はてなキーワード: まさかとは
M-1で霜降り明星の粗品が『しょうもない人生!』なんてツッコミをした時、お笑い好きの俺は他人事のように爆笑したが。
その女への恋愛感情を自覚したのは、霜降り明星がM-1を制覇する少し前のことだった。
世間を知らぬクソガキではあったが頭だけは良かった俺は、公立校あるあるの『ガリ勉を虐める文化』を見事に喰らい、中学校までまともな青春を送れていなかった。
高校に上がってからも、そこまで高校の偏差値が高くなかったせいか、頭が良いことはあまり評価されなかった。『なんかめっちゃ頭良いらしい』とだけ認識される、教室の片隅でオタクと駄弁っている男子でしかなかった。
…………しかしある時、平均身長以下の小さな同級生は、面識も無い俺にこう言ったのである。
冷静に考えて。
幾ら友達の友達とは言えど、クラスも違えば部活も全く違うし、何なら会話すらしたことの無い程生きる世界が違う人間に、勉強を教えるという労働を頼み込むなど、常軌を逸している。自他境界がイカれている。
しかし、何故かその反応が心地良かった俺はそれを承諾し、勉強を教え始め。
―――気付けば、俺の周りには人だかりができるようになった。
そして、それを通した会話や、彼女が切っ掛けで生まれた人間関係に揉まれていく中で、俺のコミュニケーション能力や人間力が向上し、友達も交友関係も大きく広がり。
2年に上がる頃には、もう学年全体に名も性格も知られる存在となり。
終いには、『お前が間違いなくこの学校の中心人物だ』と教師に言われる始末。
味方など何処にも居なかった苛められっ子のガリ勉デブは、青春を謳歌するガリ体型の優等生へと進化していたのだ。
さて、そんななろう小説みたいな人生を送ってきたとなれば、その元凶たる彼女に恋をするのは、オタク兼元陰キャとして当然の流れだろう。
高校3年の秋。2年間友達だった彼女が、俺の悩みを聞くやいなや自分のことのように泣き、共感してくれた事を切っ掛けに恋愛感情を自覚し。
いつかお前に告白するぞ、なんて思い。
―――気付けば、6年経っていた。
そして。
彼女のSNS上での結婚報告により、俺は人知れず敗北を悟った。
要因はいくらでも考えられる。
大学に入ってから物理的距離がかなりあったこととか、俺が6年制の大学に居て学生期間が長すぎるとか、連絡を取る頻度を減らしすぎたとか、やっとの思いで漕ぎ着けたデートで勇気を出せなかったとか。或いは単純に顔が平均以下だからか。
ここ2年はまともに会うことも無く、心の何処かでは『どうせ無理だな』と半ば諦めていたから、こうなることは理解できる。
経済的に豊かになる為に、猛勉強して某名門大学まで上り詰めた。
その中でも1番取れたらカッコいいなんて思い、リスカする程精神を追い詰めて勉強し、学科内で主席になった。
恋愛経験を積む為に、彼女を好きだという感情を抑圧して、複数の女性と付き合った。
そして、彼女との関係を進める為と心の中で言い張って、交際相手を何人も振った。
その全てが、たった今水泡と帰した。
明確な敗北なのだ。これは。
どうやら俺は、行動原理の大半を知らず知らずのうちに『彼女に相応しい人間になり、いつかこの恋愛を成就させる』ということに割いていたと、今になって思う。
そして今、その行動原理―――或いは生きていく意味が無くなった今、俺の人生は敗戦処理へと切り替わってしまった。
周りから見たら俺は成功者なんだろうが、いま俺は自分のことを敗者としか思えない。
何故なら俺は敗者なのだ。
幾ら年収やらスペックやら社会的地位やらで優れていても、俺は彼に負けたのだ。
敗者が言えることなど、無い。
だがしかし、いくらしょうもない人生だろうが、時は止まってくれない。
彼女に告白する勇気すらなかった俺が、死ぬ程の勇気なんて持てるはずもなく。
そんな中、部活で頑張りすぎて吐いた後輩の為に、息を切らして飲み物を買いに行った。
「こういう自他境界を無視した馬鹿みたいな優しさは、お前から学んだんだよ」
なんて思って、届かない星を見上げた。
→ 羽をむしられた鳥たちはどうなる?食用?
→ 乳を出すには子を産まなくてはいけない。生まれた子牛はどうなる?食用?
