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hirax.net::inside out::2009年07月

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2009-07-01[n年前へ]

つくる情熱を、支える情熱。 

 「つくる情熱を、支える情熱。」という言葉が好きだった。もちろん、今も、そして、明日以降もこんな言葉をずっと好きでい続けると思う。

 この言葉は、科学技術ソフトウェアの販売等を行っているサイバネット社のキャッチフレーズだ。サイバネット社のWEBページにも、あるいは、サイバネット社内の壁にも、その言葉が綴られていて、その言葉を見るたび、少し感動していた。

「ものづくり」に夢と情熱を傾ける人たちがいます。
私たちサイバネットもまた、
その人たちをサポートすることに
夢と情熱を傾けています。

 自分自身で何かを作り上げていくこと、も苦しいけれどとても楽しい。それと同じように、何かを作り上げようとしている人を陰で手伝う作業も、とても大変だろうけれど、やりがいのある素敵な作業だ、と思う。

 この「サポート」という言葉を見ると、人を支える人、そんな人たちに本当に数えきれないくらい助けられたことを思い出す。平日はもちろん、土曜日の夜に、日曜日の昼に、携帯電話から可能な限りの「サポート」をしてくれた、サイバネット社の人を思い出す。

 そんな人たちに、今も、そして、明日以降もずっと感謝し続けると思う。そして、その人たちがどこへ行っても、そんな風に、これまで以上に素敵に活躍し続けることを願う。

2009-07-02[n年前へ]

Amazon経由で一番売れたもの… 

 上半期、このサイト経由で、Amazonから何が一番売れているのかを眺めてみました。あなたは、何が一番売れていたと思われますか?

 少なくとも男性を動かす動機の根本にあるものは、多くの場合、金か女性だ。しかし、そうでないものが、数は少ないけれど確かにある。極めれば極めるほど、そんな一般的な動機からは外れていくものがある。しかし、そういったものこそを、「真実の趣味」と呼ぶべきである。
 そして、そんなものは「(遊戯ソフトなどの)ゲーム」しかない、と思う。あえて、…さらに一つ付け加えるならば、それは「鉄道」というものだろう。

「ゲーム」と「名言」

 一番売れていたのは「IR 96 7.5X1 光吸収・赤外線透過フィルター(IR) 」で、40セット近く売れていました。赤外線は通すけれど、可視光は通さない、そんな赤外線透過フィルタが一番売れていたのです。

 赤外線透過フィルタをつけたカメラで、特に木々が生い茂る山の景色や見慣れた街中を写すと、異世界のような景色が出現します。それは本当に幻想的で惹かれる世界です。あるいは、冬の海をとると、ひどく重々しい景色が、写真の中に浮かび上がってきます。

 その一方で、夏には、特に夏の海辺では「赤外線透過フィルタをつけたカメラ」を持ち歩くのは憚(はばから)られます。それは、水着盗撮と絶対間違われるに決まっているからです。

 レンズの先に取り付けられた真黒に見えるフィルタが、「赤外線透過フィルタ」です。そんなフィルタが、Amazon経由で一番売れていました。

 しかし、私は「テキストサイトのアクセス数 < ニュースサイト < アダルトサイト」という現実を知っているのである。

テキストサイトのアクセス数 < ニュースサイト < アダルトサイト」という当たり前の現実

2009-07-03[n年前へ]

例題・説明文付き色処理・シミュレーションMathematicaライブラリ 

 Mathematicaで作った色処理関連の関数群・それらを使いさらにオブジェクト指向に書いた(モンテカルロ光伝播シミュレーション機能付き)クラス群のライブラリに例題や説明文を付けたものを作りました。そのライブラリを記述したノートブックを、ColorLib_amature_on_7.0_1.01.nb (5.6MB) として、サイト上に置いておきます。

 Mathematicaを持っていない方でも、Mathematica Playerを使えば、Mathematicaのノートブックを眺めることができます。ですから、もしも題材に興味がある方ならば、「なるほど、この処理はこんな風に書いているのか」「ここはこう直した方が良いんじゃないのか」など、きっとそれなりに楽しむことができると思います。

 たとえば、Mathematicaで書いたライブラリを他の言語で書き直そうとしたときに、書きにくいと感じる部分こそが、Mathematica「らしい」だろうと思います。もちろん、これはMathematicaに限らない、プログラム言語にも限らない「個性」ということに関する一般的な話です。

例題・説明文付き色処理・シミュレーションMathematicaライブラリ






2009-07-04[n年前へ]

ぼくらの未来に会いに行く。 

 「鉄腕アトム」のポスターを東京駅で見かけ、それがとても魅力的に思われて、ずっと気になっていました。

 今日、東京電機大学で開催されたワークショップで、Mathematicaの実践例を紹介してきました。その帰りに、大学の前を歩いていると、そのポスターがショーケースの中に 張られていました。ずっと気になっていた鉄腕アトムのポスターが、東京電機大学 "PROJECT:ATOM" の宣伝ポスターだったということを、ようやく認識したのです。

 ポスターの「夢じゃない未来」と短く書かれた言葉を眺めながら、設定上2003年に生まれたはずの鉄腕アトムは2009年からすれば過去に立っているのだろうか?などと考えながら、ショーケースの中に張られたポスターの前でしばらく佇んでしまいました。

 ポスターが飾られていたショーケースのガラスには、その周りの景色が写り混んでいました。そんな、今この瞬間の街並みと、鉄腕アトムが立つ未来風の景色が重なり合った風景は、不思議なくらい幻想的な景色だったように思います。

 その時、ふと、確かにこれは「夢じゃない未来」の景色なのかもしれないと感じました。ガラスに写るキャンバスや周りのビルの中、そして往来を歩く人たちが、未来を作っていくさまを見たような気分になったのです。

東京電機大学のポスター東京電機大学のポスター東京電機大学のポスター






2009-07-05[n年前へ]

「自由に使うことができる写真集 2」 from hirax.net 

 以前、「自由に使うことができる写真集」を公開しました。そのアルバム中の写真を「画像素材として自由自在に使って構いません」というものです。撮影者のクレジットの表示も必要ありませんし、商用利用も自由ですし、もちろん、(画像素材なんですから)改変することだってもちろん構いません、というものです。

 今日は、その続編、「自由に使うことができる写真集 2」を作ってみました。サイト上に置きましたので、どうぞ、ご自由にお使い下さい。

2009-07-06[n年前へ]

Seriaの「カラフル10色ボールペン」 

 最近は鉛筆やシャープペンシルを使わなくなった。それは、使いやすい修正テープが一般的になったため、である。ボールペンを使えばコントラストがはっきりと読みやすくなるし、もしも書き損じたら、修正テープですぐに書きなおせば良いからだ。修整液では乾くまでまたないといけないから、そういうわけにはいかない。

 常用しているのは、無印良品の6色ボールペンである。それを、バイブルサイズの手帳と一緒に持ち歩いて使っている。やはり、考えたこと・聞いたことをわかりやすく整理するためには、色分けをしながら書く(描く)必要がある。だから、

 100円ショップのSeriaに行くと、「カラフル10色ボールペン(日本パール加工製)」を売っていた。「ペンの太さ」や「色の切り替えをするのにペン上部のボタンを押す必要がある」ということもあって、即時性が要求される常用ペンとして使うのは難しそうだが、100円という安さとカラフル10色というのは、とても魅力的である。そこで、試しに買って・(鞄の中に入れておく)2本目のボールペンとして使ってみることにした。

 まず、ノートの上でに10色のペン先を走らせてみると、ペン先は意外に細く、(小さな文字で追記することが多い)記録メモや数式などを書くことも多い技術メモを書く目的には、意外に良さそうな感じに思える。難点としては、「カラフル」10色は、黄色の発色が悪くオレンジに近い色に見える、緑色が暗く感じられる、という辺りが挙げられそうだ。つまり、色が全体的に彩度が低い。

