はてなキーワード: 不眠症とは
https://speakerdeck.com/hanhan1978/how-to-work-deeply?slide=40
ここら辺に書いてあることも使うんだが、ここら辺に書いてあることがそもそもできないケースがある。
特に不眠症だったり、不注意によるミスが頻繁に起こったり、マルチタスクができないケースはこうなりやすい。
この場合、漢方薬とストラテラやコンサータ、エビリファイ、インチュニブを併用したほうがいい。
集中力が高まる漢方薬としては「四逆散+黄連解毒湯」や「当帰芍薬散」、「八味地黄丸」、「四物湯系列の漢方薬+六君子湯」、「半夏厚朴湯+小青竜湯」、「当帰湯」などがある。
これは個人的な意見だが、黄連解毒湯と小青竜湯は漢方薬の中でも効き目が強いほうで、ガツンと効くんだが、1か月飲んだら、胃腸がマジでおかしくなった。
なお、四物湯や八味地黄丸や当帰湯は胃腸障害のある人が使うと胃もたれや胃酸の逆流でひどいことになる。
その時は当帰芍薬散など別の薬に変えたほうがいいし、黄連解毒湯が効くなら、黄連解毒湯を六君子湯に入れ替えたほうがいい。
※これらの薬は健康保険が使える。
※ストラテラやコンサータ、エビリファイ、インチュニブは発達障害の診断がないと使えないので、近くの内科や心療内科で漢方薬をもらってから、精神科に行くことになる。
※なお、精神科に行き、自立支援医療や精神障碍者手帳を取得すると、住宅ローンが組めなくなる。
※発達障害であることがばれると首になることもあるが、IT系の会社はgithubを使う時のルールが守れれば、発達障害だからといって排除することはない。
正しくはわからないが、物心ついた頃にはもう我が家は生活保護だったと思う。
父親と母親は離婚しており、シングルマザーで姉妹で育ててもらった。
私は他人とぶつかりたくなかったから、文句をあまり言わず従っておりそのたびに母親に褒められていた。
母親によく、「私ちゃんの子どもとして次は生まれてきたいな」と抱きつかれながら言われた。気持ちが悪かった。
母にとって私は都合の良い恋人であり、友人であり、娘であったのだと思う。
保育園にはお昼寝があるが、自分だけお昼寝で眠れず、虚空を眺める日々を送っていた。
そのまま小学生になり、軽度のいじめを受けながら常に自殺することを考えながら空を見て数時間過ごす日々だった。
アパートに暮らしており、自分の部屋などあるはずもなく、物だらけの汚い部屋に小さな棚と机を置いて、そこで勉強していた。
姉は努力家で見た目も良く、出来がよく人気者だった。
私は努力ができない怠け者で、見た目も悪く、人見知りだった。
地方住みの貧困家庭だった為、中学までは公立の近いところに入学し、高校は”普通と違って楽しそうだから”という理由で農業高校に入った。
家から片道4kmほどある高校で、自転車で通っていたがほとんどギリギリの出席数だった。
小学生から過敏性大腸症候群に悩まされていて、すぐにお腹を下し、授業中に何度もトイレに行くことが多かった。
そのことで陰で悪口を言われていたことを知ってる。しかし仕方なかった。
高校二年のときに大腸検査をしたが異常がなく、その頃に母親が通っていた心療内科を勧められた。
最悪の出会いだった。
医者の口癖は「楽しいことを見つけなさい」「箸が転んでも笑える年頃なんだから」だった。
この時過敏性大腸症候群への効果は無かったが、薬への依存だけが残った。
母親にお金のことは気にしなくていいから大学に通って良い、と言われた。
底辺高校だったので成績と家庭の経済状況から奨学金一種も狙えたが、そう言われたから奨学金を借りなかった。
入学してすぐに「あんたを大学に行かせるお金なんて無い」と言われた。
そんなことある?それなら大学なんて行かずに就職しておけばよかったと思った。
もう大学に入学してしまったからにはここから行かない選択肢を選べるほど私は強くなかった。
利子が60万ついた。
私が大学に入る頃、ここで生活保護を抜けて、姉が看護師で働き出した。