→ まさか麻酔をかけて卵を取り出してはいまい。魚卵以外の部位はどうなる?食用?
あと一つは?
もちろん相手は増田の好意を理解したうえでいいように金づるとして使ってたけど、告白してきたから切り時ってだけの話よ
「私は彼氏がいるとちゃんと言ってたし、増田君のことは気の合うお友達だと思ってたから一緒に遊んでましたが
まさか増田君が私のこと好きだなんて思ってなかったです」ってみんなに言ってまわる可能性あるからな
Line消すな、スクショしておけ、なんだったら行った店でとった写真とかも全部とっとけよ
まだ若いんだし、今は心が痛むと思うが、机の角に小指ぶつけたと思ってさっさと次をさがすといいよ
彼氏持ちなのは知ってるよ、でも本気で好きで色んな人に相談したらダメ元で告白してみたら良いって言われたから人生で初めて勇気出したんだ
「職場の人からの好意は正直キツいです、彼氏がいるの知ってるのにあまりにも自分勝手すぎます、もう二度と関わらないで下さい」だってさw
俺からの好意ってキツいんだ、断られるのは分かってたけど「気持ちは嬉しいんですけどごめんなさい」かと思ってたわw
仲はめちゃくちゃ良かったんだよ、本当に
一年ぐらい前に向こうから連絡先を聞いてきて、向こうから食事に誘ってきて、そこでお互い仕事の愚痴とか恋愛相談とかして仲良くなって
以来毎週食事に誘ってくるようになって、俺からも誘うようにもなって多分50回は2人で遊んだと思う、相手の家にも行ったし休みの日に会ったことだってある
彼氏には怒られないの?って聞いても「俺さんと居るのは楽しいんで!内緒にしてるのでバレないです笑」なんて言っちゃってさ
職場ではお互い敬語だし苗字さん呼びだけど2人きりのときは名前でタメ語で呼び合ってさ、めっちゃ楽しかったんだよ
職場でバレないように目配せしたり、LINEを返してなかったら「この資料確認お願いします」って資料渡すふりして付箋渡してきてそこに「LINE返せ!」って書いてあったり
職場の近くで屋台が出てる時には昼休憩に2人でバレないようにこっそり待ち合わせして食べに行ったりさ、相合傘だって何回もした
下ネタだってなんでもアリだった、向こうの自慰行為の事情だって知ってる
向こうが彼氏と同棲始めてからも彼氏がいないタイミングに必ず俺のこと誘ってきてその度にご飯奢ってた
最近は買い物とかも一緒に行くようになってその度に俺に日用品まで買わせてくるんだよ
これって金づるにされてんのかなって思ったけど好きだから断れなくて「なんでお前のこんなもん買わないといけないんだよ彼氏に頼めよw」「えーだめなのー?」って言われたら買っちゃうだろ
好意だっていきなり出した訳じゃないんだよ、顔がタイプとも伝えてたし仲良くなった女の子は好きになっちゃうとも言ってたし冗談っぽくだけど「彼氏と別れて俺と付き合えばいいじゃん笑」とかも言ってたよ
その度にはぐらかされてたけどね
最後にあった日、高い寿司を奢った後ドラックストアで買いたいものがあるって言って高い美容液とかを俺のカゴに入れ出したんだよ
13000円だぞ?マツキヨで買うレベルじゃねぇだろ、勿論拒否したよ、でもお願いされたら「しかたねえなー」って言っちゃったんだよ
買ってあげた後、俺は何をやってるんだろうって気持ちになってまず何か進展しないといけないって思って家に帰り、「無理なのは分かってる、でも前から好きだった、今度直接言わせて下さい」って送ったんだよ
そしたら1日経っても既読がつかなくてさ、職場では露骨に目を合わせないし
それで無視されてるから「困らせてごめん、忘れて下さい」って女々しいけど追いLINEしたんだよ
そしたら「無かったことには出来ないです、職場の人からの好意は正直キツいです、彼氏がいるの知ってるのにあまりにも自分勝手すぎます、もう二度と関わらないで下さい」だってさw
俺もびっくりしたよ、まさかそんなこと言われるなんて思わなかったし、50回だよ、遊んだ回数使った金額は5万とか10万じゃないぞ?俺職場の先輩だぞ?
