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以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「The antitrust case against Apple」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

「Macカルト(Cult of Mac)」の基本的な教義は、時価総額3兆ドル企業から製品を購入すると迫害されたマイノリティの一員になれるということであり、したがってその企業へのあらゆる批判は民族的中傷ということになるらしい。

これを「Apple例外主義」と呼ぼう。ビッグテック企業の中でAppleだけが善良であり、したがってその行動は善意のレンズを通して解釈されるべきだという考え方である。この美徳の源泉は都合よく曖昧なので、Appleの罪が明らかになったとて、Macカルトのメンバーはどこまでもゴールポストを移動させる。

Appleが「プライバシーを尊重している」という主張を考えてみよう。これは、Appleのビジネスモデルが、広告主にユーザを売るのではなく、現金取引を通じてサービスに資金を提供しているためだと言われている。資本主義それ自体は問題ないが、監視が入り込むと資本主義は機能しなくなるという「監視資本主義」仮説の(広く誤解されている)核心部分である。

ようするに、Appleはスパイ活動を行うライバル企業とは異なり、市場の力によってその行動が規律づけられているので、善良な企業だということらしい。一方のライバル企業は「我々のドーパミン・ループをハックする」ことで、市場の見えざる手を「行動を形成する」足かせで動けなくしてしまう、と。

Appleはプライバシー尊重の精神を大々的に宣伝している。それは無理もない。AppleはFBIが暗号化システムに欠陥を埋め込むよう強要してきても、最後まで戦ったのだから。

そしてAppleは、iOSユーザにワンクリックでFacebookのスパイ活動をオプトアウトする力を与えもした。96%のユーザがこのオファーに飛びつき、Facebookは1年で100億ドル(メタバースの無駄遣いの5分の1の価格!)の損失を被った(見ていて気持ちがいい)。

ブルース・シュナイアーはこのような慣行を「封建的セキュリティ」と呼んだ。「囲い込まれた庭」を外部の脅威から守ってくれる要塞にするために、自分のデバイスのコントロールを領主であるビッグテックに委譲することを意味する。

ここでのキーワードは 外部 の脅威だ。だが、Apple自身があなたのプライバシーを脅かせば、要塞は牢獄になる。あなたがiOSデバイスに未承認アプリをインストールできない以上、Appleがあなたに危害を加えようとすれば、あなたを守るものは存在しない。

これに最初に気づいたのは中国のAppleユーザだった。中国政府がAppleにすべてのプライバシーツールをApp Storeから削除するよう命じたとき、同社は超安価な製造拠点(ティム・クックの画期的業績であり、Apple製造を中国にオフショアする方法を確立したことで彼はCEOの座についた)と数億人の中流消費者へのアクセスを失うことを怖れて、それに従ったのだ。

VPNやプライバシーツールを殺すことは、ほんの始まりに過ぎなかった。この屈服の後も、北京からAppleへの要求は止むことがなかった。次に、Appleは自ら進んで中国のクラウドサービスにバックドアを用意し、中国政府が自由にユーザのデータを収奪できるようにした。

Appleが「管理されたコンピューティング(curated computing)」モデルを打ち出していたことを考えれば、当然に予見可能な未来だった。ひとたびユーザのコンピュータ上で動作するソフトウェアの決定権をAppleに委ねてしまえば、中国共産党のような強力な主体が自らの目的のためにその権限を行使するようAppleに圧力をかけてくるのは必然である。

驚くことではないが、中国政府のAppleに対するスパイ活動と抑圧への協力要求は、iCloudにバックドアを仕掛け、App StoreからVPNを追放しただけでは終わらなかった。2022年になっても、Appleは中国政府の要請を受けてAirdropを破壊し、中国での抗議行動の組織化に使われていたツールを無力化した。

しかしAppleがユーザに牙をむく脅威は、中国に限ったことではない。同社は、米国政府に代わって自社ユーザをスパイすることには消極的ではあったが、自社の利益のために世界中のユーザのプライバシーを損なうことには積極的である。AppleがワンクリックでFacebookの監視からオプトアウトさせたことを覚えているだろうか? まさにそれと時を同じくして、Appleは自前の商用監視プログラムを立ち上げ、iOSユーザをスパイし、Facebookと全く同じデータを収集し、全く同じ目的、つまり広告のターゲティングのためにユーザをスパイしていたのだ。Appleは、自社のスパイ行為に関しては、スパイするなというユーザの明示的な意思を完全に無視して、とにかくスパイし、そして嘘をつき続けた。

重要なポイントは、Appleに正しいことをしたいという「企業人格」があると信じていても、その美徳を求める欲求は、Appleが直面する制約次第だということだ。販売するハードウェアに対してAppleが法的・技術的に完全な支配権を握っているという事実(そのハードウェアで動作するソフトウェアを誰が作れるか、そのハードウェアを誰が修理できるか、そのハードウェアの部品を誰が販売できるかを決める権限)は、Apple製品のメタクソ化(enshittify)への抗いがたい誘惑となる。