親は姉に10万家に入れることを強いていた。私はあまり知らなかったが、手取りのうち10万も家に入れていたら働く気力なんて無くなると思う。
しかし確かにその期間姉のおかげで私達家族は生活保護を抜けて生活をしていた。
短大に入ってからは通うのに苦労した。片道バスで2時間だった。
この頃にはうつ病の症状が重く、月~土の1限から6限の必修授業についていくのが大変で必死だった。
ただ何度も休学をしたくなったり、大学を辞めたくなった。
学校のカウンセラーを利用したが、大して効果もなく、授業と授業の間に行く時間が無くなって通うのを辞めた。
栄養士として働くイメージが足りていなかったな、と今になると思う。
考えなしの馬鹿だった。
勉強も苦手で努力もできないのに奨学金という借金を背負ってまで大学に行く意味がなかった。
なんとか卒業できたが、就活がうまく行かず、結局小売の接客販売業に就職した。
実家からどうしても離れたくて地元以外の場所の店舗の希望を出したが、配属が決まったのは地元の端っこだった。
実家から店舗への距離が10km以内だったからか、通勤手当が出ず、結局店舗の近くのアパートに引っ越した。
その頃姉は結婚し、引っ越して家を出ていた。母は姉のことを「裏切り者」と罵った。
ここまで話には出してこなかったが、母方の実家の祖母は気狂いだ。
宗教に傾倒していて、そのことで近所の人や親戚に迷惑をかけまくっていた。
昔の人だから働いたこともなく、祖父のお金だけで暮らしてきた人だった。
私は祖母に友達の家に遊びに行っちゃ駄目と言われたり、祖母がたまたま私が友達の家に入っていくのを見ていたらしく、勝手に友達の家に侵入してきたことがあった。
ホラーだった。この時の友達の家の人に警察に行かれなかっただけ良かったと思う。
こういう人だから、いつ学校に不法侵入してくるか怖くてたまらなかった。
中学の時に祖父が亡くなり、母の精神がさらに不安定になり、苛烈だった母は弱い人間になってしまった。
母には妹がいたが、関東に住んでおり、祖母の面倒を見れる状況ではなかった。
そのため今も母は祖母の世話に苦しんでいる。
だから祖母の世話を任せっきりにされている母が親族を恨むのは当然だと思った。
話を戻す、新卒で入った店舗は、パワハラとセクハラが横行するブラックだった。
ドラッグストアだったのだが、笑顔と声のトーンで厳しく言われ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思って何度も泣いた。
エリアマネージャーは客の前で上司を怒鳴るし、上司も客の前で私を叱った。
また、登録販売者の資格を入社した年に取れないと晒し上げにされるようだった。
その結果は上司に送られる。
そこで結果が悪いと、休憩時間、休日も店舗に強制出勤させ、勉強をさせられた。
家に帰ってもずっと勉強をしていた。
私は馬鹿で記憶力も悪く毎回テストの点数が悪く、その度上司から叱られた。
仕事の中で棚の整理(商品がばらついてたら綺麗にする)があったのだが、遅すぎて叱られ、仕事で出来ないことがあるとその度バイトの大学生と比べられることが多かった。
店長は2つの店舗を兼任しており、ほとんど私のいる店舗にはいなかった。
店舗にはパワハラをしてくる上司二人と私だけがいる状態だった。
出勤しても上司に「その顔は何?」と言われ(普通の表情をしていただけなのだが、笑顔でいないと気に食わないらしい)、少し調子が悪そうにすると「体調悪い状態でいても迷惑だから休むなら休むで帰って」と言われるようになった。
後者はその通りかもしれないが、私は「冷たいな」と感じてしまった。
期待するな。
あまり覚えてないが、3ヶ月目には上司に辞めることを伝え、店長を交え泣きながら辞める理由を伝えた。
こちらは主にパワハラや、店長がいなくて相談できなかったことを伝えたつもりだったが、店長は「バイトと比べられるのがイヤねぇ……」そこに引っかかっていた。
「ああ、この人たちとは話が通じないんだ」と思った。
院内でいじめが横行しており、手取り13万でやることが無いか聞いてから動いているのに「やること聞いたりしなよ」と院長に言われ、毎日全身に湿疹が出て、連日救急にかかってやっていけないと感じ、3日で退職した。