俺もびっくりしてさ「待って、そんな嫌われるような事は言ってなくない?」「俺が今まで一度でも無理に誘ったら嫌な事をしたことがあった?」って送ったんだよ、返事がなくてさ
「もう関わらないようにするから、ただの知り合いならブロックで良いけど職場で絶対に顔を合わせるんだから自分の中で納得はしたい」これにも返事がなくてさ、この時点では未読無視でブロックはされてなかったんだけど
その間も会社では俺のデスクの近くを通るし絶対に会話しないと行けない時もあるんだよ、俺人間関係は結構トラウマがあるんだよ、その子が通るたびに、視界に入るたびに、香水の匂いがするたびにフラッシュバックしてさ
「こういう嫌われて方するとPTSDが再発しちゃうんだよ、もうこのやりとりが終わったら二度と話しかけないしLINEもブロックしていいからいまは無視だけやめてください」って送ったんだよ
彼氏が居るのに告白するのが非常識ならなんで連絡先聞いてきたの?なんでご飯に誘ってきたの?なんで彼氏が居ないタイミングで家に呼ぶの?なんで「俺さんと居ると楽しい」とか「今までの男友達の中で一番好き」とか「お互いおばあちゃんになって彼氏が死んだら一緒に暮らす?」とか「俺さんと居ると彼氏といる時みたいに甘えた声で喋ってしまって恥ずかしい」とか言ったの?
結局のところ増田自体が総合的に不安定であるということは変わりはなくて
増田が母親にどんな回答を貰われたところで増田が納得して全てを引っ込める覚悟がなけりゃ意味がないんだよな。
旦那にも悪いよな、まさか旦那ちゃんの愛が増田にとってはどうでも良かったなんてな〜。
でも、そういうことだし、多分増田の母親がやってるのもそういうことなんだろう。
増田には増田の大きな欠点がある。だけどそれは別に増田の人生を丸ごと否定して余りあるような欠点ではない。重箱の隅を突きすぎて重箱がひっくり返って重箱トントン相撲になっちゃってるってだけだ。
『お母さんのそういう行動、本当に嫌い』って言うことをだ。
その精神を持つことをだ。
他人相手ですらやらないようにしてる“人の何かしらを嫌いになる”ということを自分の最大の身内“親”にぶつけることをだ。
そして、それは別に愛が無くなった訳じゃない。
まぁ、言い換えみたいで狡いし、やってること増田のお母さんと一緒なんだけどね。
それでも人間関係は“好き”と“愛してる”だけで成り立つものじゃないし、愛はそんな狭量なものではない。
愛してるからこそ、ちゃんと嫌な部分があるってぶつけなければいけない。
そこを避けるような人は、たとえ親でも、めちゃくちゃ悲しいかもだろうけど、自分の人生の輪から外さなければいけない。
だから、増田がそのコミュニティからの旅立ちをする覚悟、故郷を思い出しながら『でも愛してくれなかったなら仕方ないよ』とボヤく覚悟ができたなら『お母さんのこういうところがマジで嫌だ』をぶつけてみるといい。
案外、『そうだよ、増田ちゃんが苦しむってわかってて言ってた』っていうとても楽しい回答がもらえるかもわからん。
そしてだからこそ、それでも愛せるか、愛するかってことを考えなきゃいけないんだよ、増田は。
その覚悟がまだ先でいいなら、まだぶつけなくていいよ。
だっていまだに不安定だろうし、それが何十年と続くかもわからんし。
もしかしたら途上で親が死んで墓に向かって『私、あなたのことが嫌いでした』って言ってスンッてなるかもしれないし。
もしかしたら一緒に酒飲んでる時にポロッと本音が出てお互いにバカ笑いして落着して絆が深まるか、全部の恨みが通り過ぎてお互いに不干渉になるかの出来事もあるかもしれないし。
そこはもう、上手くやろう。
なんせそんなんでも旦那のいる身な訳で途上で発狂して終わっても良かったのに、それでも大人になっちゃったんだから、ね。
上手くやりましょう。
マジで赦せないならそれが増田母の愛だとしても断ち切って振り切って、自分の家庭の維持に粉骨砕身してください。
アンタが人の妻だからとかそういうことじゃあなくて、自分の人生を確立させる為に大切にしたい人をちゃんと大切にしてあげましょうって話ね。
増田のお母さんは十何年も前からそこから外れかかってるお手手のささくれってだけです。
親認定するから人間関係から外すのに戸惑いが生まれるのなら、『なんか肌管理下手だったからささくれ出来ちゃったワ〜』って思っときゃいいんです。
ちょっと血を見て良いならピッって引っ張って外そ〜の奴です。まぁこれは、健康な皮膚まで取れちゃうみたいだから、清潔にした状態で爪切りとか使ってチョキンと切って軟膏とか塗りゃお手手のササクレも取れるらしいですよ。
なんか作法の面倒臭さが円滑かつ円満な人間関係の切り方みたいでイヤですね。
まぁ、そんな感じです。
切っても大丈夫な状態を作って、切った後もちゃんと社会人らしく陰ながらフォローして、もう実家から伸びてこなさそうなら毒親ケアしゅーりょーって感じ。
そうすれば「あんなに出来た子でもその欠点故に愛せなかった親」になります。
変な切り方をすれば「確かに悪いところはあるけど、俺もあの人のことは人として好きだからなぁ」になっちゃいます。
就活生です。スーツ着たくないから就活したくない!とか、自分の個性を大切にしたいから画一的な正社員にはならない!とか言ってる人たちって馬鹿なんでしょうか?
