NHK相撲解説者の竹沢勝昭氏が亡くなっていたことが20日、分かった。82歳だった。関係者によると秋場所後に体調を崩して、入院していた。12月に都内の八角部屋でお別れ会を予定している。

数年前の名古屋場所。北の富士さんと関係者入り口で出会うと「いつが空いてる? お返しするよ」と声をかけられた。前の夏場所に「親方衆も振り返り、あこがれる粋な存在」というコラムを書いた。本人は知らなかったが、知り合い数人から伝え聞いたそうだ。数日後に歓楽街「錦三」をはしごし、笑い通しの時を過ごした。

話術は角界一、二だった。裏もいろいろある世界。面白い人は多いが、自慢する人が多い。北の富士さんは記者でも持ち上げる。今風で言えば盛っている感はあるが、まさに軽妙洒脱(しゃだつ)だった。

男ばかりだと「むさ苦しい」と、知り合いの女性を呼んで華を添える。知り合いを見かけると、ちょっと一杯お酌する。気遣いもさりげなく、自然で気取りがなかった。

「ネオン無情」で歌手デビューし、50万枚を売り上げた。断髪後にタキシード姿で登場した第1号で、土俵に上がって持ち歌まで披露した。プレーボーイとも呼ばれた人気横綱。当時は新人類と言える存在だったが筋が通っていた。

近年はまぶしいぐらい色鮮やかな着物が多いが「ちんどん屋」とバッサリ。本人は渋い着物姿で解説し、ラジオの日は一転してジーンズ。飲み会には阪神金本元監督のスタジャン姿で現れる。ウオーキング姿すらダンディーで格好よく、記者も振り返ってしまった。

角界の看板とも言われた審判委員が長く、部長も8年務めた。打ち出し後に取材に行くと「ちょっと待ってて」。机に向かってペンをスラスラ走らせてから話してくれた。内容もズバリ辛口で一刀両断、時には柔らかくユニーク。近年は執筆後の食事放浪記の落ちが楽しかった。

親方衆はサウナ好きが多く、以前は場所中の空き時間に出掛ける親方も多かった。北の富士さんは名古屋ではホテルのプールで日光浴。やっぱり違った。趣味のゴルフも、不調だとラウンド途中で「きょうはやめた」と一人だけ先に帰ることも。物事にこだわらず、思いのまま、明るく楽しく面白い、忘れられない人になった。【日刊スポーツOB河合香】