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第063話 キャロルとミャロ 中編*

 身支度から帰ってきたキャロルは、

「どうだ?」

 と、かるく頭を振り、さらりとカツラの茶髪を風になびかせた。


「凄いですね。思った以上の変装ぶりです」

 ミャロはパチパチと手を叩いた。

「それじゃあ、さっそく行こう」


 キャロルは教養院の制服を着ていた。

 ミャロのほうは騎士院の制服を着ている。


 ミャロの制服は男装で、キャロルのほうが背が高い。

 なので、遠目から見れば、歳の差のちぐはぐカップルに見えるだろう。


「今日はどちらへ向かうおつもりなんですか?」

「教養院で流行りの喫茶店に行ってみたいのだ。ヴォーグとかいう」


「ああ」ミャロは頷いた。「なるほど。ボクも小耳に挟んだことがあります」

「ふふ、なかなか縁がないものでな」


 キャロルは、付き合いは幅広いものの、対等の立場の友人と言っていいのは、ユーリとミャロくらいしかいない。

 なので、世間話を横聞きして興味が湧いても、いっしょに行く相手がいなかった。

 ユーリとは、これもまた休日に一緒にお茶に出かける仲ではない。


「ボクもです。というか、喫茶店というところには入ったことがないです」

「ああ、私もだ」

「そうなんですか」

 ミャロは特に驚いた様子もなく言った。


「なら、初めて同士というわけですね」

「そうだな」

「ふふ、おかしなものですね、こんな普通のことを、二人ともしたことがないなんて」


 まったくだ。とキャロルは思った。

 だからこそ、なんとなく経験しておきたいのだ。

 他の子たちが普通にやっている「お遊び」を、自分もしてみたい。


「ユーリは、喫茶店を頻繁に利用しているらしいが」

「そうらしいですね。大図書館前の銀杏葉(ぎんなんよう)というお店を主に使っているようです」


 ミャロは当たり前の情報のように言った。

 毎度のことながら、なんで知っているんだろう。

 相変わらずの物知りだ。


「それでは、出かけるとするか」

「はい」

 二人は正門に向かって歩き出した。



 ***



「オリジナルブレンドティーと芹皮茶、揚げ団子と、炙り乾酪(かんらく)です。おまたせいたしました」

 机の上に茶と茶菓子を並べると、給仕の女性はぺこりと頭を下げた。

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」


 小さなテーブルの上には、二つの空のカップと、たっぷりと茶が入ったポットが二つ。それに二皿の茶請けが置いてある。

 ここのサービスでは、自分で茶をそそぐらしい。

 二人以上の人数で、別々の種類の茶をわけあって楽しむための仕組みなのだろう。


「ああ、どうもありがとう」

 キャロルがそう言うと、給仕の女性は一瞬きょとんとした顔になり、そのあとにこりと微笑んだ。

「ごゆっくり」

 給仕の女性は去っていった。


「それにしても、あまり人がいないのだな。流行りというくらいだから、教養院生がたくさんいるのかと思っていた」

 キャロルは、周囲をきょろきょろと見回しながら言った。


 寂れている、といった印象は受けないが、中流階級のカップルが何組か遠くの席で喋っているくらいで、大流行しているようには見えない。


「まあ、実を言うと、ここは一つ前の流行りですからね。今はファー・イースト・喫茶房というところが流行りなので、皆そこにいっているはずです」


「えっ、そうなのか?」

 そんなはずは。と思いながら、キャロルは言う。

「はい。教養院の流行の移り変わりはとても激しいので」


 この店が流行っているという話は、つい二週間ほど前に聞いたものだった。

 それがもう時代遅れとは。

 なんだか呆然とする思いがした。


「知っていたなら、どうして言ってくれなかったんだ」

「とくに最新の流行に乗る必要もないかと思いまして」

「む……」

「それに、きっととても騒がしくて、落ちついてお茶を楽しむこともできませんよ」

