はてなキーワード: 金持ちとは
ラウンジで働いてるんだけどー、マジで男の子産んでから、世の中って男が回してるんやなってめっちゃ感じてるんだわー。ぶっちゃけ、女ってやっぱ楽やん?顔面偏差値高ければ、チヤホヤされて、仕事もそこそこ、金持ちの男捕まえれば一生安泰みたいな?でも、男の子って、ちっちゃい時から競争競争で、マジ大変そうなんだよねー。ウチの子、まだ3歳だけど、保育園でも「一番になりたい!」って泣きながらおもちゃ取り合ってるし、将来のこと考えたら、マジでゾッとするわー。正直、ウチ、前はフェミニストってやつに共感してた時期もあったんだよねー。でもさ、男の子育ててると、男社会の厳しさがマジで身に染みるわけよー。ウチの子が将来、社会の底辺で苦しむとかマジで耐えられないし、そのためには、ウチも頑張って稼いで、いい環境整えてあげなきゃって思うんだわー。ってか、女ってだけでチヤホヤされてきたけど、息子のためにもっと稼がないとなって思ったら、逆に男社会に感謝まであるわー。この社会は男の競争が生み出したもんなんだし、女が楽できんのも男社会のおかげって考えたら、フェミニストとかマジでちゃんちゃらおかしい話なんだよねー。まあ、この話、女にしても「は?何言ってんの?」って感じだろうし、理解されようなんてさらさら思ってないけどなー。
お金がトリガーなことまでわかってるなら一緒にカウンセリング行ってもらったらダメなの?
そこまで分析出来てるのに行動はなんか選ぶ選ばないの極論になってないか?
まあうちも昔は金持ちで一気に没落して…みたいな祖母の元に生まれたからなんとなくわかるよ。お金とられたら負けみたいな価値観の人がお家に一人以上いるんだろう。
そしてその家族が非を認めないことで金の支払いを逃れるのを小さい頃からずーっと見てたんだよ。例えば小さい頃の自分がお店のものを割っちゃって、買い取りしてくださいと言われたのに、祖母がこんな通り道に割れ物を置くな!と激昂してじゃあもういいのでお引き取りくださいと言われたりね。家族内では危なかったね〜って武勇伝みたいになってたり。
うちはケチなのは祖母側の人間だけだったし、社会人になってなんとなくケチすぎるのは輪に溶け込む上では不利だなと思ったから気を付けているし、幸いにも自力で稼げる仕事に就けたからお金を失う不安から逃れられたけど、小さい頃から仕込まれた価値観はなくならないからそういう場面ではいくらでも言い訳が浮かんでくるよ。
私個人の価値観では、非がなくても謝る増田もまた偏っていると思う。まあ相性と言われればそこまでだけど。
あなたと結婚したい、したいけど自分はあなたのそういうお金にまつわる価値観だけがずっと気になっていて、あなた自身はその価値観の歪みに気づいているのか、もし気づいているなら一緒にカウンセリングに行ってみる気はないかちょっと考えてみてほしい、みたいな感じで話してみてもいいのではないか。そこまで言っても逆ギレするなら結婚してもどうせ離婚するか増田が精神を病むかになるだろうから結婚はやめといていいと思う。
本が原作の映画を見ての感想だったんだけど見てないんかいwwwwwww
作中で貴族って言われる金持ち層に一応入ってるから自分を下級貴族と表現しただけの話。
アンシャンレジーム的な考えならおっしゃる通りだし、(特に都内の)アッパーミドル以上のソサエティにいるならその謙虚さも必要だとは思う。
でも仕事や趣味の知り合いだったり、学生時代の友人に色んな出自の人がいるから、ある程度自分が恵まれた環境で育ったことを自覚しておかないと周りを傷つけることがあるってことも肝に銘じて生きてます。
そんな可能性はありません
自分が払っている税金も、他人が払っている税金も、自分の分の税金です
これは「年収1000万円以下の人々はインフラにただ乗りしている」といった、
子育て様がどうこうというよりも、自分が何を重視しているかと、うまく立ち回れるかだと思う
ぽまいらの金払わない金持ちや大企業や与する政治家に対する監視がゆるく、
俺も、あの人も、女でさえあればあんなに苦しまなかったんだろうなあ
親すら愛してくれなかった人間は、一生のたうち回るしか無いのだけれど、女に限っては結婚等のあがりがある
けれど男というのは、自らの体に全く価値がないどころかマイナスであるから一生愛されずに終えるしか無い、能力があるとか実家が太いとかじゃない限り
