はてなキーワード: 宮水とは
じゃあ、書いてくぞ。ネタバレ注意。
『天気の子』を振り返る。
ていうかモノローグが多い
「少年さ~」
須賀圭介の姪。
陽菜には「陽」が入っている。
・銃
・龍
ー魚
魚は龍の派生。(SEKIROより)
・浴衣
ー花火
ー立花瀧のお母さん?
ここでは瀧のお父さん?の初盆。
後で宮水三葉も出てくる。
四葉どこいた?
・「公妨ォ!!!」
すき。
・未成年で将来を誓い合う
・涙=雨
雨は天の涙という。
実際、陽菜が泣く。
いやほんと誠さぁ・・・
・生傷だらけの顔、手錠
最後空中でもつれつつ手錠がかかさって離れなくなるとか思ったじゃん。
・狂った世界 とは?
その後、警察に確保された二人は2年離れ離れになる。
誠はエンディングの前に必ず離れ離れにしたくなる病にでもかかっているのだろうか。
お前、、、やめろよ、、、(秒速の恐怖)と思ったがちゃんと再開。
結局、銃の出どころや、水に沈んだ東京への納得の仕方は、消化不良。
だが、こんな狂った世界でもいいんだよ、というエンド(?)
まとめ
じゃあ、書いてくぞ。ネタバレ注意。
『天気の子』を振り返る。
ていうかモノローグが多い
「少年さ~」
須賀圭介の姪。
陽菜には「陽」が入っている。
・銃
・龍
ー魚
魚は龍の派生。(SEKIROより)
・浴衣
ー花火
ー立花瀧のお母さん?
ここでは瀧のお父さん?の初盆。
後で宮水三葉も出てくる。
四葉どこいた?
・「公妨ォ!!!」
すき。
・未成年で将来を誓い合う
・涙=雨
雨は天の涙という。
実際、陽菜が泣く。
いやほんと誠さぁ・・・
・生傷だらけの顔、手錠
最後空中でもつれつつ手錠がかかさって離れなくなるとか思ったじゃん。
・狂った世界 とは?
その後、警察に確保された二人は2年離れ離れになる。
誠はエンディングの前に必ず離れ離れにしたくなる病にでもかかっているのだろうか。
お前、、、やめろよ、、、(秒速の恐怖)と思ったがちゃんと再開。
結局、銃の出どころや、水に沈んだ東京への納得の仕方は、消化不良。
だが、こんな狂った世界でもいいんだよ、というエンド(?)
まとめ
私はアニメの絵コンテが好きです。そこには監督や演出家が考えた「生」の表現があるからだと思います。最近買った絵コンテは、最近でもないですが『君の名は。』のちょっと後に公開された『この世界の片隅に』です。絵コンテは片渕須直監督と監督補の浦谷千恵さんによって描かれています。そこにはあの濃い原作をどうアニメーションに落とし込むかの筆致が出来上がった映画以上に濃く感じ取れます。
原作があるのですから、原作の駒を貼っても良いわけです。少し古い作品になりますがTVアニメ『魁!!クロマティ高校』は意図的にかどうか漫画の切り抜きで絵コンテが構成されていました。基本的にはこちらが例外で、絵コンテは監督や演出家が「表現」としての設計図の役割を持っています。
『この世界の片隅に』の絵コンテは原作漫画の魅力に加え、数年にもわたって監督が広島に通って得た膨大な取材の結果が通りの一本一本、呉の港に列ぶ戦艦一隻一隻まで、絵コンテを読む魅力に溢れています。
『君の名は。』についてはどうでしょう。さすがにパクりや盗作とは言い過ぎと思います。ただ、宇野鋼之介監督は「(新海)監督の中でキチンと変換できていればそれはオリジナル。」と軟らかく書いていますが、キチンと変換するというのは他の作品のカットを持ってきてトレスすることでしょうか、と疑問もわきます。あの三葉の家は箱で書いて「宮水家右手側面・設定参考」で良かったと思うのだが。庵野秀明は引用の名手と思っていますが、新海監督ほどには迂闊ではないように思います。オマージュなら隠そうともしませんし。
さて、この騒ぎの収穫は以下のレビューが読めたことです。
「 君の名は。 - Hold Fast that Which is Good」
http://yokimono.hatenablog.com/entry/2016/09/11/220139
これだけは新海監督に対して声を大にして言いたい!