「……うーん、それもそうか」


 納得させられてしまった。

 ミャロの言うように、くるくると流行りの店が頻繁に変わるのであれば、どこが優れているというわけでもないのだろう。


 この「ヴォーグ」が「ファー・イースト・喫茶房」に劣るわけではなく、飽きと流行で移り変わっているだけなのだ。

 それなら、初めて喫茶店を利用するのであれば、どちらに来ようが感動に差が生じるわけではない理屈になる。


 だが、どうも未練が残るような気もする。

 流行に乗って普通の学生のようにはしゃいでみたかったような。


 しかし、考えてみれば、そんな学生が密集したところに行けば、変装がバレてしまうかもしれない。

 今は教養院の制服を着ているわけで、

『あら、あなた初めて見る顔ねえ、誰?』

 などと気さくに話しかけられることもないとはいえず、そうしたら答えようがない。


「では、さっそくいただきましょうか」


 ミャロが、ぱたんと胸の前で両手を合わせながら言った。

 なんとなく、歳相応の少女らしい仕草だった。


「そうだな、いただこう」

「はい」

 ミャロはポットを取って、すっと持ち上げ、無造作にカップに茶を注ごうとした。


「あっ」

 キャロルは、思わず小さな声をだしてしまった。

 ぴたっとミャロの手が止まる。


「? どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」

「……ああ」

 ミャロは何かに納得したように、一人頷いた。


「そうですね、ボクは茶法には疎いので」

「では、今日は私が注ごう。ミャロは客ということで」

「恐縮ですが、お願いします」


 キャロルは、ミャロが置いたポットと、ミャロのカップをとって、茶を注ぎはじめた。

 カップのふちを滑らせるように、波立たせないように。


 芹皮茶は、空気を含ませると味に渋みが出てしまうので、高い位置から泡立つように湯を注ぐのは厳禁だ。

 ミャロは無造作に茶を注ごうとしていたが、実のところ、あまり良くない注ぎ方だった。


 とはいえ、もちろん渋みといっても、僅かなもので、茶を飲めなくなるわけではない。

 また、逆に渋みを好みに感じ、わざと渋みを出す人も居ないではない。

 些細といえば些細な問題だ。


「なるほど、見事なお点前ですね。さすがは王室のお生まれです」


 やっぱり知っていたのか。とキャロルは少し驚いた。

 シヤルタの王室が茶の作法などをやっているなどという話は、有名でもなんでもない。

 誰かを茶に招くということも、今ではほとんどない。

 むしろ、どこから聞いたのだと不思議に思えた。


「こんなのは、茶の作法というほどでもない」

 芹皮茶が入ったカップを、ミャロのソーサーの上に置いた。


 そして、キャロルは自分のカップにブレンドティーを少しいれて、香りを確かめ、それを口にふくんだ。

 芹皮茶というのは単一の味の茶だが、いろいろな味の混ざる混合茶というのは、香りを聞き、実際に飲んでみるまでは、なにが入っているかわからない。


 飲んでみると、苦味が少なく、甘みを重視したブレンドだった。

 空気を入れてまろやかにしたほうが美味しそうだったので、キャロルは今度は空気を入れて泡立つように、少し高いところから茶を注いだ。


 ミャロはカップに口をつけると、

「さすがに美味しいですね」

 と言った。


 キャロルも、内心で期待をしながら、お茶を口に含む。

「そうだな、たしかに美味しい」

 と言ったが、内心では、それほどでもないな、と思っていた。


 お母様が混ぜた茶のほうが断然美味しい。

 蘇根茸(そこんたけ)が香りづけに入っているようだが、それの味が強すぎて、各種の茶香が混じりあって醸し出すハーモニーを壊してしまっている。


 キャロルは、本格的な茶というのは母親が淹れたものしか飲んだことがなかったので、お母様はやっぱり上手なのだな。と改めて思った。


「そういえば、殿下は教養院の卒業はいつごろになりそうなのですか?」

 と、ミャロが唐突に雑談を振ってきた。


 そうだ。喫茶店では雑談を楽しむものなのだ。

