はてなキーワード: いまいちとは
いわゆるBLで自分が書いているのはマイナーCPといわれる組み合わせだ。
といっても人口0人で自分ひとりだけが書いている状態ではない。かといってジャンルの規模がそもそも中〜小程度なので自カプを書いているのは知り合いばかりという状況である。
もちろん読み手も少なく、これまた知り合いだけが読んでくれている状況だ。
ここまで書いて自分はまだ恵まれているほうなのかもしれないと思うこともある。
しかし、隣を見れば同ジャンルで何百人も書き手読み手を抱える大手カプがいる。大手カプは売れるので公式もセット売りをしたがる。雑誌インタビュー、グッズetc
自カプの片割れがそっちにいるのも自カプがいまいち盛り上がらない原因だと思ってる。
ただでさえ小説はイラストや漫画と違って見てもらいにくい。それは仕方ないと思っているし、自分がイラストや漫画で表現できないのが悪いのだ。
しかし一方で大手カプ小説書きは読み手がたくさんいる。返ってくる反応もさまざまだろう。それがどうしようもなく羨ましい。
自分が書いた文章がどのように見られてどのように受け取られているのかをマイナーCP書きの自分は知ることができない。
いいのか悪いのかの判断もつかず、淡々と小説を書くことしかできない。
こんなことを愚痴っていることをフォロワーに知られたくなくてここで吐き出すことしかできなかった。優しいフォロワーはきっと構ってくれるだろう。けれど、自分は自分自身で折り合いをつけなくては行けないと思った。
自分が書いた話を読んでほしい、萌えてほしい、影響を受けて表現をしてほしい。
自分は書き手でもあり読み手でもある。おこがましいかもしれないが、自分がきっかけでなんとか自カプが盛り上がってくれないかと考えてしまう。
このような状況がつらくてしばらく書き手を離れていたがひょんなことから戻ってきてしまった。それが周りから見たら喜ばれているのか疎まれているのかわからない。いや、どうでもいいんだろうな。
趣味なんだからやめればいいのにと自分でも思う。あとは圧倒的な文章力をつけるとか正攻法で闘うしかない。
どちらにも振り切れず、ただ人がいない壁に向かって話し続ける。いつまで続けることができるのかな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1923586
数少ない健常者の皆さま
dmtpat 事実なのは「関係者と見られる人にDM送った後に渦中のアカウントが消えた(DMに返信なし)」ということくらいなのにここでもまとめでもそれを以て推論の域をでない話を事実として受け止めてる人の多さに恐怖を覚える
death_yasude アカウント消したから適当に妄想膨らませて勝利宣言してるだけでは?
EoH-GS 動画見たけど居候親族っていう根拠がいまいち不明じゃね?ひとり飯が根拠になってるのかしら?ぶっちゃけSNS漬けなところか夫婦っぽいよな。
sesamin01 わざわざ動画観てみたけど事実として判明してるのは飯の画像を使いまわしてたって事だけで後の部分は基本的には単なる推論でしかなかった。時間返せ。
sumomo-kun 普通に配偶者のアカウントがバレたから消した可能性を排除する根拠がよくわからんな。
craprak 「弟夫婦宅に居候」「高卒」は暇な空白氏がずーっと主張してる設定だけど、結局のところ公開されてる情報だけでは確定はしてないような…。どこまで情報掴んでるのか知らないけど
fukuoka_sakuma 勝手に粘着厨が騒いでるだけの印象。削除に至った原因も憶測、下らないとしか。
fuyu77 シュナムルを擁護する気はまったくないが、真偽を検証できない情報を根拠に構成された元動画から更に発展してただの妄想としか思えないツイも含むまとめで盛り上がってるブクマカの情報リテラシは大丈夫なのか?
ラストオリジンみたいな感じのキャラで遊べるなら興味あるんだけど、ニキ固定だとちょっと興味沸いてこないな。
あまりにも雰囲気がリカちゃん人形すぎるっていうか、女児向け最大公約数的すぎて全く刺さってこない。
キャラをきせかえして楽しむゲームと聞いてるんだけど、それで主人公固定って強みの半分ぐらい叩き捨ててないか?
ニキの造形が好きな人はいいだろうけど、そうじゃない人からしたら「特に興味のない相手が延々着替えているのを見るゲーム」みたいにならない?
