第089話 決戦前夜
俺は空からクラ人の陣営を見ていた。
星屑が羽ばたき、絶好の観測日よりとなった晴天を舞う。
星屑を斜めにし、開いた羽越しに地表を眺める。
空から見ていると、クラ人の陣営は、なんとなく雑然としていた。
数万人に及ぶ大軍団の陣営は、日本を知っている俺からすると、わりと小さなものにも思えたが、シャン人のそれと比べると、やはり規模が大きい。
だが、上空からでもなんとなく見て取れるのは、連合軍だけあって陣営がバラバラになっているということだ。
大きな陣営の中に、各国軍のテリトリーがあり、各軍が採用している天幕の色の違いが、モザイク模様のようになっていた。
実際には、各国軍だけではなく、臨時雇用された傭兵団なども入っているはずだから、中に入ってみればもっとゴチャゴチャしているはずだ。
だが、そのへんは上空からは確かめようがない。
地上からは、パンパンと甲高い音が聞こえてくる。
ここまで上空だと、風の音にかきけされ、音はわずかにしか聞こえないが、確かに鉄砲の音であった。
地上を見ると、数カ所から真っ白い煙がスジのように立ち上がって、風にまかせて流れている。
上空に射った場合の鉄砲の射程距離については検証済みであり、この高度は安全圏内なので、問題はない。
向こうの方も、そのくらいは解っていて発砲しているのだろう。
おそらくは、特攻を若干ながら危惧していて、お前らの存在には気づいているんだぞ。というアピールをしているのだ。
その証拠に、音の出ない矢などは一切飛んできていない。
まあ、矢は落ちる時矢尻が下になるから危ない。というのもあるだろうが。
そろそろ帰るか。
俺は笛をふきながら旗のついた棒を握り、後続に指示を出した。
少し遅れて、編隊の真ん中あたりにいるキャロルが、笛を吹いたのが聞こえた。
星屑を繰り、バサリと羽の向きを変えると、向かう方角が変わる。
一応、念のため、本拠地にしているニッカ村とはズレた方向に一度向かったあと、俺は村に帰投した。
***
俺が安全帯を取ると、
「総員、安全帯を解け!」
と、副官格であるところのキャロルが、追って号令を出した。
面倒で堅苦しいことだが、こういう仕組みになってるんだよな。
俺がキャロルにこういう役回りをやらせることについて、憤りを感じている連中がいなければいいが。
鷲から降りた連中が、手綱を取って俺の近くにキッチリと整列をする。
これも、こういう仕組みになっているのだから、仕方がない。
個人的には、もっとラフでいいのではないかとも思うのだが、軍隊という性質を考えれば、結果的にはキチっとしていたほうが良いのだろう。
なんだかんだ、カケドリで来た連中も、鷲の貸し借りで半分以上は本陣を見てくることが出来た。
もちろん、本番の戦争を見るのは最初から王鷲を持ってきた二十八名の特権だが、これも成果といえば成果だよな。
「諸君、お疲れだったな。鷲を繋いで休みたいのは山々だろうが、まずは鷲を点検してみてほしい。弾が当たっていないとも限らない。勢いはなくとも、当たったら骨折くらいはしているかもしれないからな。軽く調べて、鷲を繋いだら、ひとまず解散してよろしい」
編隊が居た高度は、殺傷距離どころか到達距離にも至らない距離なので、まずありえないとは思うが、その辺はあてにならない。
暴発の危険を犯して、火薬を倍も込めれば、届く可能性もないとはいえない。
それでも、羽と皮を突き破って鷲を撃墜する、ということはありえないが、王鷲の骨というのは、空をとぶ鳥に共通した性質をもちろん持っていて、軽量なぶん強度に難があるので、骨折くらいはするかもしれなかった。
俺はポケットから時計を取り出すと、現在の時刻を見た。
「そうだな、約三時間後、食事が終わってしばらくしたら、会議をしよう。気づいたことを頭のなかで纏めておいてくれ。以上だ」
言った手前、その場で自分も簡単に星屑を点検する。
当たり前だが、傷はなかった。
手綱を取ってその場を離れると、俺はテクテクと歩いて、家のそばの馬小屋に星屑を繋いだ。
保存庫に行って、餌を手にぶらさげて戻る。
枝肉から切り取ってきたような、シカの腿肉だ。
星屑のくちばしの下に置いた。
「食べていいよ、星屑」
俺がそう言って許可をすると、星屑は早速、肉を食べ始め……なかった。
あれ?
