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「学人」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 学人とは

2024-10-07

理解してもらえると思うな(戒め)

ぼくは鬱と不安障害持ちで大学学人(きゅうがくんちゅ)である

ココ最近は気力が湧いており、今日自分が大好きなかぼちゃスイーツをつくった。初めて自分最初から最後まで作ったものが、意外にも美味しくてビックリした。スタバ焼き芋フラぺより美味しかったな。そんな感じでわーいと一息ついた時、昨日発症したヒステリー球(ストレスによる喉のつかえ、痛み)の話になった。※昨日の夜本当に痛くて、呼吸困難になり号泣しながら24時間オンライン診断に金を払い どうしたらいいですか!?メッセージを送った。

からLINEヒステリー球についての知恵袋ベストアンサーを見てね。と送られてきたので開くと、鬱 パニック ヒステリー球スマホ多用によるストレートネックによるものだ!姿勢が悪いからだ!自力で治すことが出来る!というものだった。こんな陰謀論じみたこと信じる奴がいるんか…母親正気なのか?と思った瞬間、涙があふれた。じゃあ、整骨院にいけば精神疾患は治るんですか?あなたは辛くないだろうと言われているように感じた。まあ、健常者には分からないよなとも思うけど。(←自分への言い聞かせ。ホントはわかってもらいたいのかな、ぼくは) まあ母親いや、いわゆる「毒親」と色々話した訳だが、結論自分意見を通すことを諦めた方が早い。謝られるのも面倒臭い、泣かれるのも面倒臭い、何故どうしてを聞かれるのも面倒臭い自分のことを話すのも面倒臭い、不満を打ち明けるのも面倒臭い、ぼくがこうなった全ての原因はお前だよ。と言うのも、面倒臭いよ。あ、これ鬱病アスペ兄弟がぼくに向かって言った 他責にしたがるよな〜。の項目に当てはまる!ビンゴ〜。従兄弟らの話もまた気が向いたら書き残してみる。父親に向かって、母親が「わたし、𓏸𓏸に信用してないって言われちゃったー」と言った瞬間、上手く言葉に出来ないけど本能のどこかでやっぱダメコイツ。っていう諦めの感情に飲み込まれた。憎いのに、ここに居たくないのに、小さいときママを思い出してごめんなさいって、こんなぼくでごめんなさいって泣く。もうなんかなんなの?どうしたらいいかからないよ、左腕の傷はジュクジュクで気持ち悪いし。なにが最善なんだ?って頭フル回転させるけど、嫌な思い出がどんどんフラッシュバックする、邪魔。とにかく、今まで通り何も言わず、親に従い、親のぼくの理想像を上手く読み取って、行動しよう。それが一番面倒臭くなくて、楽だよね。

2022-02-22

四谷大塚桜蔭同日受験体験

2/1、四谷大塚にて毎年(たぶん)開催されている「開成桜蔭入試同日体験受験」を受けてきた(娘が)。

開成桜蔭入試同日体験受験」ってなんやねん

2/1、小学6年生たちが最高峰入学試験に挑むその日の午後に5年生(新6年生)が同じ問題に挑む謎の試験

はっきりいって正気の沙汰ではない。

精鋭の小6生たちが万全の準備をして挑み、それでも涙することがある試験別に同じ合格ラインを目指すわけではないが、小5生がわざわざ一年前に挑むなんて、なんのメリットがあるのかわからんし控えめに言ってあたおか。増田もこのの試験存在を知った当初そう思っていた。

それでも結果として小5の娘に桜蔭同日を受けさせることにした経緯やその有用性について、せっかく受けたので、n=1の意見ではあるもののまとめておきたいと思った次第。だって事前にネット検索してもろくに情報なくて困ったから。誰かのなにかの役に立てば嬉しいし、そうじゃなくても娘がめっちゃ頑張ったから誰かに自慢話を聞いてほしいので記しておく。そうこれは自慢です!

増田スペック

かわいい。3年2月(新小4)四谷大塚入塾。Yにした理由は徒歩で通えるから。入塾時はA4。4年後期にC、5年夏にSに上がり以降S4〜6をうろうろ。直近の組分けは65でS4。志望校判定は67。サピックス1月組分け61。毎日めっちゃ頑張っててえらい。

  • イッヌ

かわいい。3歳のポメラニアン女子めっちゃビビリ。かわいい

かわいい公立中→県立高校国立理系院→IT社畜→ほぼ専業主婦

都内私立中高(界隈の人にはふんどしリズンとして有名なところ)→国立文系IT限界社畜

そもそもなんのためのテストなのか

増田最初にこの試験存在を知ったとき第一感は、「一年前に既にガッチガチに仕上がってる自信アリアリの猛者たちが腕試し(≒トロフィー)的に受けるいけ好かない試験」であった。なんかもういろいろまじすまん。

