はてなキーワード: iMacとは
メインメモリ容量は最低16GBに引き上げられたが、ストレージ容量は最低256GBに据え置かれ、512GBへの増量は30000円と、容量追加の価格も据え置かれた。
まだ発売されていないため、性能のグレードは不明だが、M3 Macbook pro 256GBのSSDの転送速度が3000MB/sに達していないため、PCIexpress3.0相当の接続インターフェースと推定される。
PCIexpress4.0のSSDで、原価率を50%と仮定すると、15000円で512GBクラスのSSDとして挙がるのは、Seagate firecuda。PCIexpress4.0対応としては最高級品で、Macの内蔵SSDにそれほどの性能はない。
いくら何でも高すぎだろう。何より、今や2万を切る値段で売られているミニPCでも256GBは普通で、そんなものと同じスペックからスタートというのもありえない。
「お前らみたいなろくでもないような奴らを雇ってくれる会社なんか無いと思え!」
大学の就職セミナーで就職課の担当者が放ったこの一言が俺の耳に今もこびりついている。
当時いわゆるFラン大学にいたわけで、ぼんくらであることは流石に否定しようもないが「俺らみたいな奴らは雇ってくれるだけありがたいと思わねばならない」という時代だったことがこの一言に如実に現れている。
氷河期の時代、新卒で就職するには凄まじい数の会社に挑まねばならず、失敗すれば新卒カードは使えなくなり永遠に雇用への道が閉ざされる、という時代でもあった。
そんな氷河期世代のひとつ上はどんな世代だったのか、というといわゆるバブル世代だ。バブル末期の世代と言ってもいいが、まだバブルの頃の感覚が色濃く残された人たちが我々のすぐ上にいた。
ようは景気のいい日本というのが認識の中にあり、就職なんて言うのは対して苦労せずに終わるものだと甘い考えもあった。事実バブル世代の就職活動なんて言うのはひどいもので、大学生をごっそりとハワイに連れて行って好き放題遊ばせたら雇用契約書を渡すなんて言う事までやっていたくらいに金が余って仕方がない時代だった。
そのため、この頃の人たちは就職活動の話をしても全く話が合わない。
「仕事?選ばなきゃ何でもあるじゃん!ゴミ拾いだって立派な仕事だよ!」と何回か言われたことがあるが、彼らにとってのゴミ拾いの仕事はそれでも生活が成立する仕事だということでもあるだろう(実際はどうか知らんけど)
IT革命だ。
1995年にWindows95が発売され、人々がパソコンを持つようになった時代だが、氷河期世代にとってのパソコンというのは、「オタクが持っているなんだかよくわからない機械」くらいの認識だった。
氷河期世代についていろいろといいたい人もいるだろうが、ある意味でわかりやすい時代だったと言ってもいいだろう。
要は来るIT時代にベットしておけばよかったということでもある。就職活動だけを見るならば、だが。
IT業界もこの頃に一気に火を吹いたのだが、火を吹いた業界というのは実は入るのはかんたんで、趣味でプログラム書いてましたはウェルカム、趣味でパソコンの自作してましたはウェルカム、パソコンなんか触ったことはないけどやる気なら負けません、これもウェルカムだった。
就職活動をする上で自己分析だとか一般常識だとかを必死で頭に入れていっても結局ITという爆風の前には吹き飛ばされざるを得なかった。
極端な話をするならば、時代の流れに乗ったか乗らなかったか、というものでしかなかった。
こういうことを言うと後でならどうとでも言えるとか、乗れなかった人のことを考えるべきとかいうやつらが出てきそうだが、大学にいる間から「ITやっときゃとりあえず間違いない」ということは必死で伝え、ITのバイトを紹介したりもしていたのだが、結局私を信じる人はいなかった。
ではなぜそこまで人々が乗らなかったのか、という話だが、まず、パソコンはオタクの持ち物でダサい、キモい、というような風潮はあったのかもしれない。iMacを買う人は結構いた。ボンダイブルーが良かったらしい。
次に、我々の直上の世代というのはパソコンなんかいらねーよっていう世代でもあった。ワープロはよく使っていたが、パソコンを使うなんて言うのは一部の物好きでしか無いし、パソコンが必要になる時代なんか来ないと固く信じていた、要は自分たちがこれまで通ってきた道は今後も続くと信じて疑わない人たちでもあったのだが、そういう人たちが、後輩にも「パソコン使うとか意味わかんねえわ、ホントどうかしてるよな」ということを堂々とのたまっていたので、氷河期世代は時流にのるか乗らないかを周囲に足を引っ張られながら決めなくてはならなかった。
まぁ、ブラック企業の話もあるので、乗ったから幸せかというとそうでもないのだが、乗っとけばとりあえず就職はできたんじゃないだろうか、とは思う。
飽きたので終わる。
でも98年発売のiMacは178,000円でしたよね?
