ボブ・ディランについて知っておきたい12のこと②
2025.02.28
ザ・ビートルズをはじめ多くのアーティストに影響を与え、ノーベル文学賞受賞者でもあるミュージシャン、ボブ・ディラン。彼の若き日々を映画化した『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』が話題となっている今、改めて、この不世出のミュージシャンに関する基礎知識を、ソニー・ミュージックインターナショナルジャパンの担当者が解説する。
白木哲也
Shiroki Tetsuya
ソニー・ミュージックレーベルズ
1941年5月24日生まれ、ミネソタ州出身。1962年、アルバム『ボブ・ディラン』でデビュー。1963年に発売したアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に収録された楽曲「風に吹かれて」をはじめ、フォーク、ロック史に残る名曲を多数発表。グラミー賞などの音楽賞の受賞と殿堂入りに加え、ピューリッツァー賞特別賞受賞や大統領自由勲章も授与され、2016年にはノーベル文学賞を受賞している。映画『デューン 砂の惑星』のティモシー・シャラメがボブ・ディランを演じるジェームズ・マンゴールド監督作『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』が2月28日より公開。
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──今回は、ソニー・ミュージックインターナショナルジャパンでボブ・ディランを長く担当している白木さんに、ボブ・ディランについて知っておきたい基礎知識を解説してもらいます。最近の話題でいうと、2月28日に映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』が日本公開となります。
映画は、ボブ・ディランが1961年にニューヨークに出てきてミュージシャンとしてどんどん大きな存在になっていき、1965年の『ニューポート・フォーク・フェスティバル』の翌日までが描かれたものとなっています。若き日のボブ・ディランを、ほぼ史実に沿って描いた作品ですね。
まず僕が一番驚いたのは主演のティモシー・シャラメです。彼がボブ・ディランをやるのはかっこ良すぎるんじゃないの? みたいな感じがあったんですよ(笑)。
でも、1960年代のディランの写真を見てもらうとわかるんですけど、結構イケメンでかっこいい。そしてデビュー前後、20歳そこそこのルックスもかわいい感じだったディランが、さまざまな人と関わり、時代の変化とともに、ロックに切り替わる辺りからどんどん顔つきも悪くなって(笑)、アーティストとしても人間としても変化し、成長していく過程がしっかり描かれているんですよね。
とにかくティモシー・シャラメがすごすぎる。しゃべり方や仕草とか、着こなしとかもそっくりでしたし、あと初期のボブ・ディランの曲をアコースティックギター1本で弾くのって相当なテクニックが必要なんです。だけど彼は、みずから歌も歌ってギターも完璧にコピーして弾いてるんですよ。本当に素晴らしいし、正直びっくりしました。
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──映画のなかでも、どんどんカリスマ性を発揮していくボブ・ディランが描かれていました。彼はなぜこんなにもリスペクトされる存在なんでしょうか。
1962年にデビューしたボブ・ディランは、当時はフォークの旗手、日本では“フォークの神様”なんて呼ばれ、アコースティックギター1本で、政治的なメッセージなどを時代背景に絡めながらプロテストソングとして歌っていたアーティストです。そこから情勢の変化もありフォークからロックに転換し、「ライク・ア・ローリング・ストーン」という、のちに史上最高のロックソングに選ばれる曲などを作り、その後も名盤をどんどん発表していきました。
あと、彼の作る詩の世界が独特で、一つひとつのフレーズが格言みたいに聴こえる。それが世界中の人たちに影響を与えている気がします。
──ボブ・ディランが世界に広めたフォークミュージックとはどんなものなんですか?
フォークは、“民謡”などと訳されますが、民衆の間で長く歌い継がれてきたトラディショナルなもの。フォークギターやバンジョーなどすごくシンプルな楽器編成で、身の周りのことや社会のできごとを弾き語るスタイルです。
“フォークソング”としてポピュラーミュージックのなかに取り込まれ、広く親しまれるようになるのは1950年代後半くらいからでしょうか。知識人が多かったせいか、ニューヨークがフォークムーブメントの中心となり、そこでいろいろなアーティストが出てきて影響し合っていました。
そこから、ベトナム戦争で揺れる1960年代の社会情勢のなかで、自分たちの怒りや思いを歌詞に込めて歌うようになったのがフォークミュージックの転換点と言われています。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』にも出てきたウディ・ガスリーやピート・シーガーなどが当時の代表的な人たちで、そこに異端児のようにボブ・ディランが加わった感じです。
──フォークの世界では、ボブ・ディランのどんな部分が新しかったんですか?