しかし、11月にあった6年生に向けてのガイダンス内で新事実(増田にとっての)が判明。日曜日に行われる学校コースを受講するための選抜試験だったのである

サピックスSS、早稲アカのNNと同じようなアレが四谷大塚にもあって、それが学校別。四谷大塚では前期(2月から8月)と後期(9月から1月)があり、前期の学校別は開成コース桜蔭コースのみ。開成or桜蔭と冠がついてはいものの、前期は開成or桜蔭に的を絞った問題ではなく応用や難問を広く取り扱い、後期学校別にスムーズにつなげるためのもの、という位置づけらしい。このへん、文書による説明はなく塾の先生に聞いたらこんな感じの説明をされた。また、四谷大塚ホームページには後期学校別の情報はあるものの前期のは見つけられなかった。しかし内部生しか受けられないわけではないようで、試験を受けたらもらえた文書には外部生向けの料金の案内もあった。えっじゃあホームページに載せたらよくない?四谷大塚のショボい広報力なんなの?あとホームページめちゃくちゃ見づらいんだけどもしかしてまだ中の人90年代生きてるの?そんなんだから令和の保護者にウケないんだよ!

受けることにした経緯

ともあれ、2月開講の桜蔭コース(※ただし桜蔭特化ではない)を受講したければこの試験を受けるよりほかない(もしかしたら組分けでの超優秀層はこの限りではないのかもしれないけど増田にはわからない)。

増田娘は基本的勉強が好き(えらい)だし、特に算数が大好きで、難問に苦戦しているときすごくいい笑顔を浮かべる。ちょっと心配になるぐらい。とはいえものすごくよくできるわけではないのだけれど、とにかく好きなのだ。そういう娘にとって、前期学校別はひどく魅力的にうつったようだ。わかる。増田もうちの娘に合うんじゃね?って思った。先生誘導にホイホイのせられるちょろい家族である

ほぼ腹は決まっていたような状態だったが、同日受験の是非については親ふたりで話し合った。中学受験において、最新の過去問初見ではなくしてしまデメリットは軽視できない。が、我が家にとって桜蔭そもそも志望校ではない。実際に受験する可能性は限りなく低い。そして桜蔭過去問は同校を受けるのでない限り取り組む必要性は低い(と塾の先生確認済)。最終的には、娘が希望しているのだし試しに受けてみてもいいのでは、との結論になった。

実際に試験を受けた方々の志望校がどこなのか知る由もないが、本命が別の学校であるほうが受けやす試験というのはなんだかなぁちょっと思う。

まりにできなくて自信をなくしてしまうんじゃないか…との懸念もあったものの、娘は基本的にめちゃくちゃ負けず嫌いだし嫌なことも一日寝ればだいたい大丈夫になるメンタル強め女子そもそも、Cに上がったときもSに上がったときも週テストこてんぱんにやられているので、太刀打ちできないテストへはある程度免疫があるのだ。なんとかなるだろう。なんともならなかったらミスド山ほど買って忘れさせよう、と思っていた。ちなみに、まるで過去のことのように書いたがSの週テではいまだにやられっぱなしである。だいたいいつも40台前半。これまでの最も楽しい記録は13。後ろから数えてトップ3だったこともある。のびしろしかない。もはや最近は週テストから(震え声)フォローすることもない。組分けさえなんとかなりゃええんや。週テストなんか全科目0点でもクラスコースも落ちんし(暴論)。

結果(自慢)

2/3昼過ぎ。あのどうしようもなく見づらいホームページからログインしてみると、得点が出ていた。

2/8、所属校舎にて受講可否の通知をもらってきた。結果は合格。受かったー!やったー!と喜ぶ娘。わけもわからキャンキャン吠えるイッヌ。増田も一緒になってヤッターヤッター騒いでたら確定申告の準備頑張ってたヨッメにうるさいとめちゃくちゃ怒られた。ごめんなさい。

それにしても、わざわざ封書に入れられた【合格】と書かれた紙を取り出す作業さながら本番のようでちょっとキドキした。いまや本番がほぼネット発表なのは知ってるけど。

ネットで見た受講許可ラインはこの試験偏差値55または直前の組分けでSコース偏差値50とのことだったけど、増田娘が貰ってきた紙には点数のみ書いてあった。4科目の偏差値53相当の点だった。