 女性同士の益体もない雑談であればなおいい。


「再来年あたりになるかな」

「へえ、案外、早く卒業できるものなのですね」

 再来年といったら、キャロルは十九歳になる。

 両院をハシゴしていることを考えれば、十分に早い卒業だ。


「私は入学する前から古代シャン語は半分話せたし、ミャロのようにクラ語も取ってないからな」


 古代シャン語の習得は、七大魔女家筆頭クラスの知識者層と話すときには必須とされているので、キャロルは幼い頃から基礎教養として学ばされていた。

 十六歳とか十七歳とかで卒業してしまう優等生は、大抵がそのたぐいの人間で、他の者と比べれば最初から一歩も十歩も進んでいる。


「でも、古代シャン語よりは簡単といっても、法論などもあるでしょう」

「法論は騎士院の単位にもなるんだ。だから、実際は単純に二倍というわけじゃないんだよ。必修のほうも、基礎部分はほとんど両方の単位になるし」

「ははあ、なるほど」


「だから、私にとっては、騎士院のほうがよっぽど大変なんだ」

「それはそうでしょうねぇ。なにしろ、ボクたちは体格からしてだいぶ不利ですし。ドッラくんのように体力に自信があったら逆なんでしょうけれど」

「それはそうだろうなぁ」

 ドッラなどは、むしろ座学を実技で埋め合わせている部分がある。


 ドッラの座学は、努力と根性で平均の少し下あたりを推移しているのだが、連日の涙ぐましい机との死闘を見ていると、誰かどうにかしてやれないものか。と思ってしまう。


 わかりやすく勉強を教えてあげようにも、キャロルが近づくと極端に緊張してしまう性質(たち)のようで、集中を乱して勉強にならないので、教えてあげられないのだ。


「ミャロだって、掛け持ちをしようと思えばできると思うぞ。下手をしたら今からでも」


 これは真剣に、できないようには思えなかった。

 今からでも教養院は入学できなくはないのだし、ミャロであれば二股をかけてもサクサクと単位を習得して、二十までに卒業できてしまう気がする。

 なにしろ、ミャロは騎士院にいながら、キャロルのほうが教えを乞うほどに古代シャン語が達者という異才なのだ。


「いやいやいや、ボクなどは騎士院だけで精一杯ですから」

 これは本当に冗談ではないと思っているのか、ミャロは両手を振って慌てて否定した。


「そうかなぁ。ミャロならさほど苦もなくできると思うがな。座学は完璧なのだし」


 教養院は座学が全てなので、座学ができれば卒業はできたも同然だ。

 一応、実技ともいえるものに、マナーの訓練というものがあるが、これもミャロは完璧なので、十分であろう。


「そうですかね。座学は確かに自信がありますが、そうすると、クラ語の勉強に差し支えがでますから」

「あれはそんなに難しいのか?」


 ミャロはいつもクラ語を勉強している。

 暇な時もぶつぶつとクラ語を唱えている。


 ミャロほどの才能の持ち主がそこまで努力をして、まだ足りないというのは、古代シャン語より難しい言語なのだろうか、と思ってしまう。

 だが、古代シャン語より難しいということは、日常に使われる言語として難易度が高すぎるということも意味する。

 現代シャン語は、日常言語としてあまりに煩雑すぎる古代シャン語が、大混乱の中で廃れ、庶民の話し言葉だった俗シャン語が進化する形で成立した。


「難しいというより、ボクには向いていないみたいなのです。向いている人にはどんどん抜かされていっていますよ」

「えっ」


 ということは、その分野ではミャロは劣等生というわけか。

 そんなことがありえるのか。


「音楽などと同じで、向き不向きがあるんです。不器用なひとが十年楽器を練習しても、下手な人は下手なままですし、才能ある人は、楽器をはじめて一年程度でも上手に演奏できてしまったりしますよね」

「それはそうだが……」


「それと同じで……そうですねえ、講義に来始めてやっと一年という教養院の子が、ぺらぺらと流暢にクラ語を喋りだしたのを見たときは、ボクも少し唖然としました。ああ、ボクは才能がないんだなぁ。と、しみじみと痛感せざるをえない出来事でしたね」