星屑はじっと俺を見ている。
まるで、肉に興味がないようだ。
「どうした? 腹が減ってないのか?」
腹が減っていないわけはないのだが。
もしかして体調でも悪いのか。
「クルルッ……クルルル……」
星屑はなんだかしらんが、クチバシを俺の頬に擦りつけてきた。
スリスリ、スリスリ
痛くはないが、肌触りがいいものではないので、なんだか微妙だ。
「どうしたんだ?」
もしかしてアレか。
馴れない場所を飛んできたから、緊張しているのかも知れない。
それか、星屑なりに戦場の雰囲気を感じているのかも。
軽く毛づくろいでもして、リラックスさせてやるか。
俺は星屑の頭周りの毛をニジニジしてやった。
しばらくそうしていると、星屑も気が和らいだのか、幾分機嫌が良くなったようだ。
「ほら、そろそろ食いな」
そう言って、肉を指さすと、今度は食べ始めた。
なんだったんだろう。
「よう、大将」
背中から声が聞こえた。
リャオの声だ。
「戻ったか。どうだった」
と、近くにあった桶で、生肉を触ったせいで汚れた手を洗いながら聞く。
リャオには、定期的に実家に顔出しして状況を探ってもらっていた。
「決戦は、明日になりそうだ」
「そうか。そうだろうな」
ここ数日の進軍速度を考えれば、順当にいけばそうなりそうだった。
というか、向こうは二日前から進軍速度を抑えていて、かつ、各地に分散した軍勢も結集している。
そのことは、俺のほうも毎日見物に出ているので、よく解っていた。
一日に一度の偵察しかしていない俺にさえわかることなのだから、数倍以上の密度で偵察を行っている軍団本隊のほうは、先刻承知のことだろう。
ブチ当たるのは明日だ。
「帰るときのために、馬と鳥をよく手入れしておいてくれ。余りそうな穀類や豆は、全部飼葉に入れて、食わせちまってくれ」
「ああ、そうしておくよ」
馬は反芻動物ではないので、所謂葉っぱ、牧草だけでは体が作れない。
穀類や豆類を混ぜてやると、体力がつくようになる。
「かといって今日明日食わせるもんがなくなっても困るからな。ミャロと相談してくれ」
「そうするつもりだ」
丸投げになってしまうが、下手に手出ししないほうが上手くいくだろう。
最後だから顔を突っ込んでみるか、なんてことをすると、逆に混乱させてしまいそうだ。
「向こうの本陣のほうも荒れていただろう。悪かったな」
毎日こんなことをさせてしまっているが、本来リャオの領分なのかというと、微妙なところだ。
リャオの立場を考えれば、俺の方についてきて、敵の本陣のほうを見てみたいと思っているのではないだろうか。
実家に顔出しさせてしまっているせいで、今日はこっちのほうに参加できなかった。
加えて、今日は決戦前夜となるわけだから、ルベ家の陣営のほうも滅茶苦茶に殺気立っていたはずだ。
「荒れてはいたが、キルヒナ側に行ったわけじゃない。歓迎してもらっているさ」
まあ、そりゃそうか。
御曹司を無下に扱う馬鹿もいないか。
「そうか。それならよかったが……。あとはそうだな。明日は、言っておいたとおり、俺は何羽か連れて、ちょっとのあいだ別行動を取る。ほんの少しのこととはいえ、キャロルが指揮を任せられることになるが、お前の方も気を配ってやってくれ」
「気を配るか。具体的に、どんな事をだ」
「まあ、まず心配なのは、高度かな。下に下がり過ぎたら地面はよく見えるが、そしたら鉄砲に撃たれちまう」
「おまえ……姫様をバカだと思ってないか?」
なんか呆れたような目で見られた。
あれ……。
「もしもの話だ。ただでさえ忙しい空中で、馴れない指揮なんか任せられたら、冷静な思考なんぞできないだろ」
もっともらしい言い訳をしておくか。
「だが、ほんの少しの間のことなんだろう。その間、特別なことはせずに、空中待機する約束だったと思うが」
「気をつけるに越したことはないしな。敵の本陣に墜ちたら目も当てられない」
文字通り血祭りにあげられるだろう。
「そりゃそうか」
とはいえ、考えてみれば、ただ留守番をするだけのことだ。
なにが起こるわけもない。
子どもじゃないんだから、注意が惹かれたものに一目散に駆けていく、なんてことはしないだろう。
「まあ、俺の杞憂だとは思うがな……。問題なのは、戦が終わってからの帰り道のほうだ。くれぐれも頼むぞ」
盆正月の帰省ラッシュではないが、帰り道は混むことが予想される。
できるなら、撤退は誰よりも早く迅速にして、混みあう前の道を使いたい。
もちろん、決戦に勝利できれば、そんな心配はなくなるのだが。
「分かった。そのへんは念を入れておくよ」
「頼りにしてるぞ」
俺はリャオの肩を叩いた。
明日からは予測不能のトラブルが十も二十も襲ってくるだろう。
その全てが大きなものではないだろうが、準備を入念に整えておくに越したことはない。