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2015-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20151210164641

NATROMと言います。それなりの規模の病院勤務医です。臨床医20年ぐらいやっています。多くの医師と働く機会がありましたが、その中でも臨床医としてもっとも優れていると私が思っている先生は、現在、病床がない診療所の院長をしています。仮に山田先生しましょう。

大学病院総合病院にも優れた先生尊敬できる先生はたくさんいます特定の専門分野に限れば、おそらく日本でも有数の医学者と言えるような。でも、臨床の場で、診断がついていない患者さんがかかるプライマリケア現場では、優れているとは言い難いのです。

たとえば、胃がん診療に力を入れ、そこら中から胃がん患者さんが紹介されてくる、胃がん治療では日本で一番というような医師がいたとしましょう。その医師は、「胃のあたりがなんとなく不快」と訴える患者さんに対して、必ずしも正しい診療ができるでしょうか?

上部消化管内視鏡検査をして患者さんが胃がんでなかったら、熱意や興味が乏しくなるというか、診療に力が入らなくなるのではないでしょうか。というかそもそも、その患者さんに上部消化管内視鏡が本当に必要なのかどうか、「胃がん名医」は正しく判断できましょうか。「とにかく胃がんかどうか知りたい」「胃がんを見落としたくない」ことを優先して、過剰な検査をする傾向はないでしょうか。

プライマリケア現場で、上腹部不快感患者さんに対して、上部消化管内視鏡検査を行うべきかどうかというのは、実はかなり難しいのです。「最近体重が減ってきている。最近便が黒い。そういや親父は胃がんだった」という60歳男性で、眼瞼結膜に貧血が認められたら、これはもう絶対的に上部消化管内視鏡検査適応です。

それでは、「食欲はある。1年前にも同じような症状で胃カメラをしたけど胃炎と言われた。そのときはなんか薬を飲んだらよくなった」という30歳の男性ならどうでしょう。私だったら、胃がんの可能性は否定できないもののきわめて低いとご説明し、患者さんが強く希望しなければ検査しません。実際は、この両極端の間の患者さんがいくらでもやってきます

プライマリケア現場では上腹部不快感に限らずありとあらゆる症状の患者さんが来ますので、ありとあらゆる病気の可能性を考えなければなりません。しかしそれは、ありとあらゆる検査をしなければならないということではなく、病気の可能性・重篤度と検査の侵襲性・コストを天秤にかけて、検査必要性評価しなければなりません。

検査をする決断よりも、検査をしない決断のほうが難しいのです。最初言及した山田先生は、きちんと根拠を持って、検査しないという決断をしておられました。大学病院ではこうした臨床方針はあまり教えてもらえませんでした(今では違うと思いますが)。見落としがないよう、広く検査を行うことが許容されていました。「なぜこの検査をしない」と怒られることはありましたが、「なぜこの検査をした」と怒られることはあまりありませんでした。

私もプライマリケア外来に出ています山田先生目標として診療をしていますが、いつでも検査ができるという環境の中にいるせいか、おそらくは検査過剰となっています。正直、見落としが怖いのです。正しい診療を行っても、一定割合で誤診は生じます。それを咎めると、責任回避のために患者さんの利益にならない過剰な検査が行われるようになります。というか、今現在、そうなっています

ときに、山田先生から患者さんを紹介されることがあります入院依頼であったり、検査依頼であったりします。山田先生にも誤診はありますCTMRIもない、採血結果も即日出ない環境診療しているから当然です。誤診があるといっても、私の知る限りでは、山田先生が致命的な誤診をしたことは一度もありません。結果的山田先生見立てが間違っていたとして、それは私のほうが腕がいいからではなく、検査をしたからです。そしてその検査必要だと判断して紹介してきたのは、山田先生です。

山田先生はとびぬけて優秀な事例であり、一般化はできません。とんでもなくヤブな開業医もいます。ただ、それを言ったら、総合病院にもとんでもなくヤブな勤務医もいます。平均するならば、プライマリケアに限れば、開業医のほうが勤務医よりもレベルが高いと思います。私も含めて、多くの医師山田先生レベル診療ができるようになるのが理想です。不十分ではありますが、いろいろな努力もなされています医療の不確実性や、総合病院診療所役割分担について、ご理解のほど、よろしくお願いします。

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