で、最後にひとこと。
確かに整合性がおかしいところは多い。私は3年のずれに気づかないことよりも、この広い宇宙で隕石が1200年周期で同じ場所を直撃することのほうが超天文学的確率というか、分母が10の何乗になるのか、そのほうがずっとありえないと思いながら見ていた。
http://anond.hatelabo.jp/20170122101332
ティアマト彗星の名は、シュメールの龍神ティアマトからとって新海監督が命名した。
ティアマトは神話では天地に引き裂かれて世界創造の元となった、また20世紀のヴェリコフスキー宇宙論ではティアマトも彗星として解釈されるのだという。
神話や宇宙論における役割は公開後まで新海監督は知らなかったそうだが、ふつうは人名の彗星の名前をティアマトとしたのは
監督がアカシックレコードに接続してこれら関連情報から無意識的に適切な命名をしたのだと、ムー1月号での新海監督インタビュー記事にて明かされた。
そしてムーではもう一点、作中で描かれているが気が付きにくい事が新海監督から発表されている。
テッシーがムー読者であり三葉の入れ替わりに並行世界やエヴェレット解釈、アカシックレコードを持ち出したのはセリフにもあるから皆さん覚えておいでだろう。
終盤、避難のために奔走する時にもテッシーはムーを持っていて、その表紙には「ティアマト彗星は人工天体」との見出しが書いてあるんだそうだ。
全然気づかなかった。
糸守には過去の隕石落下でできたと思しき場所がある。糸守湖と宮水神社の御神体のあるクレーターだ。
そして劇中では3度目の落下が描かれている。
1200年周期で巡ってくるティアマト彗星が毎度来るたびに地球付近で分裂して落ちてくる。偶然にしては出来過ぎ。
それも地球上にどこかへ落下、ではない。精確に糸守を狙っての着弾。大気圏で燃え尽きることなく地上に爪痕を残す龍。
http://anond.hatelabo.jp/20160925060352
あの山頂からの荘厳な風景は、あの山が過去や未来とつながってる時にしか見られないものなんじゃないかな。
だから宮水の巫女や入れ替わりの相手しか、ご神体のあるあの景色は見られないのかもしれない。
町から見上げた時の、何の変哲もない山の印象や、年寄りや小さな孫が軽装で登れたことと、
端的に言って、思いのほか面白かったです。
監督の過去の作品から憶測して「どうせまた雰囲気だけの恋愛映画だろう」と思い、
あまり乗り気ではなかったのですが、
実際にはそうではなく、非常にエンターテイメント性に富んでいて、
過去作とは段違いの人気があるのも素直にうなずけましたし、見に行って本当に良かったと思います。
その上で、気になったことが主に二つありました。
それは、恋愛作品としての欠点と、恋愛以外のストーリー上の欠点です。
前半のコミカルな入れ替わり劇から、後半のシリアスな展開へといっきに変える重要な部分であるだけに、
こまかいことではありますが、違和感のようなものが最後まで残ってしまいました。
今が何年かというのは、嫌でも目や耳にする機会はたくさんあるはずですし、
もし何月何日という日付が同じで気づきにくかったとしても、曜日がちがうはずです。
テレビで彗星のことを見て、それを思い出せなかったのはすごく不自然に思えます。
ただし、このことについては、設定上の説明はいちおうされていると思われるので、
「入れ替わってるあいだは、まるで夢の中にいるように、意識や記憶があいまいになる。」
というような説明が何度かあったので、
おそらく、日付のちがいに気づけなかったり、彗星や糸守の惨事のことを思い出せないような、
ただし、この入れ替わりの能力自体が、糸守を惨事から救うためにあるとしたら、
記憶があいまいになるように働く力は、その目的に反したものになってしまうので、
その矛盾を解くために、さらなる説明が必要になる気はしますが・・・。
そういえば、入れ替わった瀧が、朝、制服を着て学校に行こうとして
四葉に「なんで制服着てるの?」と言われるシーンがありましたが、
もしかしたらあれが、「曜日がちがっているけど気づけない」ということを
表現したシーンだったのでしょうか。
さじ加減の難しい部分ではあると思います。
そして、恋愛作品として、はっきり欠点と言えるのがこの部分です。
入れ替わる前までの二人は、せいぜい胸を揉んだり、都会の生活を楽しんでいただけで、
入れ替われなくなり、シリアスな展開になったとたん、
「お前が世界のどこにいても、必ず会いに行く!」などと言い出してしまうほど、
