角界のご意見番だった元横綱北の富士氏が逝った。NHK相撲解説者の北の富士(本名・竹沢)勝昭氏が亡くなったことが20日までに分かった。82歳だった。


【写真館】元横綱北の富士さん死去 横綱として、派手な行動で逸話に事欠かず/2


北の富士写真館

「角界のご意見番」

北の富士氏(2022年7月24日撮影)
北の富士氏(2022年7月24日撮影)
二所ノ関一門連合稽古に出席した北の富士氏(2020年1月8日)
二所ノ関一門連合稽古に出席した北の富士氏(2020年1月8日)
横綱審議委員会稽古総見の北の富士氏(2019年5月6日)
横綱審議委員会稽古総見の北の富士氏(2019年5月6日)
北の富士氏(右)は笑顔で横綱審議委員会稽古総見の力士たちの取り組みを見つめる(2018年5月3日撮影)
北の富士氏(右)は笑顔で横綱審議委員会稽古総見の力士たちの取り組みを見つめる(2018年5月3日撮影)
高砂一門感謝の集いでトークショーに出演した北の富士さん
高砂一門感謝の集いでトークショーに出演した北の富士さん
稽古の取材に訪れたNHK解説者の北の富士さん(右)と白鵬(2011年1月5日)
稽古の取材に訪れたNHK解説者の北の富士さん(右)と白鵬(2011年1月5日)
朝青龍の朝げいこを視察し報道陣の質問に答える北の富士氏(2008年1月7日)
朝青龍の朝げいこを視察し報道陣の質問に答える北の富士氏(2008年1月7日)
NHKのブースで北の富士氏(右)と共に解説席に座る室伏広治(2004年9月22日撮影)
NHKのブースで北の富士氏(右)と共に解説席に座る室伏広治(2004年9月22日撮影)

還暦土俵入り

元横綱・北の富士は珍しいホテルで還暦の土俵入り(2002年2月23日)
元横綱・北の富士は珍しいホテルで還暦の土俵入り(2002年2月23日)
元横綱・北の富士は、珍しいホテルで還暦の土俵入り。最後は歌まで披露(2002年2月23日)
元横綱・北の富士は、珍しいホテルで還暦の土俵入り。最後は歌まで披露(2002年2月23日)
元横綱・北の富士は、珍しいホテルでの還暦の土俵入りを行った(2002年2月23日)
元横綱・北の富士は、珍しいホテルでの還暦の土俵入りを行った(2002年2月23日)
元横綱・北の富士勝昭氏(中央)はかつての弟子の九重親方(元横綱千代の富士、左)と八角親方(元横綱北勝海、右)の元横綱を従え、還暦を感じさせない力強い土俵入りを披露する(2002年2月23日)
元横綱・北の富士勝昭氏(中央)はかつての弟子の九重親方(元横綱千代の富士、左)と八角親方(元横綱北勝海、右)の元横綱を従え、還暦を感じさせない力強い土俵入りを披露する(2002年2月23日)
元横綱・北の富士氏は土俵入りで還暦とは思えない筋肉隆々の体を披露した(2002年2月23日)
元横綱・北の富士氏は土俵入りで還暦とは思えない筋肉隆々の体を披露した(2002年2月23日)

九重親方として

引退した若乃花の断髪式に出席した元横綱の北の富士氏(2000年9月23日)
引退した若乃花の断髪式に出席した元横綱の北の富士氏(2000年9月23日)
断髪を終え涙をぬぐう58代横綱千代の富士(右=のち九重親方)、左は師匠の九重親方(52代横綱北の富士)。断髪式には1万1000人が集まり、371人がはさみを入れた(1992年2月1日)
断髪を終え涙をぬぐう58代横綱千代の富士(右=のち九重親方)、左は師匠の九重親方(52代横綱北の富士)。断髪式には1万1000人が集まり、371人がはさみを入れた(1992年2月1日)
部屋に戻り祝杯を挙げる14勝1敗で2場所ぶり30度目の優勝を飾った横綱千代の富士、右端は師匠の九重親方(52代横綱北の富士)(1990年1月21日)
部屋に戻り祝杯を挙げる14勝1敗で2場所ぶり30度目の優勝を飾った横綱千代の富士、右端は師匠の九重親方(52代横綱北の富士)(1990年1月21日)
優勝額贈呈式に出席した初場所優勝の千代の富士(左)と春場所優勝の北勝海(右)、九重親方(中央=52代横綱北の富士)も加わり九重V10を祝う(1987年5月9日)
優勝額贈呈式に出席した初場所優勝の千代の富士(左)と春場所優勝の北勝海(右)、九重親方(中央=52代横綱北の富士)も加わり九重V10を祝う(1987年5月9日)
東宝「連合艦隊」完成披露試写会に招かれた九重親方(本名・竹沢勝昭、52代横綱北の富士)、左後方は新横綱千代の富士(1981年7月22日)
東宝「連合艦隊」完成披露試写会に招かれた九重親方(本名・竹沢勝昭、52代横綱北の富士)、左後方は新横綱千代の富士(1981年7月22日)
8000人の町民が詰め掛ける中、九重親方(左=52代横綱北の富士)と町内をパレードする新大関千代の富士(1981年2月10日)
8000人の町民が詰め掛ける中、九重親方(左=52代横綱北の富士)と町内をパレードする新大関千代の富士(1981年2月10日)

