和解前の集会で横断幕を持つ近喜三男さん(左)=3日午後0時42分、新潟市中央区の新潟地裁前、樫山晃生撮影 1965年に新潟水俣病が公式確認されてから46年。阿賀野患者会の副会長で原告の近(ちか)喜三男さん(82)=新潟市東区=は3日、第4次訴訟で国、原因企業の昭和電工と和解したことを受け、「国や昭電が謝るのは当たり前。金額は不十分だけど、なんとか原告みんなを救うことができた。けりがついてよかった」と話した。 父親と、きょうだい8人のうち近さんを含む6人が水俣病と認定された。残る2人のうちの弟も、認定は受けていないが、95年の政治決着時の補償を受ける被害者だ。「水俣病がなければ、父も、兄貴も弟も、死なんでよかったんだ」。一家は翻弄(ほんろう)された。 阿賀野川のほとりの集落で生まれ、川魚を食べて育った。コイやウグイの刺し身をさかなに、父親と晩酌を楽しんだ。自宅の庭には川魚を泳がせておく