 とはいえ、何しろ値段が100円なのである。きちんと使ってやれば、十分に満足できる買い物になりそうだ。

無印良品の6色ボールペンカラフル10色ボールペンカラフル10色ボールペンカラフル10色ボールペンカラフル10色ボールペン






2009-07-07[n年前へ]

自分の「本棚」と「本への書き込み」 

 自分の「本棚」と「本への書き込み」を、他人に見られるというのはとても恥ずかしいものです。なぜなら、そういったものには、「どんなことに興味を持っていて、どんなことに共感するのか」ということが実に見事に投影されるからです。だから、そんな風に自分を丸見えにしてしまう「本棚」と「本への書き込み」を見られてしまうのは、本当に恥ずかしかったりします。

 だからこそ、自分でない人の「本棚」と「本への書き込み」というものは、本当に魅力的で、いつも時間を忘れて眺めてしまいます。どんな本が並んでいるかを眺め、「あぁこういうことに興味を持っていたんだ」と納得し、折られているページや線が引いてある文を見つけると、「あぁ、こういうことに納得したり、憧れたり、あるいは、大事に思っているんだ」と新鮮な驚きを感じたりするのです。

 今、私の手元には、「物理の散歩道 」を書き続けたロゲルギストの一人である今井功の蔵書が一冊あります。御子息からお借りている、(霜田光一が今井功に贈った)「簡明 電磁気ハンドブック」です。この本に「も」、多数の書き込みがあります。

 書き込みといっても、私がこれまで見たことがある「今井功の書きこみ」は「下線」か「○(時に二重丸)」か「チェックマーク」や「ごく短い言葉」・・・あるいは「?」マークだけです。けれど、私にとって、それは素晴らしく今井功を感じさせるのです。1993年の3月2日火曜日から、今井功がこの本を読み始めていたことが書き込みからわかります。そして、この「電磁気学」を読みながら、どのようなことを「大切だ」と思っていたのか、どのようなことが「解せない」と感じていたのか、それを考えながらこの「簡明 電磁気ハンドブック」を読んでいる時間は、本当に「至福」を感じさせてくれます。

 あなたの「本棚」にはどんな本が並んでいますか?あたなたが目を留めた本の頁・文は一体どんなものでしょうか?

2009-07-08[n年前へ]

あなたの「掌(てのひら)の中」にあるもの 

 同じ文章を、違う本の中に見つけることはよくある。ある時は、同じような文脈で使われているし、また、ある時は少し違う例えとして使われていることもある。同じ文章が少し異なる使われ方をしているのに出合った時は、違う見方をひとつ知ったような気がして、少し豊かな心地になる。

加納朋子 「掌の中の小鳥 (創元推理文庫) 」から、「掌の中の小鳥」の寓話とそれにまつわる一節を引いた

(ひとりの子供が)「手の中に一羽の小鳥を隠し持って行って、賢者にこう言うんだ。『手の中の小鳥は生きているか、死んでいるか?』って。もし賢者が『生きている』と答えれば、子供は小鳥を握りつぶす。『死んでいる』と答えれば、小鳥は次の瞬間には空高く舞い上がるってわけさ。
 賢者はこう言ったんだ。『幼き者よ。答えは汝(なんじ)の手の中にある』ってね。
 あなたがどんな人間なのか、決めるのはあなた自身なのよ。

 この文章には、安本美典の「説得の文章術 」の中でも出会う。あるいは、この本が引用をした元になるゲーリー・スペンス「議論に絶対負けない法―全米ナンバーワン弁護士が書いた人生勝ち抜きのセオリー 」の中で、同じ寓話に出会う。

(ゲーリー・スペンスはこの寓話を法廷で話す)
 「おじいさん、鳥は生きているか、死んでいるか?」 少年はばかにするような口調で言った。
 すると、老人は思いやりのあふれる眼で少年を見て答えた。『鳥は「おまえの」の手の中にいるんだよ』
それから、私(ゲーリー・スペンス)は陪審員のほうを向いて言う。「ですから、皆さん、私の依頼人の命は皆さんの手の中にあるのです」

 加納朋子の「掌の中の小鳥 」とゲーリー・スペンスの言葉の「掌の中の小鳥」では、同じ寓話が、少し違う装いで登場している。前者では小鳥を掌の中に持つ人に光があてられ、後者では掌の中の小鳥にスポットライトがあてられている。

 もちろん、筋道を追いかけていけば、後者でも「掌の中の小鳥」を実感することで、=「掌の中の小鳥を自分ごと」として感じさせているのだから、結局のところは似たような意味合いにも、なりそうだ。

 しかし、少なくとも読んだ時には、同じ寓話から異なる価値が引き出されているような感覚を受ける。つまり、ひとつの寓話からいくつもの価値が引き出されたように感じる。そして、こんな時、やはり豊かな気持になるのである。

あなたの「掌(てのひら)の中」にあるもの






2009-07-09[n年前へ]

前略、道の上より 

 初夏や初秋、太陽を眩しく見上げながら、平らな場所で寝転がるのが好きです。芝生のような草むらに寝そべってみたり、時には、(人がいたら、変な目で見られてしまうので)人のいない駐車場のアスファルトの上で「岩盤浴」をするのが好きです。

 人気のない道で、スラローム・スケートの練習をし、疲れたら寝転がって心地よく空を見上げると、背中をアスファルトに温められながら、雲が空をゆっくり動いていく景色が見えたりします。あるいは、雲の向こうにある太陽の光が気持ちよく体中に注ぐのを感じます。

 時折、ふと気が向いて、道の上に落書きをしてみたりします。チョークでコキュコキュと絵を描いていると、不思議に楽しく熱中することができます。ただひとつの難点は、書いた絵を消す・直すことが難しい、ということです。チョークで書いたものを消すための「消しゴム・スプレー」みたいな素敵なグッズがあるといいな・作ってみたいな、ということが最近感じる願いのひとつです。



前略、道の上より前略、道の上より前略、道の上より前略、道の上より






2009-07-10[n年前へ]

ハブダイナモ(発電機)の「歴史」と「性能比較」と「疑問がひとつ」 

 ライト用の発電機が車輪の中に設置されている、いわゆる、ハブダイナモ(発電機)の歴史と発電(変換)効率を知りたくなった。ネット上での情報を眺めてみると、たとえば「自転車の歴史、発電機」などに記載がされていて、時速15kmでおよそ70%の発電効率(発電電力/消費電力)が得られる(速度が速くなるほど発電効率は低下する)、とある。そして、自転車用の発電機という言葉を聞いて(今でも)いちばん最初に頭に浮かぶ、タイヤやリムに横から押し付けるタイプでは、発電効率はおよそ35%程度だという。

 各社のハブダイナモ(発電機)や(昔ながらの)の発電電力や車輪を回すのに必要な電力などを測定したデータを、たとえばTesting the Efficiency of Generator Hubsといった資料から読むことができる。こんな資料を眺めてみると、実に勉強になって面白い。ただ、非常に奇妙に思えるのが、ハブダイナモのShimano HB-NX32が負荷がある時(ライト点灯時)の方が、無負荷の時(ライトを消した時)より車輪を回すのに必要な電力が大きい!?ということである。なんで?・・・と、頭の中にハテナマークが浮かんでしまう。

 「なぜ、そんなことになっているのか自転車に詳しい人に聞いてみたい」というのが、今日一番知りたい疑問だ。

ハブダイナモ






2009-07-11[n年前へ]

Matlabの「長所」と「短所」 

 データ処理言語であるMatlabの「面白い」ところは、目的としていること・やりたいことが簡単にできる、ということだと思う。そして、そういったことを簡単にできるからこそ、使う人も多いのだろう、と思っている。