服がメインであってキャラはそれを着せるためのマネキンに過ぎないって考え方もあるんだろうけど、それで割り切るにしたって骨格レベルでいまいち唆られないってなると厳しいよね。
数ヶ月前に犬を飼いはじめたものの、いまいち「犬と暮らす生活」が慣れない。
私は犬猫でいえば猫派で、出不精だが旅行が好きで、人見知りの陰キャで、マイペースに生きたいタイプだ。
かたや妻は断然犬派。社交的で、近所にいる犬を大半把握し、「今日はどこどこの家には居なかった」「今日はこの時間に散歩していた」と、聞いてもいないのに報告してくれる。
元々猫を飼っていたのだが、妻はずっと犬を所望しており、お互いの仕事が落ち着いた数ヶ月前から飼い始めた。
我が家の犬は、まだ仔犬ともあり、アホほど元気だ。
しかもめちゃくちゃ社交的で、人間なら誰でも大好きなので、散歩中は近所の犬飼ってる人と都度座談会が始まってしまう。
まず、この時間が無理だ。
必要もないのに他所の犬に接して「かわいい〜!犬種なんですか?何歳ですか?」みたいなのを妻は毎回しており、私は話すことが浮かばず固まっている(社交性がないので)。
例えば、どこかに行くとなると、愛犬家は意地でも犬を連れて行こうとする。
確かに犬はそんなに留守番出来ない。ましてや一泊など、ペットホテルに預けるほかない。
これもかなり嫌。
世の中には意外と犬同伴オッケーの店があるが、いうてほんの一部であり、基本的に犬がいるとどこの施設にも入れない。
旅行だって宿泊先は限られてしまうし、途中で観光しようにも随分スポットは限られる。公共交通機関なんかは、基本的にケージの中にいて、荷物という他ない。
愛犬家はそもそも犬と一緒に居る時間が好きなので、その辺は関係ないかもしれないが、愛犬家でない自分からすると、本音はどっかに預けておきたい。
犬のトイレ、めんどくさい。
彼らは基本的に外でトイレをする(しつけれは家でも出来るが)。
妻のかつて飼っていた犬は代々外でトイレをさせていたらしく、この教育方針が受け継がれた結果、6〜7時間おきに外に連れ出してはトイレさせているのだが、これが非常にめんどくさい。
そもそも散歩が必要な時点で大変。みんなよく散歩に連れ出してるなと思う。
最もトイトレをすればいいと言う話がある。
トイトレは基本ケージの中で居させて、ペットシーツの上でしたら開放、みたいなのを繰り返していくといいらしい(ちなみに出来たら褒めてご飯をあげるという戦法は失敗している)が、犬を溺愛する妻からすれば「かわいそう」らしい。ので、今日に至る。
税理士から見るソープ嬢の納税問題 https://anond.hatelabo.jp/20241205154323
ニセ税理士と日本社会の今後について https://anond.hatelabo.jp/20241205195415
これらの記事を、大変興味深く読んだ。興味深くというのは、記事の内容そのものというよりも、それに対するコメントの熱量というのが、
なんというか、大変に盛り上がっており、なぜこれほど盛り上がっているのかということが、あまり自分の中でしっくり来なかったから、である。
自分は税務や労務のプロでもなんでもないので、細かい専門的内容にはコメントのしようがないのであるが、
とはいえ、ここのメインテーマというのは、要は収入が発生しているのであるから、それについて課税すべきかどうかという問題である(と理解した)。
そうすると、これはシンプルに税金を払うべし、ということで決着が付きそうな、ただそれだけの話題のように思える。
にも関わらず、数百を超えるブコメがついているという、その事実に興味をもったのである。
それで自分なりに色々と考えてみたので、そのことをここに書いてみる。
さて、唐突にフィンランドの話をする。といっても、北欧における風俗産業についての話ではない。鉄道料金の徴収の話である。
今から10年以上も前の話(なので、今もそうか知らないが)、フィンランドの首都、ヘルシンキ駅での体験だ。
ヘルシンキ駅は非常に大きなターミナル駅である。ちょうど常磐線が発着する上野駅に近いイメージだ。しかし、上野駅、というか日本の鉄道全てと大きく異なる点がある。
なんと、改札がないのである。
ヘルシンキ駅の駅舎に入ってしばらく歩くと、いきなり鉄道のホームが出てくる。入口も何もなく、いきなり列車に乗り込むことができるのだ。
そして各車両にはICカードリーダのようなものが備わっており、どうやら乗客はICカードをそれらにタッチすることで運賃を支払う仕組みになっているようなのだ。
ようなのだ、と書いたのは、当時私は出張でヘルシンキに来ており、予め列車のフリーパスカードのようなものを配布されていたので、このあたりの事情について、実はいまだに
正確に把握していない。なので、正確なシステムは、もしかしたらちょっと違うのかもしれない。
