はてなキーワード: 松脂とは
普段は違うジャンル(パズル系)のRTAをやっている人が、突然デモンズやるって言い始めたのでしばらく見てたのよ。
しばらく進んでファランクス戦、やったことある増田なら知っての通り、ファランクスは火炎壺投げて燃やしたのち、松脂で殴る…っていうのが定番コース。
要はフロムによる、「アイテム使ってますか?」とそれとな~く確認してくるようなボスの一体なんだけど、コイツにかなり苦戦して泥沼状態へ…
痺れを切らした視聴者から「アイテムとか使ってみたら?」と遠回しな誘導が入ったとき、アイテムは使わない主義と言い放ってユーザーをブロック。
どうやら相当頭に来ていたらしく、続けて怒涛の自語りが続き…
・とにかくどんなゲームでもアイテムは使いたくない(使わないのが美しい)
しばらく経って、またその人の配信を見に行ったら、デモンズではなくいつものゲームに戻ってしまったらしい。
どうやらその後ファランクスは超えたらしいんだが、嵐の王で「自分の美学」を通せないゲームだと確認できたので辞めてしまった、とのこと。
漆掻きと云ったって都会の人は御存知ないかも知れませんが、山の中へ這入って行って漆の樹からうるしの汁をしぼるんです。いいえ、なかなか、百姓の片手間ではありません。ちゃんとそれを専門にする者があったんで、近頃はめったに見かけませんけれども、外国の安い漆が輸入されるようになったそうですから、いまどきあんなことをしても手間ばかりかかって引き合わないんでしょうな。兎に角以前には私わたしの村なんかへもよく漆かきが奈良あたりからやって来たもんです。漆鉋うるしかんなと云って、鎌のようなもので先の曲った奴を持って、腰に三四合ぐらい這入る竹の筒を提げて、漆を見つけると、その鉋で皮へ傷をつける。それがあんまり深く傷をつけ過ぎてもいけないし、浅過ぎてもいけないし、呼吸物なんで、その傷口から松脂まつやにのようにどろりと滲しみ出て来る汁を箆へらですくって竹の筒へ入れる。そんな時にうっかり下手なことをやって汁が顔へはねかかったりすると、それこそ赤く脹れ上りますから、馴れた者でないと出来ない仕事なんでして、漆にカブレないように紺の手甲を着けて、すっかり紺装束で出掛ける。まあそんなことをする人間なんで、私の村にもその商売の者が一人住んでいましてね。此の男は遠くへ出稼ぎをするのでなく、村の近所の山へ這入ってはうるしを採ってくらしていましたが、或る夏の日に、その漆かきが一と仕事してから山の中でひるねをしていますと、夕立ちが来たもんですからふっと眼をさましました。そしてそのときに、ハテな、己はひょっとすると寝ていた間に狐に憑つかれやしなかったかなと、そう思ったと云うんです。それが別にどうと云う理由があるんではないんですけれど、淋しい所をひとりで歩いているときなんぞに憑かれることがよくあるんで、ただ何んとなくそういう感じがしたんでしょうな。で、まあ、家へ帰ってもそれが気になって仕方がない、どうも狐がついたようだから明神さまへお参りをして来てくれろとお袋ふくろに頼んだりして、友だちなんかにもそんなことを云っていましたが、そのうちにとうとう床について、飯も食わないようになったんです。それで先生布団をかぶって半病人のようにうつらうつらしながら、日が暮れると云うと、ああ、今夜あたりは狐が迎いに来やしないかな、今にきっと来やしないかなと、心待ちに待たれるような、妙にそれが楽しみのような気持ちでいると、案の定夜になってから友達のような男が三人ばかり表へやって来て、「さあ、行いこら」「さあ、行こら」と誘うんだそうです。尤も友達と云ったって見おぼえのある男ではないんで、みんなせいが三尺か四尺ぐらいの小男で、法被はっぴを着て、木や竹の杖をついていて、何か非常に面白そうに「行いこら行こら」と云うんですが、それを聞くと行きたくって行きたくってたまらなくなるんだそうです。けれどもアレは狐だから行くんではないぞ、あんな者に誘われてはならないぞと思ってじっと我慢していると、友だち共は仕方がなしに帰ってしまう。するとその後ろ姿に尻尾しっぽのようなものがチラチラ見えるようなんで、ああやっぱり行かないでいい事をしたと、そのときはそう思いながら、又あくる日のゆうがたになると、今夜も誘いに来やしないかなと心待ちに待つようになる。そうするうちに果たしてやって来て「行こら行こら」と誘うんですが、それがもう、さも面白そうなんで、ついうかうかと行きたくなるんだそうですな。しかしその晩も一生懸命に我慢してしまったところが、三日目の晩の九時頃に、家の前に庭があって、庭の下が六尺ばかりの崖がけになっていて、崖から向うは一面に麻の畑でした。