クリミア大橋爆発(クリミアおおはしばくはつ)は、2022年ロシアのウクライナ侵攻が続く同年10月8日午前6時7分(モスクワ時間)に、クリミア大橋の道路橋部分で爆発が発生し、橋の一部が崩壊、男女3人が死亡した事件である。この橋はロシア連邦領タマン半島と同国が実効支配するクリミア半島を結ぶ交通の要衝で、並走する鉄道橋部分においても、通過中の列車の燃料タンク車7両が発火して大規模な火災が発生した[3]。 ウクライナによる攻撃だったことを同国政府が認めている[4][5]。 ソビエト連邦構成共和国時代からウクライナに帰属していたクリミア半島と、タマン半島の間にはケルチ海峡があり、ここへの架橋プロジェクトはウクライナとロシアの共同で進められていた[6]。2014年、ロシアはクリミアの併合を宣言し、ロシア連邦を構成する共和国の一つ「クリミア共和国」として実効支配下に置いた[7]。ロシア本土とクリミア半島
クリミア大橋(クリミアおおはし、ロシア語: Крымский мост、ウクライナ語: Кримський міст)またはケルチ海峡大橋(ケルチかいきょうおおはし、ロシア語: Керченский мост、ウクライナ語: Керченський міст、クリミア・タタール語: Керич Копюри)は、ロシア連邦クラスノダール地方のタマン半島とクリミア半島(この半島は、クリミア共和国としてロシアが実効支配している)の間を結ぶ、全長18.1 km(道路橋は16.9 km)の鉄道道路併用橋である。両半島の間でトゥーズラ島とトゥーズラ・スピット(英語版)(トゥーズラ砂州)とを経由する。クリミア橋[1]やケルチ橋[2][3]と呼ばれることもある。 ロシア本土とクリミア半島の間を結ぶケルチ海峡フェリー(ロシア語版)の代替として建設された橋である。2015年5月に建設工事が開始され、道路部分
トルコ・イスタンブールで共同記者会見を行ったレジェプ・タイップ・エルドアン大統領(右)とウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(2023年7月7日撮影)。(c)AFP PHOTO / Press Office of the Presidency of Turkey 【7月8日 AFP】ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)大統領は7日、同国の北大西洋条約機構(NATO)加盟についてトルコの支持を取り付けた。 トルコのレジェプ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)大統領はイスタンブールで、同国を訪問したゼレンスキー氏と共同記者会見を行い、「ウクライナは間違いなくNATO加盟に値する」と表明。ゼレンスキー氏は「うれしく思う」と応じた。 こうした発言は、エルドアン氏とロシア大統領府(クレムリン、Kremlin)との関係
ウクライナのゼレンシキー大統領は21日、訪日日程の終わりに記者会見を開いた際に、日本国民へ向けた演説を行った。 ウクライナ大統領府広報室が全文を公表した。ウクルインフォルムによる日本語全訳以下のとおり。 親愛なる日本国民よ! 平和を大切にする世界の全ての人よ! 私は、戦争によって歴史の石に影のみを残すことになってしまったかもしれない国からここへ来た(編集注:ロシアの全面侵略戦争でウクライナが消し去られてしまう可能性を指している)。しかし、私たちの英雄的な人々は、私たちが戦争をこそそのような影にしてしまうべく、歴史を戻している。 私は、世界に戦争の居場所はないと信じている。人類は、とても長い道を通ってきたのであり、血塗られた対立で多くの命を失ってきた。死が空から降ってきて、死が海からやってきた。放射線が死をもたらした。人々は、互いに死を持ち寄ってきた。ある者は、人類の歴史は戦争抜きには想像で
