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第003話 スズヤの生活*

 私は、名をスズヤと申します。


 半島の南部、シレナという地に生を受けました。

 この地の地質は麦の生産には適さないのですが、湖水は多く、牧草となる草は良く生えるので、人々は森を切り開いた地で羊や山羊、牛などの家畜を飼いつつ、森で狩りをして、半牧半猟の暮らしをしています。


 領主となるのは武名に名高いホウ家の方々で、シレナの人々はまつりごとに関して鷹揚な彼らの下で、穏やかな生活を送っていました。

 今は少し疎遠になってしまいましたが、今でも同じ生活を送っているはずです。


 私は二十歳になるまで、どこにでもいる田舎娘と同じような生活をしていました。

 少しご紹介しましょう。


 農家の一日は、まず炊事から始まります。

 私と母は、家族の父や兄たちより先に起き、朝食と男たちの弁当の準備をするのが日課でした。

 食事が終わったら男たちを猟に送り出し、後片付けが終わると、男たちを追うように外に出ます。


 まず家畜を追い、放牧地に家畜たちを放します。

 そうしてから、採草地へ行って飼葉となる草を採取します。

 採草地というのは、長年にわたって少しずつ木を倒して拓いた開墾地です。


 放牧地と違って、沼に接しており、草の生えは良いのですが、ここに家畜をいれてしまうと、家畜はたびたび水に溺れてしまいます。

 なので、柵を作って家畜が入れないようにし、人間の草刈り場にしているわけです。

 ここに生い茂る雑草を、腰をかがめてざくざくと刈っていき、持ち運びやすいように束にしていきます。

 今になって思うと、大変な重労働でした。


 ここで刈った草は、すぐに家畜たちに食べさせるわけではありません。

 雑草が生えているうちは、家畜たちを放牧地に放し、自然に生えている雑草を食べさせます。

 放牧地はそのための土地で、採草地で刈り取った草は、家畜たちの冬の食料となる干し草になります。

 一夏かけて干し草を集めても、全ての家畜が長い冬を越えられるだけの量は集まりません。

 なので、冬入りの前に屠殺をして、数を調整するのが常でした。


 午前中は草刈りをし、昼食を済ませて午後になると、私たちは森の浅いところに入って、果物や薬草を集めたものでした。


 短い秋がすぎ、長い冬となり、山野の動植物が死んだように眠りにつくと、糸を紡いだり布を作ったり、または刺繍をしたりと、そういった作業をして日々を過ごします。

 そうしているうちに春となり、また草刈りが始まるのです。


 私は、そのような、退屈ながらも満ち足りた生活をしていました。


 そのころ、この家の女手は祖母と母、そして私だけでしたから、私がいなくなってしまうと女手が足りなくなってしまい、家畜を維持できなくなるので、私は嫁にいくこともお婿さんをとることも、なかなかできないでいました。


 お兄さんが結婚をすれば、お嫁さんが来るにしろ、婿へ行くにしろ、人数が増えるか減るかするので、私の結婚はそれからということになっていたのです。

 お兄さんの縁談で減ったり増えたりした人数を、私の縁談で調整することになっていたわけです。


 お兄さんが二十五歳になり、私が二十歳になったとき、丁度良い縁談の話が来て、お兄さんはお嫁さんを貰いました。

 我が家には一人可愛らしい娘さんが増え、その代わりに私は他所の家に嫁に行く事になりました。


 兄の嫁入りの宴が終わってしばらくすると、私は家長である祖母に伴われ、嫁入り先探しにあちこちの家を訪ねまわることになりました。


 もう少し南のほうの地方だと、本格的な耕作をしている関係で大規模な農村ができているので、村の中での恋愛結婚なども多いようですが、山近い土地であるシレナには、そういった集落はありません。

