張角とは、中国・後漢末期に「太平道」の教祖を名乗った人物である。
信者とともに漢王室に対して叛旗を翻し、「黄巾の乱」を起こしたことで有名。
概要
教祖以前の身振りは正史にはないが、演義には記述があり、兄弟(張宝・張梁)ともに貧しかったという。
ある日張角が薪を取りに山に出かけると、その山の中で南華老仙という仙人に出会い「太平要術の書」を授かる。これには風雨を呼ぶ法や符を浸した水で病人を癒す法などが記されていた。張角は生来の王朝腐敗への憤りからこれを経典として「太平道」なる道教集団を作り上げ、信者を集めていった。折しも漢王室の腐敗によって苛烈な収奪が行われることが常態化し、これに反発した民衆が太平道に入信したため、太平道の規模はまたたく間に拡大した。
こうして信者を集めた張角はかねてからの野望と民の要望通り、漢王朝の腐敗を誅すべく太平道信者による反乱を起こす。この際に自身を大賢良師(天公将軍)と称し、その弟である張宝・張梁は地公将軍・人公将軍を名乗り、権威づけをおこなった。
この反乱は「スローガン(後述)」「目印(黄色の巾)」「明確な序列(天地人公将軍)」「人心(太平道)」などの、叛乱における基本的な教則を守っていたことから大規模になり、乱の指導者張角はまさに中国全土の目の敵にされた。
しかし乱を起こした直後に病魔に襲われ、その後志半ばで病死。またこれに動揺した張宝・張梁兄弟も名将皇甫嵩率いる討伐軍により討たれた。こうして太平道は7カ月ほどで活動を停止するが、指導者を失った太平道信者の一部や漢王室の腐敗に憤る農民たちは以降も「黄巾賊」を名乗って各地を荒らしまわり、民衆から大いに恐れられたという。
王朝に対して乱を起こした事や、演義での劉備との敵対ぶりから「悪人」のレッテルを貼られているが、すでに漢王朝は腐り、乱後も政争に明け暮れ、何進や袁一族の介入がなければ乱後もまた元通りであったことも否定できない。
仮に張角自身が「善人」として世を正すために蜂起したとしても、王室打倒という義よりもその王室と同じ行為をした賊が黄巾を名乗って暴れまわったのは本人にとっても残念といえよう。
後に太平道の教えは五斗米道(張陵が発起、張魯で有名)とともに中国三大宗教である道教の基礎を形成した。
黄巾の乱
三国志演義やそれにまつわる作品などでも認知度の高い黄巾賊。
張角らの一党は「黄天」すなわち黄色をイメージカラーとし、黄色い布(巾)を頭に巻きつけた為「黄巾賊」と呼ばれた。張角が起こした反乱を「黄巾の乱」と呼ぶのはこれが由縁である。
当時の漢王室は「火徳」すなわち赤がイメージカラーであり、黄色は五行においては土行を意味する。これは五行思想において火生土、つまり「火の後にくるものが土」を意味するが、なぜ王室を赤ではなく「蒼天(=水行・青)」と表現したのかについては謎が多く、現代でも様々な類推がなされている。
ともあれ、かねてより綿密に計画された漢王朝転覆計画は、まず184年3月に行われるはずであった。しかし、王朝内応の任を負っていた馬元義が逮捕されたことで焦りが生じ、2月ごろに内応抜きで挙兵した。そしてこれに呼応する形で各地で黄巾党員や信者が蜂起。潁川では波才が、南陽では張曼成が指揮を執り、駐屯する官軍と戦った。また三国志演義では後に蜀の武将となる周倉や廖化なども、この時代では黄巾党に加担していたという。
しかし漢王朝の本拠たる洛陽は早々に防備を固められ、その間に何進を大将軍とする官軍が集まり、皇甫嵩、朱儁、曹操、盧植、孫堅らが討伐軍として編成された。これらが各地で討伐に当たったため、やがて黄巾党軍は劣勢となった。折しも指導者張角の病死により求心力が弱まったこともあり、張梁・張宝の討伐と共に大規模な乱は収束した。
だが、呼応した残党や農民は各地に散逸し、乱の後も各所で蜂起を起こした。特に青州の黄巾党は刺史であった劉岱を攻め滅ぼすほどの大勢力になったが、後に曹操の攻撃を受けて100万余が帰順したという。
また、黄巾の乱やその後の何進・十常侍・袁紹による政争劇、董卓による洛陽での暴虐などを受け、当時中国の中心地であった洛陽近辺の治安が悪化し、同地に住む知識人はより南にある荊州・揚州・益州・交州などに移住した。これら移住文人により中国南部の文化水準が拡充された結果独立の機運が高まり、劉璋・劉表・士燮などが群雄として立ったのである。その中でも有名なのが孫一族、すなわち孫堅である。また、劉備が都合よく軍師を見つけられたのもこれによるものが大きい。
これをして、黄巾の乱が三国時代の幕開けとなり、必要とされる理由となる。漢王室に集積させられていたカードが乱によって今一度シャッフルされ、各群雄に平等に配られたのである。(蒼天航路では曹操が同様の解説をする。)
各メディアの張角
NHK人形劇
同門である張角と劉備。秘密集会へ案内された劉備が張角の誘いを断り、決別する。
コーエー「三國志」シリーズ