俺は芸術で食っていく!とか、俺は音楽で食っていく!とか言ってる人がいますよね。彼らって、まさか自分が芸術や音楽に心惹かれるのは自分の感性が特別だからで、自分には才能があるとでも思っているのでしょうか?
自分の意見としては、芸術や音楽に心惹かれるのは誰しもそうだけど、みんなそれだけは生きていけないという現実を受け入れてるから、スーツ着たくないし、就活もしたくないけど、我慢して正社員として生きていってるんだよ。と思います。
まさかこのことに気付いてないわけないですよね。成人してまで、まさかまだ自分が特別だなんて思ってるんでしょうか。芸術で食っていくと言ってる人たちを見ると、子供がサッカー選手になりたい、パティシエになりたいと言ってるのと何が違うんだろうと思います。人生の見通しが甘すぎませんか?人生舐めすぎじゃね?
まず「長い間」の冒頭の歌詞である「長い間待たせてごめん」は、彼氏の言葉です。
このセリフはダブルミーニングで、一つは仕事が急に入って遅くなったという意味です。
もう一つは、これは彼女側の受け取り方としてなのですが、「結婚を長い間待たせてごめん」という意味にもなっているのです。
実はこの曲は、Kiroroの玉城さんが友達の結婚式のために作った曲なのです(結局結婚式には呼ばれなかったという悲しいエピソードもあります)。
彼女は結婚したいのだが、彼氏は仕事を頑張りたいため、結婚を待ってもらっていたのです。
だから、「長い間待たせてごめん、また急に仕事が入った」というのは、単に仕事が入って遅れただけではなく、仕事があって結婚を待たせてごめん、という意味があるのです。
だから、どれくらい待たせたのかということで言えば、それは本当に長い間、結婚をしたいけどずっと待ってる女性にとっては、気の遠くなるような長い間ということになるでしょう。
「愛してる、まさかね、そんなこと言えない」という歌詞は、愛してるなんて言ってしまったら結婚を急かせてしまう、だから言えないという意味が込められているのですね。
それを踏まえて、歌詞を読んでみてください。
https://www.uta-net.com/song/10285/
以上の解釈のソースは、長い間~キロロの森~というアルバムの歌詞カードに書いてあります。
30歳までに結婚したいけど、彼氏の仕事の都合があるので、何も言わずに待っていたという友人がいました。それを自分の立場だったらこう思うだろうな、と想像して書いた歌詞だったのです。
この期に及んで「病気なのだから仕方ない」という擁護の声があってげんなりする
凄く当たり前のことだけど、ADHDの患者にも性格の良い人と悪い人がいる
(まさか脳や精神の病気の人はみな一律"良い人"でそこに個性などない、と言う人は居るまい)
そして健常者よりどうしても遅刻や無断キャンセルが多くなってしまうところまでが病気の症状で、
それを開き直ったり、SNSで誇示することは病気の症状ではない
こう言うと「いや、病気のせいでこの人は苦しみ、性格に悪い影響が出たのだ」とさらなる擁護の声が上がるかもしれない
「確かにこの人は性格が悪いが病気のせいでねじ曲がってしまったのだから仕方ない」と
そんな酷いこと言えない?