こういった苦しみを吐くだけで、たくさんの人に眉をひそめられる だからここにしか吐けない 一生頑張っても愛されない人生を生きるのは虚しい
どうせまた「お前は結婚の苦しみを知らない!!!!!!!」とか言われるんだろうな
全部できるようになるのは遠い未来なわけでさ
でも今、店員のコストvs自動化のコストで争ってるけど、次は客にやらせるコスト(0円)vs完全自動化のコストで争うわけで
これは相当動かないと思うんよね
30年はこのままだと思う
この事故で控訴審が逆転無罪になったというやつで、改めて情報を見ていると、子供がばらばらになって死んでしまい、妻も両足切断の重症ということばかりがクローズアップされていて、あからさまに「さすが鬱苦しい日本は上級国民に寛大ですな」という感想をミスリードするような情報の偏りを出している。
多くの日本人はどうも騙されているようだが、裁判の争点は「船の運転手は事故を回避できたのか」という話だ。
回避できる状況なのにあの事故を起こしたのであれば普通に有罪判決になるだろう。
自動車でも例えば塀の上から飛び降りてきた子供をはねたときは「予見不可能で無罪」という判決になっている。そりゃそうだ、そんなのは上級国民だろうが関係ない。
で、今回の判決は予見することはできなかった、という結論になったということでしかない。
一審では警察が自分たちに有利な証拠を捏造して勝ちに言ったというのも当然問題視するべきだがマスコミはだんまりでさすが鬱苦しい国日本はお国に従順なマスコミが揃っておいでですなと思う。
なぜなら控訴するだけの体力があるっていうことでもあるし、優秀なスタッフを雇うことができるというのもある。
上級国民な人脈も金も段違いだからその点においては「ずるいな」と思ってしまう。
被害者家族の旦那さんも「子供がバラバラにされて殺されてしまい、妻も足を切断する重症をおってしまった、なのに無罪だなんてこの国は酷すぎる」ということを言っているようだ。
自分が当事者になれば当然同じ感情になることは間違いないのだが、あえて言うならばそういった情に流されてルールの運用を変えてしまうことだけは国はやってはならないということでもある。
池袋のプリウスロケット事件の男性はそういう意味ではきちんとした対応をしていると思う。辛くて仕方ないと思うが、自分の個人的な感情と国のあるべき姿を天秤にかけてメディアにはあるべき対応をしていると思う。
多くの人があの家族に自分を重ねて感情的な反応をしているが、国が情に流されてルールの運用を変える、更に言うならば科学的に予見不可能と証明されたのに予見可能とまで捻じ曲げるなんてことをしてしまったらそれこそ恐ろしいことになってしまう。
裁判が証拠を集めた論理的なディベートではなく、いかに社会の同情を集めるかの勝負になってしまえば自分たちのみに何が起きるか怖くておちおち生活もできない。
この辺もマスコミは全く触れない。刑事罰を問えるかどうかの裁判と民事罰を問えるかどうかの裁判は全く違うだろう。
だがこんなことを後に話せば魔女狩りに合うのは間違いないので、やはり日本は鬱苦しいと思う。
ボートの運転手は被害者を殺したあとも楽しく遊んでいた鬼畜だ、ボートの運転手はのらくらと逃げ回っていて反省の気持ちもない、あいつは金持ちの上級国民だ、そんなあいつを守るお前は鬼畜か、というような反論にもならない反論が来ることは予想できるが、そういう感情論をこそ煽るべきじゃないと思っているということで、先に答えておくことにする。
他にも文章が読みにくいとか、書いている内容に知性を感じないとか、そういった人格批判も来るだろうし、「はい論破」系のも来るだろう。
来るとしたらだが、まぁ、真っ向から反論したら左翼の左翼たるゆえんが明らかになっていくだけだから全くスルーが一番ありそうだな。
今回の事故も被害者がおっさんだったら「どういう状況だったの?だったら仕方ないね、おっさんが悪いわ」ってなっていたと思う。
例えばだが酔っ払ったおっさんが道で寝てしまい、車に轢き殺されたなんて事故は「予見不可能無罪ー>そりゃそうだおっさんが悪いわ」くらいにしかならないのだが、被害者が女子供だと途端にこうなるんだなと思っている。
終わり。
どうも証拠の動画があり、やばい!と叫んでいるとか、何もなかったよなと口止めした動画がある!ということも言っているようだが、誤報だ。
https://www.bengo4.com/c_18/n_16015/