これ
あと2つは?
一体型PCは、液晶モニターが故障した際に保証が切れていれば、修理代が高すぎて買い換えざるを得なくなる可能性が高くなります。
対してセパレート構成のPCであれば液晶モニターくらいは2万円くらいから選択肢があるので最悪、即日で代わりを買ってきて作業に戻れたりします。
色の違いが深刻な職種や趣味では悩みどころですが事務系や音楽系の用途であれば、問題は少なくすみます。
ですからiMacよりもMac miniのほうが買い換えずにすみやすいんですがそれではAppleの売上が低迷してしまいますから意図的に、AppleはMac miniを低価格製品として差別してて高性能志向でセパレート構成を求めるなら割高感の高いMac Proを選ぶことを要求しています。
たとえば、intelプロセッサーのMac miniではGPUがCPU内蔵GPUで、高度な3DCGなどに不利でしたしM1のMac miniでは、大量のメモリーを搭載するオプションがありません。
ですから、性能の面から長く使い続けられなくなることも無いとは言い切れません。
DTMなんかもソフトウェア音源をいろいろ使っていくとメモリー消費がすごいことになることで知られていますし安易にM1 Mac miniを選べないわけです。
そういう問題があって、多くのクリエイターはMacをあえて選ばず、ショップブランドPCのミニタワー型を選んでいたりします。
必要に応じて、後からメモリーを増設できることはこれからパソコンの活用を始めていく人にとって安心感がありますし「足りることを知る」という玄人の判断力を持たない人はAppleの望み通りに、短期間に買い替えに追い込まれることも仕方がないのがApple製品です。
80年代生まれのおっさんだけれど、恋人同士で送りあう定番なんてものはなかったと思う。
さらに上のバブル世代だとブランド装飾品なんかがいい感じのプレゼントだったんだろうか。
あるいは、ブランド装飾品はいつでもいい感じのプレゼントなんだけれど、自分も相手もそういうのに興味がなかっただけなのか。
同じく、安かろう悪かろうだったけれど、時々ハッピーセットのおまけがいい感じのだったりしたので、そういうときだけ買ってた。
ユニクロも一段落ちるレベルというイメージだったけれど、品ぞろえ豊富だからそれはよかった。
Appleはマニア向けブランドみたいな感じだったのがスティーブジョブズが帰ってきて、iMac出したあたりからおしゃれブランド認識され始めたという印象。
携帯音楽プレーヤーなんてiPodよりも安くて軽くて電池の持ちも音質もいいものなんてあの時代普通にあったけれど、すでにステータスだったから買われていたと思う。
OSもMacOSからDarwinに変わったところで潮目が変わり始めたというイメージ。単なるおしゃれブランドではなく、ハイセンスな人から技術者まで使える端末になった。
iPhoneを取り扱えるように携帯キャリア間でし烈な争いがあって、Softbankしか当初取り扱ってなかったというのもブランド戦略には寄与したと思う。
中身大して変わらないと思うんだけれど、Androidは格下みたいな感じだったよね。
キャラクタービジネスも別に昔からそう変わらないと思う。むしろ、お高く留まっているものから市中で手に入るものに変わってきていると思う。
キャラクターグッズはかつては専門店でしか見かけなかったのが、西松屋、しまむら、100均とかでも見るので、暴露率はすごく上がったなとは思ってる。
かつての若者はハイソなブランドで身を包むことでステータスを感じていたけれど、
今の若者はどこでも出会えるブランドで身を包んで安心感や快適さを得ているって感じなのかな。
経済がしぼんできたということかもしれないし、そこそこの生活でそこそこ楽しく生きられるようになったともいえるかもしれないし。
実家は太くも細くもなかった。統計年収の中央値、300万くらいは年収がある家だった。
田舎の有名企業の工場でブルーカラーとして働く父と専業主婦の母、そして私と弟ふたり。家族5人で父親が建てたマイホームに住んでいた。
勉強は田舎の公立小中学校の中ではできる方だった。テストの前に願掛けとして触らせて欲しいなんて言う同級生が何人かやってくる程度には勉強ができる人として有名だった。
高校進学の時、親は地元の偏差値30代の高校に進んで欲しいようだったが、流石にそこは嫌だったので大学進学しないということを約束にして片道1時間半かかる都会(当社比)の偏差値58くらいの高校に推薦で進学した。
まず、この高校に進学するときに約束した「大学進学はしない」という約束だったが、だんだんそれが許せなくなってきた。