ただ一つ言えることは、ヘルシンキ駅には改札がなく、そして下車駅にも改札がなく、つまり目的地に着くまで、一度も料金徴収のチェックを受けることがなかった、ということだ。
支給されたカードはフリーパスのようだったので、カードリーダで料金徴収されることもないため、出張の後半になってくると、(これ、かざす意味あるのか。。。?)と思うようになった。
というか、この仕組みなら、乗車運賃を払わなくても、ただ乗りできてしまうではないか。フィンランド鉄道は、フィンランド人の善意で成り立っているのだろうか。
とういことを考えた我が同僚は、出張の後半になってくると私と同様に、このカードリーダシステムに疑問を持つようになり、というか、シンプルにカードを持参することが面倒くさくなって、
ところがである。ある日、いつものように彼が手ぶらで列車にのっていると、突然車掌から声をかけられたというのである。そしてカードを見せろと言われたので、
カードは持っているがホテルに置いてきてしまった、実際は料金は会社が払ってくれているはずだ、と弁明したそうなのだが、有無をいわさず高額な罰金を支払わされたという。
この話をきいて、ははん、と納得した。
まず、車掌は誰がカードを持っているかどうかを判別などはしていないだろう。ある一定のタイミングで、適当にその辺の乗客を狙って検札しているのだと思われる。哀れな我が同僚は、
もしも、100%確実な方法で料金徴収を実現したいのであれば、車掌は全員に検札をすればよい。しかし、それは時間的に無理がある。というか、100%を目指すのであれば、そもそも入場ゲートを設置すればよい。しかし、それにはコストがかかる。
そこで、ある一定の割合で検札を実施し、そこで料金未払が発覚した場合に、高額な罰金を徴収する、というシステムにしたのだろう。これが私の推測である。
車掌に無賃乗車がばれる確率と、その場合に支払わなければならないコストを期待値として、それが正規運賃を支払うコストに比べて見合わないほど高額であれば、乗客は正規運賃を支払うインセンティブが働く。鉄道会社は、自動改札システムのような高額な設備投資をせずに、車掌のおっちゃんに適当に(より正確には、適切な期待値となるような頻度で)検札を実施させれば目的を達成できるので、大変賢い仕組みだと関心したのである。
とここまで書いておいてあれだが、これは完全に私のデタラメの想像である。そもそも、いまもヘルシンキ駅に改札がないのかも知らない(調べれば分かると思うけど)。
ではなぜこのことを書いた、というか、思い出したかというと、税務調査というのは、このフィンランド鉄道の仕組みに良く似ていると思ったからだ。
税金は必ず払わなければならない。このことは間違いない。納税は国民の義務である。フィンランド鉄道にただで乗ってはいけないのと同じだ。というか、フィンランド鉄道のようなザルの仕組みであってはならない。しっかりとした改札を設けて、100%確実に徴収すべき性質のものだ。
ところが、国民全員が完全に正しく納税しているかどうかを100%の精度で確認することは、そう簡単ではない(と信じられている)。そこで、結果的にフィンランド鉄道のごとく、ランダムにピックアップして、脱税しているかどうかを調べるという方法を取ることになる。そして、徴税システムのインセンティブが、「効率的な徴収」」にあるとするならば、確実に大金を稼いでいて、かつ脱税の実態が簡単に証明できるところから順に調べていくことが合理的ということになる(全乗客からランダムに検札するフィンランド鉄道と、ここが大きく異なる点だろう)。
とはいえ、わたしは税務の素人であるし、ましては税務署の人間でもないので、いま書いたことも本当かどうか、何もわからない。
さて、ここでようやく本題に入る。すなわち、冒頭2記事のブコメ諸氏の熱量について、私なりの方法で腹落ちさせる、という試みである。
私を含めて善良なる市民たる我々は、キチンと納税(=乗車料金の支払い)をして列車に乗っているのである。その列車に、あろうことか、運賃を払わずに我が物顔で列車に乗り込んでいる輩がいるのである。ところが肝心の車掌は、他のもっと身なりの良い乗客の身体検査ばかりしていて、こちらの乗客など構おうともしない。それでは専門家(税理士)はなんと言っているのかと聞くと、なんとも怪しい返事しかしない(なんとならば、税金を払わなくてもよいかもと取れるような発言さえしている)。これでは、真面目に運賃を払っているこちらとしては、腹の一つも立てたくなるものだ。
ということで、なんというかフィンランドの思い出まで書いておいて出すような結論でもなかったなと思いつつも、一応、当初の目的を果たしたことで満足するとする。
列車料金と納税のアナロジーでお気づきの方もいるかとも思うが、この話は給与所得者の場合において、多少の修正を要すると思われる。すなわち、給与所得のほとんどの人は、源泉徴収というかたちで所得税を納めているのであるから、いわば運賃を前払いしているようなものなのである。そこで、給与所得者は、それ専用の列車に乗っている、としたほうが良さそうだ。この列車に乗っている人たちは、あらかじめ会社が複雑な計算をして運賃を支払ってくれているので、あまり難しいことを考えずに列車に乗れる。