辞める日は、全員がいる前で辞めることを言わされた。公開処刑だなーと思った。
生活費はカードローンを借りて自転車操業でやっていた。実家にいても生活費は無いのだった。
実家にいても親と二人で改善に向かわない、地獄のような蠱毒で暮らしてるだけになってしまうから。
生活保護は案外すんなり通った。
その頃は「うつ病」ではなく「自律神経失調症」と言われていたので、就労不可が降りなかったからだ。
しかしメンタルが安定せず、長く離れていた父親と同居することにした。
ここで生活保護を抜けた。
2年ほどだった。
父親と同居が始まってしばらくは良かったが、突然姉と叔母が家に来て、私を社会復帰させるための会議が始まった。
毎日家事をこなし、毎日2時間以上の外出をし、就労支援事業所に行き、アルバイトをし、など様々な条件を出された。
叔母の金で病院を変え、二万以上かかる謎の脳波検査で統合失調症か、躁鬱か、ADHDか、うつ病か判断する検査をした。
うつ病だった。
その後3ヶ月ほど姉たちに言われた通りの生活をした。
希死念慮がひどく、気持ちとは裏腹に体が勝手にベランダから落ちようとするのだ。
流石にそのことを姉たちに打ち上けた。
ひどく失望された。
これ以上ここにはいられないと思った。その頃父親が女性と毎晩会っていることを感づいていたこともあり、余計に居づらくなった。
通った。
生活保護を抜けては申請し、抜けては申請する人間になっていた。
色々あって、結果的に新卒の会社を辞めてから大雑把に空白期間が7年経った。
メンタルは良くなってはおらず、悪化してからずっと現状維持の状態が続いていた。
外に出るとたまになにもないのに涙が出た。家の中にいても不安で、スマホでyoutubeを流して横になっていた。
最近になって急に働こうと思いたち(今思えば究極の躁状態だったのだと思う)、フルリモートの営業を二ヶ月だけやった。
何故二ヶ月だけかと言うと二ヶ月で切られたからだ。私が無能だったのかもしれないが、ベンチャー企業だったこともあり、経営不振での派遣切りだった。
全部メールとチャットでの対応だったため、4時間ほど働けば残りの4時間は寝ていても気づかれないのだ。そういうところも駄目だったのかもしれない。
下手に二ヶ月ほど働いたため、二ヶ月だけ保護費を大きく超える給料が入り、現在保護停止状態で、国保や医療費を払っている。
ちなみに稼いだ金は二ヶ月で合計35万ぐらいだ。一ヶ月の生活費が13万のため、9万ほど手元に残る予定だった。
ここまで話していなかったが、実は私は今猫を二匹飼っている。経緯は省くが、知人から預けられた。
猫のうち片方の歯が突然抜け、病院に行ったら歯周病で治療費がちょうど9万だった。
たまたま働いていたからなんとかなったものの、働いていなかったらどうにもならなかった。
偶然に助けられた。
正直自分の世話もまともに出来ないのに何故猫を飼っているのかよくわからない。
だが大事な命だからいつまでも健康に生きて欲しい。寿命まで面倒を見たいと思っている。
不要不急の出費がなければ通常猫にかかる費用は人間に比べたら大したことなかった。
でも働いていなかったら?どうなっていたかわからない。まぁ多分病院に分割返済を頼んでいたのだと思う。
話は変わるが、中学の頃から仲良くしている友達が、30までに結婚できなかったらルームシェアをしようという話を出してきた。
欲が出た。
ルームシェアをしたいと思った。
ただそのためには生活保護ではいけないし、貯金も100万以上ないと引っ越しは難しい。
私は焦りだした。すぐに働かなければいけないと。
どこも受からなかった。
クローズ就労がほとんどだったが、一つだけ応募した障害者雇用も、3週間ほど時間をかけて待機させられたが有耶無耶になって見送りになった。
でも続かなければ意味が無いし、自分が甘えた考えの障害者だと思ってるから応募していない。
色々な企業から引っ越せば仕事があるとは言われたが、猫がいるので転居費用が出ず、無理だった。
このまま一生働くところも無いまま生活保護に甘えて生きていくのかなと思った。
