可愛い仕草で人気があるイタチ科の動物「ラッコ」。お腹の上で貝を割り、水上に浮かんで食べる姿が特徴的だ。このラッコが、日本の水族館で見られなくなるかもしれない。
1990年代には日本全国の水族館などで飼育されていたが、現在ではわずか4頭しか残っていない。ラッコを飼育しているのは、三重県の鳥羽水族館と福岡県のマリンワールド海の中道、千葉県の鴨川シーワールドとの3か所のみとなっている*。
輸入で始まった展示
日本には、明治45(1912)年に公布された「臘虎膃肭獣猟獲取締法(らっこおっとせいりょうかくとりしまりほう)」があり、ラッコとオットセイを捕まえることが法律で禁止されている。そのため、日本での展示はアラスカなどから輸入した個体で始まった。その後は日本で生まれた子どもたちも加わり、ピーク時には各地に122頭いたという。
アメリカにも1972年施行の「海洋哺乳類保護法」などがあるが、科学的研究や公的な展示などの目的に限っては輸出が認められていた。しかし1990年代の終わりになると、基本的にラッコの捕獲が禁止され、日本の水族館が新たな個体を得ることができなくなった。
ラッコはかつて、毛皮のために乱獲され個体数が激減した。アメリカの方針変更は、保護に一層の力を入れるべきとの考えがあったと思われる。1989年にアラスカで起こったタンカーの座礁事故で、数千頭と言われるラッコが犠牲になったことも背景にあるだろう。なお、「レッドリスト*」では2000年から絶滅危惧種に分類されている。
デリケートなラッコ
寒い所に住む動物の多くは、皮下脂肪を蓄えて体温を保っている。一方、ラッコには8億本から10億本とされる無数の毛が生えている。その被毛が水を弾き、間に空気の層をまとって寒さから身を守る。そのため、被毛が汚れると冷たい水が体に直接触れて体温を奪う。アラスカの事故では、漏れた油が毛にまとわりついて水を弾くことができなくなった結果、寒さで凍えてしまったのが原因の1つと言われている。
逆に日本のような気候では、例えば輸送時に興奮して体温が上昇すると自分では下げることが難しい。犬は暑い時に舌を出して「ハアハア」することで体温を下げることができるが、ラッコにはそうした機能が備わっていない。そういった意味ではデリケートな動物といえる。
水族館で飼育する場合にも、プールの水を常に清潔にしておくことには特に気を遣うそうだ。また、前足で毛づくろいするため、手のひらにケガなどの異常がないかどうかにも気をつける必要がある。基本的に飼育しやすい動物だが、ちょっとしたことで体調を崩したり死んでしまったりすることがあるため、飼育下では細かい気遣いが大切だという。
ラッコのメイ(鳥羽水族館)繁殖は望めない状況
現在日本にいる4頭は、鳥羽水族館にいる「メイ」が17歳。「明日花」(鴨川シーワールド)は23歳と高齢で繁殖は難しい。メイと一緒に鳥羽水族館で暮らしている「キラ」が13歳、マリンワールド海の中道にいる「リロ」は14歳だが、この2頭は“きょうだい”なので子どもは望めない。
「新たに海外からの輸入ができなければ、日本での飼育展示が終わる可能性が高い」と、40年間ラッコの飼育に携わっている鳥羽水族館・飼育研究部の石原良浩さんは話す。2016年までは、東京の「サンシャイン水族館」など身近でも見ることができたラッコが、国内にはいなくなってしまうかもしれない。
鳥羽水族館のラッコ、メイ(左)とキラ(右)ラッコを残す大切さ
唯一の解決策は、保護されたラッコをアメリカから譲り受けることだそうだ。生まれて間もなく親からはぐれ、人工保育で育った子どもは野生に戻しても自力で生きていくことが難しい。人間が世話をする必要がある。そうしたケースは少なくないようで、アメリカでは水族館などの適切な受入れ先が見つけにくい場合もあるという。これまでに、デンマークやイギリス、フランス、ポルトガルに渡った例がある。
一方、日本はこれまで、そうした個体を受け入れていない。保護したラッコを輸出する場合、増え過ぎないように不妊・去勢手術を施すのがアメリカの方針だという。日本では、人工的な処置を施した動物の展示に対し、議論があるのが理由だそうだ。だが現状を考えると、そうした保護個体の譲渡を受けることも検討すべきタイミングに来ているかもしれない。
「インターネットや本などからも情報は得られます。でも、実際に動物が生きている姿を見て、興味をもっていただくことが大切です。そうした経験が、『動物を保護しよう』『環境を守ろう』、という意識の向上につながると思っています」と、石原さんはラッコの生きている姿を見る機会を残す大切さについて語る。
ラッコのキラ(鳥羽水族館)飼育を継続することの意義
ここ数年、北海道の一部に野生のラッコが見られるようになった。今後、数が増えると親からはぐれたり、怪我を負ったりして保護される個体が出てくることもあり得るだろう。人工哺育で育った場合は水族館や動物園での飼育が必要になる。
このようなケースに備えるためにも、ラッコの飼育を継続することに意義があると石原さんは言う。「日々の飼育を通してラッコの生態に関する研究を続けておかないと、何かあった時に適切な対応ができなくなってしまいます。そういった意味でも、飼育展示の継続は重要だと考えています」
ラッコのメイ(鳥羽水族館)飼育を通して得られる、ラッコの病気や怪我の治療に関するノウハウの蓄積は、「もしも」の場合に彼ら彼女らの命を守ることにもつながるだろう。
鳥羽水族館に初めてラッコがやって来たのは1983年の10月のこと。オス1頭とメス3頭が暮らし始め、翌年にはメスの赤ちゃんが誕生した。これが、日本で初めてのラッコの出産だった。これまで40年近く、愛らしい姿で私たちを癒してくれたラッコが見られなくなることを惜しむ声もある。
色々な生き物を守り多様性を保つためにも、飼育を通した生態研究は大切だろう。様々な課題はあるが、ラッコの健康や幸せに配慮した形で、この貴重な動物に会うことができる場所が今後も残ることに期待したい。
* 鴨川シーワールドには神戸市立須磨海浜水族園のリニューアルに伴い移された「明日花」がいるが、現在公開はされていないラッコ:
イタチ科カワウソ亜科ラッコ属でカワウソの仲間(英語ではsea otter=海のカワウソ)。厚い毛皮によって寒さを防ぐとともに、その中に蓄えた空気の層で水に浮く。海上で生活し基本的には単独行動する動物だが、休息や睡眠時には集まる習性がある。かつては毛皮をとるために乱獲され、絶滅寸前まで減少した。近年生息数自体は増えているが、現在でも絶滅危惧種に分類されている。野生ではカニ、貝、ナマコ、エビや動きの遅い魚など、海の底の方に住む動きの遅い生き物を食べる
**1964年に設立された国際自然保護連合(IUCN)が出しており、正式名称を「IUCN絶滅危惧種レッドリスト」と呼ぶ