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住職の独り言

~ご縁に触れて~

銀杏

2013年11月30日 | Weblog

毎年、報恩講前に庭木の剪定に入ってもらうため

丸裸の銀杏です。

銀杏の紅葉が見られないのが残念!

来年は銀杏だけ

剪定を先延ばししてもらって

銀杏の紅葉を楽しみたいなぁ…

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冥土

2013年11月29日 | Weblog

川柳に

メイドカフェ?冥土もカフェがあるんかえ? 

(三重県 竹村 友子 36)

ギター侍流に言うなら

冥土にカフェがあったとしても暗くて見えませんから!

 

冥土…死後の世界・冥途・よみぢ

【蓮如上人御一代聞書】

世間には「よみぢ」の障りといふことあり。われにおいては往生すともそれなし。」

(意訳)世間では、思い残すことがあると死出の旅路の障げになるなどというが、

私には今すぐ往生しても障げになるような思いはない。

 

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齢を重ねる

2013年11月28日 | Weblog

どうでもよいと思っていたことが

そうではなかった

どうにかしたいと思っていたことが

どうでもよくなった

(kei)

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明日

2013年11月27日 | Weblog

~朝の詩~


「あした」

ねえ おじいちゃん

あしたはいつくるの

 

一つねると

あしたがくるよ

また一つねると

またあしたがくるよ

 

あしたは 

たくさんあるの

たくさんたくさん

あしたは いっぱい

いっぱいあるんだよ

(大阪府守口市 木村益夫 70)

 

私はいつまで明日があるか分からねど

お念仏をお領解する人は

終わりのない永遠の世界に到るという

これを「無生の生」と示されます。

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届けられた念仏

2013年11月26日 | Weblog

阿彌陀さまは

自分の もっている

すべての まごころを

私に届けて下さった

 

届けられた南無阿弥陀仏は

私の中で仏智となりて

安穏なる世界へと導いて下さる

御礼は

ただ ただ おねんぶつ

(kei)

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大車輪

2013年11月25日 | Weblog

報恩講は恩に報ずる法要だけど

報恩講を勤めるのに

多くの方の尽力に

恩を感じずにいられないと実感します。

まさに

「前に生まれん者は後を導き

後に生まれん者は前を訪い

連続無窮(むぐう)にして

願わくは休止せざらしめんと欲す」

恩の大車輪ですね。…合掌

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報恩講御礼

2013年11月24日 | Weblog

お陰様で

今年も盛大かつ賑やかに

報恩講を勤めることが出来ました。

 

一生懸命お仏具を磨いて下さった方

食事を作って下さった方

側溝の溝を腰を痛めながら清掃して下さった方

蛍光灯の交換・障子張り

天真寺雅楽会のメンバーさん

出勤法中の皆さん

楽市に参加して下さった方々

福島からつきだて花工房の皆さん

仙台恩慶寺の皆さん

ご講師の義本弘導先生

お参りに来て下さった方

壮年会や婦人会の役員の方々

考えればキリがないほどの多くの方々に

お手伝い・ご協力を頂き

報恩講を勤められたんだなぁ…

実感しております。

お疲れ様の感謝の念と共に

厚く御礼申し上げます…合掌。

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空過

2013年11月23日 | Weblog

~朝の詩~

「そのままに」

悲しいことは

悲しいままに

苦しいことは

苦しいままに

 

いつかそれらが

心のなかで

星々のように

輝くことを信じて

いつかそれらが

人生のなかで

星座のように

意味あるものに

なることを願って

(板橋区 内田 毅 51)

 【一念多念証文】

仏の本願力を観ずるに、まうあうてむなしくすぐるひとなし。

よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ」

 

(意訳)

阿弥陀仏の本願のはたらきを観ずると、

この本願に出あって、

むなしく時をすごす人はない。

速やかに大いなる功徳の宝の海を満足させてくださる。

 

今日は空しく過ぐることなき人生に導いてくださった

親鸞聖人の報恩講です。

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いよいよ明日は「報恩講」

2013年11月22日 | Weblog

11月23日(土・勤労感謝の日)

【おかげさま報恩講】

 

準備万端!

明日は皆さんをお迎えするだけです。

お待ちしています…合掌

11:00 門信徒会新入会者の「入門式」

12:00 お斎

12:30 舞楽コンサート(天真寺雅楽会)

13:30 報恩講法要(音楽法要)

       講師 義本弘導師(大阪)

 

【同時開催】12:00~14:00

★みんなの楽市

★がんばっぺ福島(福島応援企画)

 福島野菜&加工品販売(つきだて花工房)

 福島リンゴの試食会

 朝取り野菜・牛乳・天然酵母パン・ホットドック・ポップコーン・皮細工・お花…

 色々販売しています。

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出あい

2013年11月21日 | Weblog

~中外日報日報より~

「出あい」

私たちは、出あいと別れのくり返しの中に生きています。

 毎日、顔をあわせている人、たまにしか顔をあわさない人…。

日頃、私たちはどのような出あいをしているのでしょうか。

 「出あい」と言っても

「出会い」「出逢い」「出遇い」と文字に違いがあるように

「出あい」の中身がちがいます。

人と顔をあわす「会」。

その人とあえると思うだけで胸ときめく「逢」。

そして、その人との出あいによって私自身の生き方が一変する「遇」。

 仏さまの教えを聞くということは、

具体的にいうと教えに生きている人に出遇うということです。

そこに、私が確かなものとしてきた善悪の真偽の尺度に照らされ、

自身が問いとなる歩みが始まります。

 よき「出あい」を。

(真宗仏光寺派 大阪別院輪番 中井賢隆)

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