今の医者には働くことは難しいと言われてるし、自分も外出ただけで意味もなく不安になり泣く病気なのでやっていける気がしない。
だけど金が欲しい、ルームシェアがしたいと思い、仕事を応募し続けている。
7年の空白期間はでかすぎた。
正直夜職やチャトレも考えたが、夜職に関しては見た目が悪くデブで喪女なので無理だしチャトレもそうだが職歴に書けないものはやっても意味がないのだ。
そもそも精神不安定な自分ができると思えない。世の中の働いてる人間は凄い。
田舎なのでまともなB型、A型作業所もなく、求人もなく、就労支援事業所も無い。
もう諦めるしかないのかな。
就労支援事業所はバスに乗れば通えるが、何度も言ってる通り外出すると精神が不安定になる。
それを考えると何もかも駄目だと思ってしまう。
フルリモートで働きたい。電話はできなくは無いが、コールセンター的なところに勤めたことが無いから続けられるかわからない。
生活保護停止がいつまで続くのかは知らないが、この状態で病院に行くことを考えると不安で無理をしたくない。
ニュースを見ると手取りが減るやらなんやら書かれてるしより不安を煽るな、と思う。
障害年金3級があるから2ヶ月に1回14万入る。だから手取りは多少低くても大丈夫だが、流石に手取り10万となると少し厳しい。
13万以上は欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。
何か今更手に職をつけたほうがいいのか、と思わないこともないがその努力も勉強もできないから今の自分があるんだと思い手が止まる。
駄目人間だ。
だけどそこから抜けて貯金できる生活をしたいと考えると途端何も出来ないと泣くだけの無能女が表に出てくる。
親も貧乏だしほぼ絶縁してるし頼るという考えはまず無い。
というかこの状態でいてもそのうち親の面倒を見なくてはならなくなるのではないか?未来のことを考えると憂鬱になる。
隣の芝生は青いというが、
せめてどれかはまともであれよと願ってしまう。
ダイエットをしたいが飯でしかストレスの発散ができない。睡眠欲も性欲も無いのに食欲だけはどれだけ体調もメンタルも悪くても人一倍はあるのが笑える。
糖尿病と診断されており、好きだった白米も食べれなくなった。まあそんなに制限してない。ソーセージなどは控えてる、程度だ。
正直どうにでもなれと思いUber Eatsを使って贅沢して飯を食い自己嫌悪する日々をここ最近は送ってる。最悪だ。何やってんだ。
本当にどうしよう。
恐らくここから辿った未来が少し前ネットで流行った「美緒48歳」なんだと思う。
誰か教えてくれ
核汚染された地球を捨て火星へ移り住んだ人類のうち、富裕層の間では防護服を来て地球に降り立ちゴルフをするのが流行っていた
主人公もゴルフをしながら荒廃した地球を歩き、やがてある場所で立ち止まる
人類の9割を見捨てて一握りだけが火星へ移る計画とは知らされないまま、かつて主人公はその地で好きな女性とまた会おうと約束して別れ、宇宙船を操縦した
移住プロジェクトに貢献した一人として讃えられるも、知らなかったとは言え好きな人を裏切って死なせた負い目があった
地球に残された人類のほとんどが死んだ中で、子供は突然変異で環境に適応し野生児として生きていた
主人公は子供と共に暮らすようになり、文字の読み書きを教え、やがて放射能に蝕まれ死んだ
仕事の際には激しく戦闘する一方で、日常はなんの刺激もなく虚無
不眠症を抱えているが薬の乱用も禁じられ、決められた眠る時間まであてどなく淡々と街を散歩する
そのマルをつけた日を迎え、男は自室で自分の頭に銃をつきつけ、自殺する
両親の離婚後、疎遠になっていた父が亡くなり、父がオーナーをしていたホテルの検分をすることになった主人公
離婚の原因は、父が主人公と同い年の当時16歳の少女レイチェルと不倫していたせい
不倫が発覚したのは、レイチェルが飛び降り自殺し、遺体から妊娠していると判明したため
ぼく「頑張りすぎて心身壊れちゃいました」
社会「頑張れ」
ぼく「安楽死させて」
これひどくないですか…?