病気の症状ではない振る舞いまで含めてADHDだから仕方ないと擁護して、
病気を盾に開き直ったりなどしないのに、白い目で見られるのだ
川田龍平「ロットによって接種者全員が亡くなっているショックな統計すらある。福岡大臣は私と共に薬害再発防止議連で取り組んできた筈。コロナワクチン薬害を拡大させない決意を」福岡大臣「コロナワクチン薬害の定義は難しいので差し控えたい」川田「薬害は情報公開なしに防げない」#予算委員会
北九州のロケットランチャーが見つかった時近所に住んでいて野次馬しに行ったことがある
その頃同年代の子らが手りゅう弾を見つけたりしていた時期だったのであーまたかーと思っていた
まさかこんなに後世に大々的に語り継がれ全国的に有名になるとは全く予想だにしていなかった
それと通学路に暴力団の事務所が2.3軒あり、作業服の男がたむろしていたり路上にでっかい車を止めていて邪魔だった
地元の祭りで山笠を担ぐのはほぼ全員ヤクザみたいな見た目で、近所の人たちは全員「見た目だけでしょ」と言っていたが、本当にヤクザだったようで逮捕されていた
便乗して5冊挙げようとしたけど絞りきれなかったので倍プッシュした。2024年は1/1から今日までのあいだに315冊読みました。ちなみに、いま読んでる途中なのは上橋菜穂子『香君』(2022年)と飛浩隆『鹽津城』(2024年)、それに教養系の新書数冊。
今年はアプリリリース3周年を迎えたウマ娘に突如シーザリオが実装されるというサプライズが起きて、仮にウマ娘化されるとしたら絶対男装の麗人キャラだろうなと思っていたら本当に男装の麗人だったので全俺が歓喜したし、オフザリオの声が可愛すぎませんか……? 俺はああいう透き通ったというか透明感があるというか鈴を転がすようなというか、とにかくそんな感じの声に弱いのだ。身体つきもいいしなグヘヘ。シナリオではずっとイチャイチャしてて最高すぎる。俺の嫁Tier最上位です。引けてよかった……! ちゃんと「シーザリオ英雄譚」の称号もゲットしました。チャンミは優勝できなかったけどな! ところで俺は『ハムレット』しかシェイクスピア作品を読んだことがなかったので、良い機会だということでシーザリオの名前の元ネタになった『十二夜』を読んでみることにした。男装の麗人、すれちがう恋心、よく似た兄妹の人違い、と来てお前女だったのかからのハッピーエンドで終わる、まあテンプレ通りのラブコメだったんだけどひょっとしてこれがラブコメのテンプレになったやつだったりします? 偉大すぎでは。っていうか「十二夜」って、古代ローマのサートゥルナーリア祭をもとにした公現祭(エピファネイア)のことだったんだ……。ほかにも『リア王』『マクベス』『リチャード三世』『お気に召すまま』『ジュリアス・シーザー』『夏の夜の夢』を読んだんだけど、いちばん好きなのは『十二夜』です、はい。「僕は僕が演じているものではありません」っていう台詞すき(小並感)。
ところでシェイクスピアといえば、古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(2023年)というラノベがシェイクスピアのパロディなのね。『リチャード三世』をパロった1巻を読んだときにはまったく気づいてなくて、あとがきを読んで「これシェイクスピアだったんだ」となり、元ネタを読んだらめっちゃあからさまだったし、今年出た2巻はもう露骨に『マクベス』オマージュで、さらに二・二六事件や三島由紀夫の割腹自殺などのネタも盛り込まれていて非常に楽しく読めた。古代日本風のファンタジィ(e.g. 沢村凜『黄金の王 白銀の王』)とか、近代日本モチーフのミリタリもの(e.g. 佐藤大輔『皇国の守護者』)とかはよく見かけるけど、人名とか文化とかが古代日本風なのにテクノロジが近代風な政治劇というのはなかなかなかったように思うので新鮮というか、「その手があったか!」という感じだ。笑いとシリアスのバランスが良く、裏の裏をかくサスペンスが繰り広げられて、続きが非常に楽しみな作品なのですごくすごいオススメです(語彙力トプロ)。そういえば春先にはちょうど前年に文庫落ちしたホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シェイクスピアの記憶』(1980年)も読んだんだった。俺の中で今年はシェイクスピア元年ということで。