これについては民事で決着がついているが、誤報でしたと言ったメディアはあるんだろうか。
俺は裁判のどちらもはっきり言って守っていない。この国の司法が正常に機能しているかしか気になっていない。
メディアはプロパガンダしまくりでこの国の司法が崩壊しているとでも言いたいのだろうか。
あとそうだ、「司法が機能していない!」と言いながら言いたいことが「私が有罪だと思うやつが有罪になっていない!」でしかないやつも湧くんだろうな
自分自身は世田谷区育ちの「リッチピーポー」で、親友は九州から出てきている29才の私にとって、なんだか見てはいけないような映画な気がしてたんだよね…。
地方出身の時岡美紀(水原希子)と平田里英(山下リオ)が東京駅を眺め、「地方から出てくると、こういう分かりやすく東京っぽい場所ってやっぱり楽しいよね」、「外から来た人がイメージする東京だけどね」と会話を交わすのだが、それは東京出身の私たちにとっても同じなのである。青木幸一郎(高良健吾)にとっては取るに足らないものかもしれないけれど、少なくとも榛原華子(門脇麦)の級友たちや、美紀と里英と一緒にアフタヌーンティーを楽しんでいた子たちにとっても、「東京っぽい」という言葉で表現される有象無象は憧れの対象に変わりないと思うんだ。
幼稚舎出身の子達でさえ、半分はファーストキャリアに東京駅周辺の大企業を選ぶ。たとえ高級ホテルで食事をすることが日常茶飯事だったとしても、たいていはその写真をSNSに投稿している。東京の貴族たちの大半は、「東京っぽさ」にしがみついているんだよね結局は。
それから、雛祭りとかの季節の行事を祝ったり、母親と出かけたりはしないという美紀に対して「信じられない」と華子がバッサリいく場面もある。でもむしろそういうのって、地方の地主とか社長とか寺や神社のお家の方がしっかりしてるんじゃなかろうかって思ってしまった。言いがかりですけど(笑)
まあとにかく、だからこそ、「あの子は貴族」における分断の根っこは都内と地方の物理的なところに置かれていた(と少なくとも私は解釈した)ことに少し違和感を感じたのだった。
だって、23区の高級住宅地にも地価が上がるずっと前から住んでる庶民はたくさんいて、大学に辿り着かずに高卒で働いてる人なんてザラにいるし。名古屋や芦屋の金持ちは、わざわざ東京に出てきて仕事する必要がないくらい余裕がある人たちなんだし。確かに地方にいる人が東京に来て貴族と同じコミュニティに入ろうとするには努力の必要量に差がありすぎる、ということは分かっている。その時点で分断じゃんと言われればそこまでなのだけど。
それから、果たして美紀と華子の間に連帯はあったのだろうか。ただ単に、華子にとって美紀は羨ましい存在なだけだったんじゃないかって。それに、連帯なんてできるのだろかって。東京の出身の人は地方に憧れがあるけど、それってきっと地方の人からしたら薄っぺらい憧れで、傲慢だと思っているだろうし、ただただ美紀と里英の器がでかかっただけじゃない?って思ってしまう。
ここまで書いて、そんなこと言ったらおしまいじゃんみたいな着地点になっちゃったし、私の発達障害気質が露呈しただけなのかもしれないし、ただただ私がこの作品に出てくる人たちほど貴族じゃないことがバレただけかも。だったら恥ずかしい〜(笑)
それでも周囲の人に感想を言えずにここに綴るしかなかったのは、私が代々続く幼稚舎一族なのに公立小で、大学に至っても慶應に入れずに、貴族の世界に手が届いているのに外から見るしかない、狭間に生きる人間だから…。誰かに、(敢えてこの言い方するけど)上流貴族に、地方出身者に、そして願わくば私と同じような下級貴族に、私の感想がどう間違っているのか教えて欲しかったからなのかもしれないね。
シンプルに『金持ちや大企業を問いただす』、『配布の不均等を是正する』って何故ならんのか?マジで理解に苦しみますの
例えば、🍬飴の配布🍬を例に考えてみようぜ
こういう富の独占と配布の仕組みは、現実でも見られる。
「仕方ない」とか、「Cが悪い!」ってなる要素がないのは気のせい?なんだか戦後の闇米騒動を見ているよう・・・
A/B/Cグループ、誰が一番得して、誰が一番損してるかについて、難しい要素はひとつもない。
極端に論理的に考えることができない上に、極端にメタ認知能力に問題があるので、
人が言ったことを疑わず、なんでも真に受けるようになってしまうのでは?と疑っているけど、どう思う?