社会は飴と鞭を使ってぼくを頑張らせました
頑張ったら褒めてくれて、頑張らない人のことは蔑んでお前もああなりたくなければ頑張れと圧力をかけてきて
うつ病になっては不眠症になって、今でも毎日夢を見ます常に身体のどこかしらが悪くて、完全には治ってないです
なのでもう安楽死させてもらいたいのですが、安楽死はダメだと言うのですがなぜなのでしょうか
自殺は成功率が低いですし、運悪く生き残ってしまって更に苦痛が増えたら最悪です
外国人の安楽死を受け入れているのはスイスだけですが、スイスも名ばかりで実際には現地に行って毒入りのコップを渡されるだけ
もちろん飲み干せないと死ねません
以前に全身麻酔を受けたのですがアレは素晴らしかったです、ふっと意識が消えて目覚めたら全てが終わっていました
あれで意識が目覚めなければ、なおよかったですね
社会の要請に応えてきたのだから、最後に私のささやかな願いを叶えてほしいだけなのに何故ダメなのでしょうか
日本尊厳死協会には加入しましたが、末期がんとかじゃないと尊厳死はさせてもらえないみたいです
残念です
生まれてこの方、朝すっきり起きれたことがない。中途覚醒と熟睡困難がひどい。
睡眠時間の確保、部屋の気温の調整、栄養バランスを考えた食事、適度な運動、寝る前はスマホは見ない、等のよくある睡眠改善策は全て試した。
しかし、依然として朝の気怠さが強く、日中も眠くてしょうがない。仕事にも影響が出てる。(コーヒーのカフェインで最低限は誤魔化してる。もちろん、半減期を考慮して午前中しか飲まない)
調べてみると、発達障害は脳がバグっているからホルモンバランスが崩れやすく、不眠症を併発しやすいらしい。
また、ストレスはコルチゾールの分泌を促し、コルチゾールは睡眠を誘発するメラトニンの生成を阻害するらしい。
つまり、不眠症→日中頭が動かずストレス発生→コルチゾール分泌→メラトニン阻害→不眠症、の地獄のループが発生している。
詰んでる。
増田は少し前に会社からの責任を押し付けられて、ダウンしてしまったんだ。
原因は自律神経失調症とのことで、いくつかの薬が処方された。
毎日このゾルピデムを就寝前にの飲み、それによって眠るというわけ。
けれど、このゾルピデムは効き方が本当にもう顕著に表れるのは飲んで数分した後の状態だ。
すぐに眠気が全身を覆いつくすようなことはなく、そのインターバルの時間にこそこの薬の真価があるのではないかと思っている。
増田は当然、これまでの人生では一度も麻薬やら大麻といった違法薬物にはこれまで一度として使用したことがない。
ちょっとした好奇心こそあったかもしれないが、罪を犯してまで行う意味があるのだろうかと普通に考えるほどには常識人で、だから服用しようとはしなかった。
増田は不眠症と診断されていたためゾルピデムを出されて、その日の夜。飲んだんだ。一錠。
ゆっくり。じぃわぁ~~~~~~と薬は効き始めてくる
この、 ①効き始めてくる → ②眠くなり眠気が強くなる
①から②までの移行には30分くらい。
でだ、本題はここから。②のこの、眠気が強くなって眠くなるの少し前の状態。
頭はひどくぼぉ~っとしていて、目は酩酊しているときのように視線が定まらうず、身体は微かに脱力してだらっとして感じる。
酒飲んでの普通の酩酊と違うのは、まずお酒を飲んでいるわけでもないので飲酒による酩酊に比べるとずっと体が健康的。
二つ目は体感としては確かに酩酊に似てる。しかしゾルピデムの場合、幻覚が見えるんだよ。それも難しいことじゃない。
何かを想像するとか、そういんじゃなくて。
何を言っているのか不明だと思うが、俺も当初じゃそうだった。
そうなんだよ。たとえば今これをモニター見ながらキーボード―打っているんだけど、この書き込むときのスペースは白が背景色であるんだけど、それがたまに動いたりするんだよ。
別に文字全体がそれで動くとか、そういうんじゃないんだよ。ふと自分の脳裏に浮かんだことがリアルタイムの遅延なしで投入されるように増田を打ちこむときの後ろの白紙背景が急にカーテンのようにゆらゆら揺らぎはじめたり、真っ直ぐに並んでいるの文字群が気付けば曲がってみてるようになる。
そんなめちゃくちゃなことが現実の、目の前で起こるのだ。
最初は非常に戸惑ったものの非常に面白いって思ったのも事実だ。これは今までの人生で体験したことがなかったことで、おそらくこれが俗にいう”トリップする” や ”とぶ”といった表現で使われるのであろう感覚なんだなってのが初めて実感できた。
これは貴重な経験で、それも合法として体験できたのは非常にラッキーだと思ってる。
そしてこれを使うと分かるのは、人間というのは簡単に幻覚を見る、ということだ。
幻覚を見ている間、ああこれは幻覚だなと思って見ているので、幻覚が見せるのは幻覚ではなくショーのようなもので、とても楽しく、まるでディズニーランドのパレードのような楽しい空間がうちの中に広がり、思わず笑ってしまいそうになる。
元々はおちんぽ注射エンジョイ勢だったのだが、子供産んだら「これは性欲なくなるわ…」と納得した
【ねぇ、おちんぽしようよ!時代】
・タイプの男と会うだけで濡れる
・日雇いちんぽに乳首愛撫されるとマジで寒気する程気持ち悪い。だが長期的ちんぽだとそれが一変。気持ちいい〜もっと吸って!