「制約」はメタクソ化(enshittification)仮説の核心である。テック業界の隅々にメタクソ化が広まったのは、テック企業のボスが突然サディストになったからでも、無関心になったからでもない。彼らは何も変わっちゃいない。違いは、今日、彼らには制約がないのだ。

ライバル企業のすべてを買収・合併し、あるいはカルテルを結成したため、競争を恐れる必要がなくなった(Appleは年間90社以上の企業を買収しているし、GoogleはAppleに年間263億ドルの賄賂を支払って、iOSやAppleアプリのデフォルト検索の座を手に入れている)。

規制当局を抱き込んだため、ユーザ、労働者、サプライヤーをどれだけ搾取しようと、それに対する罰金その他のペナルティを恐れなくてよくなった(Appleは2010年代後半に何年にもわたって数十の修理する権利法案を廃案に追い込んだ企業連合の先頭に立ち続けた)。

知的財産権法を盾にできるため、代替クライアント、MOD、プライバシーツール、その他の「敵対的相互運用性」ツールを作るライバルを恐れる必要がなくなった(Appleは、DMCA、商標、その他の特殊なルールを使って、サードパーティソフトウェア、修理、クライアントをブロックしている)。

真の美徳は、邪悪な誘惑に抵抗するだけでなく、自分の弱さを認識し、誘惑を避けることにある。Appleが「管理されたコンピューティング」の道を歩み始めたときにも書いたが、同社は最終的に(そして必然的に)消費者の選択を拒否する力を振りかざして、消費者に危害を加えるようになる。

これが今日の我々の立ち位置だ。Appleは、電子機器メーカーの中で唯一、ユーザが下取りに出した端末をすべてシュレッダーにかけ、サードパーティが動作部品を収集して、独立系の修理に使用するのを阻止した。

Appleは部品に微細なAppleロゴを刻印し、これを根拠に米国の税関に商標侵害の申し立てを行い、シュレッダーを逃れた部品の再輸入をブロックした。

AppleはAmazonと違法な価格操作の共謀を結び、「世界最大のマーケットプレイス」で中古品やリファービッシュ品が販売されないようにした。

なぜAppleは独立系の修理にこれほど反対するのか。まあ、彼らは不誠実で無能な修理業者からユーザを守るためだと言っている(封建的セキュリティ)。しかし、ティム・クックは投資家には別のストーリーを話している。同社の利益は、滑りやすくてもろいガラス製の1,000ドルのポケットコンピュータを(買い替えるのではなく)修理することを選択する消費者に脅かされていると警告しているのだ(要塞は牢獄になる)。

これらすべてが積み重なって、微細なAppleロゴで飾られた不滅の電子廃棄物の山が築かれ、我々の子孫は今後1000年にわたってその処理に追われることになる。この忌まわしい罪への糾弾から逃れられないと見るや、Appleは不誠実な工作を行い、独立系の修理をサポートすると言い出した。2022年、Appleはホームリペアプログラムを発表したが、それは笑うしかないほどのばかげた詐欺だった。

その後、2023年にAppleは新たな「修理支援」イニシアチブを発表したが、これも実際には修理を妨害するものでしかなかった。

今となってはこの有り様だが、Appleはかつて、独立系の修理を支持し、ユーザの愛用するMacを動かし続けてくれる独立系修理技術者を称賛していた企業だったのである。

Appleの企業人格にどんな美徳が潜んでいようと、修理、決済処理、アプリ提供などの通常の競争活動を知的財産権を口実に妨害できるよう設計された囲い込みプラットフォームを運営する以上、それがもたらす誘惑には抗えないのである。

AppleがApp Storeを立ち上げたとき、スティーブ・ジョブズは、ユーザが権利者にお金を支払う(待望の)仕組みを提供することで、ジャーナリズムやその他の「コンテンツ・クリエイション」を救うと約束した。10年後、その約束はアプリ税によって打ち砕かれた。アプリ内のすべての取引に30%の手数料がかかるのだ。コンテンツに1セントも貢献していないハードウェアメーカーに売上の3分の1を掠め取られたのではたまったものではない。だが、それを避けるためにウェブ経由で決済できるとほのめかせば、そのアプリはAppleによってApp Storeから追放される。

また、AppleがiOS上で許可しないアプリには、サードパーティ製のブラウザもある。すべてのiPhoneブラウザは、スキンの異なるSafariに過ぎず、どれもAppleの古くてインセキュアなWebKitブラウザエンジンで動作している。WebKitが不完全で時代遅れなのは、バグではなく機能である。それによってAppleは、アプリストアを迂回してブラウザで提供されるWebアプリをブロックできるからだ。

先月、EUはAppleのユーザとソフトウェアベンダーとの取引に関するAppleの拒否権に照準を合わせた。新たに施行したデジタル市場法は、Appleにサードパーティの決済処理とサードパーティのアプリストアの両方を開放するよう求めている。これに対するAppleの対応は、不当な手数料、厄介な利用規約、ケチな懲罰的措置のフルコースとまさに邪悪なコンプライアンスでしかなく、「うるせえ、くたばれ」としか言いようがない。

