第090話 決戦の空
決戦の日。
後ろを向くと、二十八羽の王鷲が、編隊を組んで空を飛んでいた。
編隊は「へ」の字を書いて、星屑を頂点にして両側に斜めになっている。
これは渡り鳥などがやるのを模倣して作られた陣形で、学術的に言えば前方騎が生み出す翼端渦を利用して負荷を軽減している。ということになるだろう。
実際、効果は目に見えてあって、後続の鷲の疲労がずいぶんと軽減される。
だが、その半面、密集隊形に比べると陣形が広がりがちで、連絡が行き届かないという欠点もある。
なので、これは言ってみれば巡航隊形で、戦場にたどり着けば、への字を解除して、編隊を密集したものに変える予定だった。
下界を見ると、どうやら戦地にさしかかっている。
両軍の歩兵が衝突している前線からは、まるで野焼きでもしているかのように、白い発砲煙がもうもうと立ち上っていた。
同時に、爆竹を鳴らすような音も小さく聞こえる。
列になった歩兵が鉄砲を撃ち放っているのであろう。
少し出遅れたか。
とはいえ、空中で省エネ旋回するにしても、十時間も長居できるわけではない。
あまり早く来すぎても、始まった時には帰る時間ということにもなりかねん。
丁度良かったくらいだろう。
しかし、なんだな。
思った以上に心惹かれるな。
おー、戦ってる。って感じ。
もしこの世に神がいるとしたら、こういう風に人間の争いを見るのが楽しみなのかもしれない。
ずっと見ていたい、と思ったが、俺には先にやることがあった。
ピーッ! と笛を鳴らすと、旗を掲げて合図にする。
旗竿は槍で、旗を穂鞘のついた槍にくくりつけたものだ。
本当は、槍なんぞという無用の長物は持ってきたくなかったのだが、戦場に向かうのだから最低限の用意として槍は持っていくべき、という意見が多数を占めたので、俺のほうが折れた。
羽向きを変えると、事前に打ち合わせていたとおり、五羽の鷲がついてきた。
後ろを見ると、抜けた穴を補うように、キャロルが集団の先頭に立ち、スムーズに編隊を再編したのが見えた。
そのまま、敵方の後背に向かう。
戦列の更に後ろ、を通り過ぎ、数キロ後方に、引き払った本陣があった。
狙うのはここだ。
誰だって背中をいじめられるのは嫌なものだし、今は兵が出払っているから、地上からの攻撃は殆どないはず。
更に、焼かれて困るものといったら、物資だろう。
俺は、何日も前から目星をつけていた、物資が山と詰まれた地点に首先を向けた。
速度を失速寸前まで落とし、風の抵抗を減らして、ポケットからライターを取り出す。
鞍に押し付けるようにしながら、革手袋をはめた両手でライターを包みつつ火をつけると、指の間を少し開いて火を見つつ、三本の導火線に火を移す。
さすがに大きいライターだけあって、風の中でも消えない炎を作り、導火線を焼き焦がす。
導火線の先は、鷲の脇に付けたお手製の火炎瓶に繋がっている。
瓶といっても、容器は口がすぼまっただけの陶器なので、違和感があるが、とにもかくにも瓶にはなっている。
中には、石油を分留する過程でまっさきに分離される、軽油質の液体がたっぷり入っている。
そして瓶の口には、油の染みた布と導火線が差しこんであった。
導火線は、糊を付けた紙に火薬をまぶして、油の染みこんだ綿の糸に巻いたものである。
普通に布に火をつけただけでは、投下中に風圧で火が掻き消えてしまうので、試行錯誤の後にこういう形にした。
布についた火は消えても、その内側にある導火線の火は消えないので、引火に支障はない。
俺は、三本纏めてある導火線が着火したのを見ると、すぐに羽を返し、まっさかさまの降下を始めた。
ほとんど自由落下に近い機動をとり、みるみるうちに速度が上がっていく。
