年が明けた。2024年が始まった。年明け早々、能登でマグニチュード7.6という阪神淡路大震災に匹敵する規模の地震が発生したかと思えば、2日には日本航空の旅客機が海上保安庁の航空機と衝突し炎上するという前代未聞の事故が発生した。こうした出来事を見ると、日本にとっての2024年は厳しい年になることを予感させる。阪神淡路大震災が起こった1995年にシンクロした年になるかもしれない。(『 未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ 未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ 』高島康司)
日本の2024年は1995年とシンクロしているのか?
日本の2024年が1995年にシンクロしている可能性について解説したい。
1月1日16時10分、石川県能登半島を震源地とする令和6年能登半島地震が発生した。最大震度7を記録した地震の規模を示したマグニチュード7.6、石川県に東日本大震災以来となる大津波警報も出された。
地震の種類は内陸型の逆断層型だった。北海道から九州まで揺れを観測している。内陸・逆断層型の地震では阪神淡路大震災(M7.3)、熊本地震(M7.3)を超える規模となった。震度1以上の余震が何度も発生しており、現在も揺れが収まっていない。気象庁も1週間程度は余震による家屋倒壊などの被害に警戒を呼び掛けている。
この予想外の地震が起こった翌日の2日の午後6時前、羽田空港で、新千歳空港から羽田空港に向かっていた日本航空516便が、着陸した直後に海上保安庁の航空機と衝突した。この事故で海上保安庁の機体に乗っていた6人のうち、5人の死亡が確認されたほか、日本航空516便の乗員・乗客のうち14人がけがをしていることが確認された。この事故について、警視庁は業務上過失致死傷の疑いで詳しい経緯を捜査している。
正月早々に起こったこれらの出来事は、日本の2024年がことのほか厳しい年になるのではないかと我々に予感させた。 このメルマガ このメルマガ の読者も、このように予感した方々は多いのではなかろうか?特に根拠があるわけではないが、筆者は日本の2024年は1995年に、もしかしたらシンクロしているのではないかと直感した。
これはなんらかの理論やモデルをベースにした予測ではない。筆者の直感にしかすぎない。しかしいま、論理的な予想を越えたブラックスワンによって変化が立て続けに起こっているので、論理ではなく直感に基づく判断もそれなりに許されるべきなのではないかと思った。普段は実証可能な事実やデータに基づく記事を書いているこのメルマガだが、たまにはこうしたアプローチもよいのではないかと思う。意外に直感が当たっている可能性もある。
歴史にはトラジェクトリー(軌道)が存在している。それは、ある特定の出来事や事件を起点として、さまざまな出来事が連鎖的に、またはときにはシンクロして同時並行的に起こり、社会をある方向へと動かして行くステップのようなものである。1995年は、現代までの長い停滞期の起点となった年である。この年に起こったことが、その後の日本の歴史の方向性を定めたのだと言ってもよいだろう。もしかしたら、2024年が1995年と同じような起点の年になるのではないかという予感なのだ。
1995年と似てくる日本の2024年
このメルマガ このメルマガ の読者の中にも、筆者と同様の思いの人もいるかもしれない。では1995年が、軌道を定める起点の年になったということがどういう意味なのか、確認する。これを見ると、2024年の状況が1995年に似ている部分が多いことに気づく。1995年と聞くと、やはり最初に頭に浮かぶのは阪神淡路大震災である。1995年1月17日、午前5時46分、兵庫県南部を中心に最大震度7の地震が発生した。マグニチュードは今回の能登地震よりも小さい7.3であった。この地震は、その後の日本の方向性を決定する決定的な転換点になった。
まず、バブルが崩壊を始めた1990年始めから日本経済は下降を始め、1993年にはGDP成長率はマイナス0.5%まで落ち込んだ。これはバブルの頂点であった1989年の6.2%から6.7%の下落である。しかし、1994年から95年にかけて経済は徐々に回復し、94年には3.2%、95年には2.9%と回復基調にあった。しかし、阪神淡路大震災後、当時の橋本政権の緊縮財政政策もあって、96年から97年にかけてマイナス成長に転落した。
この結果、日本人のマインドは大きく変化した。1994年までは多くの日本人は時間が経てば景気は回復し、バブル期のような状態に戻ると思っていた。しかし、阪神淡路大震災とその後の景気後退は、この希望を消し去ってしまった。
しかし、その後にもショッキングな出来事が起こった。阪神淡路大震災とは直接的な因果関係はないものの、同時期に発生したシンクロ的な出来事だった。それは、いまも記憶に生々しいオウム真理教による地下鉄サリン事件であった。それは、大規模な都市型テロであった。1995年から翌年の96年にかけて、オウム真理教事件で社会は騒然とし、その考えられないような組織の実態が暴かれ、国民を驚愕させた。
これらの出来事が連鎖した結果、あの華やかなバブル期には絶対に戻ることはできないという諦めが日本人のマインドとなった。先の見えないトンネルに入ったような実感である。
そして、この悲観的な実感は、1997年に起こった日本型の金融ビッグバンである日本拓殖銀行を中心とした地方の金融機関の破綻、さらに業界大手の山一証券の破綻となって確認された。すでにその頃には銀行の不良債権問題から企業融資の貸し渋りや、融資の即刻の返済を迫る貸しはがしが横行し、日本経済はさらに低迷した。
企業はこの状況に対処するため、伝統的な終身雇用と年功序列制のシステムを捨て、大規模なリストラに乗り出した。この結果、膨大な失業者が生まれた。1999年になると日本の自殺率は年間で3万人を突破し、バブル期の1万人台の3倍にもなった。しかし、これだけのリストラを行いながらも企業は低迷し続け、2001年になってもGDPはマイナス0.1%であった。