金がある奴からポンポン万単位回収する方がビジネスになるってのがはっきりしてしまって
貧乏人は金持ちがランクなり対人戦なりで俺ツエーで気持ちよくなるための養分として運営に飼われてるので決してボランティアではないから安心しろ
「金持ちほど得して格差拡大」とか言うなら、あの児童手当の特例給付廃止の議論の時にも、同じこと言って廃止バンザイしてなきゃおかしいんだよな
女子供が絡んだぐらいで再配分なんか簡単に投げ捨てるくせに、都合が悪くなった時だけ金持ち優遇とか言い出すんかよと
結局、「国民民主党の手柄にしたくないから」ってそれだけの理由で、信じてもいない理屈をにわかに持ち出してるのがあからさますぎて寒い
https://anond.hatelabo.jp/20241214160546
便乗して書く。順不同です。
不法移民を乗せた船が地中海に度々沈んでいるとニュースで話題だが沈んだ/打ち上げられた彼らの遺体は果たしてどう扱うべきか。大量死した移民難民の検死という大プロジェクトに立ち向かったイタリア法医学者の奮闘の記録。身元の照合なんてDNA鑑定すれば簡単やろ、なんて素人考えは早々に打ち砕かれ、うーんこれは大変だぞと読んでて途方に暮れてしまうが、それに立ち向かう筆者ら法医学者の技術と志には非常に頭が下がる。法医学の本なのに序文が筆者の肉親の死を描いたエッセイから始まるのが意外だったが、読み終えたあとにはその意図がよくわかる。ちなみにグロ写真は出てこないがグロ文章は出てくるので俗な好奇心も満たされた。
噂には聞いていたがおもろすぎる。特に『オムファロス』が好きだが読書メモを見返してみると『不安は自由のめまい』からの引用も多く、かなり自分の心に響いたようだ。あまりに面白かったから、SFマガジンの息吹刊行特集号を中古で探してきて、短編集未収録作(『2059年なのに、金持ちの子(リッチ・キッズ)にはやっぱり勝てない -DNAをいじっても問題は解決しない』)まで読んじゃった。
土を語るには色が欠かせない、ということで新書なのにフルカラー、本を開くと不思議な匂いがする。永久凍土、チェルノーゼム等等、高校の地理の授業で学んだものだが、実際に足を運んでみると結構ものが違ってたり、正確かつ詳細な分布記録はどこにもなかったり(なので国際プロジェクトが立ち上がり筆者もそこに参加した)教科書には載っていない地質研究のリアルが知ることができ面白かった。筆者の語りも軽妙でぜひ次回作が読みたいと思っていたら、ちょうど今月末にブルーバックスから『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』という本を出すようで興奮が止まらない。絶対読もう。
新卒時代に神経内科学に携わった経験があり、仕事内容はAD(アルツハイマー病)ではなかったもののアミロイドβ仮説の問題点については小耳に挟むことも多かった。ということで課題図書的に読まなければならないと思っていた本でようやく重い腰を上げて読んだのだが過たず面白かった。同時期に『失敗の科学』も読んだのだが、それに載っていてもおかしくないような事例ではある。認知症は確かに存在するのだろうが、アルツハイマー病という病気が本当にこの世に存在するかどうかは読み終わった今かなり疑問だ。病をどのように定義するか……。脳の病気は、脳以外の臓器と違ってすぐさま生検というわけにもいかないし、死後解剖も難しく(愛する人の頭を暴かれたいとはなかなか思えまい)、そもそも脳という臓器が複雑なブラックボックスすぎて、病態と組織学的所見とを適切に紐付けることが元々非常に困難なんだろうな。
わたくしごとだが11月末に待望の第一子が産まれ、本書はその産前休業期間中に読んだ(産後は集中力が低下して活字があまり読めなくなったので、今から思えば産前に読んでおいて本当に良かった)。薄めの本だが、発達心理学のエッセンスがぎゅっと詰まっている。ベテラン大学教授の発達心理学連続講義の第一回総論といった趣の本(というかそれそのもの)。筆者は障害児心理学で長年教鞭を執ってきていて、定型発達児・障害児の双方に平等に愛を注ぐ筆致に心を打たれた。医学では病める臓器の研究が進むことでその臓器そのものの生理についても知見が積まれるものだが、障害児心理にはひとのこころの成り立ちを考える上での重要な視点が詰まっているのだろうなと思う。
新生児の頻回授乳のお供にオーディブルを再開した。眠いと活字はなかなか頭に入らないのだが耳からならなんとかという感じである。今読んでいるのは『サピエンス前史 脊椎動物の進化から人類に至る5億年の物語』で、新生児のしゃっくりを見ながら古代脊椎動物が獲得した横隔膜に思いを馳せたりしている。次にオーディブルで読む本は未定なので、おすすめあったら教えてください。ちなみにわたしのオーディブルおすすめ(読み終わって好きな本)は『北関東「移民」アンダーグラウンド』です。2025年も色んな本に出会いたいものです。