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【茶道・歴史、日本史】茶道の歴史の楽焼きは桃山時代

【茶道・歴史、日本史】茶道の歴史の楽焼きは桃山時代(16世紀)楽家初代長次郎によって始められた。楽焼きのルーツは中国明時代の三彩陶で、桃山時代に京都を中心に三彩釉を用いる焼物が焼かていた。 楽焼きの黒楽茶碗の釉薬は安土桃山時代の織田信長の岐阜県にあった美濃の瀬戸黒の釉薬で焼かれていたので黒色だったのではないのですか? 中国の三彩釉薬で黒色を作り出していたのですか? 織田信長の美濃の瀬戸黒の釉薬で黒色の黒楽茶碗を作っていた説の方が辻褄が合うのでは? 楽焼家の長次郎は出身が不明と書かれていますが、美濃の生まれで、瀬戸黒の釉薬を使ってそれを黒楽茶碗と言っていたのでは? 本当に瀬戸黒釉薬ではなく三彩釉の釉薬で焼いていたのですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • 4500rpm
  • ベストアンサー率51% (3242/6356)
回答No.1

>中国の三彩釉薬で黒色を作り出していたのですか? →技法が同じだけで、釉薬として三彩の物を使用したわけではありません。 唐三彩は、成形後に素焼きにされ、各種の釉薬をかけ、再び窯の中で850度から950度で焼かれます。 楽焼も同じように、素焼き後に釉薬をかけて焼成します。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E4%B8%89%E5%BD%A9 楽焼 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E7%84%BC 「初期の製法としては、素焼き後に加茂川[要曖昧さ回避]黒石からつくられた鉄釉」とあり、瀬戸黒釉薬河道かはわかりません。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E7%84%BC >楽焼家の長次郎は出身が不明と書かれていますが、美濃の生まれで、 →「樂焼の技術のルーツは中国明時代の三彩陶です。桃山時代には京都を中心にそうした色鮮やかな三彩釉を用いる焼物が焼かれはじめていましたが、長次郎もその技術をもった焼物師の一人であったと考えられています。古文書には長次郎の父にあたる唐人・阿米也なる人物が記載されており、作品こそ残されていませんが、この人物こそ中国から三彩陶の技法を伝えた人物といえます。」 https://www.raku-yaki.or.jp/history/index.html

note11pro5G5
質問者

お礼

みんなありがとうございました 楽焼家は中国人ってことですか?

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その他の回答 (1)

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (7037/20730)
回答No.2

名前から言うと  千利休の亡き後に豊臣秀吉から聚楽第の「楽」の字から名付けられて「楽焼」と呼ばれるようになりました。 ということは 長次郎が作っていたのは 楽茶碗という名前はついていなかった時期でしょうか。

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