 たとえば、Matlabにはバックスラッシュ演算子"\"といったものが用意されている。A*X=Yという行列式があったなら、X=A\Yという風に書けば、Xを解くことができる。スラッシュ演算子"/"を使うと、たとえば、Y/Aとすれば「Yを右からAで割るようなこと」をしてくれる。それが、バックスラッシュ演算子"/"を使ったA\Yならば、「Yを左からAで割るようなこと」をしてくれる。・・・いや違う。そういう方程式を目の前にした人が、「きっとしたいだろうこと」をしてくれる。Matlabは実にサービス精神旺盛なソフトで、「実際にする作業」を細かく書かずとも、やりたいことをしてくれたり、する。

 長所と短所は、一枚のコインの裏表。つまりは、表裏一体、同じものだ。「やりたいことを(自分が書かずとも)やってくれる」言語が好きな人もいれば、「実際にする作業を細かく書き連ねる」言語の方が好きな人もいる。

 たとえば、バックスラッシュ演算子は上に書いたような状況下では、「左から逆行列を掛ける」のと”似た”ことをしてくれる。しかし、実際にはそういうものではない(説明例)。Matlabは「やりたいこと」を簡単にしてくれるが、その一方で「何をしているか」が見えにくい・わかりにくいように思う。

 それは、もちろん、「何をしているか」をわかりやすく目に見えるようにしたら、「(本来の目的の)やりたいこと」が見えなくなってしまいがちだ、ということでもある。やはり、長所と短所は一枚のコイン、表裏一体なのである。

2009-07-12[n年前へ]

研究レポート風 「天才バカボン」における”バカボン”の由来 

ハジメに

 赤塚不二夫のマンガ 「天才バカボン 」は、バカボンのパパ・ママ、そして”バカ”な長男バカボンと次男の天才ハジメの周辺を舞台にしたギャグ・マンガである。マンガのタイトルにもなっている「バカボン」という名前は、英語の”vagabond”(バガボンド=放浪者)からきているという説と(一例としてWikipediaを挙げる)、釈迦・世尊を意味する”薄伽梵”(バギャボン=サンスクリット語の“Bhagavad”)に由来する()という2説がある。

残念なことに、ネット上において、いずれの説が正しいのかを判断しうる資料を見つけることは難しいのが現状である。 そこで、本文章では、バカボンという名前の由来が「放浪者”vagabond”」と「(いわゆる日本語の)”馬鹿”」にあることを確認する。そして、”薄伽梵”説の(主観的)理由である「バカボンのパパの常套句”これでいいのだ”という言葉が”覚りの境地”を連想させ、仏教的な思想を感じさせること」について、「これでいいのだ」という生き方は赤塚不二夫が自身の父から得たものであることについて述べる。

本人が語る「バカボン」の由来

 「バカボン」の由来について、赤塚不二夫自身は、「バカボンド”vagabond”=放浪者」であることを語っている。たとえば、1975年9月9日に「話の特集」編集室にて和田誠を相手にしたインタビューで次のように語っている(インタビューの内容は自由国民社「赤塚不二夫の特集 (話の特集ライブラリー) 」 p.245 "赤塚不二夫 自作を語る"で読むことができる)。

 『バカボン』をやろうとした時は、(中略)もっと本格的な馬鹿を主人公にしたくて、スタッフに相談したら猛反対にあった。
 最初はタイトルも『天才バカボンド』って考えた。なんとなく幸福な世界を放浪する感じで。ところがバカボンドという言葉は日本人には縁が薄いから、バカボンになった。
 設定としては、バカボンが馬鹿で、そこに天才の弟が生まれてきて、その二人で何とか話ができると思ったけど、描いているうちにおやじが目立ってくる。それからおやじが主人公みたいになって、最後は独壇場になっちゃった。
 ここで赤塚不二夫が書く「スタッフの猛反対」というのは、本格的な”馬鹿”を主人公にすることへの心配、である。
 その経緯については、小学館の赤塚不二夫担当編集者だった武井俊樹も「赤塚不二夫のことを書いたのだ!! 」中でこう綴っている(p.121)。
(マガジンの内田編集長が)子供のバカボンの他にも、利口な子を出してくれと注文をつけた。韓国で話題の、天才少年キムが頭にあったのだ。
 赤塚も折れた。天才のハジメと、馬鹿なバカボンの組み合わせで行こう、ということになって、タイトルも『天才バカボン』となった。
 

 「天才バカボン」のタイトルの「天才」は二男ハジメを意味し、バカボンは”馬鹿”であると同時に”放浪者”も想い起させる長男バカボンを指している、というわけである。「バカボン」=「バカボンド」であると同時に、「バカボン」=「馬鹿」であることを、赤塚不二夫自身が説明しているのである。
 これに対し呈される疑問として、次のようなものがある。

ちなみに1993年に赤塚本人がテレビ番組で「バガボンド説」を言っているが、「だからパパは無職でなくてはならない」とも言っており、バカボンではなくパパを基準にしているところが疑問でもある
これは、赤塚不二夫が「(描いているうちに)おやじが主人公みたいになって、最後は独壇場になっちゃった」と語るように、赤塚不二夫の当初の意図とは異なり、「バカボンのパパ」がマンガの主人公になってしまったから、ということに思われる。「バカボン」という名前で象徴されるものが、長男ではなくパパになってしまったから、と考えるのが自然である。

 「バカボン」は、「(本格的な)馬鹿」であり、幸福な世界の放浪者「バカボンド」なのである。

「これでいいのだ」という思想

 赤塚不二夫は、自著「赤塚不二夫―これでいいのだ (人間の記録) 」(日本図書センター)中の冒頭と最後において、「これでいいのだ」という言葉について、このように書いている(p.18,p.212)。

 天才バカボンのパパがよく口にする”これでいいのだ”は、ぼくのおやじの生き方と共通するものがある。果たして、”これでいいのだ”という人生をおやじは生きたかどうかはわからないが、少なくともそういえるような生き方を目指したことはたしかだと思う。
 おやじの死の間際、ぼくの言った「おやじ、もういいよな!」に対して、おやじは声にならない声で「うん」と答えた。あれはきっと「うん、これでいいのだ」と続くはずだったのではないか、と思う。
 また、「バカボン線友録!―赤塚不二夫の戦後漫画50年史 」の中では、もっと端的に
バカボンのパパのモデルは、僕のオヤジだ。パロディー化して、似ても似つかないけれど、オヤジの「精神」は込められている。
と書いている。
 赤塚不二夫の父は、終戦後4年間シベリアで抑留生活を過ごした。赤塚不二夫は、その時代以降ずっと”これでいいのか?”と父は父自身に問いかけていたはずだと「こでいいのだ」の中で書いている。”覚りの境地”を連想させる「これでいいのだ」という言葉は、そんな生き方をした父から赤塚不二夫が得たものなのである。「バカボンのパパ」は赤塚不二夫の父なのである。

サンスクリット語“Bhagavad”と英語”vagabond”の祖先が共通である可能性

 「サンスクリット語と英語の祖先は共通である。だから、サンスクリット語“Bhagavad”と英語”vagabond”の祖先が共通である可能性もある。それならば、”バカボン”の語源が”vagabond”でもあるならば、“Bhagavad”との類似点があってもおかしくない」という考えを支持する人もいる。

 確かに、サンスクリット語は、インド・ヨーロッパ語族という大語族のインド派に属し(ピエール=シルヴォン・フィリオザ「サンスクリット 」)、音声・文法・語彙などの面から、サンスクリット語や英語は古代言語”インド・ヨーロッパ語”から派生したものであるという説が有力である(アンリエット・ヴァルテール「西欧言語の歴史 」藤原書店)。

 しかし、サンスクリット語“Bhagavad”が、”恵まれた”ということを意味するサンスクリット語”bhaga”から派生しているのに対し、英語”vagabond”は、”はっきりしない・さまよう・曖昧な”という意味をさすラテン語の”vago”に由来している。語感が似ているという考え方もあるが、この2つの言葉の由来となる語句の意味するところは、大きくかけ離れていると言わざるをえない。したがって、サンスクリット語“Bhagavad”と英語”vagabond”の祖先が共通である可能性は低い、と判断する。