飛び降り自殺のような勢いで地表が迫り、本能的な恐ろしさが心を支配する。
そして、地上に近づいたところで、火炎瓶を結んである紐を解いた。
次の瞬間、手綱を勢い良く引く。
ぐぐいっと体全体にGがかかり、鷲は羽に空気をはらみながら、急降下から水平へと向きを変えてゆく。
紐による支えを失った火炎瓶は、その変化についていけず、スルリとほどけ落ちて地上に落ちていった。
後続の、特に鷲の扱いが上手な者たちも、次々に火炎瓶を投下してゆく。
だが、こちらは火はついていない。
ライターは一つしか用意できなかったからだ。
水平からさらに上昇へと転じ、十分な高度を取ってから下界を眺めると、火はわんさかと燃えていた。
火種は俺が最初に投下した三瓶だけで十分だったようだ。
近い場所に命中した瓶がまき散らした燃料にも、次々と炎が燃え移っている。
小山のように集積された補給物資の上に、火の海が現れ、一帯を焼き焦がしていた。
***
俺は再び高度を取り、もう一箇所目星をつけていた目標に進路を定めた。
火炎瓶は。もう三個ある。
再び導火線に火をつけ、羽を返した。
先ほどより幾分かスムーズに、ストンと降下に入る。
ぶわわっ、と迫ってくる地面は、なまじ目がいいだけにやけに鮮明で、恐怖感をかきたてる。
残った三つの瓶を投下し、星屑を引き起こし、水平飛行に戻る。
更に手綱を引き、上昇に移った。
そのとき、熱と爆音と圧力が、同時にやってきた。
ドガッ! という音と同時に、首筋が暖炉の火のような熱さに晒され、ぶわっと膨らんだ空気が背中を押した。
俺の背中が押されたということは、上昇に移っている星屑の大きな羽も全面が押されているということで、手綱から星屑がわずかに戸惑ったような気配を感じた。
だが、失速するということもなく、俺が反射的に手綱を片方引いて反転の指示を出すと、素直にそれに従った。
ふわっ、と羽が固体状の何かを掴んだように力を得、熱源が作ったらしい強力な上昇気流を掴むと、あとはほとんど羽を動かすこともなく天に登ってゆく。
背中を見ると、流石は精鋭中の精鋭をよりすぐっただけあって、五羽の僚騎は全員ついてきていた。
だが、さすがに羽は慌ただしく、鷲が混乱しているのは見て取れる。
危なかった。
なにがあったんだ、と地表を見ると、酷いことになっていた。
物資の中に入っていた爆燃性の荷でも爆発したのか、燃えた物資が四散して、そこら中のテントを焼いている。
危なかったな。
上昇に移ってしばらくしてからの爆発だったから、被害はなかったが、投下後すぐの爆発であったら、爆圧をモロに食らって墜落していたかもしれない。
俺は無事でも、後続は頭から爆発に突っ込むわけだから、死人が出ていたかも。
さすがに冷や汗が出た。
とはいえ、これで本当に余分な仕事は終わりだ。
編隊に戻ろう、と思い、俺は少し得意気に旗を振り、槍をキャロルのいる本隊の方向に向けた。
そこに、異様な光景が広がっていた。
***
一瞬、目の前に映ったものが信じられず、理性的な思考が「夢か?」と疑問を投げかける。
それほどありえない光景であった。
やや離れた上空で、巨大な竜が本隊を襲っていた。
鷲の三倍ほどの体格のある、羽の生えたトカゲのような竜が、本隊の真ん中で暴れまわっていて、整然とした編隊の姿は最早消え失せている。
皆が皆、蜘蛛の子を散らしたように、散り散りに舞い踊っていた。
俺は理性が命ずるより先に、星屑に全速力を指示していた。
スタミナを気にせぬ力強い羽ばたきが、ぐん、ぐん、と二つの生命体を加速させてゆく。
なぜ竜がここにいる?
有史以来なかったことが、なぜ今の今、この時に起きている?