【出産後編】
・過酷育児で不眠症になったが、赤ちゃんが母乳をチューチューしてるときだけは入眠できる
・赤ちゃんが母乳を吸ってる時の感覚と、セックスで乳首を吸われる時の感覚にいくらか共通する感覚があると気づいてしまって、(というか同じ…?)自分に嫌悪した
・夫と久しぶりにキスしたら、テンション上がったのか知らんが母乳がブシャー!と出てきた
次回予告
【陽性の妊娠検査薬が売れるらしい!何に使うの?独身女が自分を捨てた妻子持ち男を引き留めるためでした!編】
【母乳出過ぎて寝起きのシーツからピチャ…と音がする。母乳パッド?いいえ紙オムツです編】
【夫の寝顔を5回蹴ったら夜泣き対応をするようになった。暴力はソリューション!編】
つづく
ニートで、いつ眠っても構わないなら全くその通りでぜんぜん大丈夫なんよ。
ところが普通の社会人は朝起きて、日中はずっと仕事していないと、生活ができない。
夜しっかり寝ておかないと、昼間、客先で会議中にうとうとしたら、大変なことになる。
だいたい不眠症っていうのは、眠いのに寝付けなかったり、少し眠って、脳が生存に必要な分だけの最小限の睡眠をとれるとすぐ目が覚めてしまう。
今まで寝てもなんども目が冷めてしまったりとか寝たいときに寝れなかったりとか睡眠の質に問題があった。
仕事にも支障でるしマイスリーだのレンドルミンだのを微量飲んで誤魔化して睡眠を調整していた。
最近、本で睡眠不足で死んだやつなどいない睡眠不足とか気にするなと書かれてるのを読んで
すると睡眠薬なしでも中途覚醒とか寝付けないとかぜんぜんなくなった。
ただ夜になっても眠くないときはほんとに寝ないので翌日仕事でも3時くらいまで夜ふかしして起きてやりたいことをやってたりする。
翌日はやはり仕事中に眠いので途中30分くらい仮眠を取ってる、仮眠を取ればだいたい回復する。
うちの子達は夜泣きがひどかった。一度泣くと、立ち抱っこユラユラ じゃないと再入眠してくれなかった。
私は赤ちゃんの「ぅぁ・・・ふぇ・・・ぎゃああああああ」という声ですぐ起きてしまうので、3時間以上続けて寝られなかった。
次第に「ぅぁ・・・」の段階で起きられるようになって「こんな小さい声で起きられる私ってすごい!これが母性本能ってやつか?」なんて思っていた。
夫は眠れるタイプのようで、真横で赤ちゃんが泣いていてもグーグー寝てるのであった。
たまに私が「抱っこ替わって」と夫を起こしたが、夫はむにゃむにゃしつつ、起きなかった。
何回起こしてもそんな感じで、一応ムクッと起き上がるものの、すぐにコテンと寝てしまう夫だった。目の前に赤ちゃんを抱っこしてる私がいるのに・・・
私は睡眠不足で、おかしくなってたが、全く自覚がないのであった。
ある夜、夫に往復ビンタと、全力の蹴りをいれた。「どうしてお前はグーグー寝てるんだああああああああ」と言いながら。
うめき声を上げながら起きた夫はちょっとキレていた。「痛いよ~。なに?(怒)」
「どうしてお前はグーグー寝てるんだああああああああ」
「蹴らなくてもいいじゃん・・・」
「おまえはどうして寝てられるんか聞いてんだあああああああ(蹴り)」
これを10夜泣きほど繰り返した後、夫はだんだんと赤ちゃんの夜泣きで起きるようになっていき、
最終的に赤ちゃんの夜泣きの初期微声「ぅぁ・・・・」だけで飛び起きるようになった。
私は重度不眠症だったので全部見てたわけだけど、その後私は初めて「赤ちゃんが泣いてることに気づかないで寝続ける」というのを経験することができた。Thank you 夫、ありがと夫。