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世論に関するppummuのブックマーク (5)

  • 司令官たちの戦争、僕らの働き方改革:日経ビジネスオンライン

    -略- 塩崎恭久前厚労相は2015年7月の衆院厚労委、17年2月の衆院予算委でそれぞれ、〈厚生労働省自身の調査によりますと、裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べますと一般労働者よりも短いというデータもございまして、例えば一般の平均的な方が9時間37分働いていらっしゃいますが、企画業務型の裁量労働制の方は9時間16分ということで、約20分短いというデータもございます〉と答弁していた。 -略- と、3年前の国会審議から、一貫して同じデータが引用されていた点を指摘している。 ともあれ、3年間にわたって引用され、議論の基礎となってきたデータ自体が「捏造」とは言わないまでも、明らかな「誤用」ではあったわけで、とすると、これまで積み上げてきた議論の前提自体が崩れてしまう事態は避けられない。 前述のリンクにある日刊ゲンダイの記事では、 《-略- 野党6党が国会内で開いた合同会議では、厚

    司令官たちの戦争、僕らの働き方改革:日経ビジネスオンライン
    ppummu
    ppummu 2018/02/23
    力で従わせることは、それが正しさのための手っ取り早い手段だからであって、納得させられない自身の側に落ち度はない、強制する我々だって心は痛むのだ。みたいな感じの考えが主流っぽくは感じる。破裂してしまえ。
  • なぜ人々はヤフコメだと上から目線なのか | プレジデントオンライン

    英犯罪学者のジョック・ヤング(1942-2013)は2007年に著書『後期近代の眩暈』を出版している(翻訳は2008年出版)。SNS格的に普及する前に書かれただが、その後の社会を見通す上で示唆に富んでいる。 我々は社会問題を論じる際、排除されている人と富裕層などの包摂されている人々の二項対立で考えることが多い。しかしヤングによれば、問題はむしろ多くの人々が社会に包摂された多数派と思ってしまう点にあるという。以下ヤングの議論を概観しよう。 「私も一発逆転できるかも」という思考回路 言うまでもなく日社会に生きる多くの人々が不安に苛まれている。不況やグローバル化などによる年功序列制度の実質的な崩壊や、非正規雇用が増大化し、未来に向けた見通しが立てづらい世の中だ。金銭による労働者のインセンティブ=動機づけが困難な社会において、職場環境の向上など、新たなインセンティブ獲得のための試行錯誤が求

    なぜ人々はヤフコメだと上から目線なのか | プレジデントオンライン
    ppummu
    ppummu 2018/01/29
    ブーメランだとか“おまいう”だとか、謝ったら(非を認めたら)死ぬ病とか揚げ足の取り合いとか、燃料投下しては民同士の泥仕合に持ち込んだりとか。自分さえ、今さえよければ、ばかり進行してく。都合のいい世の中。
  • Chosun Online | 朝鮮日報

    韓国最大の発行部数を誇る朝鮮日報の日語ニュースサイト。朝鮮日報の主要記事をはじめ、社会、国際、北朝鮮政治、経済、スポーツ、芸能など、韓国の幅広いニュースを速報で届けています。

    Chosun Online | 朝鮮日報
  • 辺野古抗議、どうやって集まる カンパでバス、弁当は…:朝日新聞デジタル

    車の乗り合いなどで集まっていたが、昨年からは月~土曜に「島ぐるみ会議」など三つの市民団体が、那覇市中心部から辺野古まで貸し切りバスを交代で走らせている。運行費はそれぞれの団体が支出し、誰でも乗れるが、1人1千円程度のカンパを集めている(路線バスの那覇バスターミナル―辺野古の運賃は1780円)。 これらの活動を支えているのが、2015年に設立された「辺野古基金」だ。映画監督の宮崎駿さんらが共同代表を務め、寄付を募って基地移設の反対運動を支援。寄付の総額は17年12月までに約6億4千万円に上り、この中からバス運行の赤字補塡(ほてん)や意見広告費などに計4億8千万円を支出した。 ネット上では「弁当が配られる」との情報も流れるが、一時期、希望者からの注文をとりまとめて発注していただけだという。 辺野古で座り込みが始まったのは04年4月。当時の移設案は、沖合約2・2キロに長さ約2500メートルの施設

    辺野古抗議、どうやって集まる カンパでバス、弁当は…:朝日新聞デジタル
  • 他国罵倒と自画自賛―戦時中の世相を見つめた清沢洌「暗黒日記」から今を見る(加藤直樹) – アジアプレス・ネットワーク

    『暗黒日記』(岩波書店)は、戦前に活躍した外交評論家、清沢洌(きよさわ・きよし)が太平洋戦争中に書き残した日記。彼の分析は、戦時中の日にあふれた誤った思考傾向を、鋭くえぐっている。 清沢洌(きよさわ・きよし)は、戦前に活躍した外交評論家である。日米関係を中心に、外交問題を自由主義的な立場から批評し続けた。その清沢の著作の中で、今も広く読まれているのが、死後に刊行された『暗黒日記』だ。清沢が太平洋戦争中に書き残した日記である。(加藤直樹) 日米開戦の1年後、1942年12月から始まり、急性肺炎で50年の生涯を終えた45年5月まで書き続けられた。戦時下の政府やメディアの論調、社会の雰囲気などを観察、批評したもので、彼はこれを、戦争が終わった後に日の外交政策を検証するための資料としてまとめていた。 『暗黒日記』が今も読まれているのは、当時の人々の認識や思考を鮮明に切り取っているからだ。清沢は

    他国罵倒と自画自賛―戦時中の世相を見つめた清沢洌「暗黒日記」から今を見る(加藤直樹) – アジアプレス・ネットワーク
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