周りの人がほとんど大学に進学する環境の中で、今まで頭がいいと周りからチヤホヤされてきた自分が大学に行かないのは「ない」だろうと思った。ああ、我ながら性格が悪い。
そうしたら、「女のお前が大学に行ってどうする、お前の学費は貯めてない」と一蹴された。
ならばというわけで大学進学にかかるお金を調べてみたが、国立大でも入学金20万に年間の学費で60万ほどかかるという話だった。
親の年収ははっきり聞いたわけではないが、親の愚痴などから手取りで20万ほど、ボーナス込みの年収にして300万ちょっと程度だろうとアタリをつけていた。
その状況でこの入学金と学費を出せとはとても言えないことに気がついた。
でも、この世帯年収で特別に生活に困らされたことはない。ゲーム機も買ってもらえたし、ソフトだって誕生日には1本買ってもらえた。高校生の頃にはiMacを自分のバイト代と親の援助で買うことができたのに。
だから、大学進学っていうのはお金持ちがすることなんだと気づいた。
けれどもそれで進学を諦めるほど素直な性格じゃなかった。だから、進学を反対する親とは何度もケンカをしつつ、浪人しながらバイトをして学費を稼ぎ、夜間主コースのある国立大になんとか合格して進学を決めた。
親もそこまで鬼ではなく、入学金と一人暮らしの最初の資金だけは援助してくれた。
それ以降は、昼間バイトして夕方から大学で勉強して、昼間コースの1/2で済む学費を着実に積み立て、月3万4千円の共同風呂アパートの家賃も払うという生活をしていた。
でも、大学はお金持ちが通うところという気づきは外れておらず、夜間主コースであっても学費も生活費も仕送りをもらってますって人が7割くらいだった。残り2割が苦学生で、1割が社会人学生や訳あり学生といった感じだった。
そして今、大学で出会った人と結婚して、子どももいて東京に暮らしている。
区の平均世帯年収は800万くらいらしいし、うちも平均世帯年収に引けをとっているわけじゃないので、子どもの学費はよっぽどのことがない限り問題なく出せるだろう。
こういう世界に住んでいると、大学進学くらい当たり前という感覚にもなってくる。
しかし、本当はそれはとても贅沢なものなのだ。私はそれを知っている。
知っているはずだが、卒業から何年も経った今、その感覚を忘れようとしている。
実家は決して太かったわけではないが、細くもなかった。
それなのに、私の実家が貧しかったと思わされてしまう世界が存在する。
これを読んでくれている人がどの階層の人かは分からないが、多分私のように階層を移動したことがない人だと思う。
だからもしかしたらこの結論が分からないかもしれない。私もうまく表現できている気がしない。
だけれども、この日本にある「大学に通うのに困らない」人々と「普通にしてたら大学に通えない」人々の格差のこと、少しでも気にしてもらえると嬉しい。
海外でApple Vision Proのレビューが続々と投稿されている。
概ね「AR/VRヘッドセットとしては史上最高のクオリティ」だけど「それでも明確に限界はある」という感じか。
下手に現実に近いからこそ「現実と比べるとこんなに駄目なところがある」という見方になっている。
Vision ProはMacやiPadの代替であって、スマホの代替ではないし、VRゲーム機でもない。
コンセプトどおりの利用方法、すなわち在宅でコンセントに繋いだまま、
Macの外部ディスプレイとして使いつつ、その左右の空間にいくつもiOSアプリを浮かべる、
という使い方をするかぎりは、なかなか上手くいきそう。
ただMacの外部ディスプレイとしては一画面しか出せないのが残念。
ソフトウェアキーボードが一本指打法でしか使えないのは事前情報どおりだが、
「視線でキーを選択してクリックする」入力ができるというのは新しい材料。
思った以上に駄目そうなのがEyeSight。ソフトウェア的な改善で何とかなるだろうか。
そもそも一人暮らしならEyeSightは無用の長物なのだが、とはいえ外したところで大して価格は下がらんだろうしな。
重さの問題は、素材の変更が手っ取り早いが、どうするかなあ。
昔はポリカーボネートデザインだったわけだしそれに回帰すればいいじゃんとは思うが。
価格が最大の問題だが、まあそもそもiMacが最低価格20万円なんだから、
それを小型化してセンサーもマシマシにしたものが30万円以下になるわけないんだよな。
Apple Vision Proの体験を維持するなら「高密度のマイクロOLEDパネル」と「大量の各種センサー」に「それを処理するプロセッサ」は必須で、
それらが価格の大半を占めているんだろうから、どうやっても安くはならなさそう。
まあVision ProはあくまでPCなんだから、iPhoneみたいな「一人一台」なんて普及は目指してなくて、