しかし、Appleによるいじめ、プライバシー侵害、法外な価格設定、環境犯罪はグローバルなものであり、それを終わらせようとしているのはEUだけではない。日本でも矢面に立たされている。

英国でも。

そして今、周知の通り、米国司法省がAppleを狙っている。Apple例外主義、つまり技術的自己決定権よりも独占の方がユーザに安全をもたらすという信仰の核心を突く、踏み込んだ反トラスト訴訟だ。

この提訴には、まるで私が書いたかのような一節がある。

Appleは、反競争的行為を正当化するために、プライバシー、セキュリティ、消費者嗜好という外套に身を包んでいる。実際、Appleはマーケティングとブランディングに数十億ドルを費やし、Appleだけが消費者のプライバシーとセキュリティを守れるという、自社に都合の良い前提を宣伝している。Appleは、自社の経済的利益になる場合には、プライバシーとセキュリティを選択的に毀損する。例えば、テキストメッセージのセキュリティを低下させたり、政府や特定の企業にアプリストアのよりプライベートかつセキュアなバージョンにアクセスする機会を提供したり、よりプライバシーを保護できる選択肢がある場合でも、毎年数十億ドルを受け取ってGoogleをデフォルト検索エンジンに選んでいる。詰まるところ、Appleはプライバシーとセキュリティの正当化を、Appleの経済的・ビジネス的利益に資する伸縮自在の盾として展開しているのである。

ようするに、AppleはiPhoneユーザとAndroidユーザとのコミュニケーションを非暗号化することで、Androidユーザと通信する自社のユーザを罰しているのだ。Beeper Miniがこの問題を修正し、AppleがiPhoneユーザに約束しながら否定しているプライバシーを回復するiMessage互換Androidアプリをリリースすると、AppleはBeeper Miniを打ち壊した。

これに関するティム・クックの発言はこうだ。Androidユーザとセキュアに通信したいなら、「iPhoneを買ってあげなさい」。

友人、家族、顧客がモバイルOSを変更したがらないなら、プライバシーやセキュリティを放棄してにコミュニケーションに臨めとティム・クックは(訳注:自社ユーザに)説いているのだ。

Appleがセキュリティを確保しようとしても、時には失敗することもある(「セキュリティはプロセスであり、製品ではない」-B.シュナイアー)。慈悲深い独裁者に安全を望むのなら、その独裁者は無謬でなくてはならない。だがAppleは無謬とは程遠い。8世代のiPhoneはパッチによる修正が不可能なハードウェア脆弱性を抱えている。

そしてAppleの最新のカスタムチップにも、秘密を漏らす、パッチ適用不可の脆弱性がある。

Appleは無謬からも程遠いが、慈悲深さからも程遠い。Appleの主張とは裏腹に、そのプラットフォーム、ハードウェア、オペレーティングシステム、アプリには、ユーザを犠牲にして株主を守るために導入された意図的なプライバシー上の欠陥がある。

さて、40年間にわたって悪しき前例、独占フレンドリーな反トラスト当局が続いてきたことを考えれば、反トラスト訴訟は道のりは険しい。この手の訴訟はたいてい、テック企業の経営者が意図的に独占を築いたことを証明できず、失敗に終わる。しかし、テック企業にはテキスト文化があり、企業内部の無数のやり取りが記録され続けている。さらに、テック企業のボスは悪意を臆面もなく自慢しがちで、ご丁寧に書き記してくれることも多い。

Appleも例外ではない。Appleが意図的かつ違法に独占を形成し、維持しようとしたことを立証する文書記録は豊富にある。

Appleは、自社の独占は善意によるもので、ユーザを保護し、製品をより「エレガント」で安全にする有益なものだと主張する。しかし、Appleの利益がユーザの安全性、プライバシー、そして懐事情と相反する場合、Appleは常に自社を優先する。他のすべての企業と同じように。言い換えれば、Appleは特別ではない。

Macカルトはこれを否定する。誰もサードパーティのアプリストアを使いたがらないし、サードパーティ決済も望んじゃいないし、サードパーティの修理だって望んでいないと言う。無論、間違いであり、簡単に反証できる。もし、Appleユーザが誰一人望んでいないのなら、Appleは競争を妨害するために莫大な労力を費やす必要はないはずだ。独立系のiPhone修理店が修理するのはiPhoneだけであり、(訳注:それが存在し続ける以上)iPhoneユーザは独立した修理を望んでいるのである。

そして、Macカルトはこう再反論してくる。“そのiPhoneユーザはiPhoneを所有すべきではなかった。スマートフォンの所有権を行使したいなら、Appleから購入すべきではなかった”と。これは「真のスコットランド人」論法であると同時に、プライベートな通信が必要なら、iPhoneを買うべきというティム・クックの主張とも矛盾する。

Appleは特別ではない。もう一つのビッグテック独占企業に過ぎない。角が丸みを帯びているからといって、四角い角以上に美徳を保つなどということはない。競争、規制、相互運用性の制約から解放された企業は、必ずメタクソ化する運命にある。Appleはーー特別ではなくーー例外ではない。

Pluralistic: The antitrust case against Apple (22 Mar 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: March 22, 2024
Translation: heatwave_p2p