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第004話 忘れぬために

 四歳の誕生日が近づいたころ、俺は夕食の食卓で両親に言った。


「今年の誕生日は白紙の本を頂けないでしょうか、できる限り分厚いやつを」


 俺が初めてこの両親に物をねだった瞬間である。

 両親ははっと驚いた顔を一瞬したあと、少し困った顔で俺を見た。


「ユーリ、なんに使うんだ? そんなもの」

「日記というか……考えたことを書き留めたいんです」


「そうか、読み書きはもうできるようになったのか?」

「もちろんできますよ。もう教えることがないくらい」


 実際、国語教師のスズヤには、もうほとんど教わることがなかった。

 といっても、それは俺の言語学習が完璧ということではまったくない。


 スズヤは農民出身の女性で、貴族層の端くれにあるルークとは驚くべきことに恋愛結婚のような形で婚姻したらしい。

 農民として育ったスズヤは、多少の読み書きはできるものの、日本の事情で例えれば小学校卒業程度の能力しかない。


 自分の名前を書けて、道に刺してある道案内の看板のようなものや、たまにくる回覧板を苦なく読める程度だ。

 ルークは一応は貴族なので、法律関係の本や、簡単な歴史についての本は、何冊か家に置いてあるのだが、スズヤは難しい言葉で書いてあるそれらの本は読めなかった。


 それはさておき、俺がなぜ白紙の本が欲しいのかというと、もちろん日記を書くためではない。

 前世というか、日本にいたころの知識を忘却の彼方へなげうってしまわないように、書き留めておきたかったのだ。


「お願いします。来年も再来年も誕生日プレゼントはいらないので、買ってください」


 俺は深々と頭を下げた。


「でもなぁ、お前は知らないだろうけど、本っていうのはけっこう高価な代物なんだ」

 俺はルークの口調が親父特有の説教モードに入ったのを感じた。


「はい……」

 こういう場合は殊勝な態度をとりつつイエスマンになるに限る。

「買ってやるのは構わないさ。けど、そのへんの玩具とはわけが違うんだから、落書き帳のようにするんだったら買ってやる甲斐がない」


 これは確かにルークの言うとおりだった。

 この国の紙というのは、日本でいう和紙とか洋紙とかではなく、羊皮紙だ。

 羊皮紙というのは、獣畜の皮から毛をこそぎとって作る。


 そのままでも毛皮として売れるものを、わざわざ毛を毟り、薄くなるまで削りこみ、裁断して売るわけだ。

 言うまでもなく手間のかかった商品であり、当然だが、それを束ねた本も高価にならざるをえない。


 実際の値段は解らないが、日本円でいえば、40~50万円ほどしてもおかしくない。

 もちろん、本として文字を書く手間が省けるのだから、白紙ならば30万程度かもしれないが、それでも高いことに違いはない。

 テレビゲームの本体を買ってくれというのとはわけが違う。


 四歳児に、そのような高価かつ無用の長物としか思えないものをねだられて、買ってやる親がどこにいるだろうか。

 日記にするなどと言っても、幼稚園児の絵日記帳のようなものを想像するのが当たり前なのだから、それなら木の板にでも書いてろというだろう。

 だが、俺はどうしてもそれが欲しかった。


「あなた、買ってあげましょうよ。ユーリはいつも家の手伝いをしてくれていますし。ものを欲しがるなんて初めてなんですから」


 スズヤお母さんのナイスフォローが入った。

 もっといってやれ。


「そうはいうけどな、本って四千ルガくらいするんだぞ」

「えっ………そんなに?」


 スズヤはびっくりしたように言った。

 びっくりというのは、多少控えめすぎる表現かもしれない。

 驚愕、といったほうがいいような顔だった。


 四千ルガの金銭価値がわからん。


「ああ。だからな、同じ四千ルガ払うんだったら、山ほど玩具が買えるんだ。なにも本なんか買うことは」


「色々考えた末のことですから、玩具はいいんです」


 玩具とかまじでいらんから。

 どうせ積み木とかだろ。


「家の手伝いでもなんでもしますから、お願いします。決して無駄にはしません」

 俺は食い下がった。


「本当だな?」

 おっ?