たしかに、急にもう会えないと知って、もういちど会いたいという気持ちが盛り上がるのは、
瀧は三葉のことを好きになっていることを先輩から指摘されていますし、
ということは、入れ替われなくなり、会えなくなる前から、
すでに二人は好き合っていたということになるのですが、
そうなった理由もわからないですし、それらしい描写も何もなかったように思います。
自分一人では行き詰ってしまっていた問題を、入れ替わってる間に相手が献身的に解決してくれたなら、
そうやってお互いの心の深いところまで知るうちに、
相手を大切に思う気持ちが芽生え、それが徐々に好きという気持ちに変わっていって、
ラストシーンでようやくそれが最高潮を迎える、というような展開であったならば、
おそらくもっと納得できたでしょうし、感動できたのではないかと思います。
でも実際には、瀧は自分の感情から机を蹴って意地悪な同級生たちを威嚇してみせただけですし、
三葉は、興味本位から先輩との仲を取り持って余計なお節介を焼いただけでした。
これだけではとても、お互いの心の深いところまで踏み込んだことにはならないと思います。
にもかかわらず、ストーリーの中盤ですでに、二人の恋愛テンションはマックスになってしまう。
これでは、観客は置いてけぼりにされた上にどん引きされてもしかたありません。
結局、この問題は、監督自身の恋愛に対する価値観から生まれているのだと思います。
ささいな出来事でも惹かれ合い、出会ってしまえば恋に落ちるのは当然、ということでしょう。
宮水の神様から与えられ、三葉のご先祖様たちから受け継がれた、
「時を超えた入れ替わり」の能力のことなのだと、いちおうは理解できます。
本人たちの意志とは関係なく無理やり結び付けられた二人というのは、
もし、瀧と三葉がその「運命」によって惹かれ合っていただけなのであれば、
糸守の人々を救うことができた時点で、その必要はもう無くなってしまうことになり、
五年後に再会した時に、お互いを「運命の人」とすぐに認識できた理由が説明できなくなってしまいます。
このように、「運命の人」という言葉自体は、この上なくロマンチックな響きのようではありますが、
実は本来のロマンスとは異なるものだというジレンマを併せ持っています。
だからこそ、その「運命」によって惹かれ合った二人が本当の恋に落ちるための理由、
いわば「運命の人のジレンマ」を埋めるためのプロセスが、本来であれば必要なのです。
また、運命の人かどうかはともかく、
誰かを好きになるために、第三者が納得できるような客観的な理由というのは、
じつはほとんど無いのだろうと思いますし、必要も無いでしょう。
たんなる直感や一目惚れといった、本人だけにしかわからない理由であったとしても、
本人さえ納得していれば、何の問題もありません。
そう考えると、瀧と三葉が恋に落ちた理由も、べつに無くても良いのではないか
と、思えてしまうかもしれません。
ですが、ことフィクション作品においては、それではダメなのです。
監督や脚本家という第三者によって、観客という別の第三者が見るためにつくり出された
ですから、その第三者が納得できるだけの理由が、絶対に必要になります。
もし本当にリアルな、つまり理由の無い恋愛を描いた作品にしたいのであれば、
監督や脚本家がつくり出したものでもなく、観客が見るためのものでもない、
実際に恋愛をしている二人のありのままを撮ったドキュメンタリー作品をつくるべきです。
そうではなく、あくまでフィクション作品をつくりたいのであれば、
たとえ恋をしたことが無い人でもそれが「リアル」だと感じられるような「リアリティ」、
わかりやすく言えば、たとえ「ウソ」でも「リアルっぽい」と思わせる説得力であり、
もしそうでなければ、リアルにおいて「理由の無い恋愛」をしたことのある人にしか、
これは恋愛だけでなく、たとえば、殺人や戦争などの表現に置き換えてみると、
たとえどんなにリアルでも、
実際に殺人や戦争を体験した人でなければ、理解も共感もできないような表現を、
フィクション作品に用いることは悪手なのです。
そもそも、今作のようにオカルトやSFなど、リアルではない世界観を扱っている作品で、
それは一つの作品の中で各要素における「リアリティのレベル」が合っていないことになるでしょう。
恋愛体験の異なる人たちのあいだで論争になっているようですが、
そのこと自体がすでに、恋愛をテーマにしたフィクション作品として、