終わってみての雑感

よかったこ
  • 娘が楽しそうだった

当日の付き添いは増田担当させてもらった。来年の本番もこんなふうにして付き添うのかなとドキドキしていたが、娘はさほど時間の余裕がない道中でタピオカを飲ませろと強請ってくる豪胆な女だった。っょぃ。知らない会場(いうて四谷大塚だけど)で難しい学校試験を受けることに終始ワクワクしているようだった。娘の成長を感じて増田ドッキドキ。

娘を送り出したとき、三年生の二月に三年後に向けて走り出したときには天竺イスカンダルかと思われた受験本番が一年後に迫ってきているのだと実感できた。あしたの今ごろならぬ来年の今ごろを思い、ちょっとセンチメンタルな気分にもなった。増田もきっと泣いているような気がする。嬉し涙だといいな。そんなことを考えていたので、申し訳ないことに増田試験中に開催された説明会の内容をほとんど覚えていない。ごめんなさい。だってとてもじゃないけど受講基準クリアするとは思っていなくて…。桜蔭志望でもないし…。

繰り返しになるが、2月から前期桜蔭コースに参加するにはこれを受験するしかない。内容が桜蔭特化ではないので桜蔭志望者にとってマストではない(と思う)が、だからこそ、桜蔭志望ではない子も受講を目指してもいい、というのはもうちょっとアピールしてくれてもいいと思う。ていうか前期講座の情報のなさなんなん?四谷大塚広報力のなさはわざとなの?ほんとホームページなんとかならん?サピックステスト受けて一番ビックリしたのはマイページスマホ表示に対応してたことだよ!四谷大塚もやってくれよ!日能研対応するってよ!うらやましい!

で、結局デメリットは?

四谷大塚もっと広報せーやとさんざん文句を言ったものの、誰でも受けてどうぞの講座じゃないのはわかる。たぶん大多数の子どもにとってこの時期毎週別校舎に通ってこんなことしてる場合じゃない。始まったばかりの新6年のスケジュールに体をなじませる、新出単元がまだ続く理社の予復習、算国の強化、やるべきことは山ほどあるので。往復の時間と体力も行かなければ節約できるものなので、メリットが大きくなるかどうかは子どもによってわかれると思う。ただ、どうせ日曜講座に通うのであれば、学校別講座開催の校舎が自校舎or近隣の場合には受かったら通ってみるのもいいと増田は思う。いい刺激になって好循環を呼ぶかもしれない。ただし逆もまた然りなので、アカンと思ったらすぐ塾の先生相談&自校舎の日曜講座に戻る選択肢は常に頭に入れておく必要もあると思う。増田はこの点3回ぐらい所属校舎に確認した。無理だと思ったらすぐ戻ってきてどうぞ、とのことだったので安心して送り出している。今のところ増田娘は超たのしそう。

試験パスしたとしてやっていけるかどうかが不安場合そもそも受けるかどうか迷う場合は子をよく知っている所属校舎の先生相談するのが良いと思う。増田娘は「受けてみて受かったら行けばいいんじゃない」と言われ、増田は「受かったら行って大丈夫ですよたぶん」と言われた。(その心は、対策(過去問とか見て)せずにパスできるならなんとかなるよ、というところだと思う)

他塾生が日曜だけこの講座を取るのは、増田だったらさせないかなーと思う。何度も同じこというけど、桜蔭特化講座ではないので。各々の塾にも日曜なにかしらあるよね?だったらそれ受けたほうがいいと思う。

たぶんこれが最大のデメリットなんじゃないかなーと受ける前は思っていたけれど、今はそうでもないかなという感想。前述のとおり増田娘の第一志望は桜蔭ではないので特にフワっとしている点は否定しないけど、そうでなくてもそれほど大きなデメリットではないと思っている。そもそも四谷大塚生が使用している予習シリーズには各学校過去問の改題があちこちに散りばめられている(らしい)。予習シリーズ使用状況に限らずどこかしらに通塾していればそう大差ない状況だろう。また、トップ校の試験は最新入試トピックとして目にする機会も多い。子ども新聞とか塾配布の雑誌(四谷大塚ならドリームナビ)にもさらっと載ってたりする。まだ出題ホヤホヤ、本当に絶対初見のまま挑める2/1に受けてしまうこの荒業同日試験はなんだかんだアリでは?というのが今の感想

また、いざ桜蔭を志望するとなれば各塾桜蔭のための講座が開講されていて、腕によりをかけて桜蔭っぽい問題が作られ桜蔭っぽい採点と解答が研究されている。その気になれば塾のハシゴをして教材を手に入れることもできる。共学人気といわれる昨今ではあるが女子トップはやはり桜蔭というのがまだまだ界隈の共通認識であり、各塾が力を入れて対策をしているのは違いない。そんな信頼がおけるテキストが塾の数だけあるのに、過去問一年分消費したとてそれほどのデメリットだろうか。

とはいえ増田子の第一志望が桜蔭だったらもっと悩んだと思うからなんともいえん!自分で考えて!