それが夏のことですから麻が高く伸びていて、ちょうどその庭と畑とが同じ平面に見える。で、その畑の方へ例の小男が三人連れ立ってやって来て、「さあ行こら」「さあ行こら」と云うんだそうです。よくよく見るとその男たちの着ている法被に何か圓い紋がついていたそうですけれども、どんな紋だったか、そこんところはハッキリ覚えていないんだそうで、いつもの通りめいめいが杖をついていて、しきりにそう云って誘うもんですから、とうとうその晩は我慢しきれなくなってしまった。それでそうっと家を抜け出ようとしたときに生憎親父が小便に起きたんで、こいつはいけないと思って、「行きたいんだけれど、親父に見付かると面倒だから己は止すよ」と云うと、「なあに己たちが一緒なら大丈夫だ、こうすれば親父に見つかりはしないから、まあ附いて来い」と云って、その三人の友達が手をつなぎ合って、輪をこしらえて、その輪の中へ丑次郎―――という名だったんですが、その漆掻きの男を入れた。そして、「さあこうすれば親父が見ても見えやしないから心配するな、附いて来い/\」と云って連れて行くんで、ちょうど便所から出て来た親父とすれちがいになったそうですけれども、成る程親父には此方の姿が見えないようなあんばいだった。それからその晩は麻の畑の中で遊んで、いろいろ御馳走をしてくれたりしただけで、明け方には無事に家へ帰してくれたそうですが、四日目の夕方は日が暮れないうちから楽しみで楽しみで、早く誘いに来てくれないかなと思っていると、やはり昨夜ゆうべと同じ刻限にやって来て「行こら、行こら」と云うんです。で、又附いて行きますと、今夜はいい所へ行こうと云って、家のじき近所にガータロのいる淵があるんですが、その淵の方へ出かけたと云います。え、ガータロですか。ガータロと云うのはあれは河童かっぱのことなんです。ぜんたい私共の村は高野山の南三里ばかりの山奥にあって、私の字あざは一方が山で一方が谷になったゆるやかな傾斜面のところどころに家がチラホラ建っている。丑次郎の家というのも山と山の間にある淋しい一軒家なんでして、前に三四枚の段々畑があって、その先が今云ったガータロのいる淵なんです。別に名前のあるような淵ではないんで、村の者はトチ淵ぶちトチ淵と云っていましたが、さあ、どう云う字を書きますかな。何しろ大滝だとか赤滝だとか云って、非常に滝の多いところでしてね、その滝壺の下流が今云った谷の底を流れていて、淵になっているのはほんのわずかなところなんですが、そこにはいつも水が真っ青に澱よどんでいて、まん中に平べったい一枚岩が出ていました。ガータロはその一枚岩の上にときどき姿を現わすことがありましたから、たしかにその淵に棲んでいたには違いないんで、見た人は大勢あるんです。ええ、ええ、私も一遍見たことがありますよ。なんでも夏の日ざかりに山の上を通っていると、下の方にその淵が見えて、岩の上に変な奴がすわっているんで、「ああ、ガータロが出ているな」と思ったことがありました。さあ、そうですな、遠くから見たんだからよくは分りませんでしたけれど、人間よりは小さかったようで、まあ猿ぐらいでしょうかな。姿も猿に似かよっていて、ただ斯う、頭の上に妙な白いものが喰っ着いているんで、鳥打帽子を被っているように見えましたよ。ええ、ええ、よく人間に害をする奴なんで、私の知っている人でも、ガータロに見込まれて水の中へ引きずり込まれそうになったり、ほんとうに引きずり込まれて死んでしまったのもあるんです。これは餘談になりますが、その谷川の別なところに丸木橋がかかっていましてね。或る私の友人が夕方その橋をわたろうとすると、うっかり足を蹈み外して、水の中へ片足をついたのが、岸の方の浅瀬だったんですけれど、その片足を抜こうとしても水が粘ねばり着くようになって、どうしても抜けない。しきりに抜こうともがいているうちに、次第にずるずると深みへ引っ張られそうになるんで、ハテな、ガータロに見込まれると水が粘ると云う話だが、こりゃあガータロの仕業しわざだなと気が付いたんです。ところでガータロと云う奴は鉄気かなけを嫌うもんですから、そう云う時には、何んでも構わない、鉄気のものを水の中へ投げさえすれば助かるんで、ふっとそのことを思い出して、幸い腰にさしていた鎌を川の中へ投げた。そうしたら難なくすっと足が抜けたんで、真っ青になって帰って来て、実はたった今此れ此れだったと私共に話したことがありました。もうよっぽどの歳ですけれども、未だに達者な人でして、至って正直な、うそを云うような人間ではありませんから、事実そんな目に遇ったに違いないんですな。