ついに1ドル155円台へ突入し、約34年ぶりの大幅な円安となっています。外国人旅行者が喜ぶ一方で、日本人が苦しい生活を余儀なくされる現実を突きつけられる結果に。そもそも自国通貨の下落で栄えた国はありません。「円安は全体としてみれば日本経済にプラス」と言って国民を騙してきた政府・日銀の責任が問われます。(『 マンさんの経済あらかると マンさんの経済あらかると 』斎藤満)
※有料メルマガ『マンさんの経済あらかると』2024年4月22日号の一部抜粋です。ご興味を持たれた方はこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:斎藤満(さいとうみつる)
1951年、東京生まれ。グローバル・エコノミスト。一橋大学卒業後、三和銀行に入行。資金為替部時代にニューヨークへ赴任、シニアエコノミストとしてワシントンの動き、とくにFRBの金融政策を探る。その後、三和銀行資金為替部チーフエコノミスト、三和証券調査部長、UFJつばさ証券投資調査部長・チーフエコノミスト、東海東京証券チーフエコノミストを経て2014年6月より独立して現職。為替や金利が動く裏で何が起こっているかを分析している。
「円安はプラス」という誤った認識
34年ぶりという1ドル155円台の大幅な円安がはびこり、外国人旅行者が喜ぶ一方で、日本人が苦しい生活を余儀なくされる現実を突きつけられています。
この状況を目の当たりにして産業界からも円安は困る、との声が上がるようになり、ワシントンでの日米韓財務相会合で、急激な円安、ウォン安が問題だとの認識を共有しました。
日本の自国通貨安をプラスとしてきた為替に対する誤った認識がようやく修正されようとしています。
バブル崩壊後の日本経済の停滞を円高のせいにして、アベノミクスは大規模緩和による自国通貨の下落、つまり円安を利用して日本経済(企業)を活気づけようとしました。
ところが、企業は円安で容易に利益を上げられた一方で、多くの国民が長い間価値の低下した円通貨のもと、生活水準を大きく低下させるという負担を強いられることになりました。
円高デフレのウソから始まった
ニクソンショック以降、日本経済は約20年の間、円高傾向の中で繁栄してきました。
80年代後半には強い円が米国の象徴的なビル買収を可能にし、ハワイも買えると豪語する向きもありました。ここまでは円高で日本は強さを世界にアピールしました。
ところが、90年にバブルがはじけてその後資産デフレ、バランスシート不況に陥ると、日本は「失われた10年、20年」を余儀なくされ、長期停滞局面に入りました。銀行の不良債権処理の遅れ、対応の間違いを棚に上げ、時の政府は経済停滞の責任を円高、並びにこれを放置した日銀に押し付けました。
ここに「円高デフレ」という言葉が不用意に使われ、メディアもこれを無批判に使いました。
経済停滞の原因はパブルの崩壊と資産デフレ、バランスシート不況にあり、それを生んだ80年代のバブル政策だったのですが、病根にはメスが入らず、「円高デフレ」が敵視され、安倍政権は日銀に異次元緩和を求め、ひたすら円安誘導を進めました。
実際には円高で日本がデフレに陥ったことはないのですが。それでも大規模緩和で円安株高が実現したために、「アベノミクスの成果」と喧伝されました。