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第028話 閑話2 シャムの入学*

 十歳になった私は学校に入ることになった。

 学校というのは、教養院という、何を学ぶのかわからない学校だ。


 正直なところ、私はもう先生を持っているのだし、必要ないと思う。

 なんで行かなきゃならないんだろう。

 不思議だった。


 だけど、お母さんに言わせると、私はここで、私に足りていないものを学ぶのだという。

 それならば仕方がない。

 私はなにかしらについて無知なのだろう。

 無知な人間は、自分が何について無知なのか、教えられるまでは分からないのだから。


 教養院というのは、ユーリが通う騎士院と同じ敷地にある学校で、もっといえばいつも行っている大図書館の母体になっているような学校だ。

 ユーリと同じ学校……ではないけど、同じようなものと考えるのも、あながち間違いではない……のかな?


 入学の前に、なにやら席次を決めるという試験があるらしく、私は入学の一足先に学校へ赴き、それをやった。

 制服を身に纏い、同じ服を着た同い年の子どもたちと、同じ問題に取り組んだ。


 ばかにしてるのかってくらい易しい問題と、なにを聞いてるのか分からない問題が隣り合っていた。

 お母さんがここ半年くらい、やたらと覚えさせようとしてきた知識がたくさん出題されてきたので、それなりにはできたけど、やっぱりわからない問題は多かった。


 そうして、その翌日には入学式という催しに出席した。

 前のほうから優秀だという席順に座り、私は真ん中くらいだった。


 近くの父兄席に、ユーリとルークさんとお母さんが、並んで座っている。

 私はセイフクという周りの人間とお揃いの服を着せられていた。


 式の間、いろいろと考えたいことがあったのに、声がうるさくて集中できなかった。


 どうも天体力学について理解が足らない気がして、昨日ユーリにいろいろと教えてもらったのだ。

 そしたら、地球に大気なしの単純モデルで考えれば、石ころを適切な速度で水平に放り投げれば、地面に落ちないまま地球を一周して頭の後ろから帰ってきて、邪魔されない限り延々と地球を回り続ける物体となり、それが月と同じ衛星だ。と言っていたので、少し認識を整理したかった。