しかし此の男はそう云う訳で命を取りとめましたけれども、もう一人今のトチ淵へ篏はまって死んだ者がありました。十四五になる可愛いい女の児でしたがね。なんでも同じ村の餘所よその家へ子守りに雇われていて、めったとひとりで遊びに出るようなことはなかったのに、その日に限って、赤ん坊の寝ている間に出て行って、二三人の友達と一緒にその淵の所で鮎を釣っていたと云うんです。それが、おかしいのは、淵によどんでいる水が、ほんの一間ばかりの間岩の下をくぐって、すぐその先の方へ行くと滝のようになって流れ落ちているんですが、その女の児は淵と早瀬との境目にある岩の上にしゃがんで、瀬の方で釣ればいいものを、淵の方を向いて釣っていた。すると、友達の女の児もみんな同じ所で釣っていたのに、どう云うものか外の者には一向釣れないで、その女の児の鈎はりにばかり魚がかかる。外の女の児たちは詰まらないもんですから、此処は止そうよ、何処か別の所へ行こうよと云うんですけれども、その女の児だけは面白いように釣れるんで、夢中になっていつ迄も釣っている。そのうちにだんだん日が暮れて来ましたが、もうおそいから帰ろうと云っても聴き入れないんで、外の者はその児を置き去りにして帰ってしまった。さあそうすると、晩になっても姿が見えないもんですから、主人の家では心配をして、親元の方を尋ねさせると、其方そっちへも来ていないと云うんで、大騒ぎになって、いろいろ心あたりを調べると、実は晝間これこれだったと云う。外の児たちは云えば叱られると思ったんで、聞かれる迄黙っていたんですな。で、早速みんながその淵のところへ行って見ると、ちゃんと下駄が脱いであるんで、いよいよガータロに見込まれたんだと云うことになって、それから泳ぎの達者な者が体へ綱をつけましてね、ガータロが出たら合図をするから、そうしたら綱を引っ張って貰うように頼んで置いて、淵の底へもぐって行って、屍骸を引き上げたことがありましたよ。兎に角その女の児が鈎を垂れると、ほら釣れた、ほら釣れたと云うようにいくらでも釣れるんで、外の鈎にはちっとも寄って来なかったと云うんですから、そこが不思議なんですよ。あ、そう、そう、そう云えば、その前の日に、その女の児の親たちの家の屋根の上からその淵の方へ虹がかかっているのを、たしかに見た者があると云います。虹がそんなに近いところにある筈のものではないのに、ちょうどその家の上から出ているんで、何かあの家に変ったことでもあるんではないかと思っていたら、その明くる日にそう云うことがあったんだそうです。でまあ、そのガータロのいる淵の方へその漆かきは連れて行かれた訳なんですが、なぜだか知れないが死のうと云うことを考えて、今夜は一つあの淵へ身を投げてやろうと思いながら附いて行くと、大勢の人が提灯をつけて淵の方へぞろぞろやって来るんだそうです。それで暫く物蔭に隠れて窺がっていると、村長さんだの、伯父さんだの、伯母さんだの、親類の誰彼なんぞの顔が見えるんで、中にはもう死んでしまった人なんぞが交っているもんですから、おかしいなあ、あの伯父さんは死んだ筈なのにまだ生きていたのかなあと、そんなことを考えながら待っていましたけれど、提灯の数が追い追いたくさんになって来て淵のまわりをウロウロしている。この様子じゃあとても駄目だと思ったんで、「どうも死ぬのに都合が悪いから、今夜はもう帰る」というと、「そんならもっと面白い所へ連れて行ってやるから、まあ一緒に来い」と云って、棕櫚山の方へ引っ張って行った。その辺はいったいに棕櫚が多いんでして、大概の山には、高いのになると三間ぐらい、普通二間ぐらいの棕櫚と、一丈ぐらいの薄のような草が生い茂っているんですが、その茂みの中を分けて行ったら、山の中途に大きな岩が突き出ていて、友達の連中はその岩の上へするすると身軽に登った。だが見たところ丑次郎には登れそうもないので、「己はそんな高い所へ上あがれないから止める」というと、「なあに己たちが手伝ってやるから大丈夫だよ、上って見ろ/\」と云って、三人の小男が上から引っ張ったり下から腰を押し上げたりした。お蔭でどうやら上れることは上れたけれども、上る拍子に脛を擦り剥いたんで、今度はそれが痛くってたまらない。「痛い痛い」と云うと、「よし、よし、つばきを附ければすぐに直る」と云って、つばきを附けてくれたらじきに痛みが止まった。すると又咽喉が渇かわいて来たんで、「水が飲みたい」と云うと、「じゃ、まあ、ここで休もう」と云って、道ばたに休んで、何処から持って来たのだか直ぐに水を飲ましてくれたが、なんだかその水が小便臭かったそうです。