デザイナー・田島照久が思う“仕事は焦らなくていいんじゃない”の真意➁
2025.02.15
グラフィックデザインでエンタテインメント業界を牽引してきたデザイナー・田島照久。
ボブ・ディラン、矢沢永吉、浜田省吾、尾崎豊など、数多くのアーティストのジャケットデザインを任され、『機動警察パトレイバー』や『攻殻機動隊』のアニメ作品ではロゴデザインなどを担当。さらには、デザイン領域にいち早くデジタルの概念を取り入れたことでも知られている。
そんな日本を代表するグラフィックデザイナーのひとりである田島照久に、デザイナーを志望した経緯や、デザインというクリエイティブな仕事をするうえで持ち合わせておくべき心構えを聞いた。
田島照久氏
Tajima Teruhisa
グラフィックデザイナー
アートディレクター、グラフィックデザイナー、写真家 、THESEDAYS主宰。1949年福岡県生まれ、多摩美術大学グラフィック・デザイン科卒業。1972年、CBS・ソニー(現、ソニー・ミュージックエンタテインメント)に新卒採用で入社し、レコードのジャケットなどを制作するデザイン室で勤務。約6年の会社員経験を経て渡米。1980年よりフリーランスとなり、1992年に現在のデザインプロダクション "THESEDAYS" を設立。浜田省吾、尾崎豊をはじめとする多くのミュージシャンの撮影とパッケージカバーのアートディレクターを務める。以降、仕事はエディトリアル、ポスター、広告、カレンダー、写真集、小説やコミックの装丁などグラフィックデザイン全般に及ぶ。また、アニメーション関連のデザインも多く手がけ、『攻殻機動隊』や『機動警察パトレイバー』などは企画の立ち上げ当初から携わっている。また、PCをクリエイティブの現場に早くから導入し、デジタルデザイン、デジタルフォトグラフィーの先駆者としても知られている。1994年に世界初のCGによる恐竜写真集 "DINOPIX" を発表、欧米でも出版。近年はアートディレクション、グラフィックデザインだけでなく、Premiere Proを使った映像制作にも積極的に取り組んでいる。
記事の後編はこちら:デザイナー・田島照久が思う“仕事は焦らなくていいんじゃない”の真意➁
――グラフィックデザイナー、アートディレクターとして50年以上のキャリアを持つ田島さんですが、デザインやものづくりに関する原体験のなかで忘れられない決定的な場面や時間があればお聞かせください。
子どものころ、それこそまだ小学生ですね。夢中になったのは少年誌で、小松崎茂さんが描かれていた口絵が大好きだったんです。未来都市やSF的な世界観をワクワクしながら見ていましたね。それが僕にとって絵柄的な最初の衝撃体験でした。
好きが高じて、気がついたら小松崎さんからインスパイされた戦記ものを再現した軍艦や戦闘機の絵を模写する毎日で、水彩絵の具で描いていましたね。描いたものは欲しがる友達にあげてしまっていたので、手元には残っていませんが、今でも空中に浮いている車だとか、当時描いた絵は頭のなかにしっかりと残っていますね。それが僕のキャリアの“原画”になるか否かはわかりませんが。
――今日の田島さんのデザインからインスパイアされるアメリカ的な光景の体験はいつごろですか。
ほぼ同じのころの体験です。僕は、小学3年生まで福岡市東区に住んでいました。今の海の中道に朝鮮戦争のときから米軍の重要な補給基地の雁ノ巣飛行場があったんですね。
週末になると中州とかに遊びに行くアメリカ兵たちがアパートの前の国道3号線を車で走っていくんですよ。オープンカーとバイクで。ピンクだったり黄色だったり明らかに日本の車とは違う色で、それはもうパレードを見ているような忘れない光景でしたね。僕はアパートの前の腰かけられるような塀に座ってそれをワクワクしながらずっと眺めていました。
――絵を描くことに続いて、2度目のワクワクです。
いろんな車の名前を覚えましたからね。近所のちょっと歳上のお兄さんが教えてくれたんだと思うんだけど、シボレーとか、ポンティアックとか、ビュイックとか、いわゆる流線型ですよね。バイクはハーレーだし、まさにアメリカのモータリゼーション。
もしかしたらアメリカの片田舎でも、それこそ東京でも体験できなかったかもしれない、アメリカという自分の生活とは別世界の経験を福岡で得られたことは大きかったかもしれませんね。
あとで公開されてわかるんですけど、まさに1960年代初頭のアメリカを描いた青春映画『アメリカン・グラフィティ』(日本公開1974年)のワンシーンを見ているような光景でしたからね。
――音楽との出会い、いわゆるロック的な体験もそのころからですか。
