明治時代に入り、殖産興業の発展などにより女性の労働力が必要とされたことから、江戸時代に比べると女性の社会進出が進んだ。そして、進取の気性に富む女性たちは、自らの活躍の場を積極的に社会に求めた。そうした背景を受け、明治後期には女性の地位向上や封建的慣習からの脱却を目指す女性解放運動がはじまる。その中心にあったのが平塚らいてうであり、彼女が創刊した『青鞜』という女性文芸誌であった。 原始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 今、女性は月である。 他に依って生き、他の光によって輝く、 病人のやうな蒼白い顔の月である。 上記は、らいてうが執筆した『青鞜』創刊の辞の一節であり、その後の女性解放運動のシンボルともなった一文である。『青鞜』が創刊したのは、1911(明治44)年のこと。その名称は、当時ヨーロッパにおける知的意欲の高い女性たちの間で、青いストッキングを履くことが流行したことによると