記者会見で、都知事選の敗戦の弁を述べる細川護煕氏の背後に、本人の筆によるパネルが見えた。「桶狭間」とある。出馬前、大の織田信長ファンとして知られる小泉純一郎氏との会談で、話題になったそうだ。 ▼永禄3(1560)年、尾張統一を成し遂げたばかりの織田信長は、戦国大名、今川義元が率いる2万を超える大軍を迎え撃ち、義元は討ち死にする。信長に天下統一への道を開いた戦いを、都知事選に見立てていた。 ▼兵力に見劣りがする信長の勝因のひとつに挙げられているのが、天候だ。まさかの奇襲が成功したのは、突然の大豪雨に見舞われ、今川軍の本陣が大混乱に陥ったからだといわれている。もっとも、細川・小泉元首相連合にとって、天候は味方をしなかった。 ▼週末の東京を襲った大雪が、頼みとする無党派層の投票意欲をそいだ可能性もある。ただ、それだけでは、宇都宮健児氏よりも得票が下回る惨敗は説明できない。これまで露骨に細川氏を応