この作品が大きな欠点を有していることの顕れである、と言えると思います。
恋愛作品としての欠点が、監督自身の恋愛観に因るものであるとすると、
今後の作品において何度でも繰り返されることになってしまうのでしょうか。
今回は、監督のその間違った恋愛観を表現するための設定や伏線の副産物として、
エンターテイメント性の高いストーリーがたまたま生まれてしまっただけだとすると、
今作のヒットは、ただのラッキーパンチだったということになってしまうでしょう。
できれば、そうならないことを願いたいと思います。
君の名は観たけどクソでした。
ところどころファンタジーやスピリチュアルなのは良いんですが、それ解決策に使ったりすると覚めまちゃいます。
コナン観てて何が重要な鍵になって解決に導くんだろう…とか真剣に思ってたら殺された被害者の霊がコナンの枕元に立って事件の概要をペラペラ話して解決して終わり的な展開だったら萎えますよね。
しかも他の人に話すと「薬で子供になるって時点でフィクションなんだからリアリティとか求めるなよ笑」とか「最初ほうのシーンで霊感あるって言ってたし、ネクストコナンズヒントでも伏線はってるよね?」とか言われるわけです。
設定有る無いとかじゃなくて、解決するための設定自体もしくは展開が強引すぎない?ってことなんですけどね。
それもこれも「もう途中の流れとか関係ねぇ!」って割りきらずに中途半端にキチンとしようとしてるからだと思うんですよ。
だから、おっ!どういう理屈で解決するんだ?って期待が生まれちゃうんです。
だからいっそドラゴンボールとかで解決しちゃったほうがいいと思います。
宮水家には代々伝わる6個、瀧くんが1個持ってて…「いでよ!神龍!」
ほらっ、もう解決じゃないですか。
ほどける組紐を龍に見立てちゃったりして、そして瀧という字の中の龍、彗星の名前のティアマトって神様ってゲームとかでは龍の姿だし、流れる彗星は願いを叶えた後のドラゴンボールが地球に散らばる様子にそっくりです。
ここまで考えてきてやはりと確信しましたが新海誠さんはドラゴンボールをやりたかったのですね。
田舎者の孫悟空と都会に住むブルマ、三葉と瀧と同じですがまさに男女が逆です。わかりやすいオマージュです。
さらにパイパイに固執する瀧からも読み取れます。明らかに亀仙人のオマージュですね。
三葉に入れ替わった瀧がパンパンして「タ、タマがねぇ…!チンも…」というシーンは直接は描写されず匂わす程度の上品な演出になっています。やはりこれもオマージュです。
わかりにくいですがフカフカキンタマクラオマージュには不覚にも笑ってしまいました。
これ以上はネタバレになるので言えませんが映画をわかる人が深読みするとほぼドラゴンボールと同じ言って差し支えない内容になっています。
やはりドラゴンボールは偉大ですよね。
あっ、かたわれ時なので本題とはあまり関係のないドラゴンボールの愛を語ってしまいました。君の名前はオマージュです。
君の なんの映画の話してたのか思い出せないのでこれで失礼します。手のひらに「ぱふぱふ」と書いてあるのでとりあえずおっぱいパブに行ってみようと思います。ありがとうございました。
http://method-of-pharmacist.hatenablog.com/entry/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%80%82
>そもそも「入れ替わり」の原因って何?
>二人が入れ替わった理由って、物語中で明示されていましたっけ…
>三葉の家の血が、「入れ替わりの夢」を見せる力を持つからってことでしょうか?
>一葉おばあちゃんも「昔私も同じような夢を見た」って言ってましたよね?
>「入れ替わり」が起こったのは、三葉が持つ特殊能力?
二葉さんにも、同様の事が有った様です。
「妄言は宮水の血筋か」と、宮水トシキ氏(三葉と四葉の父)が言ってましたから、彼も、常識的には理解しがたい事を、奥さん(二葉さん)から聞いて居た筈です。
一葉さんとの会話で、瀧入りの三葉の「その能力は、この時の為に有ったのでは」て発言が、部屋に飾ってあった宮水家歴代の方々の写真が映っている画面で、有ったかと思います。
>都会のイケメン男子として暮らしたい」という三葉の願い(遺志?)が、
>3年先の世界で生きる瀧との入れ替わりを実現したんでしょうか?
過去の隕石落下当時や、200年前の大火でも、似た様な事が有ったのかもですね。
>なんで瀧と入れ替わったの?
