〜94年3月 「REZ」「ACPERIENCE」「BARBARELLA」の衝撃から感じとれた《遠くの国で起こっているすごい何か》が日本に上陸した最初の記憶は、間違いなくCLUB VENUSが招いたダレン・エマーソンの来日だったと思う。それはテクノもハウスも素人も玄人も関係なく、みんなが驚き興奮した瞬間であり、未来を期待したくなるような出来事だった。私達の世代の大半がここから始まったような気がする。石野卓球氏がうるさく唱え続けてきた新しい《テクノ》というものが凝縮された電気グルーヴの『VITAMIN』から流れてくると、もう誰も素直に反応せずにはいられなかった。とにかくすべてが知りたくて、レコードやCDに貪りつく日々……。 そのうち大阪発で当時まだ21歳の田中フミヤ氏の〈とれまレコード〉から、卓球MIX入りの限定500枚のレーベル1番目のレコードがリリースされ、瞬時にして完売。それを受けるよう
Home ニュース 90年代、東京。ある若者がNujabesを名乗り、ヒットメーカーになるまで 【Think of Nujabes Vol.1】 投稿日 : 2020.05.08 更新日 : 2021.12.09 90年代、東京。ある若者がNujabesを名乗り、ヒットメーカーになるまで 【Think of Nujabes Vol.1】 1990年代後半、日本のヒップホップシーンに突如登場し、「ジャジー・ヒップホップ」のブームを生み出した伝説的なプロデューサー、Nujabes(ヌジャベス)。2010年2月26日に36歳という若さで亡くなった彼の音楽は、2010年代半ばより世界的なムーブメントとなった「ローファイ・ヒップホップ(Lo-Fi Hip Hop)」のルーツと言われており、世代や国籍を超えた幅広い層の音楽ファンに今も愛され続けている。 振り返ると、初期の Nujabes は12インチ
このテキストは1990年代の日本のテクノの歴史を史料から辿ったものです。数年前に発売予定だった某音楽書籍に収録されるはずでしたが、結局出ないまま時間が過ぎました。お蔵入りさせるのももったいのでnoteに出してみます。文中で「本書」と言っているのは、その本のことです。「出る予定だったけど出なかった本を読んでるんだな……」という気持ちで読んでください。約2万字です。 見出しだけ先に抜き出します。2000年代以降は言及してません。 ■「日本のテクノ」とは何か ■1988年、テクノとセカンド・サマー・オブ・ラヴの誕生 ■日本におけるDJブームとデトロイト・テクノの輸入 ■メディア上の認知とDELICのテクノ化 ■ハードコア・テクノ旋風とジュリアナTOKYO開店 ■テクノポップ再評価からYMO再生へ ■90年代東京テクノ・シーンの胎動 ■ケン・イシイの登場による国内シーンの活性化 ■電気グルーヴの『
This domain may be for sale!
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く