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2024-11-10

後悔ばかりの人生

30歳になった年に、母は自ら命を絶った。

それまで、ずっと二人きりで生きてきた。

母はずっとそばにいてくるって何の疑いもなかった。

つもりだった。

だけど正直なところ、亡くなる最後の数年は、こういう最悪の事態が起こったらどうしよう…って怖かった。

ものすごく怖かった。だけど考えないようにしていた。

母が亡くなり、そのあとけいさつの方をはじめ何人かに

なんで病院連れて行かなかったの?って言われた。

責められた気持ちになった。

だって病院に行ってほしかった。

だけど、うちの力関係は、母が絶対だったから。

無理やり病院に行かせるなんてできなかったんだよ。

母の気分にはムラがあって

一定期間病院に行く→また行かなくなるの繰り返しだった。

親戚づきあい、ご近所づきあいといった人付き合いが全くなく

本当にふたりっきりだったのがダメだったんだと思う。

だけど私も非力だったから。

どうしたらいいのかもわからなくて

どう助けを求めたらいいのかもわからなくて

何もできないままただただ時間けが過ぎていった。

せめてもっとがむしゃらに働くべきだった。

家にいて母とぶつかってふさぎ込む時間もっとお金を稼ぐことに使えばよかった。

そしたら何か変わったかもしれないのに。

全部タラレバなんだけど。

ひとりになると「今」だけで言うと経済的にはかなり余裕ができて。

できることの範囲が広がって。

やっぱりお金がないっていろんなことに制限をかけるんだなぁ…って改めて実感して。

そしたらなおさら自分の稼ぎが少ないせいでお母さんを病ませてしまったのかなって

やっぱり自分のせいなんだなって

もっとやれることあったのにって

苦しくなる。

前に進めない。

失敗を糧に、なんて強くなれない。

だってもう何を頑張ってもお母さんの喜ぶ顔は見られない。

私が一番求めているものはお母さんとの幸せ生活だったのに。

心を病んでいくお母さんとは年々ケンカばっかりになっていった。

酷い言葉を浴びせて浴びせられて、お互い傷つけあって。

色々忘れてしまっていた。

今思い返すと、自分の何を犠牲にしてでも私のこと大事に育ててくれたのに。

ものすごく愛情かけてくれてたのに。

あれから数年たって

思い返されるのはお母さんと楽しく過ごした時間ばっかり。

散々ケンカして泣いてさけんで…な時間いっぱいあったのに、

いろいろ記憶が薄れてる。

脳が嫌な記憶を消そうとしてるのかな

これから人生不安で仕方がない。

どうやって一人で生きていけばいいんだろう

もういい歳だけど、もっとさらに年齢を重ねたとき自分はどんなふうに生きてるのかな。

こわい。

かにそばにいてほしい。

だけどこんな自分重たすぎると思う。無理だよね

でも本当は、母とのことも含めて私のことを受け入れてくれる人に出会いたい。

ひとりぼっち、辛すぎる。

でもこんな孤独人生になったのも自業自得だね

  • 辛かったね でも増田の所為じゃない事が多いので自分をあまり責めないでな これからの生活をお母さんに囚われずに生きることが供養になると思う 忘れろって意味ではなく一人になっ...

  • 病気による自殺はガンで病死したのと同じようなもんだろ。どうしようもないわ まあガン死だって遺族はもっとできることあったんじゃないかといろいろ思ってしまうけどな

記事への反応(ブックマークコメント)

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