2024年12月8日、シリアでアサド政権が崩壊した。シャーム解放機構(HTS)が11月27日に北部の要衝アレッポへの攻勢を開始してから、12日間での首都陥落という急展開だった。
これによって、1970年にクーデタで実権を掌握したハーフィズ・アサド時代から、息子バッシャール・アサド前大統領まで2代に亘り、50年以上続いてきたアサド政権支配に終止符が打たれた。
政権批判した者らを「政治犯」として拘束・弾圧したといわれてきたサイドナヤ刑務所では、ジャーナリストらによって劣悪な環境が白日の下に晒され、「10万人以上」ともいわれる行方不明者らの遺体の存在が徐々に暴かれるなど、強権支配の内実に胸の痛む思いである。
今般のシリア政権崩壊は広範な地域・国際的影響を与えると考えられるが、なかでも大きな影響を受けるのがイランである。イランは長らくアサド政権を支えてきており、特に、「アラブの春」がシリアに波及した2011年以降、関与を強めてきた。その意味では、イランは今次の動きでの敗者の筆頭格ともいえる。シリア政権崩壊はイランに一体どのような影響を与えるのだろうか?
イランにとっての戦略的要衝シリア
そもそも、イランにとってシリアは様々な点で重要な意味を有しており、主に以下4点からそれを説明したい。
第1に、イラン・シリア両国は歴史的に良好な関係にあった点である。1979年2月に革命が成立したイランは、1980~88年に隣国イラクとの戦争(イラン・イラク戦争)を経験したが、孤立無援ともいえるこの戦争の中で、当時シリアとイラクの関係は良好ではなかったことなどから、アラブ諸国の中で唯一シリアはイラン支持にまわった。
第2に、テロ対策面で、シリアはイランにとって重要な安全保障上の意味を持った。2011年以降、民衆からの抗議運動でシリア国内が混乱する中、「イスラム国」(IS)は混乱に乗じて実効支配領域をイラク・シリア領内で拡大し大きな脅威となった。イラン政府の各種声明では、ISは「タクフィール主義者のテロリスト」と呼ばれる。タクフィール主義とは、特定の人物・集団を不信仰者であると判断することを指す。イランにとってみれば、シーア派信徒であるというだけで不信仰者とみなされ標的にされるということであり、IS掃討はイランにとって国家安全保障上の重要課題となった。
第3に、シリアは「抵抗の枢軸」の一角として、パレスチナのハマスや、レバノンのヒズボラへの兵站供給路となった経緯がある。「抵抗の枢軸」とは、イラン・イスラム革命防衛隊が周辺地域での活動展開を進める過程で育成した非国家主体ネットワークを指し、主に、パレスチナ、レバノン、シリア、イラク、イエメンで活動を展開している。アラブ側で「シーア派の三日月」ともいわれたこのネットワークは、イランが抑圧者とみなすイスラエルへの前方抑止(forward deterrence)の機能を担っている。イランとしては、この「抵抗の枢軸」を維持することが外交・安全保障上重要である。
第4に、イラン・シリア間での宗教的紐帯も見逃せない。ダマスカス近郊にある、預言者ムハンマドの孫娘の廟であるサイイダ・ザイナブ廟は、シーア派信徒が参詣する聖廟として知られる。2011年以降、革命防衛隊が各地から民兵を動員する過程では、アフガニスタンやパキスタンからの参戦もみられたが、このサイイダ・ザイナブ廟を始めとするシーア派聖廟を守り、殉教すれば「シーア派聖廟の守護者」としての称号が付与されることは戦闘員らにとっての大きな魅力だった。
以上のように、イランは複数の理由からシリアを戦略的に重視し、徹底的にアサド政権死守の方策を講じてきた。
シリア政権崩壊過程での「国際的側面」とイランの対応
このようにイランにとって戦略的要衝のシリアだが、2024年11月27日のアレッポ攻撃開始から、12月8日のダマスカス制圧までの過程において、イランはどう対応したのだろうか。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。