現役時代の一幕

大相撲名古屋場所 3日目 理事会で引退、年寄井筒襲名を承認された52代横綱北の富士(左)は、師匠の九重親方(41代横綱千代の山)と記者会見、分家独立を発表した(1974年7月9日)
大相撲名古屋場所 3日目 理事会で引退、年寄井筒襲名を承認された52代横綱北の富士(左)は、師匠の九重親方(41代横綱千代の山)と記者会見、分家独立を発表した(1974年7月9日)
初場所初日、鋭い目線でカメラを見つめる横綱北の富士(1974年1月6日)
初場所初日、鋭い目線でカメラを見つめる横綱北の富士(1974年1月6日)
北の富士(右)は進退をかけた秋場所で関脇貴ノ花を上手投げで破り14連勝、14日目で9度目の優勝を決めた(1972年9月23日)
北の富士(右)は進退をかけた秋場所で関脇貴ノ花を上手投げで破り14連勝、14日目で9度目の優勝を決めた(1972年9月23日)
鬼気迫る稽古のあとは気分転換にホウキを持ってゴルフの練習、表情には余裕がうかがえる横綱北の富士(1972年5月9日)
鬼気迫る稽古のあとは気分転換にホウキを持ってゴルフの練習、表情には余裕がうかがえる横綱北の富士(1972年5月9日)
ゴルフを楽しむ北の富士(1972年5月8日)
ゴルフを楽しむ北の富士(1972年5月8日)
稽古場の隅で一息つく泥だらけの北の富士(1972年5月8日)
稽古場の隅で一息つく泥だらけの北の富士(1972年5月8日)
九州場所初日を翌日に控え本場所用の締め込みをつけ、若い者とプロレスごっこに興じる横綱北の富士(1971年11月13日)
九州場所初日を翌日に控え本場所用の締め込みをつけ、若い者とプロレスごっこに興じる横綱北の富士(1971年11月13日)
全勝優勝から一夜明けの横綱北の富士「これからも、ずうっと、この波に乗れますように」と浅草観音に祈願(1971年5月24日)
全勝優勝から一夜明けの横綱北の富士「これからも、ずうっと、この波に乗れますように」と浅草観音に祈願(1971年5月24日)
初の15戦全勝で5場所ぶり6度目の優勝を飾り、部屋へ帰った横綱北の富士は九重親方(左=41代横綱千代の山)夫妻から祝福を受ける(1971年5月23日)
初の15戦全勝で5場所ぶり6度目の優勝を飾り、部屋へ帰った横綱北の富士は九重親方(左=41代横綱千代の山)夫妻から祝福を受ける(1971年5月23日)
14連勝、14日目で2場所ぶり7度目の優勝を決めた横綱北の富士は、部屋へ帰り九重親方(41代横綱千代の山)夫妻の祝福を受ける(1971年9月25日)
14連勝、14日目で2場所ぶり7度目の優勝を決めた横綱北の富士は、部屋へ帰り九重親方(41代横綱千代の山)夫妻の祝福を受ける(1971年9月25日)

ロッテ対阪急 始球式

ロッテ対阪急の始球式を行う羽織袴姿の北の富士(1973年4月20日)
ロッテ対阪急の始球式を行う羽織袴姿の北の富士(1973年4月20日)