ヨーロッパの国と地域的機関の相互関係 黒海経済協力機構(こっかいけいざいきょうりょくきこう、英語: Organization of the Black Sea Economic Cooperation、略称: BSEC)は、黒海沿岸諸国の経済協力機構。1992年6月25日、11カ国の政府首脳がイスタンブールでサミット宣言に調印し、ボスポラス声明によって黒海における経済協力が誕生した。これは参加国間の調和と相互成長を助ける多国間政治と経済主導権のモデルとして、さらには平和を保障し、安定と繁栄で黒海地域で友好関係と善隣関係を促進することを目的にした。トルコ大統領トゥルグト・オザルが結成に主導的な役割を果たした[1]。 黒海経済協力機構の本部である黒海経済協力機構恒久的国際事務局は1994年3月にイスタンブールに設立された。 1999年5月1日の憲章の発効による加盟で黒海経済協力機構は法的な主体
(CNN) ウクライナ軍の報道官は6日までに、ロシアの民間軍事会社ワグネルが10日にウクライナ東部バフムートから撤退する方針を決めたことに言及し、同市を巡る戦闘の「転換点」になりうるとの認識を示した。 ウクライナ軍東部方面部隊のチェレバティ報道官はCNNに対し、「彼らが論理を変えず、補給に成功しなかった場合、バフムートを巡る戦闘の転換点と考えることができるかもしれない」と説明。ワグネルはバフムート攻防の主要部隊であり、ここ9カ月、ほとんどの期間で戦闘を一手に引き受けていたと指摘した。 ワグネルのトップ、エフゲニー・プリゴジン氏は5日、SNSテレグラムへの投稿で戦闘員に多くの死傷者が出ていることに触れ、あと5日でバフムートから撤退すると表明した。十分な弾薬を供給しなかったロシア国防当局の既得権益層に責任があると主張し、正規軍の参戦を求めている。 ただ、チェレバティ氏はワグネルが「信じがたい損
バフムートカ川の河岸に位置する。面積は74 km2[要出典]。人口は78,251人(2011年8月1日)[要出典]、人口密度は1057.4人/km2[要出典]。 市内にはバフムート駅(ウクライナ語版)などがある。首都キエフまでの直線距離は578 kmであるが、鉄道で789 km、車道で672 kmとなっている[要出典]。州庁所在地までの直線距離は67 km、鉄道で89 km、車道で93 kmとなっている[要出典]。 バフムートの町は1571年にロシアのイワン雷帝によって創建された。1783年に市制施行された。もとはクリミア・タタール人の侵入に対するための要塞として建てられたが、19世紀以降は岩塩の採掘が重要な産業になった。バフムートという地名は、ムスリムであるクリミア・タタール人の人名であるマフムード(ムハンマド)に由来するとみられている[6]。 十月革命後の1924年、バフムートは当地で
荒井勝喜・元首相秘書官の「LGBT差別オフレコ発言」による批判を受け、LGBT理解増進法案の法制化を進めている岸田政権。だが、そこに再び水を差すような事態が発生した。 2月15日に開かれた超党派の議員連盟「 LGBTに関する課題を考える議員連盟 (LGBT議連)」後、記者団のオフのぶら下がりに応じた「性的マイノリティに関する特命委員会(LGBT特命委員会)」事務局長の城内実・自民党衆院議員が次のような発言をしたというのだ。 「同性婚はウクライナの問題と同じだ。『ウクライナが正しい』というのはむしろ少数派。世界の流れだっていうのは間違っている」 大手紙政治部記者はこう言う。 「今、世界的にも同性婚を認めていこう、LGBTの方々に対する差別をなくしていこう、という流れになりつつあるのに、城内さんの『(同性婚は)少数派で世界の流れではない』という発言に対して、その場に居合わせた記者たちは驚いたそ
リウネ原子力発電所の冷却塔/Michael Robinson Chavez/The Washington Post/Getty Images (CNN) 国際原子力機関(IAEA)は15日までに、グロッシ事務局長がウクライナを今週訪れ、同国内の全ての原子力発電所に安全管理の専門家を常駐させる対策の実現に努めると発表した。 声明で軍事紛争がウクライナで続く中で核災害の発生を阻むIAEAの支援策の強化とした。 ウクライナ中南部ザポリージャ州にあるザポリージャ原発には既にIAEAの要員チームが配置されている。西部のフメリニツキー原発には「今後数日内」に専門家が派遣されるとした。 グロッシ氏はリウネ、南ウクライナの両原発に加え、廃炉作業中のチェルノブイリ原発も訪問し、それぞれ2人のIAEA要員を置く準備を整えるとした。 首都キーウではウクライナ政府高官と会い、ザポリージャ原発周辺での設定を再三要請