おわりに

 赤塚不二夫「天才バカボン」の”バカボン”の由来は「放浪者”vagabond”」と「(いわゆる日本語の)”馬鹿”」にある。また、「これでいいのだ」というバカボンの思想は赤塚不二夫の父から(赤塚が)得たものである。

 バカボンのパパの言葉は強靱な哲学です。それは人間を、不必要な後悔や罪悪感から解放して、より自由に世界を眺める手立てを教えてくれます。辛いときにこの言葉を呪文のように唱えてみることをお勧めします。

四方田犬彦「指が月をさすとき、愚者は指を見る―世界の名科白50

2009-07-13[n年前へ]

「夏目なにがし」について 

 「何かを作り出す」ことが好きな人もいれば、「何かを動かす」ことが好きな人もいる。新たに自分が何かを生み出すにせよ、(自分が作ったものでない)何かを(それが新鮮だと感じられる場所に)動かすにせよ、「その何か」にお金を払っても良いと感じる人がいたならば、そこに「価値というもの」が生まれることになる。

 何かを作るにせよ、何かを動かすにせよ、その行動を起こした瞬間に、必ずしも「価値が生まれる」わけではない。もしも、何か価値が生まれた時、その瞬間、何かが作り出されり・何かを動かした人に、その価値の対価が還元されるならば話は単純だ。しかし、現実社会では、そうでない場合も多い。

 そんな場合、価値の対価はどこに還元されるのが良いだろう。それは、その「何かが生み出されたり・運ばれてきたとき」と価値が生まれた瞬間とのタイムラグや、その状況次第のところもある、と思う。

 今、価値の対価をどのように還元するのが良いかをふと考えてみると、その判断基準のひとつは、「価値が生み出されるか否か」ということで判断しても良いのではないか、と思う。「価値が生み出された」ことに対価を払いたいと願うのならば、その対価は「価値を新たに生み出すこと」というのも、至極当然であるように思われる。

そんなことを、「「夏目漱石」は日本の共有文化財産です」という記事を読み、ふと考えた。

2009-07-14[n年前へ]

「エクセルで電界シミュレーション」と「ウィンドウ半透明化マクロ」 

 「各種方程式を差分化する方法を学び、実際に表計算ソフトで電界シミュレーションと伝熱シミュレーションをできるようになろう」という講習会を手伝う準備をした。準備のひとつに、受講者の実習作業を前もってやってみる、というのがある。すると、どの部分がわかりにくいとか・難しいとかいったことがわかる。

 表計算ソフトで電界シミュレーションをする時に、「わかりにくい」と感じる部分のひとつが、複合誘電体の電界計算だ。差分化の仕方と、その差分化されたものを表計算ソフトへどのように実装するかにもよるが、今行っている実習では複合誘電体の電界計算部分に、わかりにくい部分がある。

 その実習では、ポワソン方程式を解くために、エクセルの3つのワークシートを使う。電位を計算するシート・空間の各領域における誘電率分布を入力するシート・空間の各領域における電荷分布を入力シート、という具合である。そして、わかりにくいのが、「電位分布シート」と、「誘電率分布シート」「電荷分布シート」、のセルの空間的な意味が少し異なる、ということだ。「電位分布シート」の各セルが空間上に一定長刻みで作られた各格子「点」を意味するなら、「誘電率分布シート」「電荷分布シート」では、各セルは格子で囲われた各領域を示すのである。各セルの意味合いが異なる結果、空間的な位置は、「電位分布シート」に対して「誘電率分布シート」「電荷分布シート」のセルは「半セル分」ずれることになる。そのズレが一番最初はわかりづらいのである。

 そこで、「Excel Hacks 第2版― プロが教える究極のテクニック140選」に載っていた「エクセルのVBAマクロからWindows APIを使い、エクセルのウィンドウを半透明化するテクニック」を使い、「電位分布シート」を開いたエクセルウィンドウを半透明化し、「誘電率分布シート」などと重ねて眺めてみることができるようにしてみた。それが、右上の画像と下の動画である。ひとつのファイルをふたつのエクセル(アプリケーション)から開いた状態で、「電位分布シート」を開いているエクセルでマクロを実行すると、「電位分布シート」の下に「誘電率分布シート」が透けて見える。そして、シート間の位置関係を正しく示すようにウィンドウを並べてやれば、各セルが示す「」場所のズレを体感できるだろう、というわけである。

 下の動画の場合は、「誘電率分布シート」には赤罫線がひいてあり、「電位分布シート」には青罫線をひいてある。そして、それらが半セルずれていることが体感できるようにしてみた。

 ちなみに、エクセルの半透明化マクロは、Windows API上の関数を定義した後に、

mywnd=FindWindow("XLMAIN", 
                 Application.Caption)
oStyle=GetWindowLong(mywnd,GWL_EXSTYLE)
SetWindowLong mywnd,GWL_EXSTYLE,
          oStyle Or WS_EX_LAYERED
SetLayeredWindowAttributes mywnd,0,
          (255*60)/100,LWA_ALPHA
という風にしてやることで、エクセルのアプリケーション・ウィンドウを半透明化させている。もしも、半透明化を戻したければ、
mywnd=FindWindow("XLMAIN",
         Application.Caption)
SetWindowLong mywnd,GWL_EXSTYLE,oStyle
というコードを実行すれば良い。それほど使う状況があるとは思いづらい"Excel Hack"だが、VBAマクロからWindows APIを叩けば、Excelからでも「どんなことでもできる」と思わせるサンプルとして、結構面白い。

エクセルVBAでウィンドウ半透明化






2009-07-15[n年前へ]

エクセルのワークシート・ウィンドウだけを半透明化することができるか? 

 「エクセルで電界シミュレーション」と「ウィンドウ半透明化マクロ」で、エクセルのアプリケーションウィンドウ全体を半透明化するマクロを使ってみた。しかし、やはり、「エクセルのアプリケーションウィンドウ全体を半透明化するのではなくて、エクセルのウィンドウの中で開いている特定のワークシートだけを半透明化したい」と感じるに違いない。

 それなら、「エクセルで電界シミュレーション」と「ウィンドウ半透明化マクロ」で使ったVBAマクロの下記の部分を(もちろんWin32 API 関数は定義した上で)、

mywnd=FindWindow("XLMAIN", 
                 Application.Caption)
(たとえばExcel 2003なら)次のように書き換えてやれば良いように思える。
mywnd=FindWindow("XLMAIN", 
                  Application.Caption)
mywnd=FindWindowEx(mywnd,0,"XLDESK",
                   vbNullString)
mywnd=FindWindowEx(mywnd,0,"EXCEL7",
                    ActiveSheet.Name)

 しかし、これは実際には動かない。なぜなら、半透明化=WS_EX_LAYEREDは「親ウィンドウ」しかサポートしていないからである。たとえば、MSDNのWindow Featuresには、

 Note that WS_EX_LAYERED cannot be used for child windows.
とある。つまり、エクセルのアプリケーション・ウィンドウの孫ウィンドウであるワークシート・ウィンドウだけを半透明化させることは(現状では)できない、ということになる。

2009-07-16[n年前へ]

エクセルで綺麗な科学技術向けグラフを描きたい 

 表計算ソフトのエクセルを使って、綺麗な科学技術向けグラフを描きたい、と思うことがある。そんな時、2次元等高線グラフや3次元等高線グラフでは、デフォルトの色設定が実に「非」直観的な色合いなので、綺麗に直したいと感じてしまう。

 そんな時には、「(何種類かの)グラフ色設定を綺麗に調整したファイル」から色合いをインポートすることで、綺麗な色のグラフを描くことにしている。「グラフ色設定を綺麗に調整したファイル」は人からもらい、それをずっと使いまわしている。たとえば、右上の図はその一例である。

 エクセルの2007では、それまでのバージョンとは違い、比較的自然で直観的な色合いのグラフを作ることができるようになった。たとえば、右図のような綺麗なグラフを作ることができる。

 しかし、「科学技術向けグラフを描きたい」と思うと、青→赤グラデーションとか、レインボウ・グラデーションといった配色にしたくなる(こともある)。すると、結局、以前のバージョンで作った「(何種類かの)グラフ色設定を綺麗に調整したファイル」を使いまわすことになる。

 エクセル2007で、綺麗で自然で直観的な配色のグラフを「簡単に」描くにはどうしたらいいのだろう。 ヘルプで検索してみても、欲しい回答が全然出てこない。マクロを使えばできそうだが、それでは「簡単」にはなりそうにない。良い方法がないものだろうか?