最大でも年間数百万台くらい売れればOKという感じなんだろうかな。
そもそもUSBという規格が広まったのはAppleが初代iMacに搭載したから。
さらにUSB Type-Cに限っても、Appleは規格の策定に多大な貢献をしているし、2015年からいち早く新型Macに採用してその普及にも貢献している。
USB Type-Cが生まれたのも広まったのもAppleのおかげ。
AndroidユーザーどもはApple様がもたらした恵みを咽び泣きながら受け取るべきなんだよな。
ちなみに無線充電規格のQi2もAppleのMagSafeベースなので「俺はケーブルを使ってないからセーフ」と思ってる奴もアウトな。
https://twitter.com/gamerobotlov/status/1682435734320607232
#NECアベニュー は
これには一般オタク老人会からも総ツッコミ、さらにPCエンジン関連の開発者たちがツッコミ。
https://twitter.com/Shingi/status/1682503628479946758
https://twitter.com/hor11/status/1683076902591037440
https://twitter.com/snapwith/status/1683084722354917377
もちろん「この影響で」というのは当時を知っている人間であれば完全なガセであり否定されて然るべきものなのだが、このオッサンが一切認めようとしない。
いわく「80年代からPC-88/98が圧倒的シェアだったと言ってもそれは一部の富裕層オタクだけのもので、一般に普及したのはWindows95以降だから間違ってない」だの「2000年にNECのシェアが高かったのはネットの記事にそう書いてある」だの、まあ一部の視点については完全には間違ってはいないんだが、肝心の「PCエンジンの影響で」という部分がソースもなにもない思い込みなのだから始末に負えない。
そもそもWindows95以降に爆発的に一般層に普及したといっても、まだまだPCは業務用のものであり、コンソールゲーム機の影響でPCが売れるなんてことは仮にもなかった。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010222/idc.htm
オッサンが挙げていたこちらの記事においても、出荷実績1,400万台中家庭向けは約50%の724万台だったという。
シェアトップ3のNEC、富士通、日本IBMといえばビジネスPCの御三家であるから、台数のうちかなりの割合が業務用だろう。
家庭用のうちNECのシェアがどのくらいあったかだが、これがWindows以前のPC-98全盛期なら90%くらいあったんじゃないだろうか。体感だけど。
Windows以降になると、NECはPC98-NXというAT互換機に移行するのだが、他の互換機との差別化は難しいため埋没していく。
それでも広告や店頭販促はかなり打っていたので雑誌やショップで見かける機会は多かったが、NECがシェアを取っていた感覚はまったくない。自分の周囲を見てもほとんどがソニーのVAIO、でなければソーテックやコンパックあたりの廉価機だったと思う。iMacが爆発的に売れたAppleのシェアも無視できないほどあったように思い出される。
さらにいうと、2000年頃は自作ブームだったのだ。98年頃のCeleron 300AやK6-2ブームを経て、2000年頃はPentiumIIIやAthlonが流行だった。メーカー製PCを買うより圧倒的に安く組めたので、自分もこの頃は自作機だった。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20001122/nmb14.htm
こちらの記事によると自作PCが市販PCより2倍も多かったとある。PC Watch読者だからある程度マニア層のアンケートとはいえ驚きである。
ということで、「90年代、2000年代はNEC製PCが凄く人気でした」というのも家庭向けに関してはかなり怪しいし、ましてそれがPCエンジンの影響であるなんてことは誰が聞いても「?」となる話なのである。
前述の通り90年代前半ならPC-9801/21のシェアは圧倒的だったはずだが、本人が「PC-88/98はマニアしか買ってないから論外」って言ってるんだから除外すべきだろう。
なぜ(当の開発者たちに否定されてまで)PCエンジンのおかげでNECのPCが売れたことにしたいのかはわからない。話が通じないから深掘りすることもできない。
自分のチャンネルに誘導したいから炎上上等なのかガチなのかはわからないが、あまりの無敵ぶりに開発者たちも苦笑いしながら撤退するしかなかったようだ。