で、その山を越えると、私の家の方へ下りて来ることになるんで、ああ、そうだったな、此処はもう鈴木さんの家の近所だなと、はっとそのときに気が付いたらしくって、「もう己は帰る」と云い出したところが、「まあいいからもう少し遊ぼう」と云って、しきりに引っ張って行くんだそうです。それでも無理に帰ると云って、とうとう振り切って来たそうですが、その晩も、その前の晩も、家に戻ったのは夜中の三時ごろだったそうで、いつも夜の明ける迄には必ず帰してくれたと云います。さて五日目の晩に待っていると、又「行こら行こら」と云いながらやって来て、今夜は伊勢へ連れて行ってやると云う話で、伊勢の松坂へ出かけて、何んとか云う料理屋の二階へ上ると、たいそう結構な朱塗りの高脚たかあしのお膳が出て、立派なお座敷で御馳走をたべた。それから街道を歩いて行ったら、此処はカノマツバラだと云うんで、見ると成る程松原がある。けれども、その時に斯う、ぼんやりと分ったのは、私の村から有田郡ありたぐんの方へ抜ける山路にヤカンダニと云う谷があって、めったに人の通らない淋しい所なんですが、そこをその漆掻きは前に一遍あるいたことがある。で、そう云う時にもいくらかその記憶が残っていたものと見えて、カノマツバラだと云うけれども、どうも此処はヤカンダニのようだから、「ヤカンダニじゃあないか」と云うと、「なんだ、お前はヤカンダニを知っていたのか。ではもっと外の所へ行こう」と云って、又方々を歩き廻って、「さあ、どうだ、此処がカノマツバラだ」と云われて見ると、今度は覚えのない土地で、松がずうっと生えていて、たしかに松原の景色になっている。しかしそう云う間にもときどき正気に復かえるらしく、己は狐に欺されているんだと云う考えがふいと起ることがあって、三人の小男の様子なども、人間の姿をしているように思えながら、どうかした拍子に尻尾が見える。はっきり見えるんではなしに、チラチラと斯う、見えたり見えなかったりするような工合なんですな。要するにまあその時分からそろそろ意識が回復して来たんで、ヤカンダニを通ってからも暫く何処か無茶苦茶に引っ張り廻されていたようですが、そのうちに、村にイカキ山と云って、笊いかきのような恰好をした山があるんで、そこを通った時は、此処はイカキ山だなと云うことが分ったと云います。しかしその山は松だの欅けやきだのいろいろな雑木ぞうきが生えている密林なんでして、その林のなかをぐる/\歩いているうちに、木に引っかかって、フンドシが解けた。で、「まあ、待ってくれ、フンドシが解けたから」と云うと、「そんなものは構わないから放って置け、ぐずぐずしていると夜が明けるから急がなくっちゃいけない」と云って引っ張って行くんで、「もう己は帰る」と云うと、「帰らないでもいいよ。それより何所か寝る所があったら、みんなで一緒に寝ようじゃないか」と云うんだそうです。するともう夜がしらみかかって来たもんですから、その漆かきも今更家うちへ帰りにくくなってしまって、私の家いえの近所にある阿弥陀堂の方へ行った。と云うのは、その阿弥陀堂なら四人で寝るのにちょうど都合がいい場所なので、そこへみんなを連れて行って寝ようという考えが、ちゃんとそのときに頭にあったらしいんですな。それで阿弥陀堂へ行くのには、私の家と隣りの家との間を通らなければならないんですが、隣りの家の庭に古い大きな柿の木があって、それが往来の方へ枝を出していた、その木の下を通った時分に、「ああ、此処は鈴木の家の側だから、もうすぐ其処が阿弥陀堂だ」と思ったそうです。その阿弥陀堂は草葺きのお堂なんでして、うしろの方に四尺に一間ぐらいな裏堂が附いていて、その中に村のお祭りや盆踊りなんぞに使う提灯だの行燈だの莚だのが置いてあったんですが、その莚のことを覚えていて、あの裏堂で寝ようというつもりだった。ところがそこへ這入るのには屋根からでないと這入れない。今も云う通りいろいろな物が入れてあったもんですから、子供なんぞがいたずらをしないように、扉を中から締めてしまって、屋根裏から出入りするようにしてあったんで、そのこともちゃんと覚えていて、屋根裏へ上った。尤もその時に矢張り小男の連中が上から引っ張ったり下から押し上げたりしてくれたそうで、上って見ると、そこに二尺ぐらいの幅の厚い欅の板が渡してある。これはお堂の中の品物を出し入れする時の足場に作ってあったんで、その板に腰かけて莚の上へ飛び降りる料簡だったんですが、小男共は、「此処がいい、/\」と云って、草葺きですから、庇ひさしの裏の方から上ると、竹を編んだ屋根の土台が見える、その竹の棒に掴まって屋根の草の中へ体を突っ込んで、「此方へ来い、/\」と云うんだそうです。