イランの戦略変化の背景――「戦略的忍耐」修正とロシアへの傾斜を手がかりに
本稿の関心は、イランは戦略を変化させたのか、そうであるとすれば変化の背景は何かの考察にある。
このような問いを立てる理由の一つは、4月13日夜、イランが史上初めてイスラエル本土に対し、300発以上のミサイル・ドローンを用いて報復攻撃を仕掛けたことである。イランがイスラエル側に事前通告していたこと、並びに、人口密集地を避けイスラエル側に死者を生じさせなかったことに鑑みれば、イランの行動は抑制的だったといえる。
他方、イスラエル本土に直接攻撃を仕掛けた点では、これまでの「戦略的忍耐」から逸脱したとみなすこともできる。さらに、イラン政府高官から核ドクトリンの修正を仄めかす発言も聞かれる他、エビラヒム・ライシ大統領がヘリコプター墜落事故で不慮の死を遂げるなか次期大統領選挙が6月28日に予定されるなど、イランの今後の動向が世間の耳目を集めている。
イランの「戦略的忍耐」とは何か
はじめに、イラン体制指導部(ここではアリ・ハメネイ最高指導者と治安機関・宗教界から成る中央権力を指して用いる)にとっての戦略(strategy)とは何かについて考えよう。
そもそも戦略とは、国家が高次の政策目標を定義し、国際システムと力の配分の理解を前提に目標達成の計画を策定し、軍事・外交・経済などの資源の総合的組織・運用に関する理論と実践を意味することばである(神保謙「戦略」『国際関係・安全保障用語辞典』ミネルヴァ書房、188頁)。
1979年2月11日に革命を経て成立したイラン現体制にとり、体制の安定的存続こそが高次の政策目標に当たる。また、イスラム教徒の同胞であるパレスチナ人民への攻撃を加えるイスラエル、そしてそれを背後から支える米国に対する信頼を低下させることは、イラン体制が軍事・外交・経済などの資源を総動員して達成すべき戦略目標の一つと位置づけられるだろう。
これらを踏まえた上で、イランの戦略的忍耐(strategic patience)とは、目標(体制の安定的存続)の追求に当たり能動的に行動を起こすよりも忍耐することこそが利益に適うとの判断を基になされる外交上の戦略、あるいは戦術(tactics)に類するものといえる。
具体的には、イスラエルがイラン核科学者を暗殺したとしても緊張を高めないため消極的対応に終始したり、ドナルド・トランプ前米大統領による核合意単独離脱と「最大限の圧力」キャンペーンを受けてもなお、米国側のレッドラインを越えない範囲内でウラン濃縮度を小刻みに高めたりといった行動が挙げられる。戦略的忍耐という考え方については、近年にいたるまで、イラン政府高官から度々言及されてきた他、欧米や日本の研究者らの間においても広く共有されてきた考え方といってよいだろう。
イランは戦略を変化させたのか
今日に至るまで、イランは体制の安定的存続に向けた戦略そのものを変更したわけではないが、そうしたなかイランはその実現方法と位置づけられる戦略的忍耐の方針を改めたのだろうか。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。