林達夫とならぶ優れた日本語の書き手としても評価され、清水自身も『論文の書き方』(岩波新書)をはじめ、文章の書き方を論じた著書を執筆している。1959年3月に刊行した『論文の書き方』は、初版3万部が即日完売、2刷3万部、3刷3万部も完売、1959年のベストセラー第2位、1987年までの累計130万部。2008年時点でも、永六輔『大往生』、大野晋『日本語練習帳』に次いで、岩波新書の売り上げベスト3に入っている[7]。 昭和30年代半ばころまでは、清水の文章は中学校や高校の国語の教科書にもよく掲載されていた[8]。 『日本よ 国家たれ:核の選択』では反米という観点から平和運動を批判、平和運動からの振幅の大きさが論議を呼ぶと共に、核武装の主張をめぐって猪木正道らと論争。さらにかねてから親交のあった福田恆存にも、転向後に論難される。『核の選択-日本よ 国家たれ』は賛否両論、論壇以外の一般社会にも反響