鞍越しに火照りすら感じる全速力が功を奏し、俺はようやく本隊に辿り着いた。
目も当てられない光景が広がっていた。
鷲たちは、今にもお互いがぶつかりそうな勢いで、てんでばらばらに舞い、なにもできないでいる。
そして、竜と、竜の首元に跨った竜騎士は、確実に一羽の鷲を狙っていた。
彼女は、被った皮の兜から金色の髪をなびかせ、白い鎧を着ている。
キャロルだった。
金髪に目をつけたのか。
そりゃあそうだ。
他の鷲たちは、キャロルを護衛しようとしているらしい。
だが、体格が倍以上違う竜に対して、進路の邪魔をしては散らされる、を繰り返しているようだ。
次の瞬間には、思考が移る。
ああ、晴嵐の羽の動きが鈍い。
動きが鈍いのは、竜に散々追い立てられて、スタミナを根こそぎ失ってしまっているせいだろう。
攻撃を回避するために無茶な機動をして、失速寸前になっては遮二無二羽ばたき、速度を稼ぐような操り方をしていれば、鷲がヘバるのは当然だ。
晴嵐が集中的に狙われ、こうなってしまっては、これから逃げに転じても、竜から逃げ切ることは不可能だろう。
幾ら逃げても、ヘバりきった鷲では、追いつかれてしまう。
つまり、詰んでいる。
その結論に至ると、俺の体は勝手に動いていた。
竜よりさらに高度をとり、位置エネルギー上優位な位置取りをする。
そうして、旗のついた槍から、脱落防止のために付けてあった帯を外した。
槍をくるりと半回転させ、逆手に持った。
俺は、竜めがけて勢い良く突っ込んでいった。
集中のなかで、ほんの少しづつ手綱を張り、向きを調整してゆく。
竜の姿がみるみる大きくなり、衝突するコースになると、俺は手綱を二回引いて星屑に着陸の指示を出した。
星屑は、その指示の意味を理解しているのか、混乱することもなく、素直に足を前に出す。
そのまま、星屑は竜に勢い良く空中衝突した。
竜の翼の付け根に星屑の爪が立ち、肉を破り、すれ違うと同時に、俺は槍を胴体に突き刺した。
槍は竜の鱗を貫通し、奥に入ってゆく。
一瞬の間に、固い表皮をパキリと破り、柔らかい肉を裂き貫く感触が、腕を打った。
星屑が交叉し、竜から離れると、腕ごと引っこ抜かれるような衝撃が伝わり、槍を手放した。
手応えを感じる。
致命的な一撃を食らわしてやった。
飛竜種という動物が、どれだけ強靭な生きものなのか知らないが、翼にあれだけの傷を負わされて、飛んでいられるわけがない。
一方、星屑は傷を受けてないし、今は失速して落下している最中だが、地上が遠いので失速から回復するのは難しくない。
勝った、という達成感の中。目に写ったのは、ささくれた鱗だらけの、竜の巨大な尻尾であった。
竜騎士が指示したものではないのだろう。
竜が怒りに我を忘れてやったものなのか、元より空に生きる生物が繰り出した攻撃は、やけに正確だった。
空中での相対速度の偏差もピッタリと修正されており、俺は「当たる」と直感的に察した。
空中での機動は慣性の法則に大きく支配され、とっさの努力でどうにかなることは少ない。
竜の尾は、あらかじめ決められていたように、星屑の羽を捉えた。
バシッと羽が打ち据えられ、枯れ枝が折れたように羽が不自然な方向に曲がったのが見えた。
苦くて黒い汁が脳髄の血管に流し込まれたような気がした。
ああ、駄目だ。
片羽ではどうにもならない。
俺と星屑は、空中でもんどりをうちながら失速した。
折れた方の羽は、全く頼りなく、風を掴もうとするとふにゃりと曲がってしまう。
空気を掴む羽がこうでは、落下で速度ばかり上がっても、回復のしようがない。
頭上を見ると、竜もまた落ちてきていた。
やはり致命的な一撃だったのか、鷲と違って膜のようになっている竜の羽は、一番面積のおおきな膜が、滅茶苦茶に破けていた。
それでも目的を遂げようと、竜は落下ざまに、速度の遅い晴嵐の羽に噛み付いた……ように見えた。
俺に見えたのはそこまでで、バギャギャ、と枝葉を折る音が聞こえ、次の瞬間には衝撃が体を打っていた。