成る程その連中はみんなせいが低いんだから巧く草の中へもぐり込めますけれども、丑次郎には這入れる訳がないんで、「己は体が大きいから駄目だ、そんな所へ這入ったら足が出てしまう」と云うと、「まあ試しに這入って見ろ」と云うんで、這入って寝てみたら案の定足が出てしまった。「ほれ御覧、こんなに足が出たじゃないか」と云ったら、「では仕方がないから中へ這入ろう」と云うことになって、さっきの屋根裏からでなく、別な所へ穴をあけて、その穴から、一人ずつ莚の上へ飛び降りて、裏堂の中の狭い場所へ四人が並んで寝た。それから少しとろとろとしたと思うと、お堂のうしろの板が三寸四方ぐらい切り取ってある、それは以前に、泥坊が内部にしまってあるものを覗のぞこうとしてそんな穴を拵えたことがあるんで、もうすっかり夜が明けたらしく、そこから朝日がさし込んでいる。と、やがて表が騒々しくなったんで、その穴へ眼をつけて見ると、村の子供たちがお堂の前で遊んでいるので、ガヤガヤ/\云っていてとても眠れない。「どうもあの子供たちがうるさいな」と云うと、「よし、よし、己が彼奴等あいつらを追っ拂って来てやる」と云って、一人の小男が外へ出て行った様子でしたが、どんなことをしたのか知れませんけれども、兎に角その男が行ったら子供たちはいなくなってしまった。それでようよう落着いて寝ようとすると、生憎とまた小便が出たくなったんで、「一寸小便をして来る」と云ったら、「いや、出てはいけない、出てはいけない」と云って、一生懸命に止める。「出ると掴つかまるから出てはいけない。小便がしたければ此の中でしろ。さあ、己達も此処でするぞ」と云って、三人とも寝ながら小便をしてみせるんですが、丑次郎にはどうしてもそこでする気になれない。もう出たくってたまらなくなって来たんで、とうとう又その屋根の穴からお堂の外へ降りたところが、遠くに私が立っていて自分の方を見ているので、「あ、鈴木さんに見られたな」と、その時はっきりとそう感じた。そして私が近寄って行く間に、三人の小男どもは慌あわてて逃げ出してしまったのだそうです。
さあ、そうでしたね、掴まえたのは朝の九時頃でしたかね。何しろ丑次郎がいないと云うので、村では捜索隊を作って山狩りを始めていたんです。それが明神様のお告げでは丑寅うしとらの方の山手にいると云う訳なので、一間置きぐらいに人が立って、八方から山を囲んで登って行こうとしていました。私もその捜索隊に加わっていたのですが、みんな鎌だの鉈なただのを持っているのに、私は素手すでだったもんですからすこし気味が悪くなって、もう山へ登りかかっていたんですけれども、ちょっと家へ行って来ると云って、それを取りに戻って来た時に丑次郎がお堂の縁に立っているのを見たんです。なんでも斯う、縄の帯をしめて、両手をうしろへ廻して、前の晩に雨が降ったんで裾の方がびっしょり濡れた着物を着て立っていましたがね。「丑じゃないか」と云って、此方こっちも恐恐こわごわ声をかけながら近寄って行くと、急いでお堂の中へ逃げ込もうとするので、掴まえようとしたところが、えらい力で抵抗してなかなか云うことを聴きませんでしたよ。そのうちに大勢駈け付けて来て、やっとのことで押さえつけて家へ引っ張って行ったんですが、家の閾しきいを跨ぐまでは可なり元気に歩きましたね。それからそっと寝かしつけておいて、行者を呼んで御祈祷して貰ったら、一週間ぐらいですっかり正気に復かえりました。尤もっともその前から少しずつ意識が戻って来て、己はこんな目に遇ったとか、何処そこへ連れて行かれたとか、欺されていた間のことをぽつぽつしゃべり出しましたがね。ええ、そうなんです、今申し上げた話と云うのは、その時私がその本人から聞いたんですよ。後で念のためにお堂のところへ行ってみましたが、成る程屋根に大穴が開いているし、中には小便が垂れ流してあって、臭いと云ったらありませんでした。当人も、「そうそう、己はあの棕櫚山を上る時に怪我をした筈だが」と云って、脚を出して見ると、たしかに皮が擦り剥けている。フンドシの解けたのなんぞも、よっぽどたってからイカキ山へ芝刈りに行った女が、木の枝に引っかかっているのを見つけて、ひどく恐がって逃げて来たことがありました。その外何処でこういうことがあったと云う所を調べてみると、大体その地点に證拠が残っていたんですから、それを考えても出鱈目じゃあないんですな。縄の帯をしていたのも、歩いているうちに帯が解けたんで、無意識ながら縄を拾って締めたんでしょうな。そののちその男は一年ぐらい多少ぼんやりしていましたが、今でも酔っ拂った時なんかに、「狐つきの話をしろ」と云うと、笑いながら話し出すんです。
なぞなぞです!