エクセルで綺麗な科学技術向けグラフを描きたいエクセルで綺麗な科学技術向けグラフを描きたい






2009-07-17[n年前へ]

WEBサーバ・アプリを「少し」改造しました 

 hirax.netが動いているWEBサーバのアプリを少し改造しました。改造した点は、「少し」はキャッシュを使うようにしたというところです。改造した理由はサーバの負荷を軽くし・読む側の待ち時間を短くするため、です。

 といっても、大幅な作り直しは面倒だったので、結局、「少し」の手直しだけで済ませてしまいました。その結果、残念ながら、「少し」の効果しか出ていないようにも思われます。今さらながらに、「Railsで開発するときにはキャッシュを予め想定に入れておく」ということの重要さを感じさせられました。

 現状、hirax.net内のページでは、最新記事一覧や、関連記事一覧などを表示するために、RJSを多く使っています。そうした、RJSを吐くActionを(改造が面倒だったので、そのまま)ファイル・キャッシュさせようとして、少しはまってしまいました。RJSを吐くActionのキャッシュ・ファイルをApacheで送出する場合、そのままではContent typeが"text/plain"になってしまいます。そこで、mod_rewiteで、Content typeを"text/javascript"に書き換えてやらないと、RJSを送出するActionをファイルキャッシュで置き換えることができなかった、というのが(ハマりの)「大雑把なあらすじ」になります。他にも、Urlエンコードされた日本語がURLに入っていると、キャッシュファイルが文字化けしたり…といったあたりにも、はまりました(そして、対策をすることをあきらめてしまいました)。

 やはり、コントローラから作り直した方が良いのだろうと思います。しかし、10年前からあるURL構造をそのまま使いまわすことを念頭に置くと、キャッシュがきちんと働くように作り直すのはなかなか面倒そうで、時折「少し」の手直しをする程度になってしまいそうです。とはいえ、トータルの作業量は、(少しの手直しを繰り返すより)作り直した方がずっと少なかったりすることもよくある、ようにも感じるのですが…。

2009-07-18[n年前へ]

「おくりびと」と「セロ弾きのゴーシュ」 

 DVDで「おくりびと 」を観た。この映画の原作となった「納棺夫日記 」はすでに読んでいたのだが、想像していたよりも原作に沿った内容だった。

 「原作に忠実」とまでは言えないかもしれないが、「納棺夫日記 」に書かれている(主人公の)状況やエピソードを、可能な範囲の変更・暗喩によって「一本の映画」に上手くまとめあげているように感じられた。少なくとも、この映画のエッセンスは、原作に書かれていることの中にすべてある、と思う。

 ところで、映画の作り手が「どのエピソードをどのように変えていったか」を考えつつ見るというのは、変かもしれないがひとつの鑑賞法だと思う。

 たとえば、春、東北地方の山に囲まれた平野で、主人公がチェロを弾くシーンがある。それは、ふと、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を連想させる。そして、そんな連想をさせることも意識しつつ、そのシーンは撮影されているのではないか、とふと考えた。

 「納棺夫日記 」の中で、「永訣の朝」や「眼にて云ふ」といった宮沢賢治の詩が引用される。その「宮沢賢治」の詩が、この主人公のチェロに繋がっていったのではないか、とふと感じた。他にも、主人公が(かつて)したかった仕事を原作と重ねるためとか、成長譚という部分が重なるからとか、いくつも「それらしい」理由を挙げることはできる。

 もちろん、そんな理由は「ただの想像」に過ぎない。しかし、そんな「人それぞれ」の連想をしながら映画を眺めるのも良いのではないか、と思う。

2009-07-19[n年前へ]

「YouTube立体動画」と「赤青メガネ」と「カラーマッチング」 

 YouTubeが3D動画再生に対応!?謎の「yt3d:enable=true」オプションとは?を読んだ。

 左右の目から見た動画を二つ同時にとって横に並べてからアップロードすれば、YouTube側で立体視の処理をしてくれるそうですよ。しかもアップロードするときのタグに「yt3d:enable=true」さえ入れればいいそうです。
 視差動画を横に並べた(左目動画は左、右目動画は右に配置した)動画をアップロードすれば、動画を観る際に、プルダウンメニューから平行法や交差法や、あるいは「赤青(シアン)メガネ立体動画=アナグリフ動画」を自由に選ぶことができるようになっている。

 この yt3d:enable=true オプションが使われている動画にはスタート・レックの動画などもある。そのタグを見てみると、

yt3d:aspect=16:9
yt3d:enable=true
yt3d:left=0_0_1_1
yt3d:right=0.09_0_1_1
といったオプションが付けられていて、数種類の立体動画フォーマットへ単純に変換するだけでなく細かな設定も可能なように思われる。

 Youtubeが各種立体動画フォーマットへの変換を自動で行ってくれるようになると、立体動画コンテンツがこれまで以上に増えてくるかもしれない。・・・すると、意外に、これまで以上に、ディスプレイの色調整が大切になるかもしれない。

 それは、次のような理由である。平行法や交差法といった立体視ができない人も多い。そういう人が簡易に立体動画を見るとなると、やはり、赤青(シアン)メガネ立体動画=アナグリフ動画ということになるだろう。「簡易に見る」と言っても、数種類の赤青メガネを並べた右の写真のように、赤青メガネの色は違っているのが普通である。

 そして、もちろん、PCのディスプレイの色にいたっては、さらに視聴者ごとに違っているのが普通である。すると、PCのディスプレイの色を調節して、赤青メガネの(特に赤)色とディスプレイの色合いを合わせてやらなければ立体動画としては「見にくい」ものになってしまう。だから、自分が持っている赤青メガネとディスプレイ間のカラーマッチングが重要になるだろう、というわけである。

 とはいえ、赤青メガネをメガネが家にあるという人も意外に少ないかもしれない。そういう人は、「赤青メガネ」付きの立体写真集でも買って、これからのYoutube立体動画時代に備えておくとよいかもしれない。もちろん、マイ「赤青メガネ」とYoutubeを表示したPCディスプレイ間のカラーマッチングを行った上で。


 (この記事の続きが、続 「YouTube立体動画」と「赤青メガネ」と「カラーマッチング」にあります。)

赤青メガネ赤青メガネ






2009-07-20[n年前へ]

画像処理で「ボケ」を生成するコンパクトデジカメ 

 富士フイルムが画像処理で「ボケ」を生成するコンパクトデジカメ「FinePix F70EXR」を発表した(FinePix FX-F70EXR SFX-F70EXR GM )。

また、新たに「ぼかしコントロール」機能を搭載したのも特徴。同機能では、1回のシャッターでピント位置を変えて自動連写することで、カメラが自動で主要被写体と背景を判断。カメラ内で主要被写体と背景の画像を別々に処理し、背景のぼかしを強調した画像を生成する。