>なんでわざわざ3年先に生きる17歳の瀧と入れ替わったの?
>三葉の死亡、糸守町の壊滅を防ぐために?
そうであろうかと思われます。
>「3年のずれ」、途中で気づきませんか?
>二人の世界に3年のずれがあることを、
>お互い入れ替わっている間に気づかないもんなんですかね。
>スマホ開けば今は何年何月何日かとか、
>友達と話せば微妙に話題がおかしいこととか、気づかないものですかね…?
>本編では瀧は「糸守町は3年前の事故で壊滅した」ことを、実際に岐阜県に行って初めて気づきます。
>そして、三葉が2013年までしか生きられなかった人物であること、
>自分が「入れ替わり」で経験した世界は2013年だったことを、そのときやっと気づきます。
>正直、もっと早く気づかないんですかね?週に2~3回は入れ替わってたし、日記もつけていたし。
入れ替わりの発生期間は、何度も有ったにせよ、そんなに長くはなかったのでは。
もう少し長く続いていれば、また違ったかもです。
それと、日記では、年は省いていたのでしょう(確か、スマホのアプリでも月日だけだった様な)。
また、「夢」で見聞きした情報は、醒めた後は、断片的に不鮮明に成る様です。
よって、戻っている間は、時間のずれに気付けなかったと思われます。
瀧が糸守町を探していた折りも、探索中は名前を認識していませんでしたが、ラーメン屋夫妻から聞いて「そう、糸守町!」と思い出しました(一旦認識はしても、覚醒中は薄れるという事)。
>なんで瀧は三葉を好きになったの?
>なぜ瀧が三葉に入れ込んで
>命がけで三葉を助けに行くまでになったのかが、あんまり伝わってきませんでした。
>このとき三葉と出会った記憶が無意識に刷り込まれていたから、
>瀧は三葉のことを好きになったのかな。
>序盤でも、三葉に組紐を託されるシーンが夢の中に出てきていましたよね。
思春期の少年にとっては、可愛い女の子と知り合えた時点で、大事件ですよ。
ましてや、その子が死んじゃう(死んじゃっていた)んですよ?
で、瀧の感情は。
入替わりの日常化/
奥寺先輩とのデートと其の不調、「別の誰かが意中に居るのでは」と指摘される/
入替わり起きず、連絡も不通。不安/
諦めきれず、御神体の所まで行き、口噛み酒を飲む/
トリップ。三葉の人生を俯瞰し、三葉が自分に逢いに来てくれ、組紐を託してくれた件を認識(その時の事を思い出す)/
最後の入替わり発生/
カタワレ時、奇蹟的な出会い
て過程で、強まっっていったのでは。
こうやって見ますと、特に、《三葉が自分に逢いに来てくれ、組紐を託してくれた件》で、キュンときますかねえ(“刷り込み”も、有るかもですが)。
>別に東京が舞台じゃなければならない理由って、なかったかなーって思います。
>3年前の事故とはいえ、彗星が日本に落ちて500人以上死亡したって、
>未曽有の災害だと思うんですけれども。
災害を知ってはいても、自分が入れ替わっている人間の住む町との認識が、上述の理由により、無かったのでしょう。
最後、瀧は就職したばかりで22-23歳くらいで、三葉は25-26歳くらいです。
>そういや三葉は東京へ瀧に会いに行ったとき「14歳の瀧」を見つけたわけですけど「あれ?子供じゃん?」って思わなかったのかな。
彼が、入れ替わっていた瀧だと、見て、直感したのでしょう。
>あのとき14歳の瀧に邪険にされたから、そして組紐を瀧に託したから、三葉は髪を切ったんですね。
(文責.ID:popoi)
http://mercury-c.hateblo.jp/entry/2016/09/12/224030
そっちの方が、お客さん達が入り込み易いのでは?
>瀧が三葉を助ける話に変わってしまったように感じた。
>ここで、事件において瀧の側も何かしら影響を受け、
>それが将来に繋がっていくなどがあれば、まだ2人の対等関係が維持されたはずだが、
>そういったことを描くにもやはり瀧側の物語が希薄であったように思う。
思春期の少年にとっては、可愛い女の子と知り合えた時点で大事件ですよ。
ましてや、その子が死んじゃう(死んじゃっていた)んですよ?
