プロレスラーのグラン浜田(本名・浜田広秋)さんが15日に住まいのあるメキシコで亡くなったことが16日、分かった。74歳だった。かつて所属していた「みちのくプロレス」が公式X(旧ツイッター)で発表した。 Xでは「グラン浜田さんがお亡くなりに…

 プロレスラーのグラン浜田(本名・浜田広秋)さんが15日に住まいのあるメキシコで亡くなったことが16日、分かった。74歳だった。かつて所属していた「みちのくプロレス」が公式X(旧ツイッター)で発表した。

 Xでは「グラン浜田さんがお亡くなりになりました。ユニバーサル、みちのく時代は一緒にツアーをまわり、メキシコでもお世話になりました。まだ信じられません。ルチャリブレを日本に広めた功績は大きいです。小さな巨人グラン浜田よ、永遠に。心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。

 浜田さんは1950年11月27日、群馬・前橋市生まれ。1972年に旗揚げ前の新日本プロレスに入門。身長167センチと小柄ながらも柔道で鍛えた格闘センスと抜群の運動神経で活躍。同年3月16日に藤波辰巳(現・辰爾)戦でデビューした。リングネームを本名の浜田広秋からリトル浜田へ変更し、75年からメキシコへ武者修行に出て「グラン浜田」となる。

 メキシコでは、トップ選手として活躍。華麗に舞う空中技は「マリポーサ(スペイン語で蝶)殺法」と絶賛された。79年2月に凱旋帰国するが、その後は、主にメキシコマットを中心に活躍。日本からメキシコへ修行に来た数多くのプロレスラーを公私ともにサポートするなど日本マットに絶大な貢献を果たした。80年代前半には新日本マットでタイガーマスクと名勝負を刻むなど活躍。その後、84年4月に新間寿氏が設立した「ユニバーサルプロレス」(UWF)の旗揚げシリーズに参加した。86年にはジャパン女子プロレスのコーチに就任し現役を引退するも88年に復帰した。

 90年3月にユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに参加。95年にみちのくプロレスに入団。2001年にフリーとなり、以降は新日本プロレスなど様々な団体に上がった。

 浜田さんの体調について女子プロレスラーで娘の浜田文子が昨年11月に自身のインスタグラムで「グラン浜田は11月の上旬からかなり危険な状態とお医者さんから言われています。11月16日に喉と、お腹にメスを入れて、酸素と栄養材を入れています」と公表していた。

 今月5日には文子が「X」で「日本時間の1月31日の金曜日に退院」と報告し「今は浜田家の皆と大好きな日本のテレビ番組を一緒に見ながら毎日元気よく回復に向かって過ごしています」と伝えていた。