 焦点深度を変えた複数画像から、あるいは、今回の富士フィルムの製品のように焦点位置を変えた複数画像から、レンズのボケを人工的に生成するカメラはいつか出てくるだろうと思っていたが、そんなカメラがようやく市場に登場した。

 光学系というハードウェアと画像処理アルゴリズムというソフトウェアをどのように使うかという配分を考えた時、光学系を形造る材料・製造のコストと画像処理を行うためのさまざまなコストを天秤に載せてみれば、こんな「画像処理で「ボケ」を生成するコンパクトデジカメ」の誕生は必然だと思う。小さくて・軽くて・安いカメラで、そこそこの画質でよくて、なおかつ綺麗で楽しい画像を実現することを考えれば、「ボケ」は画像処理で生成するのが一番だと思う。

 「ボケ」を画像処理で生成するのであれば、たとえば、右の画像のような縦と横に虹色に輝くクロス・フィルター的なボケにしたり、あるいは、円形のボケにしたり・六角形のレンズの絞り形状風のボケにしたり・・・と自由自在に写真を撮ることができる。つまり、カメラのサイズは小さく薄いままで、自由自在に「レンズ」を変えることができる。そんなカメラが嬉しいことにようやく登場した。

 「小さく・薄い」のに、自由自在に「レンズ」「フィルター」を変えることができるカメラが、これをきっかけに、たくさん出てくると良いなと思う。

2009-07-21[n年前へ]

宇宙から地球を眺める「ひまわり」が写す月影と雲の川 

 7/22の日食時を、宇宙から人工衛星「ひまわり」が撮影した動画・画像が不思議に気持ち良い。特に、動画で時系列的に眺めていると、太陽に照らされた地球の上を動く雲や、あるいは、太陽と月が描き出す「月の影」が地球表面を動いていくようすを眺めていると、「精巧で科学の粋を詰め込んだ地球儀」を見つめているような心地になる。

 月の影は、もちろん幻想的だ。その月の影の中は、一瞬のうちに夕焼けから夜の闇、そして朝焼けの瞬間を迎えているのかと思うと、とても不思議な気持ちになる。

 そして、月の影だけでなく、東南アジアから日本列島を過ぎ、アリューシャン列島から遥かアラスカの方まで雲が流れ過ぎていくさまも、実に小気味良く見える。その雲の流れは、あるで、小さな川の流れのようだ。

 …と、そんな感想だけを書き連ねていても今一つつまらない。そこで、少し見にくい「月の影(静止画)」を、もう少し見やすいように加工処理してみた。それが、右上の画像だ。日本列島を覆うほどの「月影」が実に不思議だ。

宇宙から地球を眺める「ひまわり」が写す月影と雲の川






2009-07-22[n年前へ]

立体写真は「真を写す」か!? 

 富士フィルムから3DデジタルカメラFinePix REAL F FX-3D W1発表された。ボディの左右に、それぞれ撮像システムを搭載することにより、視差画像・動画を撮影することができるコンパクト・デジカメだ。背面の液晶はレンチキュラー方式(カマボコ型レンズ)で、撮影した立体画像や動画を立体的に眺めることができるようになっている。また、立体画像の出力媒体としては、ここ数年にわたり富士フィルムが製品技術展示し続けていたレンチキュラー方式の「3Dプリント」サービスが開始される、という。私のような(立体写真撮影アダプターを持ち歩いているくらいだ)、立体大好き人間にはとても興味深い製品だと思う。

 しかし、「立体」画像・動画というのは、昔からあるけれど、昔も今もニッチなジャンルである。

 ニッチであり続ける理由のひとつは、立体画像にしろ、立体動画にしろ、表示媒体が「自然でない」ということがあると思う。レンチキュラー方式に限らず、現在ある立体表示システムはいずれも「自然」とは言い難い。少なくとも、家庭におけるようなシステムでは、まだまだ気持ちよく眺めることができて・自然な立体感を得られるシステムはない、と思っている。

 そして、もう一つの理由は、「立体」であることにあまり「価値」が見いだせない、ということがあると思う。特に、動画でなく静止画像の場合には、立体画像には「価値」が生まれづらい、と思っている。

 もちろん、広告や服飾といったジャンルでは、立体画像・動画であること=「価値」という方程式は容易に成り立つ。しかし、こと個人が撮影する「写真」に関しては、その方程式は成立しないことが多いと思う。あまり多くの付加価値を感じられないのである。

 「真を写す」と書いて、写真と読む。景色の中の「部分」を上手く切り取り・描き出した写真は、本当に「真」を写していると感じられることがある。景色の一部を切り取っているのだけれど、けして情報が減っているのではなく、むしろ感じられる情報は豊かになっているのである。

 では、立体写真は「立体を真に写しているか」というと、残念ながらそうではない、と私は思っている。ミニチュアおもちゃのような立体感は得られるのだけれど、それは自分の目の前に広がる立体的な景色を真に写しているものとは感じられないのである。

 これら2つの理由が、立体写真・動画が今一つメジャーなものにならない原因だと私は思う。

 今ある3Dシステムというのは、「2.1Dシステム」くらいなものなのかもしれない。たとえば、今回のデジカメも、静止画像、つまり、2次元画像に0.1次元くらいプラスされた、2.1次元の世界を撮影できると思えば良いのである。逆にそう思った方が、素直に欲しい気持ちになったりするのではないかとも思う。

2009-07-23[n年前へ]

続 「YouTube立体動画」と「赤青メガネ」と「カラーマッチング」 

 「YouTube立体動画」と「赤青メガネ」と「カラーマッチング」に、「ディスプレイのRGBの発光スペクトルを変えられない以上は、ディスプレイのRGB発光比率を多少変えたところで、赤青メガネのフィルタの吸収(透過)スペクトルに合わせて見やすくすることはできないのでは?(意訳)」というメールを頂きました。

 なるほど、言われてみれば確かにその通りだよなぁ、と今更ながらに(言われてようやく)気づきました。いくらディスプレイの色合わせをしたところで、RGBの各発光スペクトルが変わるわけでもないですし、赤青メガネ立体動画が見やすくなるわけがありません。

 となると、赤青メガネの透過(吸収)スペクトルを変えれば良いかといっても、それもまたできない話です。ということは、赤青メガネの(透過スペクトル)共通フォーマットと、RGBディスプレイの発光スペクトル共通フォーマットでも制定されない限り、立体動画を綺麗(自然)に観るのは難しいかもしれません。

 しかし、各ディスプレイ・メーカの色域拡大競争もあるわけですし、使用材料・技術も異なるわけですから、RGBディスプレイの発光スペクトルを共通化するというのも現実的には無理そうな話に思えてきます。

 赤青メガネと立体印刷物がセットで売られている「各種立体本」と違い、PCのディスプレイを表示媒体にした「赤青メガネ方式」立体表示を自然に見ることはまだまだできそうにないのかも?しれません。

立体写真集






2009-07-24[n年前へ]

「わかりやすい文章」を書く方法 

 サーバ整理をしていたところ、(自動書きこみロボット対応が面倒で閉じて)PukiWikiに前に書いた文章群が出てきました。その文章群の中から、今日は「わかりにくい文章を書く方法(本当は「わかりやすい文章を書くにはどうしたら良いか」という試行錯誤の記録)」を書き直しておきます。

「わかりにくい文章」の例と対策

言葉が足りない:主語がない
 日本語では主語がなくても一見不自然に感じない。 しかし、それでは自分が考えていることを人に伝える場合には非常に曖昧になってしまう。だからこそ、主語は省略せずにはっきりつける。

言葉が足りない:比較をする言葉を使いながら、比較対象や比較基準が書かれていない
 たとえば、「良い傾向」という言葉は、どういった基準どういった視点で「良い」のかが書かれていなければ意味不明になる。あるいは、比較対象は何なのかがわからなければ、主観的としか言いようがない言葉になる。
 説明者・書き手がどういう視点から眺めているのかを、明示しよう。聞き手・読み手に判断を任せてはいけない。以心伝心なんか幻想でしかない。
 ちなみに、説明者・書き手自体が視点をはっきり設定していない場合(考えていない場合)にこんな症状が出がち。