正解はお昼よ!
もうまたうかうかしてたらこんな時間でバーチーバーチーって言って騒いでる場合じゃないわ。
うかうかしているついでにお腹まで減ってくると言う、
頭使ってっからよ頭を。
そう自分に言い聞かせたいぐらい引き出しの中のチョコをちょこっと頂きたいところだけど、
ここは我慢の助よね!
じゃないと美味しい美味しいビールランチのルーヒーの値打ちが下がっちゃうわ!
ところでさ、
演奏家の人がこぞってヴァレンタインデーコンサートをやってるのがバレバレなんだけど、
色香漂う川井郁子先生のバイオリン聴きに行きたかったなぁ~って悔やむに悔やみきれない感じで、
最近ぜんぜん聞けてないから久しぶりにリサイタルでもって思うのよね。
私も昔弾いていたよしみ、
といっても3日で辞めちゃったから弾けるも何もってレヴェルなんだけど、
心なしか心惹かれるヴァイオリニストが使ってるヴァイオリンってストラディバリウスが多かったりするのよね。
これもストラディバリウスが持つ魔力なのかしら?惹き寄せられちゃうわ。
分からないけど。
でね、
確かに聞き比べてみたらストラディバリウスの音の方が古い臭いような気もしないような気がするけど、
新しいヴァイオリンと、
それらのストラディバリウスパイセンとの音色とは確実に違うのよね。
って言ってみたりすると分かってる体裁になるじゃない。
よく分からないけど。
なんだかんだ言って日本にストラディバリウスは40丁ぐらいあるっていうから、
そんでね、
いつも千住真理子さんはストラディヴァリウスのデュランティのご機嫌を伺ってあげると大変お喜びになるの。
であと、
ライブ中のMCのおしゃべりでストラディバリウスを専門に狙う窃盗団ガイルって話をされていて
本当にそんなストラディバリウスだけを狙う窃盗団なんているのかしら?って思っちゃうけど、
まるで名探偵コナンのバーロー的な世界観の話しにも思えちゃうのよ。
要は演奏者の箔と先入観とがもたらすシナジーつまり相乗効果だと思ってるわ。
でもはっきりと違うのは
男性の奏者と女性の奏者とでは骨格や筋肉のしなやかさが違うので
どちらかと言うとそういうのでの音の差って言う方が大きいらしいわよ。
へーって思っちゃった。
そうは思わない?思うでしょ?
でも一番正直なところはヴァイオリンを弾く弓の具合で音が違ってくるって言うから
だけどその松脂のおかげで真剣に弾いていると弓から煙が出たりする時があるから、
ビルボードとかブルーノートとかの照明に透かされて薄暗い中だと結構弓から煙が出てるのよく見えるわよ!
見てみてね!