一方、風俗嬢をはじめとした個人事業主などは、いわば運賃は後払いだ。今年、2024年の所得が確定してから、来年の2025年春に確定申告をして、税金が徴収される。車掌たる税務署の職員から検札を受ける可能性があるのは、こちらの列車に乗っている方の人たちだ。
私が一連の記事を見て、いまいち自分ごとのように熱い市民感情を発揮できなかったのは、おそらく自分とは別の列車に乗っている人=自分とは関係のない人、という意識があったからだと思われる。
さて、仮に風俗嬢としての年間収入が500万円あったとして、納税額(=乗車料金)はいくらほどになるのだろうか。経費としてどのくらい控除できるだろう。衣装代やメイク費用など計上できるのだろうか。個人事業主として、家賃分をいくらか按分することはどれほど現実的か。そもそも青色申告できるのか。できたとして、どのような事業として定義されるか。こうしたことを現実的に真面目に考えると、節税として合法的にできそうなことはほとんどなさそうに思われる。シンプルに雑所得として申告したとして、所得税・住民税額は数百万円になるかもしれない。
そして、いざ自分があちら側の列車の乗客になったとして、検札にひっかかる可能性が限りなく低い中で、数百万円という乗車料金をキチンと支払う胆力があるものだろうかと、自問自答してみるのであった。
異常や特殊とまでは言わずとも、やや少数派の性癖を持つ者として
どうすればより良いオナネタが得られるかは日々の課題でもある。
とりあえず生成AIとやらを試してみたくて
Stable Diffusionとやらをインストールしてみた。
使い方がいまいち分からんけど、とりあえず適当なアニメ調のモデルを入れて、
なるほど、これが生成AIと言うやつか。
確かに、こんなに簡単にイラストができるんだぁと感心はするけど、
うーん、これって自分が求める絵に出会うまでの道のりは結構長い気がする。
なんだかんだでガチャみたいなもんだし。
それと途中途中の失敗作を見てるとちょっと気持ち悪くなってくる。
慣れてくればまた違ってくるんだとは思うけど。
自分で直接微調整を加える方が求めるものに早くたどり着ける気がする。
そんなにがっつり詳しいわけでもないから、
シーン読み込んで、キャラ読み込んで、背景と位置とポーズと表情と脱ぎ具合を少し修正するくらいだけど。
そうなんや…?って思って調べてみたけど、マラソンはそれ以外に持久力とか色々必要だからなのか、男女差はあんまりないって言う人もいるぽい。
いろんな人がいろんなこと言ってるからよくわかんないけど。
さっきも書いたけど、乗馬とかはオリンピックでもあんま男女で成績変わんないんだってね。
スポーツってひとくちに言っても明らかに格差が出るやつと出ないやつがあるぽい。
そんで普通の人の日常生活ではみんなそんなアスリートみたいな生活をしてるわけじゃないじゃん?
そこで男女差ってどういう意味があるのかな?って考えた時に、ああいう考えもあるかな?って思ったんだけどいまいち伝わる気がしてない…
好き嫌いと善悪や良い悪いは別物だと言う人がいるけれど、あんまりそうとも思えなくて色々考えてた。
後者を構成する要素が様々にあるとしても、結局全て個人の快不快の集合に帰結しそう。
宗教・法・倫理等々の社会規範、文化、技術的方法論、色々な要素を基準とした善悪や良し悪しがあるけれど、その基準そのものがやっぱり根源を辿っていけば快不快をどれだけもたらすかを問題としてる。その形成過程が政治的なものであるにせよ、何らかの共感やナラティブによるものにせよ。
(道具的ではない)理性なる概念も、いまいちしっかりと定義(実証?)出来ない。定言的な義務なんて言っても、それを揺るぎないものとする根拠に欠ける。あったらあったで結局それは仮言的なものでしかないし、そんなメタ規範があるとしてもまた定言命法同様の矛盾を抱える。黄金律にはなり得ず、単なる主義主張にしか留まらない。それが普遍性を持ち効力を発するとしたら、政治的過程によってなんだろうな。自然法則は価値判断を行わないし、神は言葉を聞かせてくれない。政治なんて快不快原理の擦り合わせそのものだし、であれば「理性」なるものの根源も快不快感情に基づいた欲求以外のものが見当たらない。
個人の快不快は集団において相互に作用する。衝突が発生したり、強固に結束する事もある。その中で、快楽を最大化する手段として新たな規範なんかが生じる。宗教的信念なり功利主義なりの主義であったり、あるいはもっと具体的個別的な法であったり、美意識であったり。
それらが蓄積・継承されたり、更にそれら同士が相互作用を生じることで、個人の快不快原理に対しても影響を与える可能性があるのも事実かもしれない。