中学に上がってからは、ザ・ビートルズなどが世に出てきたこともあって、ロックに夢中になっていましたね。同時に気に入ったアーティストのレコードジャケットを眺めていくうちに、デザインというものをなんとなく意識し始めていました。
高校に入ってからは、バンドを組んでママス&パパスやジェファーソン・エアプレインらの洋楽バンドをコピーしていましたが、デザイン的なものを学びたいと思って高校では美術部に入ったんです。
授業とは関係なくザ・ビートルズやビーチ・ボーイズをイメージしたような、見よう見まねで独自の洋楽風ジャケットを創って遊んでいましたが、1枚の写真とアーティストのタイトルだけというようなタイプのものではなく、写真や文字やイラストなど、さまざまな要素が入っているデザインが好きでした。
そのころの創作は、その後の僕の仕事に影響を与えているんじゃないかと思います。
――高校卒業後は東京の多摩美術大学に入学されていますね。
地元では、美術大学を受験するのは珍しいと言われ、勉強のしようもなかったので浪人覚悟だったのですが、一発でデザイン科に受かったので、自分でもびっくりしましたね。ただ、そんないい環境を与えられたにも関わらず、入学したら直ぐに軽音部に入って、またギターを弾き始め、バンド活動に汗を流していました(笑)。
これはあまり話したことがないのですが……上京してから大学1年生のとき、東京での彼女との初デートが日比谷で『卒業』(日本公開1968年)の映画鑑賞だったんです。劇中の主人公演じるダスティン・ホフマンを、なんでミセス・ロビンソンは誘惑するのか不思議だなぁ、なんて思いながらも、ニューシネマと位置づけられた映画の全編を飾るサイモン&ガーファンクルのサウンドトラックには衝撃を受けましたね。
あの映画をリアルタイムで見たことは良かったのかもしれません。サントラ盤がCBS・ソニーから発売されていたことは知っていましたが、まだ会社名を意識することはなく、漠然とやっぱりこれからの時代、こういうエンタテインメントの世界の可能性はすごく魅力的だなって感じていましたから。
――続いてCBS・ソニーへの入社の経緯を教えてください。
今もそうかもしれませんが、当時、多摩美術大学の優秀な学生は大手代理店に就職するのがステータスとされていました。ただ、僕はそういう流れに興味がなくて、どちらかというとグラフィック的ものに惹かれていたんですね。でもそれをどうやって仕事につなげればいいのかわからなかったんです。
そんなときに友達がレコード会社から応募が来ているみたいだと教えてくれて、学生課に行ってみたらCBS・ソニーのデザイン室がデザイナーを募集していると。「あ、これはオレのための求人だ!」と思いましたね(笑)。
学生時代から先進的なエンタテインメントを手がける会社っていうイメージを勝手に持っていたので、ここで働きたいと直感しました。
――入社試験はいかがでしたか。
音楽全般に関する一般教養の簡単な筆記試験があったのですが、音楽が好きだったのでおそらく合格点だったと思います。そのあとに実技試験で、80人くらいが受けにきていました。
そのときの課題はレナード・バーンスタインの写真とデザインとして加える文字要素、そして30cm辺の紙と鉛筆だけが配られて、与えられた時間内にレナード・バーンスタインのアルバムのデザインを完成させよ、というもので。
人とは違うアイデアを出したいという意識はありましたし、ここに入れなかったら行くところがないっていう覚悟と野心もあったので、これはある意味で「よし、来た!」という気持ちで実技に向かいました。
僕はなぜかタイポグラフィには自信があったので、それをLPジャケットのメインにしようと思い、バーンスタインの蝶ネクタイの下の白いシャツの空白部分に、文字をデザインしたんです。その作業にだけ時間をかけて。本当に書体だけにこだわりましたね。アルバムジャケットのデザインなのに彼の顔は載っていない。我ながらそれっぽいものもできあがっていったんです。
――アーティストの見え方を大事にする音楽会社の入社試験で斬新なアイデアですね。
覗いちゃいけないんだろうけど、周りの学生たちは、ほとんどがバーンスタインの顔を描いてるんですよ。さすがに全国の美術大学から集まっているからみんな上手でしたね。
でも、この場で求められているのは絵の上手さじゃなくて、個性やデザイン的なセンスというか、短時間で作り上げる実践力や構成力を試されているのではないかと僕は思ったので、自信のあるタイポグラフィを最大限に使ったわけです。
――そもそもタイポグラフィ(文字や文章を美しく読みやすくするデザイン)を意識されたのは?