自分ではリベラル派のつもりなんだけど、実はちゃんと原典を読んだことがなかったので読んでみた。日本でいうと幕末に書かれた本なのに「そうだよ~~~それだよ~~~!!!1!」と同意するところが非常に多かったので、自分は根っからの自由主義者なんだと再確認。みんなも(本来の意味での)リベラリストになろうぜ。リベラリズム関連だと、ほかにも井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)を読んだ。ラディカルだが筋が通っている。ところで著者がアメリカに留学してたときに「なんで日本人がリベラリズムの研究を?」って言われたというエピソードがちっともリベラルではなくてドン引きしたというか、あいつらひょっとして自由主義を人類普遍の原理ではなく西洋の文化かなにかだとでも思ってんの? 人類普遍の原理じゃないならなんでヨソの文化圏に押し付けてもいいと思えるんだ。非西洋の自由主義者としては不愉快。
もんのすごい面白い。話には聞いていたマーサズ・ヴィンヤード島の手話についての本。この島ではかつては高確率で聾の子供が生まれたため、島のほぼ全員が手話を身に着けていて、ときには聴者どうしが手話で話すこともあった。したがって耳の聞こえない人たちも完全に社会に統合されていて、社会的な不利益を受けることはなかった。この島では聾であることはただの様々な個人の特徴のうちのひとつであって、それが重大な意味を持っているとはみなされていなかった。たとえば以下の会話のように。
「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」
「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」
「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」
島の出身者にとって、彼らはまずもって漁師であり、聾であることは、そういえば耳が聞こえなかったね、という程度のものでしかなかったということだ。この本を読むと、なるほど障害の社会モデルは正しいのだなぁと納得してしまう。手話が共通語として存在した共同体のあり方をインタヴューと文献調査によって復元していく社会史的な面白さに加えて、途中では島民の聾の起源を近世イングランドにまで遡って明らかにしていくという謎解きの面白さも味わえる。まさか手話の本読んでてジョージ・ダウニング(ダウニング街の由来)とかサミュエル・ピープス(日記を遺したことで有名)とかの名前が出てくるとは思わないじゃん。そしてこの「手話の楽園」が徐々に崩壊し、終焉へと向かう過程は寂寥感にあふれている。今年読んだノンフィクションでは一番ですわ。超オススメ。
まだ読んでませんでしたテヘペロ。最初読んだときは「衝撃の一文」の意味がわからず、ああ、あれって襲名制でこいつは先代なんだ、って一瞬勘違いしちゃったんだけど、独白が始まるにつれて鳥肌立った。お、お前~~~~~~!!!1!! 小説としての出来は正直言って荒削りで、お世辞にも上手いとは言いがたいのだけれど、謎解きとしての衝撃は絶大ですわ。なるほどこれが新本格の先駆けか……。そういうことでちょぼちょぼと館シリーズを読み始めてます。いま人形館の途中。
そうそう、本作がきっかけで○○○○○○の『○○殺人事件』(1929年)も読みました。タイトルだけ読んで中世ヨーロッパを舞台にした歴史ミステリなのかと思ってたら全然違ったわ。あなたの「○○」はどこから? 僕は、『電脳山荘殺人事件』から! っていうか本作を読んで学生時代に読んだ米澤穂信『インシテミル』(2007年)のなかで意味がよくわからなかった一節の意味をようやく理解した(岩井が読書マウント取るシーン)。『○○殺人事件』のあとがきとか「読者への挑戦」とかそういうコーナーで作者が自己紹介する文があるものだとばかり思ってたけど、本作を指してたのかよ!