ボブ・ディランは、デビューアルバム『ボブ・ディラン』(1962年)では、ほとんど既存のトラディショナルのカバーを歌っていて、オリジナルは2曲だけ。
そこから2ndアルバムの『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(1963年)では、ほぼ自作曲になったんです。「風に吹かれて」などのオリジナル曲でディランならではの言葉と歌が注目されて、状況が一気に変わったんですよ。
Bob Dylan - Blowin' In The Wind 風に吹かれて (日本語字幕ver)
フォークだからと言ってカバーするばかりじゃなく、自分の歌を歌うべきだっていう思いが彼にあったと思うんです。ディランは、その道を開拓していった感じですね。「風に吹かれて」は、時代背景的に公民権運動やキューバ危機などがあって、そうした社会への不満や疑問を問いかけるような歌で、プロテストソングとして多くの人たちに支持されていきました。
「はげしい雨が降る」や「時代は変る」もそうですね。ロック期に入るときの「ライク・ア・ローリング・ストーン」では、反体制的なメッセージをストーリー仕立ての歌詞に織り込むなど、言葉の力もすごいしアプローチがかなり斬新だったと思います。
Bob Dylan - Like a Rolling Stone ライク・ア・ローリング・ストーン (日本語字幕ver)
──当時の若者に訴えかけるパワーは絶大だったんでしょうね。
そうですね。多くの人たちの意識を変えてしまったわけですから。ベテランが多いフォークシーンのなかで新しい世代が来たっていう感じがあったと思いますし、同世代にも響きやすいですよね。
しかし、それはディランにとってもプレッシャーになっていくわけです。ニューヨークに出てきたころはかわいい感じだったのが、どんどん顔つきが変わっていきましたね。
人間関係や、いろんな歌を作るなかで時代の渦に巻き込まれ、葛藤していく。『ブロンド・オン・ブロンド』(1966年)のジャケを見ると、当時24歳ですけど、もう達観した人の顔になっちゃってますから(笑)。
デビューアルバムのかわいい感じが、わずか5年後にこんなになっちゃう? みたいな。20代そこそこの若者の顔がこんなに変わっちゃうなんて、その5年間の密度が相当高かったんだなと思いますね。
──ミュージシャンとして唯一ノーベル文学賞を受賞しているボブ・ディランの歌詞の真髄とはどういったものなんでしょうか。
ボブ・ディランの歌詞って難しいと思われてるかもしれないですけど、意外と誰にでもわかるような、イメージを膨らませられる歌詞なんです。要するに結論を断定せず、多くの人が共有できる言葉を投げかけて、“あとはあなたのなかで想像してください”みたいなのが多いんです。ただ、その一つひとつのフレーズがとにかくかっこいい。歌詞を全部知らなくても、そのフレーズだけでグッとくる。
もちろん大きなメッセージが込められていることもありますけど、切り取った一つひとつの言葉を見るだけでも心に響くというか。例えば「風に吹かれて」で、“答えは風の中で舞ってる”って言ってるけど、それをどう解釈するかは聴き手に委ねられている。聴く側もイメージが膨らみますよね。そういうキラーフレーズを作るのが上手いんです。
──パンチラインの王者みたいな?
まさしくそうです。ディランがタイプライターを打つ写真は昔から出回っていて、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』にも出てきます。「ディランはああやっていろんなフレーズを書き溜めてたんだろうな」とか思いながら見てました。いつもそばにタイプライターを置いて、言葉が浮かんだらすぐ書けるようにしていたんでしょうね。
──ボブ・ディランはノーベル文学賞の授賞式に出席しませんでしたよね。やはり、自身の在り方にこだわりがあるんでしょうか。
好きなアーティストに“こうあってほしい”っていう気持ちって、ファンとしては誰しもあるじゃないですか。それこそ『ニューポート・フォーク・フェスティバル』でロックを演奏したときもそうですけど、みんなはディランがフォークを聴かせてくれることを期待してる。だけど、本人は違うことをやっちゃう。それは単にあまのじゃくっていうだけじゃないんですよね。
“神様ボブ・ディラン”みたいな言い方をされますけど、ボブ・ディランにお願いしても何も叶わない(笑)。1960年代の頭からずーっと“ボブ・ディランのみぞ知る”ってことばかりなんです。本当に予測不能ですね。
ファンのことを大事にしてないわけではないと思うんですけど、媚びるようなことはしないんです。ライブでも、当然コール&レスポンスみたいなことはいっさいやらない。本当に誰にも媚びないし、同調しない。ただそれも、よく考えてのことだとは思うんです。彼には「我が道を行く」っていう曲がありますけど、まさにデビュー当初からそれを貫き通してる人ですね。
──昔から寡黙な人だったんでしょうか。
1960年代前半はインタビューでもよくしゃべってたんです。しゃべると機関銃のようにまくしたてる感じで、『ドント・ルック・バック』っていう1965年の英国ツアーのドキュメント映画を見ると、つまらない質問をする記者をやり込めたりする姿が映ってます。
あれだけの歌詞を書く人だから、いちいち発言もかっこいいわけですよ。でも、1966年7月にバイク事故を起こして隠遁生活に入って、そこからメディアでしゃべることはだんだんと少なくなり、近年ではほぼなくなりました。そこが神秘性を高めてしまってる部分でもあるんですが、いずれにしても、音楽で語っているから、それを聴いてくれればいいってことなんだろうなと。
ただ、語らなければならないと感じたときは話すんですよね。2020年3月に17分もある「最も卑劣な殺人」を出して全米No.1を獲得したときは、曲のことをどうしても伝えたいと思ったんでしょう。『ニューヨーク・タイムズ』でとても長いインタビューをやったりしましたね。
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だから彼のなかで言うべきときは言わなきゃっていう意識はある。だって、最近びっくりしたんですけど、ディラン自らXで投稿し始めたんですよ。
──それは驚きですね!
もともとアカウントはあったんですけど、去年ぐらいからいきなり自分の言葉で語り出したんです。こんなこと絶対やらない人でしたから、急にどうしたんだ? 何が起こってるんだ? と我々もびっくりしました(笑)。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の全米公開時にティモシー・シャラメについて「素晴らしい」とポストしてましたね。
なぜか? と聞かれても誰にもわからない。いきなり気が変わったんだろうなあ、としか言いようがない。ほんと、行動がジェットコースター(笑)。でも、ディランのそういうところが面白いんです。
文・取材:土屋恵介
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