 森の中に、一家の暮らす家がぽつぽつと点在しているだけです。

 大きな集落になってしまうと、森のなかの狩り場がかさなってしまい、不都合や喧嘩が起きるからでした。


 というわけで、お祖母さんは兄を使いにし、縁組みの手紙をほうぼうに送りました。


 私を嫁にほしいという家は、その場で兄にその意思を伝えるか、人づてに話を聞いた場合は、私の家に手紙を出します。

 そして、私は祖母にともなわれて、家々を回ったのでした。


 シレナ地方のしきたりでは、向かった先で行われる顔見せの場では、双方は婚儀に向けた具体的な話はしてはいけないということになっています。

 それは無粋な行為とされ、嫁や婿を欲しい家は、言葉でそれを伝えるのではなく、歓待で態度を示すのが礼儀とされていました。


 なので、「こんな嫁さんがうちにくるのかぁ、嬉しいなぁ。もう決まったようなもんだ」というような、押しの強いことは言わず、美味しいお酒を出したり、採取に手間のかかる香草を詰めた一番いい部位の肉でごちそうを拵えたりしたり、「こいつは人の三倍は働くし、なにより誠実で優しいんだよ」というふうに、夫候補の人の良さをアピールしたりするわけです。


 私も、兄の嫁取りの際には迎える側として歓待の用意をしたので、受ける側になると恐縮してしまい、恥ずかしいやら申し訳ないやらで困ってしまいました。

 なにしろ、こんなふうに多くの他人と、短い間に連続して出会うのは初めてのことでしたし、こんなごちそうを頻繁に食べたのも初めてのことでしたから。



 ***



 そんな時分、向かい先での滞在が好調に終わり、機嫌よく歩きながら我が家に帰る途中、私は彼と出会いました。


 街道というのもお粗末な、人ふたりがすれ違えられないほど狭隘な道を、祖母と二人で歩いていると、道の先から一羽の駆鳥(カケドリ)がきたのでした。


 駆鳥(カケドリ)というのは、騎乗できる飛べない巨大鳥です。

 それはそれは速く走る生き物なのですが、馬より疲れやすく大食らいなので、農耕や荷運びにはあまり用いません。

 余程急いでいる場合でなければ、殆どの場合、馬のほうが適しているからです。


 卵は美味しいらしいですが、肉は美味しくないので、農民はよほど豊かでもカケドリは持たないのです。

 商人も荷運びに不向きなカケドリは持ちません。

 自然と、上流階級もしくは騎士の方々専用の乗り物ということになるわけです。


 だからといって馬とくらべて格別に高貴な乗り物とされているわけではないですし、所有を罰する法もないので、農民や商人でもカケドリが好きなら乗っても良いのですが、周囲の顰蹙を買うのを恐れて、あまりそういうことはやらないようです。