うふふ。
オレンジネーブルとピンクグレープフルーツを買ってみたので、
搾って炭酸割り、
試してみてよって一言言いたい感じまだ飲んだことない人にはね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20181025141220
0 はじめに
すごく読みたかったけど読む前に消えてしまった。おれもこのことは考えた事があるのでちょっと記して共有したいと思う。
すげえ嫌なこと言うね。高学歴、高身長、女に人気ある職種で、三十過ぎだけど未婚です。見てくれは学生時代にホストやる勧誘受けたり、女にデート誘われたり部屋に誘われたりだから、少なくとも悪くないと思う。いや、きっと良い部類なんだろうな。その前提で書かせてください。あと、イケメンだよねとか男女問わず言われる。
じゃあセク○スし放題だと思うじゃん。でも、おれは家族関係があまり良くなかった。精神分析的な視点から男の女性関係は異性の親との関係を繰り返すとかいうしで、母との関係が悪かったおれは女をそんなに信頼できていない。結婚したいっていう意識が希薄なんだと思う。母親から虐待を受けていた男は女との関係で安心できないから、セク○スで勃起ができない、射精できないことが多いみたい。俺も似たようなもので、一夜限りの関係を全然楽しめないので心の底から男性性を楽しめていない。ていうか、異性関係はクソ真面目だと思う。
率直に言えば、別にイケメンでもなくて社交性の高いやつがいろんな女とセ○ロスしているのが羨ましい。おれはそこまで女との関係を安心できない。
スペック的には恋愛市場で一応人気はあると思う。イケメン、高学歴、高身長、仕事も十分(もちろん、上を見ればキリがないんで匿名のあれがイキってると流してください。ただ、そう思ってくれる人が多いみたいだという話)らしい。
一応言っておくと、女という性別はそもそも一般的に信頼できない!とかいう話じゃなくて完全に家庭的で個人的な事情でおれが単純に女を信用できないから、よくわかんない人ととのセク○スに持ち込めない、ということだ。よく知らない女と同じ布団に寝られない。むしろ信頼という話で言えば、共感をベースにした話は女との方がしやすいし、尊敬できる人もたくさんいる。
N=1ではあるが自分の経験をとりあえず整理したい。それぞれ挙げることは相互排他的じゃないけど思いつくまま書いていく。
1 よかったこと
(1)女が優しい
これは統計とったわけじゃないけど他の男を観ていて多分そうだと思う。会って話して、他の人とは違っておれと話しているときはなんかいい方にか声色が変ってる女の比率は、世の中の人より多いと思う。多分イケメンだからだと思う。男がキレイな女を好きなのと同様に、女がかっこいい男を好きなのはそれがそうあるべき姿かはおいといて、当然だろうな、と思う。ていうかアイドルも俳優も生き様はあるかもだけど、何よりも見た目だしね。
職場でもそう。おれを目の保養にしている表情のお局が優しくて、そこは本当に助かっている。
これは本当に強調したい。人妻っぽいお店の人がすっごい優しくしてくれる。なんなら商品を安くしてくれる。
友人のイケメンの話によると風俗でも気がついたら女側の意思で入っ○たとかあるらしい。おれもある。他にも韓デリのお姉さんがうちに来なよっていってくれたけど、多分多くの人はそういう経験ないし、おれの見てくれはその発言に影響していると思う。
(4)なんか褒められて嬉しい
なんだかんだ承認されるのはとても嬉しい。おれは自己評価が死ぬほど低かったから、こう言われて救われている機会は想像以上にあると思う。特に大学入る前に激ヤセした分、その前後の評価の違いはかなり感じる。
2 よくないこと
(1)遊んでると思われる
本当に辛かったのが、マッチングアプリで知り合った女にお前みたいに好条件の男にはなにか裏(彼女持ち・既婚)があるに違いないと疑われたこと。直接的には関係ない裏はあります。心理相談室でカウンセリングを受けているので。というのも自分ではいかんともしがたい自己評価の低さを悩んで通っていた。直接的に彼女ができないのとは関係ないと思っているけど。この疑問は半分本当な分、なおさら自分の誠意を疑われて辛かった。
面食いの女が寄ってくる。イケメンが好き、とかじゃなくてイケメンじゃないと嫌だという女は、だいたいイケメンと付き合っている私が好きという女で、自己肯定感が低く後々面倒くさいことになる例が多い。ある種の層にとってはイケメンはブランドと似ているんじゃないかな。セ○ロスするだけならいいけど、本当に付き合いたい人を探している者としてはつらい。この手の女はおれと同じく、あるいは俺以上にいろいろ抱えてるから相手するのがだるい。
(3)イケメンをマウンティングしてる自分が好きな男がよってくる
自分すごいの出汁にイケメンにこんなことが言える自分はすごいだろう的にマウンティングしてくる同性がいる。これは、うまくあしらえない自己肯定感の低い自分という問題はあるけど、そういう輩は一定数いる。