言葉が足りない:「比」較をする言葉を使いながら、その「比」が書かれていない
 「精度」のような「比」を意味する数字が出てくるのに、その比較対象を意識していない。「ノイズの大きさ」と言うなら、「シグナルの大きさ」を出さなきゃ意味がない。
→「20cm定規で東海道五十三次の距離を計る」のと「20cm定規でミトコンドリアの大きさを計る」のは全然違う。

言葉が足りない:数字に単位がついていない
 何を基準・単位とした「数字」なのかをはっきり意識する。 口頭で喋る時にも、単位は必ず言う癖をつける。

言葉が足りない:「その言葉で何を意味しているのか」が曖昧でわからない
 言葉・単語の意味をきちんと定義せずに使うと、この症状が頻発する。
 対策は、「言葉の意味ははっきりさせる」。「言葉の意味をはっきりさせる」ためには、他の言葉で言い直すことができなければならない。なぜなら、「言葉の意味を(言葉を使って)はっきりさせる」ためには…、当然他の言葉で説明するわけですから。

「他の言葉で言い換えられない」=「理解していない」
Aさん: 「○×△**○×」
Bさん: 「他の言葉で説明してみてもらえます?」
Aさん: 「…」

 この場合、Aさんは「自分が語ろうとしている内容」の説明ができないだけでなく、本当のところは「自分が語ろうとしている内容」をきちんと理解していないことがわかる。

典型的な「理解が足りない会話」
Aさん: 「○×△**○×」
Bさん: 「そういうことですよね」
Aさん: 「…」

 本来であれば、BさんはAさんの語った内容を「自分の言葉で置き換えて話して、自分の受け取った内容=相手が話したつもりの内容、であるかを確認」しなければならない。しかし、「そういうこと」なんて表現で相手の語った内容を言ったつもりになっているのでは…、BさんはAさんの語った内容を理解していないことは間違いない。

話が整理されていない:同じ内容のことが意味なく繰り返し書かれている
 同じ内容が必要なく繰り返され、本来必要なことが書かれていない文章がよくある。このようなことが起きるのは、(問題)質問に対する「答」が「質問(問題)内容」と同じになってしまっているケースが多い。これは、表現の仕方の問題ではなく、考え方自体の練習が必要。
例:
: 質問:「動作速度が速いソフトウェアを作るにはどうしたら良いですか?」
答:「動作速度が遅くないソフトウェアを作ります」

論理が飛躍する
 技術者が書かなければいけない文章は散文詩ではない。「ワープ」が許されるのは宇宙戦艦ヤマトの「帰り」だけ(古い)。一歩づつ「(文章の)視点」の移動はすべき。内容が「飛ぶ」と、読者は絶対に(文章の)内容を追いかけられない。
 まずは…、文はできる限り短く、から始める。論理を飛躍させないためには、形から入るのも有効。
 簡単な文を積み上げないと、複雑なことは説明できない。「複雑」なことをしたければ、「簡単」なことをやる。「簡単」なことができないのに、「複雑」なことができるわけなんかない。簡単ができなければ、複雑なことは絶対にできない。

機械的に自分の文章をチェックしよう
 中身を読んだり理解したりする必要はない。「主語のない動詞(名詞)」「比較対象が書いてない比較」「何の視点からが書いていない形容詞」があるかを機械的にチェックしよう。
 もし、そんな「言葉」が入っていれば、そこを直したり補足したりする。すると、自動的に、内容がわかりやすくなるはず。

足りていない情報について考えよう
 「自分の書いたもの」の中に、「自分が気づいていない長所」なんか絶対に隠れていない。もし、そんなものがあったとしても、「自分が気づいていないもの」を自分で見つけ出すことはまず不可能。
 「自分の書いたもの」の中から自分で見つけ出すべきものがあるとしたら、それは「自分の気づいていない短所」である。「自分の書いたもの」を眺めるときは、そこから「良いところ」を見つけ出すのではなく、悪いところを見つけ出すことに注力する。
 文章から「悪いところ」が少なくなってくると、文章のS/N比(良いところ/悪いノイズ)が上がることで、「良いところ」が他の人(や自分自身に)に見えてくるようになる。

章・節の「タイトル」は名詞句でなく一文で書こう。
 (少なくとも最初のうちは)タイトルは名詞句でなくて、簡潔な一文にすると判りやすい。すると、タイトルを並べたアウトラインが(自動的に)要約文になる。そのタイトル要約文がわかりやすくなるようにすれば、全体の構成が良くなる。それだけでなく、その章・節で書かなければいけないことを、自分自身がよく意識することができる。もちろん、文章を読む人にとってもわかりやすい。

2009-07-25[n年前へ]

エクセルにおける循環参照時の計算順序 

 表計算ソフトのエクセルを使えるようになりたいと考えた。そこで、(これまで近づかないようにしていた)エクセルを使ってみることにした。まずは、エクセルの計算順序について調べてみた。もう少し具体的に書くと、計算の順番が「セル配置」に依存するのはどのような場合かを調べてみた。

 まず、最初にわかったのは「循環参照がない場合」には、(各セルの)計算順序は「セル配置」に依存しないということである(エクセルの計算プロセスの詳細)。また、「手動計算」や「反復計算」を行うようなオプション設定にしていたとしても、循環参照さえなければ(各セルの)計算順序は「セル配置」に依存しなかった。

 その一方で、循環参照があると、(各セルの)計算順序は「セル配置」に依存するようになる。具体的には、左上から横1行を計算したあと、その下の1行を計算し、さらにその下の1行を計算する…という具合である。

 だから、「反復計算」を1回だけ「手動計算」で行うような設定にし、
B1に2
A1に=B2
C1も=B2
B2は=B1
B1にA1-C1
という風に入力し、F9を押して手動計算させると、次々と値が変わり、6回周期の動きを示す。しかもA1とC1はいつも同じ値だが、その差分をとっているはずのB1は、ゼロになる瞬間もあるが、2とか-2とかゼロでない値にもなる。

 これは、循環参照が行われている場合に、反復計算オプションを付けた際の「各セルの計算順序」が前述のようだからである。当たり前の話のようだが、少し面白い。

2009-07-26[n年前へ]

シリアルポートで受信した内容を最前面アプリにキー送信するRubyスクリプト 

 10年以上前、自分の勉強がてら、シリアル・ポートで受信した内容をエクセルに貼り付けるプログラムをC++で作りました。確か、Windows 98が出た頃で、Windows 2000が出る前だったと思います。

 今日、久しぶりに、Windowsでシリアル・ポートで受信した内容をエクセルに貼り付けるプログラムを作り直したくなりました。そこで、Rubyで「シリアル・ポートで受信した内容を最前面アプリにキー送信するスクリプト」を書いてみました。

 といっても、スレッドを使いシリアル・ポート送受信を行うRubyのクラス"ComThread"は、少し前に書いています。また、Windowsの(キー操作やマウス操作などを扱う)各種APIを使うためのRubyクラス"Win32GuiTest"も、同じように書いてあります。

 ということは、その2つを使うと、こんな風に「シリアル・ポートで受信した内容を最前面アプリにキー送信するRubyスクリプト」を簡単に書くことができます。

require 'comThread'
require 'win32GuiTest'
  
class SendKeyComThread < ComThread
  def receive(data)
    @gui=Win32GuiTest.new
    @gui.sendKeys data.strip+"{ENTER}"
  end
end

skCom=SendKeyComThread.new(1,
        Queue.new,nil,0x1807, 9600) 
skCom.start(:receive=>true)
sleep 60
skCom.stop
 これだけで?という感じですが、これだけです。このスクリプトを走らせれば、COM1に(9600bpsで)受信した内容を最前面ウィンドーに送信することが(60秒間)できます。