とりわけ英字には子どものころから興味がありました。先ほどお話した、小学生のときに住んでいた松原アパートでは米軍施設に勤めている方もいたんですよ。そうするとアルファベットのチラシとか包装紙とかに触れることも多かったので、そういう英語の書体を人よりもよく見ていたことから、幼少期に日常的にアメリカングラフィックを垣間見ていた気がしますね。
だから「これってオレのための実技じゃない?」って思っちゃうぐらいの若さだけの思い上がりみたいなものもあって、ジャケットを完成させたあとは、この会社に採用されないなんて考えもしなかったですね。
でも課題が“演歌のジャケットを描け”だったら僕は落ちていたと思います。幼少期や若いころに培った洋楽的な素養が本当に役に立ちましたね。でもやっぱりあの自信は今にして思うとどこから来たものなのか、今となってはさっぱりわかりません(笑)。
――実際に合格採用となって1972年にCBS・ソニーに入社。会社は1968年設立なので、多摩美術大学の卒業生としては、もしかすると初の入社ということでしょうか?
入社して配属されたデザイン室には武蔵野美術大学の先輩もいましたが、多摩美の卒業生は自分だけだったので、ひょっとしたら初めてのケースだったのかもしれませんね。
即戦力として期待され、すぐにジャケット制作に関わらせてもらったんですけど、最初から簡単にできましたとは言えません。先輩たちにいろいろ教わりながらやはり苦労しました。
当たり前のことですが、CBS・ソニーのデザイン課での仕事は自分の作品を創るということではなく、アーティストの作品、ひいては商品を作るわけですからね。
――しかし、入社してすぐに邦楽史に残る作品を手がけていますよね。最初に担当したジャケットが五輪真弓のデビュー・アルバム『少女』(1972年)でした。
僕は五輪さんの存在をデビュー前から知っていて、実はコンサートも観たことがあったんです。「それじゃお前が担当しろ!」って先輩に言われて、入社して半年ぐらいしてから運よく僕が担当することになりました。
当時、僕が23歳で五輪さんは21歳。お互い新人で、言ってみれば同期みたいなものですから、すぐに仲良くなって、意気投合して、「イツワ」「タジマ」と呼び捨てにするような(笑)フランクな間柄でしたね。
それからしばらく彼女の作品をずっと担当させてもらって、ちょっと疎遠になったり、また一緒に仕事したりを繰り返している感じですが、いつ会っても笑い合える僕にとって貴重な存在です。
――CBS・ソニー社員時代の20代のころは、その後の仕事に影響を受けた多くの出会いがあったのではないでしょうか。
五輪さんに代表されるアーティストとの仕事はもちろんですが、当時のカルチャーそのものを創っていた横尾忠則さんとの出会いはやはり大きかったですね。
アシスタントという立場ではありますが横尾さんが手がけた22面体ジャケットで有名なサンタナの『ロータスの伝説』(1974年)は、僕のなかでは忘れられない貴重な体験でした。最初はダブルジャケットぐらいの予定だったんですが、打ち合わせを重ねていくうちに、結果としてLPジャケット30cmサイズの22面体になっちゃったんです。
まだ会社員になって日が浅く、経験不足からお金の管理が全然できていなくて、気づいたら考えられないくらいの予算オーバーになってしまって(笑)。横尾さんからは、エンタテインメントへの発想や仕事へのこだわりとか、仕事の取り組み方をたくさん学ばせてもらいました。
――会社組織だから“これは学べた”ということはありますか。
時代ということもあったでしょうが、やっぱり定時で帰ることはなくて昼も夜も逆転して本当に忙しい毎日でしたが、デザインの仕事とは別に作品そのもののコーディネーションや外部とのリレーションとかは会社で学ばせてもらいましたね。
スキルの2、3年の差なんかはすぐにリカバーされるもので、それ以上に会社のなかでは、ほかの部署の人とのコミュニケーションが大事なことを実感しました。当時のジャケットデザインの仕事はA&Rから直に発注されることが多かったのですが、自分が好きなアーティストの仕事なんて待っていても来ないですからね。
当時、洋楽ディレクターの菅野ヘッケルさんと知り合って、いろんな話をしていくうちに、「あ、こいつボブ・ディランのことをよく知っているな」って思われて、初来日公演を収めた『武道館』(1978年)のジャケットデザインを頼まれたんです。
まさかそれから45年後に、ヘッケルさんのずっと後輩にあたる白木哲也さんから『コンプリート武道館』(2023年)のデザインを発注されるとは思いましませんでした。これは本当にうれしかったですね。
今回発売される『田島照久 MUSIC ARTWORKS』の200ページブックのなかで両方の作品を並べて見ることができるのですが、色校紙をチェックしているときは感慨深いものがありましたね。
後編では、田島照久のデザインに関する思考回路を言語化してもらいつつ、将来、デザイン業界を目指す人たちに対して、自身の考えを語ってもらった。
文・取材:安川達也
撮影:干川 修
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