うわ~もう7月だってぶーちゃん!
ちなみにぶーちゃんとはブタのぬいぐるみです。流石に大きな声で言えないお年頃
さて、随分長い間放置していたこのブログ、思い出したように更新したいと思います。
これだけ放置していたのにも関わらず、やってきてくれる方ほんとありがとう!
さて、タイトルの件。
昨日の話。
私、一度仕事終わって帰宅したあと、夜中に近所のスーパーに買い物行く事多いの。
うちから近所のスーパーまでは、幹線道路から少し離れた路地を歩いていく事になります。
この時期は道路の隣にある田んぼから、雨の日は小さいかえるがぴょんぴょん飛び出してきて
怖い怖い。私が小さい頃なら確実にトラウマになっちゃうな
今年は雨が少なくて、安心。でも良かったんだか悪かったんだか。
むしろ水不足が心配になってきました
いつものようにスーパーで買い物を終え、とぼとぼ歩いていると
後ろからやたらライトが眩しい自転車がやってきた
乗ってるのは部活帰りの男子高校生ね。明るいと思ったらLEDライトなのね~
でもライト随分上向き・・・というか、あさっての方向照らしてるよ~
・・・気にならないのかな?
そこで私が小さい頃を思い出してみたの・・・
私も中学高校と自転車通学だった。私の頃はLEDじゃなくて豆電球みたいなので暗かったな~
大きなダイナモ?発電機?でライト点けると自転車が重くなって大変だったな~
でも暗かったけど、ちゃんと前見えるように調整してたよ、確か
何故彼は気にならないのか?気にしないのか?
私なんか気になって気になってしょうがないんだけれども。私が気にしすぎなのかしら?
そういえばよくよく考えると、細かい事気にしない、そんな人が多いような気がします。
男の子なんだから、そういう機械とか気になるんじゃないの?、とも思うんだけれどまあ人それぞれよね・・・
ん?彼はもしかしたらそんな事を考える余裕が無いのでは?
そんな風に考えてみました。
「この人こんな事も考えないなんて、大丈夫かな~?」
と、日々思うことが多いのですが、それはきっと私が無駄な事を考えすぎてるに違いない~
彼らはきっと考えるリソースを、もっと大事な事に集中しているんだね。
この自転車の彼の場合、勉強だとか、部活の事だとか。きっとそうね!(妄想
つまり、彼らは余計なことは考えず、自分に必要な事しか考えていません。
そしてそういう人は結構多いんじゃないかと思うの。
自分に必要なこととは一体何か?仕事だとか家庭だとか・・・
更に私の妄想は加速します
そもそもこの社会自体が所謂「専門バカ」を要求しているように思うの。
別に偉い先生とか学者さんの事だけじゃないよ。
専門に特化した仕事が組み合わさって、この社会は構成されているよね。
当然一人では生きていくことが出来ない。
「専門バカ」は自分の専門外の事、リソース外の事を人に頼らなければ生きていけない。
そして一つごとに特化した「専門バカ」のほうが評価されやすいという現実。
一人ではな~にもできないような人なのに。
これが突き詰められていくと、
自分の興味のあること以外、専門外は他者に依存する人間になっちゃう気がします。
そして依然する人間同士が集まって、コミュニティができあがる。
何故ならば依存する仲間が居ないと、自分が生きていけないですからね。
じゃあ仲間以外はどうなるのかっていうと、
自分にとって不要な存在 って事になるんじゃないかな?
自分たちにとって不要な存在だから、攻撃していい、なんて事は無い筈だけど
自分達のコミュニティを守るためならば、余計な存在は無くした方がよいという心理に繋がるんじゃないかしら?
自分たちと違う他者を攻撃することによって、団結しようとする心理もあるでしょうし。
そもそも社会自体がそうやって作られたのかもしれないけど、
今更のように考えると、おかしな話のような気がします。
もうそんな時代じゃないよね。
社会の縮図というべきものが、身近なコミュニティ周りでも起こっているのかも。
・・・と、無駄な余計なことまでいろいろと考えちゃう私の戯言でした。
例によって久しぶりのブログが長い文章になっちゃったー
私?出来ることなら何でも自分でしたいタイプ。
もうちょっとシンプルに生きられないものかなー
ちなみにぶーちゃんとはブタのぬいぐるみです。流石に大きな声で言えないお年頃
さて、随分長い間放置していたこのブログ、思い出したように更新したいと思います。
これだけ放置していたのにも関わらず、やってきてくれる方ほんとありがとう!