 このサンプル・ソースと必要なファイルは、ここに置きました(wincom.rbも必要です)。

 計測器等を使う人であれば、この手のスクリプトは結構便利に感じるのではないでしょうか?こうしたスクリプトを書き、自分が使っている計測器や機器の送出コマンドに合わせたデータ加工正規表現を書き、"receive"メソッドをオーバーライドするのがシェフのお勧めメニューになります。もちろん、RubyScript2exeで、アプリケーション化しておけば、さらに便利だと思います。

2009-07-27[n年前へ]

雰囲気のある「ステーキ・プレート」風の弁当容器 

 インライン・スケートで滑っていると、道の片隅にお弁当のプラスチック容器が転がっていた。この容器には見覚えがある。確か、これはハンバーグ弁当の容器だったと思う。

 その容器をなぜ覚えていたかかというと、ハンバーグ弁当を食べた時、安っぽい「ステーキ・プレート風」のプラスチック容器の割には、不思議なくらい「料理皿っぽい雰囲気」を出してくれることに驚いたからである。少なくとも、よくある「白い容器」と比べると雲泥の差を感じたように思う。そして、ハンバーグを載せた容器を見ながら、なぜか「付加価値」という言葉を強烈に連想したのだった。

 世の中には、「何とか風味」のプラスチックが溢れている。木工細工風味のプラスチック、革風味のプラスチック、金属風味のプラスチック…一体、どういうものを私たちは「安っぽく」感じ、どういうものを「ありがたみ」があるように感じるのだろうか。

雰囲気のある「ステーキ・プレート」風の弁当容器






2009-07-28[n年前へ]

赤外線の盗撮写真防止用下着・水着 

 「透視盗撮ブロック・ショーツ」というものがある。可視光に対しては不透明でも、赤外線は透過させてしまうような生地などを「赤外線」で撮影すると、生地が透けて見えてしまう。そんな「赤外線盗撮写真」を防止するための下着である。

 この下着の素材は、旭化成せんいが製造している特殊セラミックを練り込んだポリエステル繊維「サンペイク」を使用しているようだ。赤外線に限らず、紫外線・可視光の反射率も高いようで、日焼け防止の機能もあるという。だから、下着に限らず、水着 も発売されている。

 このポリエステル繊維「サンペイク」の反射スペクトルや吸収スペクトルを計ってみたい。あるいは、「特殊セラミック」の構造を調べてみたい。「機能性繊維」を実現している技術・機構を眺めてみたい。

2009-07-29[n年前へ]

wincom.rbのCOM10以上対応 

 以前、スレッドを使い、Rubyでシリアル通信をするクラスComThreadを書きました。このクラスは、wincom.rbを利用しています。

 少し前、wincom.rbが、COM10以上の番号のシリアル・ポートを開けないことに気づきました。ソースを眺め調べてみると、WindowsAPIのCreateFile()を使った場合の、COM10 以上のシリアルポートを指定方法に沿っていないことが原因でした。対処としては、wincom.rbの71行目を

comno = "\\\\.\\COM#{icomno}\0"
というように変えれば、COM10以上のポートにも(もちろんCOM10以下のポートにも)対応するようになります。

 最近の(各種I/Fがたくさん備えている)PCに、USB接続のシリアルポートI/Fを繋いだ場合、自動的にCOM10以上になる場合も多いと思います。そんな状況下で、wincom.rbを使うためのTipsとして、ここにメモを書いておきます。

2009-07-30[n年前へ]

ComThreadを使った「制御プログラムの作り方」 

 比較的単純なハードウェア制御、たとえば、(シリアル・ポートから値を得ることができる)センサからの入力を使い、(シリアル・ポートからコマンドを送ることで制御することができる)ハードウェアの制御をしたくなることがあります。実例としては、温度センサの値を使い、扇風機のモーターON/OFFを行いたい、というような場合があります。そんな場合のために、(以前作った)RubyのComThreadを使った「制御プログラムの作り方」を、自分のためのメモがてらここに書いておこうと思います。

 まずは、センサーやモーターの各ハードウェア、つまり、各シリアル・ポート毎に個別のクラスを作っておきます。たとえば、センサーの値にアクセスするクラスをこんな感じで作り、

require 'comThread'

class SensorComThread < ComThread
  def start(condition={:receive=>false,:send=>false,
    :receiveMonitor=>false,
    :sendMonitor=>false})
    @info={}
    super
  end
  attr_reader :info
  def receive(data)
     @info=data.gsub(' ','').split(',')
  end
end
次に、たとえば、モーターを操作するクラスをこんな感じで作ります。
require 'comThread'

class MotorComThread < ComThread
  def sendStart
     send("start")
  end
  def sendStop
     send("stop")
  end
end
 各シリアル・ポートに接続された機器に対する「値解釈」や「送信コマンド作成」といった部分は、上のような具合で、各ポート(に接続された各種機器)を扱うクラスを個別に定義しておく方が頭が整理しやすいように思います。

 そして、次は制御用のメイン・コントローラ・クラスを書きます。

require "thread"

class ControlerThread
  def initialize
  end
  def start(inf)
    @sensor=inf[:sensor]
    @motor=inf[:motor]
    @thread=Thread.new do
      while true
         @motor.sendStop if @sensor.info[0].to_f<hoge
         @motor.sendStart if @sensor.info[0].to_f>=hoge
      end
    end
  end
  def stop
    Thread.kill(@thread)
  end
end
 

 最後に、センサ用コントローラ/モータ用コントローラ/メイン制御コントローラを、それぞれ起動する制御スクリプトを、次のように書きます。

require "sensorThread"
require "motorThread"
require "controlerThread"

sendorRq=Queue.new; 
MotorSq=Queue.new;
sensor=SensorComComThread.new(1,sensorRq,nil,
    0x1807,38400) 
sensor.start(:receive=>true)
motor=MotorThread.new(2, nil,motorSq,0x1807,38400) 
motor.start(:send=>true)
  controler=ControlerThread.new
  controler.start({:sensor=>motor,:motor=>motor})
    sleep ARGV[0].to_i
  controler.stop
motor.stop
sensor.stop
 このように、各I/Fに対するコントローラと、メイン制御コントローラと、それらコンローラ・スレッド群を実行するシーケンス・スクリプトを個別に作る、というのが良いように思われます。

 というわけで、日曜大工的なハードウェア制御プログラムを書いたので、プログラムを書き連ねながら考えたことを、ここに『ComThreadを使った「制御プログラムの作り方」』として書いてみました。

2009-07-31[n年前へ]

一輪車に飛び乗るこどもたち 

 一輪車型ロボット「ムラタセイコちゃん」を見た時、村田製作所らしい「面白さ・楽しさ」を感じると同時に、「人間でも一輪車に乗るのは簡単でない」のに、よく一輪車をバランス良く乗りこなすロボットを作れるものだと、驚いた人も多かったのではないだろうか。少なくとも、一輪車に全然乗ることができなかった私は、そんな風に感じたのだった。




 「人間でも一輪車に乗るのは簡単でない」と書いたが、これはあくまで大人の話だ。こどもたちの場合、いともたやすく一輪車を乗りこなすものである。たとえば、下の動画は「背の高い一輪車を乗りこなす」こどもたちを写したものだ。見事なくらい、軽々と、そして絶妙な具合に背の高い一輪車に飛び乗っていく。一輪車に乗るロボットも凄いが、やはり、ヒトが持つ能力には心の底から驚かされる。




   一輪車に飛び乗るこどもたちの動画を眺めていると、ふと、ランディ・パウシュの「最後の授業 ぼくの命があるうちに 日本語字幕付きDVD付き版 」の中に書かれていた、こんな言葉を思い出す。

 自分にできると思っても、できないと思っても、それは正しい。

ランディ・パウシュ