あと、リストバンドにしていた組み紐が、伏線に成っているのですね。
>三葉の環境に対する不満はどうなったのか。
>同じように三葉が抱えていた田舎への不満と東京への漠然とした憧れも、
故郷を喪失してから、其処への想いを痛切に感じるとか、まあ、有ったでしょうけど、其処は観る側が想像すべきかと。
>そこに三葉はどう影響したのか?
>それには入れ替わりの、また瀧の影響があったのか?
直談判の場面で、町長室にお祖母さんと四葉ちゃんが居ましたが、あれ、三葉の異変について話していた可能性が有る様です。
お祖母さんが、自分や二葉さんにも、その様な現象(未来の誰かとの精神の入れ代わり)が有ったと、お父さんに証言していたかもしれません。
お父さんは、「妄言は宮水の血筋か」と言っていたので、お母さんから其の種の話を聞いていた可能性も有ります(或いは、この2人の間にも入れ替わりが?)。
で、この事象は、お父さんが神社を捨てる切欠となった、二葉さんの早世(病気に成っても、町から出ようとせず、治療の最善手を放棄していた由)の問題にも繋がる様です。
お母さんは、お父さんが妻の死を悲しみ神社を捨て、町長に成る事、巡り巡った結果、大惨事からの避難を可能とした事など、先々の大筋を把握していた可能性が有ります。
>父親に直談判するシーンにその答えがあったはずだが
とりあえず、三葉父の家庭の事情や個人的な心情は、加納新太さんによる小説『君の名は。 Another Side:Earthbound』(角川スニーカー文庫)を読むとイイらしいです。
>そのへんが省略されて
>ぼくは腑に落ちないのだった。
瀧と三葉、両者の関係は、ダイレクトに、個人と個人の結びつきです。
立花家と宮水家とかが前提に、入れ替わり現象が発生していた訳ではありません。
・追記
宮水家の血統に伝わる不思議とか、父親の権力の要素で、三葉と其の環境を重視する(故に、“主人公2人の結び付きは個的なものではない”、由)意見が有りましたが。
宮水と無関係な瀧は、瀧であればこそ、三葉だけではなく、縁もゆかりも無い人々をも救う為に動きました。
糸守と宮水家に生まれ育った三葉は、彼女自身であればこそ、同様に動きました。
自ら無為に見える死を選び、状況を導いた(と思われる)二葉さんについても同様。
(文責・ID:popoi)
君の名は。を見たときに、考えなければならないことがあると思った。
作中、東京に焦がれる三葉と、次第に糸守の町に惹かれていく瀧の対比が私にはすごく印象に残った。二人は入れ替わったときにお互いの日常を遂行するべく生活を送るんだけど、三葉の「早く東京で生活したい」と叫ぶシーンは特に目を引いた。東京という街と糸守という町は対称的であるが、こうした憧れは住んでいる場所だけじゃなくてその地に根ざす文化だったりも影響している、と思う。例えば、作中に口噛み酒っていう神社で行われる儀式があって、三葉は神社の娘としてこの儀式に参加してるんだけど、多分それがすごくイヤなんだよね。実際、同じ高校のちょっとませた感じの女の子に「きったない(笑)」って笑われてショックを受けてたりして。だからこその「東京へ行きたい」っていうセリフが際立ってるんだけど、この気持ちは多分三葉が糸守で生まれ、宮水の子として生まれたからなんだろうなって思う。糸守に住む幼馴染のてっしーは「なんとなくこの町で就職してなんとなく生きていくんだろうな」ってことを言う。てっしーは町の土建屋の息子で、多分会社を継ぐんだろうなって感じてて、でも本当はUMAとか宇宙人とかそういうのに興味があるんだと思う。誰も思うように生きれなくて、でも仕方ないかと思って諦めてる。それに対して瀧は都会の高校に通って、友達とオシャレなカフェ行って、バイト先の先輩に恋して、自分で何でもやりたいこと決めて好きなようにやってる様に三葉には見えたんだと思う。逆に瀧は、三葉と入れ替わってくうちにどんどん糸守と宮水のことを好きになってく。二人とも、二人の一部しか知らなくて、でもその一部にどうしようもない魅力を感じてしまうの、すごく好きだしわかるなって思った。
こういうことはよくある日常の一部なんだろうけど、解消されないといけない問題だと思うし、こういう社会が存在していることが多くの人に知られるべきだと思う。そういう意味からも君の名は。は評価されうる映画だと思った。
君の名は。控えめに言って最高だった。
あまりにも良すぎていてもたってもいられず、この気持ちをひとまず文章にしようと思って書きました。
見てない人はマジでこんな駄文読む価値ないからチケット取って映画行ってきてください。
そして、衝撃。
あれ?こいつらすごく真っ当なキャラ達だぞ?