さて、タイトルの件。
昨日の話。
私、一度仕事終わって帰宅したあと、夜中に近所のスーパーに買い物行く事多いの。
うちから近所のスーパーまでは、幹線道路から少し離れた路地を歩いていく事になります。
この時期は道路の隣にある田んぼから、雨の日は小さいかえるがぴょんぴょん飛び出してきて
怖い怖い。私が小さい頃なら確実にトラウマになっちゃうな
今年は雨が少なくて、安心。でも良かったんだか悪かったんだか。
むしろ水不足が心配になってきました
いつものようにスーパーで買い物を終え、とぼとぼ歩いていると
後ろからやたらライトが眩しい自転車がやってきた
乗ってるのは部活帰りの男子高校生ね。明るいと思ったらLEDライトなのね~
でもライト随分上向き・・・というか、あさっての方向照らしてるよ~
・・・気にならないのかな?
そこで私が小さい頃を思い出してみたの・・・
私も中学高校と自転車通学だった。私の頃はLEDじゃなくて豆電球みたいなので暗かったな~
大きなダイナモ?発電機?でライト点けると自転車が重くなって大変だったな~
でも暗かったけど、ちゃんと前見えるように調整してたよ、確か
何故彼は気にならないのか?気にしないのか?
私なんか気になって気になってしょうがないんだけれども。私が気にしすぎなのかしら?
そういえばよくよく考えると、細かい事気にしない、そんな人が多いような気がします。
男の子なんだから、そういう機械とか気になるんじゃないの?、とも思うんだけれどまあ人それぞれよね・・・
ん?彼はもしかしたらそんな事を考える余裕が無いのでは?
そんな風に考えてみました。
「この人こんな事も考えないなんて、大丈夫かな~?」
と、日々思うことが多いのですが、それはきっと私が無駄な事を考えすぎてるに違いない~
彼らはきっと考えるリソースを、もっと大事な事に集中しているんだね。
この自転車の彼の場合、勉強だとか、部活の事だとか。きっとそうね!(妄想
つまり、彼らは余計なことは考えず、自分に必要な事しか考えていません。
そしてそういう人は結構多いんじゃないかと思うの。
自分に必要なこととは一体何か?仕事だとか家庭だとか・・・
更に私の妄想は加速します
そもそもこの社会自体が所謂「専門バカ」を要求しているように思うの。
別に偉い先生とか学者さんの事だけじゃないよ。
専門に特化した仕事が組み合わさって、この社会は構成されているよね。
当然一人では生きていくことが出来ない。
「専門バカ」は自分の専門外の事、リソース外の事を人に頼らなければ生きていけない。
そして一つごとに特化した「専門バカ」のほうが評価されやすいという現実。
一人ではな~にもできないような人なのに。
これが突き詰められていくと、
自分の興味のあること以外、専門外は他者に依存する人間になっちゃう気がします。
そして依然する人間同士が集まって、コミュニティができあがる。
何故ならば依存する仲間が居ないと、自分が生きていけないですからね。
じゃあ仲間以外はどうなるのかっていうと、
自分にとって不要な存在 って事になるんじゃないかな?
自分たちにとって不要な存在だから、攻撃していい、なんて事は無い筈だけど
自分達のコミュニティを守るためならば、余計な存在は無くした方がよいという心理に繋がるんじゃないかしら?
自分たちと違う他者を攻撃することによって、団結しようとする心理もあるでしょうし。
そもそも社会自体がそうやって作られたのかもしれないけど、
今更のように考えると、おかしな話のような気がします。
もうそんな時代じゃないよね。
社会の縮図というべきものが、身近なコミュニティ周りでも起こっているのかも。
・・・と、無駄な余計なことまでいろいろと考えちゃう私の戯言でした。
例によって久しぶりのブログが長い文章になっちゃったー
私?出来ることなら何でも自分でしたいタイプ。
もうちょっとシンプルに生きられないものかなー