系」「秋葉原」がゲームやアニメ、マンガ、音楽などのオタク文化の包括的代名詞として語られるようになったのは、早くとも1994年以降である。それまでのオタク文化の中心は、1980年にまんだらけが開店した「中野ブロードウェイ」や、1983年にアニメイトが開店した「池袋」であった。
音楽的特徴
電波ソングはそれ特有の音楽的特徴を有している。
【音楽ジャンル】
「テクノポップ(ミクノポップ)」をはじめとした「エレクトロニカ」の楽曲が多くみられる。ロックやバラードロックの楽曲も存在する。また、2010年代以降は「Drum'n Bass」もみられるようになった。
【テンポ】
妹萌えやエロティシズム、恋愛感情をアップテンポに載せて駆け抜けるがごとくの楽曲が多い。バラード調のゆったりとした感動系、癒し系の楽曲もみられる。
【調(曲調)】
恋慕やエロティシズム、妹系を強調したアップテンポな「明るい長調」の楽曲が代表的である。また、これと同時にジレンマや不安、悩ましい心情が表出した「ちょっぴりAmbient(アンビエント)な曲調」が感じられるストーリー性豊かな楽曲も数多く存在する。「Drum'n Bass」の流行を受けて、スタイリッシュでアンビエントな曲調を極める電波ソングも登場した。
電波ソングの代表曲(一例)
関連コミュニティ
関連項目
電波ソング 一覧
電波ソングを制作するプロジェクト・ユニット・サークル・ボーカル一覧
電波ソング その他
参考文献
子記事
兄弟記事
- なし
- 31
- 0pt
- ページ番号: 282058
- リビジョン番号: 3297578
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