 そういう事情があったので、私たちはびっくりして道を譲ろうと街道を外れ、急いで草むらの中に入りました。

 カケドリはリズムのよい駆け足でこちらにきて、私たちに気づくと速度を自然に落とし、歩く速さになり、さらに速度を落としました。

 そうして目の前でピタリと止まりました。


 乗り手の男の人は丈夫そうな綿の服を着ていて、一見では身分はわかりませんでした。

 ただ、服のほうは、私のような娘が農業の片手間に織ったような粗雑な布ではなく、どうも職人が織ったらしい布で、染めも良いものに見えました。


 乗り方が上手かったのか、カケドリは走りを止められて不機嫌になる様子もなく、首をかしげたり近くの草をついばんだりしています。

 御者である男の人は、チラと祖母を見た後、私を見ました。


 じっと目と目が合います。

 そのまま、一分ほど見つめ合っていたでしょうか。

 私は、なんでこのひとは私をこんなに見つめてくるのだろう。

 と、不思議に思いました。


 ふいに、祖母が口を開きました。

「もし、あなた様はもしやホウ家のご子息様ではありませぬか」

 私ははっとして祖母を見ました。


「はい、いかにもそうです」

 男の人は丁寧に返事をかえし、私から目を離して、祖母を見ました。


 ホウ家の男といえば、この地では数百年来の領主様であり、戦となれば槍を背負って駆鳥(カケドリ)に乗り、出陣していく方々です。

 ですが、その人は優しげで丁寧な言葉遣いで、まるで武辺者には思えませんでした。


「私とここにいます娘はこの近くの農家のものでございます。嫁入り先を探しに、となり町まで行ってまいった帰りでございます」

「なるほど」

 男の人はそれだけいうと、また私を見ました。


 祖母は、この男の人に自己紹介以上にどのような話をすればよいのか解らず、下手に声をかければ失礼にあたるかもしれないので、困惑しているようでした。


 それからまた数十秒私を見ると、

「引き止めてしまい、申し訳ありませんでした。夜になる前に家まで帰れますか」

 と言いました。


「はい、すぐそこでございますので」

「では、お気をつけて。それでは失礼……」


 その男の人は、私たちが砂埃をかぶらないようにゆっくりと駆鳥を歩かせ、少し先まで行くと速度を上げて走り去りました。


 我が家に嫁迎えの申し入れがあったのは、その一週間後でした。


 ホウ家では、これまで見たこともないような豪邸で歓待をしていただき、私は恐縮しっぱなし。

 道で会ったあの男の人はホウ家の次男で、武家に生まれたものの武の才能がなく、トリの繁殖と調教の仕事をしているということでした。

 祖母は二つ返事でこの縁談を受けようと言い、私も否とは言いませんでした。


 そうして結婚して、私はホウ家に入りました。

 といっても、本家の大きなお屋敷に入ったというわけではなく、彼は本家とは違う場所にある小さな家に一人で住んでいて、そこに同居ということになったので、家の大きさはあまり変わりませんでした。


 そうして結婚してから五年。

 私は幸せな生活を続け、彼との間に初めての子を授かりました。


 その子は生まれた時からとても静かで、産婆は産声すらあげない我が子を見て死産と思ったほどでした。

 生後三日たって元気に乳を吸う我が子を見ても、あまりにも静かで暴れもしないので、産婆は障碍児と疑っていたようです。


 ただ、私はあまり心配していませんでした。

 この子は確かにあまり泣きませんが、お腹が減った時などやおむつを交換してほしい時にはちゃんと大声で私を呼びます。

 それに、この子は家事が終わって私がだっこしてあげると、とても安心したような、幸せそうな顔をするのです。


 家事にかまけて放っておくと、寂しがり屋の気が出てくるのか、ベビーベッドの中で寂しそうな顔をしています。

 普通の赤ちゃんなら寂しかったら遠慮なく泣いて親を呼ぶものですが、この子はそれがない分、こちらから気づいてあげないといけません。

 そういうときに私が抱き上げて話しかけてあげると、とっても温かくて優しい表情になるのです。

 きっと、この子は寂しがり屋さんで優しい子なんだと思います。


 この子をユーリと名づけたのは、ホウ家の家長であり、ホウ家騎士団の首領であらせられる、ゴウク・ホウ様です。

 結婚式のときにも仲人になっていただき、粗末な服しか持たぬ私の家族に衣類を貸し与えて頂いた、大恩あるお方でした。



 ***



 ユーリは、体ができてくると、何かに急き立てられるかのように立って歩くことを覚え、トイレの場所を聞き、早々にオムツから卒業しました。

 三歳になるころには、文字を教えてくれるようにせがみ、教えてあげると、今度は家にある、夫にしか読めないような難しい本を読み漁るようになりました。

 夫がいるときは読み聞かせをせがみ、夫はたまに商用でいく王都で本を借りてきては読み聞かせをするようになりました。

 夫の読み聞かせる物語は、私が聞いても新鮮なもので、面白かったものです。


 三歳の誕生日を祝うと、予め決めていた約束通り、夫はユーリを仕事場に連れて行きました。


 帰ってくると、よく分かりませんでしたが、夫はユーリに才覚があることを喜びながら話してきて、ユーリも常にないほど興奮した様子で、今日の体験を面白がっていたようでした。

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