すごく社交的で友達もいてそれなりに楽しそうな学校生活を過ごしている。
間違っても学校サボって御苑で金麦おばさんと密会なんてしそうにない。
なんかこの時点で、今回の新海監督は今までとは違ったものを作ったんだという実感がビシビシ伝わってきた。
そこからのコミカルな入れ替わりのやり取りはコメディタッチで楽しいんですよ。
TSモノ大好きおじさんとしては、とてもツボなやり取りにニヤニヤしっぱなし。
入れ替わってるのが声からスッと入ってくるから、どんどんのめり込む。
というか二人共めちゃくちゃかわいいし、なんて明るくて楽しい映画なんだ!!
なんて思ってましたよ。
新海監督だってこと忘れて楽しんでたので、中盤隕石落下の下りで
叩き落とされて、そこから這い上がっていく瀧の姿。
で、あのカタワレ時のシーンね。
感動的なのに、口噛み酒やおっぱいで笑かしてくる。
そんなところもすごく楽しかった。
で、マジックが落ちて記憶がなくなっていくシーンは号泣するしかない。
あの、一瞬で音がなくなるシーンは本当に鳥肌が立った。
そこからはずっと泣いてたと思う。
新海イズムみたいなものが全開で、それでもあのハッピーエンド。
で、まず思ったのは、背景。
新海監督の代名詞といえば、あの印象的な背景が上がること多いでしょう。
それが、今回はすごく薄い。
キャラクターの邪魔をしないように、すごく地に足がついた背景になっている。
ただ、一点だけ新海監督らしさを出した部分は彗星の描写でした。
それが効いて、瀧の言う夢のような景色という言葉にすごい臨場感が生まれていたと思います。
メリハリが付いたので、逆に印象的になっていた気がしました
で、でですよ。
あ、これって星を追う子どもと重なるなーと。
まぁその手前でユキちゃん先生が出てきた時点でもうって感じではあるんですが。
そして瀧と三葉の間の繋がりは携帯電話。あ、これってほしのこえかと。
なんか過去作とのオマージュがぐりぐり練りこまれてて、うれしい!うれしすぎる!!
その後も、三葉になった瀧がテッシーの自転車に乗ってるところは信濃新聞のCMを思い浮かべるし、
ラストの就活中の瀧の語る人々の記憶に残るような街づくりがしたいって台詞は大成建設の地図に残る仕事と重なるし、
今まで追ってきた新海監督の作品の思い入れもあって、もう胸が詰まりましたよ!
そしてラストね。
もうあのラスト。
みんな騒いでますけど、あれ秒速5センチメートルですよね。
バッドエンドなんて言われますが、自分はそうは思わないし、それも含めていい作品だと思います。
あのラストはあれでいいんですよ。
出会いないからこそ秒速5センチメートルはあの作品たりえたと思うんです。
でも、タカキには、幸せになって欲しかった、出会って欲しかった。そんな気持ちがあるのもまた事実です。
叶っちゃったよぉぉぉぉっぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!
はぁ〜叶っちゃいましたよ。
出会いましたよ。
間を阻む電車にも負けず、ちゃんと振り向いて声をかけて、三葉も振り向いてくれた。
何回かニアミスしてるんですよ。
新宿で、タカキが仕事に押しつぶされて帰る帰路ですら違ってるんですよ。
でも、三葉は毎回きちんと振り向いてくれて、同じ気持ちを共有している。
もちろん君の名は。はそんなオタクの気持ちなんか抜きにしても良い作品です。
ど真ん中どストレートの直球のようなエンタメ作品だと思います。
映画館にカップルや中高生がいっぱいという話を聞いて、当然だと思いました。
それが嬉しくてしょうがありません。
そんな素敵な門出に、こんなオタクにご褒美をくれる。
なんてうれしいんだろう。
新海監督のファンをずっとしてきたからこそのカタルシスがありました。
小説で川村さんがおっしゃっていたように、まさに新海誠の集大成のような映画だったと思います。
そして、そんな君の名は。で初めて新海監督作品を見た人たちが、過去作でも好きな作品を見つけてくれるとうれしいなと思います。