 少しどんよりとした雰囲気をまとい始めたので、これは本当のことらしかった。


 が、どうも得心ができない。

 話し言葉として通用する言語であれば、語句を覚える量自体は、古代シャン語のほうが多いはずだ。

 ということは、口にすることでなにか別の障壁が生まれてくるのだろう。


「興味があるな。少し喋ってみてくれないか」

「いいですよ。といっても、ボクのクラ語はあまり上手ではありませんけど」

「頼む」


「∇❥§✈※♮〃~、∇еゞ。§✂◉✁----×」


 その言葉は、キャロルが今まで聞いたことのない響きを伴っていた。

 簡単なようなら一つ勉強してみよう。という気持ちがサラサラと砂になり、風に吹かれて飛んでゆくような奇妙な感覚を覚える。


「ど、どういう意味の言葉を喋ったんだ?」

「妻と喧嘩することがあっても、憤ったまま日が暮れるようであってはならない。ですね。向こう側の神さまの教えらしいです」

「最初の……なんといったか。それが妻を意味するのか?」

「はい。∇❥ですね」


 聞いても、キャロルには上手に口を動かして、同じように喋れる気がしなかった。

 口の動かし方からして全然違う。


「なんとも苦労しそうだな」

「そうですね。でも、資質のある方はあっという間に体得しますよ」

「でも、ミャロはどうして無理に頑張っているんだ? 面白いからではないんだろう?」

 キャロルからしてみれば、そこが不思議だった。


 べつに、あれはどうしても取らなければならない講義ではまったくない。

 近年では、クラ語を習得しておくと、王城の渉外部に就職の口ができるというので、王城に役目を持ちたい零細魔女家の娘などが勉強していると聞く。

 だが、騎士院に籍を置くミャロには、王城に勤務するという未来はない。


 当人が面白がっているなら別だが、そうでないのなら、無理をしてやる必要があるとは思えない。


「ユーリくんが一番興味を持っていた講義でしたからね。ボクも興味が沸いたんです」

「ははあ、なるほど」

 キャロルはなにかを察したようにニヤリと笑った。

「なるほど、じゃありません。教養院の本に書いてあるようなことはありえませんから」

 怒ったそぶりをしながらミャロが言った。


 前にミャロに話した、ユーリが主人公のいかがわしい本のことを言っているのだろう。

 キャロルは、教養院に籍を置きながら教養本とは縁がない暮らしをしてきたが、ついにさきごろ、妹のしつこいくらい強い勧めで、一冊読むことになった。


 妹の話では、ユーリが主人公の場合は、大抵ミャロも登場するのがお約束らしい。


 その役どころというのは、だいたいがユーリの(主に性的に歪んだ)恋路を邪魔したり、横恋慕で茶々を入れたりする、悪女のような役回りだという。

 教養院の学生からしてみれば、教養院に所属しないがゆえにしきたりに縛られず、思う様ユーリに接近して仲睦まじくしているミャロが、なんというか抜け駆けしているように思われてしかたがないらしい。


 だが、ミャロのような独特な立場の人間が、主人公格の男と仲がいいという状況は、今までなかったことなので、界隈では新鮮な要素として受け入れられているという。


「ところでさ……」

「なんですか?」

 ミャロは揚げ団子を口にいれながら聞き返した。


「ミャロはどうして騎士院に入ろうと思ったのだ?」

「え」

 ミャロは短い嘆詞で答えた。


「いや、話したくないのなら良いのだが」

 キャロルは慌ててそう言った。


「あ、いえ、別にいいですよ。気になるのであれば」


 ミャロは意外にも、渋ることなく平然としていた。


「正直、気になってしかたがなくてな。どうも、ミャロは体を動かすのが好きというわけでもないようだし……」


 ミャロは今日のように特訓をするほど熱心ではあるが、決して運動が好きなわけではない。

 その頑張りは、義務を果たすための努力という意味での頑張りであるように、キャロルには思えた。


 それに……。

 ミャロは、入学した時には、まだあいつと面識がなかったはずなのだ。


「あまり親しくない人に話したくない内容であるのは確かですが、殿下であれば構いませんよ」


「もちろん、誰かに話したりはしない」

「ですが、条件があります」

「条件?」


「お話しする前に、お茶のおかわりを一杯お願いします。長い話になりますから」

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