3 整理してみて思ったこと
得することは絶対ある。とはいえ、女性関係において、男が女の顔とかおっぱいといった外面を観ているように女も男の見てくれを見ている。でも、男のそれとは非対称的に女は男の内面をかなり観ていると思う。マッチングアプリを運営している友人曰く、男は顔、身長、学歴、金、女は年齢、おっぱいがある人が人気をかなり決めるようです。でも、いざアプリを使う男として女と会ってみた皮膚感覚で言うと、マッチングしたら女のほうが話が合うとかいった内面を重視してます。
男のあなたは俺と同じく、すげえ美人でスタイルがいい性格ブスともやってみたくない?でも、女は違うらしい。モテないと画面の向こうでイケメンを呪うあなたがもてない理由はスペックだけじゃないのです、たぶん。。。ていうか男は学歴と年収という努力でなんとかなる要素が効く分、男でよかったと思った。
(2)同性の男には嫉妬されない
よく「かわいいからって調子乗って」とか女が周りの女に思われてもやもやするっていう話を聞きますが、男はそういう嫉妬は相対的に薄いのではないのでしょうか。女が男にどれだけ求められているかで女の価値が決まるみたいな価値観を抱きがちですけど、男にはそういう感覚は薄いと思います。みんなに求められている女を好きな男はいます。とはいえ、この話は上野千鶴子の『発情装置』とかで論じられているらしいのを間接的に聞きました。モテるのはいいことだみたいなところはありますけど、両性のモテる要素には言語化するのは直感的には難しい差異がある。
(3)ゲイを断りにくい
おれは華奢なのでなんかそういう層に需要があるみたいです。「2 よくないこと」に入れようと思いましたが、男が好きな人にとっては悪くないのでここにいれます。手が松脂臭い爺に手を握ってうっとりされたりで正直面倒くさいです。でも、30超えてからそういう機会も減って煩わしさが減りました。
4 おしまい
イケメンで救われてることは経験的にたくさんあるけど、イケメンなのにその程度なのかよっていうのはもっとある。たいしたことなくてすいません。なんか、人と比べてどうのっていうより、自分の幸せを見てくれにかかわらず他人と育んでいける人間関係を築くのがいちばん大切なんじゃないんでしょうか。
おれはイケメン高スペックと世の中的には認識されがちな層だとは思うけど別に自分のことがそんなに好きじゃないという感情もあるし、なんか自分のことを肯定できてブサメン、低スペックで幸せに生きている人が羨ましいです。本当に調子に乗った発言だとは思う。でも、おれだって見てくれなんかどうでもいいから自分を好きな人間として育ちたかった。というわけで、そういう人が幸せな結婚してるしで、俺もお前も自分が他人と比べずどうなったら幸せかを考えようぜ、というお話。
タイトルの通りのことが言いたかっただけなんですけど、いや、チェロってすっごくエッチじゃないですか〜〜????見てくださいよ奥さん〜〜〜〜!!!!!(ここテレビショッピング)
あの流線型の素晴らしいフォルムも、焦がしたメイプルシロップのような素敵な色も、立ち上る松脂のかおりも、そっと触れた時の木のぬくもりと弦の冷たさと、奏でた時の音域の広さも、素晴らしいと思うんですよ。とっても。
突然転校して来た謎の美少女だったり、近所の優等生な幼馴染だったり、蠱惑的なのに包容力のある先輩だったり、なんでも受け止めてくれる義理の姉みたいだったり、もうたったひとつのチェロに一体何人もの攻略対象のエッセンスが詰まってるんだよって話なワケ。エロゲだよエロゲ。
ヴァイオリンやヴィオラ、コントラバスではいけないのかって話なんですが、私はチェロしか触れたことがないし、チェロとしか関係を持ったことないし、そんな他の楽器のえっちさについて語ってたら自分のチェロに愛想つかされちゃうじゃないですか……でもコンバスの低音には抱かれたいかもしれないし子イヌのような可愛らしいヴァイオリンの音色も素敵だし、わかる人にわかればいいのと隙間を縫うように旋律を支える影の功労者的ヴィオラも魅力的だとは、思いますけどね!!ええ!!あっまって今のなし
楽器ってやっぱり触れるときってドキドキしますよね。きちんと曲が奏でられた時なんてもうめちゃくちゃ気持ちいい。自分の努力に楽器が応えてくれたことが嬉しい。自分の努力の合わせ鏡だし、私の努力は私の楽器が全部見ていてくれる。天使じゃん?
逆に手を抜いた時とか、はいはいこの曲何回もやった〜〜って流して弾いちゃうと、もうすっごいがっつり曲に現れちゃうんですよね。すごい。私やる気アリマセーンって感じで弾くとすっごいダサい音が出る。こんなダサい音を私の楽器から生み出しちゃいけない!!と思うくらい私が弾くにあたっての心構えとか気持ちとかって、全部曲に現れちゃう。そんなダッサイ演奏した日には、チェロにも周りにも合わせる顔がない。怠惰でごめんなさい。ってなる。
色々書いたんですけど、私はチェロが大好きです。オススメの曲はヴィヴァルディのチェロソナタ5番ホ短調です。
寝ます。