「本当に本当です」

 俺は思い切り真剣な表情をしてみせた。

 といっても、子どもの顔だから、大した迫力はないだろうが。


「そうだな……じゃあ、まずお母さんの手伝いを熱心にすること。あと、今度からは牧場の仕事も手伝うこと。これを約束したら買ってやる」

「本当ですか。約束します」

 二つ返事でオーケーした。

 おおかた言葉を覚えた今となっては、家にいても暇だしな。

「よし」

 ルークは右手を拳にして差し出した。


 なんだ? 握手でもするつもりだろうか。

「? ……なんですか?」

「男同士の約束の仕方を教えてやる。拳を出しなさい」

 俺は言われるままに拳を出した。


 ルークは縦に握った俺の拳の上下を、同じようにした拳で叩き、最後に拳をぴったりとくっつけた。


「手を開け」


 拳を解いて手をひらいたので、俺もそれにならう。

 握手するのかとおもいきや、ルークは俺の手首を掴んだ。


 俺もそうしたほうがいいのかと思い、ルークの手首を握ろうとしたが、俺の手は小さすぎてルークの手首を握ることはできなかった。


「ここでぐっと引っ張り合いっこするんだ」

 ルークはそう言うと、軽く俺の手をひっぱった。

 反射的に俺も引っ張り返す。


「わかったか? もう一度やろう」

 手順がわかったので、今度はスムーズに拳を打ち付けあい、奇妙な握手をした。


 こういう風習があるのか。

 なるほど、指きりげんまんより随分とフォーマルで男臭い握手である。

 ルークとぎゅっと手首をつかみ合うと、柄にもなく胸の奥に熱いものがこみあげてきた。

 この約束は破ってはいけないと感じる。


「これをやって誓ったことを破ったら、そいつはもう誇りを抱けなくなると言われている。お前もそうそう安易にこれをやったらだめだぞ」

「わかりました」

 肝に銘じておこう。


「男同士といいましたが、女の人とはやってはいけないのですか?」


 なにげなく俺がそう尋ねると、ルークはちょっとギョっとした目で俺を見た。

 次になぜかバツが悪そうにスズヤを見る。

 スズヤのほうは平気な顔をして微笑んでいた。


「もってのほかだ」

「そうですか」


 たぶん、浮気に該当するのだろう。


「これは結手(むすびて)といって、男同士でするものと、女同士がするものと、男と女がするものとがある。結婚式でやる一回以外は絶対に男と女の結手はしては駄目だ」

「わかりました」


 それは婚前交渉より問題があるような類のものなのだろうか。

 たぶん風俗とか行ったとき馴染みの風俗嬢とかと盛り上がってコレをしちゃったりすると、非常に問題があるというか、社会的信頼を失うことになるんだろうな。

 もしやったら、優しいスズヤお母さんがフルスイングで引っ叩いてきたりして。


「絶対にしないので大丈夫です」

「約束だ」

「はい。大丈夫です」


「大丈夫ですよ、ユーリは中途半端なきもちでこれをしちゃいけないって事をちゃんと解っていますから」


 スズヤが優しげな声で言った。

 その声色は俺について微塵の心配もしていないという感じで、逆に不安になるくらいだった。

 どっちかっていうと俺はクズなほうなんだけどな。


「そ、そうか」

「それより、本を買い求めるのなら都に行かなければならないでしょう? 今度行くときに連れていってあげたらいかがです?」

「え、都にか?」

「ユーリがものをねだるなんて初めてですもの。とっても欲しいものなんですよ、きっと。それなら自分で選ばせたほうがいいです。へんなものを買ってしまってがっかりさせたら可哀想ですし」


 ナイスフォローだ。


「それもそうだな、ユーリに都を見学させるいい機会かもしれないし……来週、王鷲の納品があるから、その時に行くか」


 マジか。

 願ってもないことである。


「……とても嬉しいです。ありがとうございます」

 思わず嬉しさで頬が緩んでしまう。

 親二人はそんな我が子の顔を見て、やわらかに微笑んでいた。

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