英語への解像度が上がった1冊。英語のスペリングに悩まされ、「俺は日本から出ないから英語は要らない!」と高校時代に放言しておきながらいまは英語をそれなりに使う仕事をしている者からすると、かつて味わった理不尽の謎解きという意味ですごく面白かったし、何というか、あの理不尽の背後にはこんな歴史があったのか……と知ることで、英語への愛情のようなものが増した気がする。「世界共通語」とか呼ばれて出羽守から持て囃される帝国主義的な覇権言語としての英語は相変わらず好きになれそうもないが、しかし、ヨーロッパの片隅にある島で数奇な歴史を辿ってきた言語としての英語のことは割と好きになれる、そんな本だった。
アニメを見た直後に読んでおけばよかったシリーズ。名作ジュヴナイルSFアニメ『放課後のプレアデス』のノベライズなんだけど、キャラクタの掘り下げが完璧すぎる。みなとという謎めいた存在に丁寧に肉付けして、彼がプレアデス星人と出会って闇堕ちしすばるに救われるまでの過程を説得力をもって再構成していてすごくすごい(語彙力)。主題歌の引用のタイミングが完璧すぎるだろ(「Stella-rium」は名曲だからみんな聴こうな)。そして、あおい、ひかる、いつき、ななこといったキャラクタの名前に漢字が当てられていくところは本当にゾクゾクした。これオリジナル設定ってマ? 佐伯昭志のリリカルなアニメを『永遠の森』『そばかすのフィギュア』の菅浩江がノベライズするなら、そんなのもう心が洗われるような名作にしかならんわけで。読み終えたあとにまたアニメを見たくなる、そんな素敵なノベライズだった。大好き。
数値の測定は大事なことだが、それが濫用された結果どうなるのかという事例が色々と挙げられていて、この本末転倒感は日本でよくあるやつだ……! と思ったらだいたいアメリカの事例なので人類を滅ぼすしかない。この問題で難しいのは適度な測定には意味や意義があることで(たとえば、論文の本数が重視されるようになった結果薄っぺらい論文が量産されるようになるのはよくないが、ちっとも論文を書いていないひとに多額の研究費が配分されるのはおかしい、というお気持ち)、測定なんて意味がないとは言い切れないことだが、本書の著者は最後に「測定のまっとうな使い方」のための指針を提示していて、この増田で挙げた本のなかでは一番実用性が高い。「測定は判断の代わりにはならない。測定は、判断を要するものだ」という金言を政策決定にあたるひとたちには噛み締めてほしいなと。
こっちはJ. S. ミルじゃなくてJS見る。5巻くらいで読むのやめてたシリーズなんだけど読むの再開したらすごく面白くてハマってしまった。人工知能によって将棋が終わってしまったという夜叉神天衣と九頭竜八一の抱く絶望と諦念を、雛鶴あいと神鍋歩夢というそれぞれのライバルがねじ伏せていく、めっちゃ骨太の将棋小説じゃん……。ただのロリ小説と思わせておいて、いや実際にロリ小説でもあるんだけど(ロリホームって何だよ)、AIという最新のテーマに向き合って「解」を提示してみせる胸熱な将棋小説でもあるというギャップが俺を狂わせる。すげー面白いっすわ。
ところで、さんざ褒めておきながら将棋の定跡とか全然わからんのは秘密だ。ひ、『ヒカルの碁』も盤面わかんなくても読めてたし……(震え声)
〈小市民〉シリーズの完結編。ずっと追いかけてきたシリーズの終わりが見れて感無量すぎる。読み始めたの高校の頃とかだからマジで20年越しなんだよな。『春期限定いちごタルト事件』の序盤で示唆された、小鳩くんが出しゃばって不興を買ってしまった過去の事件が描かれていて、20年越しの伏線回収が嬉しすぎる。
「なあ。おまえ、鬱陶しいよ」
これってこういう文脈でのことだったのか~~~~~とか、互恵関係! 互恵関係きた! これで勝つる! とか、〈小市民〉シリーズの過去が明かされていく展開を味わって読んでいたらそれが小鳩くんの遭った事故と徐々に繋がっていく過程は流石のよねぽだった。本作で〈小市民〉シリーズは綺麗に完結したわけだけど、これ短編集もう1冊くらいいけるんじゃないですか? という気持ちになってしまう。読みたいよ~~~~小鳩くんと小佐内さんの物語をもっと読みたいよ~~~~~~~~!!!1!!
オモコロで話題になってたみくのしんの読書録。一文一文を噛みしめるように丁寧に読んでいてすごい。国語の授業が苦手だったみたいなこと言ってるけど、マジで正統的な国語の授業みたいな読み方してるのすごすぎるでしょ。そしてこの本を読んで「一文一文を噛みしめることなくただ数だけを積み上げてきた俺の読書とは空虚なものではないのか……」という敗北感に囚われていたところに次の文がすっと差し込まれてくるのです。
本が読めないと尻込みしていた男を「正しい読み方なんてないから」と、訳知り顔で励ましておいて、いざ自分のこととなると、ちっぽけ呼ばわりなんて本末転倒じゃないか。
本書はみくのしんの読書の追体験であると同時に、本好きへのエールでもあると感じた。本には色んな読み方の可能性があって、すごく自由なものなんだということ。それを思い出させてくれる、とても良い本だった。ありがとう。