そのほか反省

各科目10点超えたら君にとっては満塁ホームランだ、的な言葉をかけたんだけど、イマイチだったなと反省してる。親としてはプレッシャーをかけたくない気持ちとうっかり期待しすぎないよう己に釘を刺すためのものであった。受講許可ライン超えるといいね、ぐらいは言ってもよかったかもしれないと今もなおぐるぐる反省している。声かけ難しいネ。

  • 平日の予習がなかなかヘビー

所属校舎の日曜講座は翌週の取り扱い単元の導入的授業をしている、というテイだけれど、増田娘の所属クラス先生方みんなドSなのでプリント課題が出てそれを解いているそう。このプリント増田娘は木曜にもらって帰ってくる。=火曜までにやって自力で追いついておけ(平日の通塾日は火曜と木曜)。桜蔭コースでは前週までの単元(前日土曜に週テストしてる分)の応用演習がメインで、理社は次週分の予習もしてくれているみたい。だけれどやっぱり火曜までにやらなければならないことは変わらないのでけっこうヘビー。今のところパンクしてるようすはないけど今後も要観察。

まとめ

以上おわり。長文拝読サンキューやで。

2019-02-06

anond:20190206130255

保健体育というか女子だけ集められて生セックスしたら妊娠病気退学人生終了って脅すタイプ純潔教育してたからじゃないかなー

ちな女子脅す純潔教育自民とかの保守老害政治家たちが乗り気で制度化したやつ

2017-05-19

副島 種臣(そえじま たねおみ、文政119月9日1828年10月17日) - 明治38年(1905年1月31日)は、日本江戸時代末期(幕末から明治時代佐賀藩士、政治家書家。勲一等、伯爵。初名は竜種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。

目次 [非表示]

1 生涯

2 書家

3 栄典

4 参考文献

4.1 伝記

5 登場作品

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

生涯[編集]

文政11年(1828年)、佐賀藩士・枝吉南濠(忠左衛門、種彰、30石)の二男に生まれる。父は藩校である弘道館教授を努める国学者で、兄は同じく国学者枝吉神陽。母は木原宣審の娘・喜勢。父と兄の影響により、早くから尊皇攘夷思想に目覚める。弘道館で学び、この間に江藤新平大木喬任と交わる。

嘉永3年(1850年)、兄・神陽が中心に結成した楠公義祭同盟に加わる。嘉永5年(1852年)、京都遊学、漢学・国学などを学ぶ。この間に矢野玄道らと交わる。さらに、神陽の命を受けて大原重徳に将軍廃止天皇政権による統一を進言する意見書を提出して青蓮院朝彦親王から藩兵上洛を求められるが、藩主鍋島直正に退けられた上、藩校での国学教諭を命じられた。

安政6年(1859年)、父の南濠が死去し、同年3月には同藩士の副島利忠の養子となる

元治元年(1864年)、長崎に設けた藩営の洋学校・致遠館の英学生監督となって英語等を学ぶ。慶応3年1867年)、大隈重信脱藩するが、捕らえられて謹慎処分を受ける。

明治維新後は慶応4年1868年)、新政府参与制度取調局判事となり、福岡孝弟と『政体書』起草に携わる。明治2年(1869年)に参議、同4年(1871年)に外務卿となり、マリア・ルス号事件において活躍する。マリア・ルス号事件では、助けを求めた中国人奴隷解放したことで、正義人道の人と国際的に支持された。

明治6年(1873年)2月には前々年に台湾で起きた宮古島島民遭難事件台湾出兵も参照)の処理交渉特命全権公使外務大臣として清の首都北京派遣され、日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈および交渉にあたった。この間、清朝高官との詩文交換でその博学ぶりを評価をされている。同年10月征韓論争に敗れて下野し、明治7年(1874年)には板垣退助らと共に愛国公党に参加、同年には民撰議院設立建白書を提出したものの、自由民権運動には参加しなかった。西南戦争中は、中国大陸中南部旅行滞在している。

明治12年(1879年)、宮内省一等待講。明治17年(1884年)、伯爵明治20年(1887年)に宮中顧問官、明治21年1888年)に枢密顧問官明治24年(1891年)に枢密院副議長になり、明治25年(1892年)には第1次松方内閣において内務大臣を務めた。

明治38年(1905年)、脳溢血のため死去[1]。

 
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