「三國志Ⅴ」から最初のシナリオとして固定されている(PC版VIIを除く)。
最近の作品では軍に属さず、『黄巾』という独立した区分として扱われる。爵位を受けることは出来ないが、代わりに率いることができる兵がはじめから多いのが特徴。
初登場から魅力99と劉備と並んで全武将中1位タイだったが、「三國志VII」では一旦下がった。
「三國志VIII」では魅力99に戻り、98で据え置かれた劉備を上回り全武将中単独1位となった。また、領内に賊が発生しないという特徴があった。
「三國志11」では攻撃する際、黄巾に属していればスローガンを叫ぶ事がある。
荀彧だろうと孔明だろうと「蒼!天!已!死! 黄!天!當!立!」と叫ぶ。
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 |
三國志V | - | 50 | 95 | 88 | 99 |
三國志VI | 93 | 25 | 93 | 80 | 99 |
三國志VII | - | 63 | 83 | 87 | 86 |
三國志VIII | - | 51 | 81 | 80 | 99 |
三國志IX | 92 | 26 | 87 | 81 | - |
三國志X | 90 | 27 | 86 | 80 | 98 |
三國志11 | 86 | 25 | 86 | 80 | 98 |
三國志12 | 87 | 25 | 86 | 80 | - |
三國志13 | 87 | 25 | 86 | 80 | - |
三國志14 | 89 | 25 | 86 | 80 | 98 |
ニコニコ歴史戦略ゲー
張角を主役とした天公将軍張角の挑戦が有名。東方含むオリキャラや改造有の動画なので苦手な方は注意。
真・三國無双における張角
杖を武器とする(無印のみ剣)が、なぜか杖の先から火炎を噴射する、怪しい教祖のような武将になってしまっている。その独特なモーションや妖しいセリフが特徴的であり、作品によって強さがまちまちながら強烈な印象を残すことが多い。火を噴くモーションが災いして武器属性はあまり使えない火で固定になるのはご愛敬。
レベルがMAXになると通常「大将軍」の称号が与えられるが、張角のみ「天公将軍」になる。また、強烈なキャラ付けにより、仲間になった際に太平道に帰順したような(専用の)セリフを言う武将もいる。愛称は教祖様。
このように一見フリーダムなキャラに見えるが、6猛将伝ではもっとも秩序を重んじるキャラとして設定されていたりする。7の蜀シナリオでは展開次第で張角が劉備に洗脳賛同するようになり、しかもとんでもないタイミングに援軍として駆けつけてくれる。流石教祖様、奇跡の力さえあれば齢なんて関係ないんですね。
セガ「三国志大戦」
かつては教祖でありながら指導力に欠ける計略を持たされていたが、3ではLE&SR張角(黄巾の乱)、R張角(大乱の暴風)、軍師カード張角の4枚(実質3枚)が存在する。ここではニコニコ動画で一番人気があると思われるR張角(大乱の暴風)について解説する。
イラストは動画を見ればわかる通り、「北斗の拳」に出てくるトキに似ている。トキ動画につけられやすいタグ(『ジョインジョイントキィ』『テーレッテー』『>∩(・ω・)∩<』『命は投げ捨てるもの』)や、張角動画から誕生した用語タグ(『ジョインジョインチョウカクゥ』『南斗人間砲弾』『二世紀末救世主伝説』『竜巻ロケット』)が混在する。
一躍トキの人となり、わからん殺し向けの奇襲カードとして期待されたが、低スペックなためあまり使われていない。修正を受けた現在のVerで使う人はほとんどいない。
また軍師のR張角は「撤退中の味方の復活カウントを減らし、さらに味方の兵力を回復する。」太平要術と、群雄ではどっちつかずとの評価を下されやすい「知勇兼陣」を持っているが、いずれもVer毎のデッキ流行に人気が左右され、現行Verではランキング外となっている。
恋姫無双シリーズ
売れない芸人(というかアイドル)3姉妹で、通りすがりのモブ山賊から「太平要術」の書(曹操が南華仙人から預かったものの盗まれたという状況になっている)を貰ってしまい、それに書いてあった人心を集める方法を実践してみたところ、あまりに人が集まりすぎて制御不能の暴徒集団と化してしまった・・・という設定。
『真・恋姫無双』の魏ルートでは曹操に降り曹軍の民心慰撫係として保護され、蜀ルートでは曹軍に倒されたと言われるが魏ルートの内容から虚報と思われる。しかし呉ルートでは最終的に城ごと焼き討ちされており、明確な死亡描写はないものの一党皆殺しの可能性が極めて高い。
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関連項目
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