ドンバスの戦い(ドンバスのたたかい)、またはドンバス攻勢(ドンバスこうせい)[7][8]は、2022年ロシアのウクライナ侵攻中の2022年4月18日に始まった、ドネツィク、ルハンシク、ハルキウの各州の支配を巡るロシア軍とウクライナ軍との進行中の軍事的戦闘である[9][10][11]。この戦いは、ロシアのウクライナ侵攻の第2段階と見なされており[12][13]、地理的にはウクライナ東部攻勢と同じ戦域である。 この攻勢は現在、ルビージュネ-イジューム-フリアイポール-マリウポリライン[14]に沿って行われており、この攻勢でドンバスのウクライナ軍の包囲とドネツクとルハンスク地域全体をロシアが支援する疑似国家の「ドネツク人民共和国」(DPR)と「ルガンスク人民共和国」(LPR)に併合することを目的としている[15][16]。ドンバスの戦いの初期の発展と戦略的重要性は、1943年のクルスクの戦いや1
バフムートの戦い(バフムートのたたかい)は、2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻のうち、ドネツィク州バフムート(バフムト、ロシア名・アルチェモフスク)の支配権をめぐるロシア連邦軍及びワグネル・グループとウクライナ軍による一連の軍事衝突である。 ウクライナ東部攻勢におけるドンバスの戦いの一環。 双方が大量の人的及び物的資源を投入したことに加え、膠着状態に陥り大量の死傷者を出したことから「ウクライナ戦争で最も血まみれで残酷で残忍なセクター」とも言われた[48]。 ウクライナ東部のドンバス地方では2014年以来、ウクライナと、ロシア連邦および親ロシア派の対立・衝突が続いていた(ドンバス戦争)。 かつては人口7万人の都市で東部ドンバスの交通網の中枢でもあったバフムートは、マイダン革命が行われた2014年以降、NATO(北大西洋条約機構)の支援も受けながら、全都市の要塞化を進めてきた[49
紀元前8世紀 ‐ 3世紀:遊牧民のスキタイの時代。 紀元前3世紀 - 4世紀:遊牧民のサルマタイの時代。 4世紀 - 5世紀:遊牧民のフン族の時代。 7世紀 - 8世紀:遊牧民のアラン人の時代。 9世紀 - 11世紀:遊牧民のペチェニーヒ人の時代。 11世紀 - 13世紀:遊牧民のクマン人の時代。 13世紀 - 15世紀:遊牧民のモンゴル人の時代。 15世紀:モスクワ大公国、クリミア・ハン国、ザポロージャ・コサック軍、ドン・コサック軍との国境地帯となる。 16世紀 - 18世紀:ウクライナ・コサックによる植民地化が行われる。 1774年 ‐ 1917年:ロシア帝国の時代。ロシア人などによって植民地化が行われる。現ドネツィク州の地域は、1783年にエカテリノスラフ県とドン・コサック軍州との間に分断される。ドネツィク地方は次第に重工業地区として発展していく。 1917年 ‐ 1919年:ウクラ
(CNN) ウクライナ東部の激戦地ソレダルで戦うウクライナ軍兵士の男性が12日、CNNの取材に応じ、現地の厳しい状況を伝えた上で「我々は見捨てられた」との心境を吐露した。 CNNは安全上の理由からこの兵士の身元を明かさない。 この兵士は「我々は撤退しようとしたが、ロシア人は既にそこにいる。今日撤退命令が出なければ、引き上げる猶予はなくなりそうだ」と述べ、「撤退する予定だと告げられていたが、我々は今見捨てられた」と語った。 この男性によると、食料は尽き、水は残りわずか。弾薬はまだあるが、負傷兵がいるという。 「最後に退避があったのは3日前だった」「最後まで持ちこたえろとの命令を受けた。戦闘音から判断すると、近くにいた我々の部隊は撤退したか、撤退を命令された」 「我々はできる限り長く持ちこたえる。だが、誰でも疲労し、いつかは限界が来る。これほど長い期間、高い士気を保って耐えるのは不可能だ」 ロ
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