「長崎は今日も雨だった」(ながさきはきょうもあめだった)は、1969年2月1日に発売された内山田洋とクール・ファイブのメジャーデビュー曲にして、最大のヒット曲。グループ脱退後、ソロ歌手となった前川清の代表曲でもある。 内山田洋とクール・ファイブは長崎市内のグランドキャバレー『銀馬車』の専属バンドで、ラテンやジャズなど幅広いレパートリーを有していた。一方、競合店『十二番館』の専属バンドは中井昭・高橋勝とコロラティーノで、「思案橋ブルース」で1年早く世に出た。 1968年、佐世保のナイトクラブ歌手として頭角を現わした前川清をリードボーカルに迎え、チャーリー石黒の推薦で日本ビクターのプロモーションで売り出す計画が始動した。自主制作盤「涙こがした恋」に続くメジャーデビュー曲には、前川と同じ佐世保でギター流しをしていた尾形義康の持ち歌で、地元民放局や有線放送でヒット中だった「西海ブルース」が当初予定