 けど、こんなに知らない人がたくさんいて、壇上の人がぺちゃくちゃ喋っている場所では、やっぱり集中できない。

 私は考えるのを諦めた。


 ふとユーリのほうを見ると、目があって、こっちを見ながら小さく手を振ってきた。


 あー……。

 嬉しい。

 嬉しいなぁ。


 一年前からユーリとはなかなか会えなくなったけど、これからは少しは増えるのかな。

 そう思うと、悪いことばかりではないのかな、と思う。


 でも、会えなくなった時期もそんなに悪くなかった。

 会えない時間もユーリと離れているわけではなかったからだ。


 会えない間、ずーっと考えて、凄く深いところまで考えて、突き当りまで行き着いておく。

 そうしておいて、ユーリが帰ってきた時に質問をすると、ユーリは嬉しそうな顔をして、「いい質問だ」と言って、頭をなでてくれるのだ。


 そうすると、むず痒いような、くすぐったいような、認められて嬉しい気持ちが、体じゅういっぱいに広がる。


 そして、そのあとには決まって、停滞を打ち破る鍵を教えてくれるのだ。

 そうすると、会えなかった時間が埋まった感じがする。

 寂しくなくなる。


 壇上では、何が面白いのか、何を意味して、何を教えたいのかよく分からない話が、延々と続いていた。

 そうして、男子生徒と女子生徒が壇上に上がり、なにやら宣誓をして、女王陛下の手の甲に口づけをした。


 これ、お母さんが言ってたやつだな。


 お母さんは、この役をする子は光栄で、ユーリは去年あれをやったのだ。と言っていた。

 だから頑張れって。

 でも、私は先頭から遠く離れたこんなところに座っている。

 お母さんの期待には応えられなかった。


 でも、いいのだ。

 ユーリはいつも褒めてくれるのだから。



 ***



 ようやく式が終わった時、私はとってもウンザリした気分になっていた。

 勝手に耳に入ってくる、退屈な話を延々と聞かされたからだ。

 嫌な意味でへとへとになっていると、すぐにユーリが近づいてきて、手をとってくれた。


「大丈夫か?」

「……はい」


 私はユーリの手を借りて、椅子から立った。


「次は入寮でしたっけ」

「いや、まだ間があるから、食事をしてからだな。店も予約してあるんだ」


 ああ、そうか。

 入寮まではまだ時間があるんだ。


 私は寮に入るというのが、嫌で嫌で仕方がなかった。

 誰とも知らない人と、同じ部屋で暮らすなんて、想像もつかない。


 これについては、ユーリだって上手く行かなかったらしい。

 ああ、そうだ。

 去年の今日に当たる日、ユーリはうちに帰って来ちゃったんだった。


 とてつもなく粗暴な原始人みたいな人と一緒になっちゃって、喧嘩になって帰って来ちゃったのだ。


「ユーリ、大丈夫でしょうか」

 私は心配になって、思わず尋ねた。

「なにが?」

「去年、ユーリが喧嘩した相手みたいな人が同居人だったら、私、どうしたらいいか分かりません」


 私がそう言うと、ユーリはぶっと吹き出した。


「ぶはっ……ハハハッ……くっ、クククッ……」


 私はそんなに面白いことを言っただろうか。


 ユーリは、なかなか笑いが収まらないようで、人目がなかったらお腹を抱えて笑い転げそうな勢いで面白がっている。

 必死に口を覆って、口どころか鼻まで閉じて、呼吸を止めてまで必死に笑いを噛み殺していた。

 こんなにユーリが笑っているところを見るのは初めてだ。


「フフッ、ユーリ、笑い事じゃないですよ」


 釣られてちょっと笑ってしまいながら、私はユーリに言った。


「はぁはぁ……はーっ、ふーっ」

 なんだか息を整えている。

「落ち着くんだ、素数を数えてっ、落ち着くんだ」

 とか意味不明なことを小声でつぶやいている。

 素数を数えると落ち着くのだろうか。


「ちょっと酷いですよ。私は本気で心配しているのに」

「大丈夫だよ。あんなやろ……奴が教養院にいたら、天然記念物ものだよ」

 ??

「テンネンキネンブツってなんですか」


 初めて聞く単語だった。


「滅多にいないってことさ。そうだな……やつと教養院てのは、外惑星と内惑星くらい違う。外惑星がたまたま地球の内側にきちゃったなんてことはありえない。やつはそういう動物だから、教養院に生息している可能性はゼロだ。安心していい」


 ああ、そうなんだ。

 つまりは住む世界が違うから心配いらないということらしい。

 それなら安心かな。



 ***



 ユーリにエスコートされながら、王城を離れ、馬車に乗ってレストランへ行った。


 レストランはとても高級そうなところで、私たちが個室の席に座ると、すぐに料理がでてきた。

 私は、家に居る時に食べていたそれとは、多少味付けの違う料理を、ぱくぱくと食べてゆく。

 美味しいし、お腹も減っていたので、いくらでも入りそうだった。


「………」

 と、そんな私をお母さんがじっとみていることに気づく。

「なに?」


「大丈夫かしらねぇ」

 お母さんは手を頬に当てて、心配そうな顔をしていた。


「なにが?」

 と聞き返すと、

「………はぁー」

 ため息をつかれた。


「べつに、汚らしい食べ方ってわけじゃないんですから」


 ユーリが助け舟を出してくれた。

 食べ方がまずかったようだ。

 ……といっても、いつもどおりだけど。


「でもねぇ……」

「いいんですよ。そもそも、魔女家の気取ったような連中と仲良くなる必要はありません」


 ちょっと何を言ってるのか理解できなかった。


「そうはいってもねぇ」

「もしかして、いじめとか心配してます?」

「まぁねぇ、ないわけではないから」


 いじめ。

 いじめってなんだろう?


 昔、うちに居た猫のしっぽを引っ張ってたら、いじめちゃだめと言われたけど、そういうことをしないか心配なのだろうか。

 私だって、あのときは引っ掻かれて懲りたし、そんなことで心配しないでほしい。


「言うのを忘れてましたが、シャムのことは殿下に頼んでおきましたから」

「えっ、キャロル殿下に?」

「あ、代わりに僕の方も頼みを引き受けましたから、借りを作ったわけではありませんよ」

「そんなこと、心配してないわよぉ」


「殿下もあれで教養院では上手くやっているようですからね。頼んでおけば何かと力になってくれるでしょう」

「それはそうね。私もこれでやっと安心できるわ。ユーリくん、気にかけてくれてありがとうね」


 なんだかわからないが、ユーリが誰かに私のことを頼んでおいてくれたらしい。

 その人がルームメイトになるのかな?



 ***



 一旦家に帰ってから、今度はユーリと二人で馬車に乗って、学校へ向かった。

 そのときになっても、私は不安でしょうがなかった。

 馬車の中で何度もユーリに話しかけたけれども、帰ってくる答えはいつも「大丈夫」「心配することはない」だった。


 二人きりで石畳を走る馬車に乗って、しばらく走った。

 学校にたどり着くと、馬車を降りる。

 なんだか、未だに寮に入るのが嫌で、むずむずした。


 降りた所には、同じように馬車がたくさん停まっていて、同級生っぽい子たちがたくさんいた。


「遅かったな」


 そこで、おもむろに話しかけてきたのは、女の人だった。

 話しかけたのは、ユーリに対してだ。


 透き通るような金色の髪の毛をしていて、それが背中まで伸びている。

 なんだか小麦の畑のような髪だった。

 瞳も、なにか深い海を覗き込んだような色をしていた。


 とても凛とした雰囲気を纏っていて、堂々としている。

 そして、私と同じ制服を着ていた。


 なんて綺麗な人だろう。

 誰なんだろう。先輩かな。


「ちょっと母親との食事が長引いちまってな。今日で一応はお別れってことになるし」

「そうか……それなら仕方ない」


 なんだかやけに親しげだ。

 ユーリの友達のようだ。


「こんにちは、ユーリくん」


 もう一人声をかけてきたのは、ユーリと同じ制服を着た人だった。


 ユーリのそれと比べると、体の線がとても細い。

 それに、物腰がとても柔らかだ。

 とても整った顔立ちをしているし、最初は女の人かな、と思ったけど、髪の毛が短いので、そうではないと気づいた。


 私は男性といえば武芸者や兵士のような人たちばかりを見てきたので、こういう男性もいるのかと、新鮮な気分だった。


「……お前は、なんでここにいるんだ」


 ユーリはちょっと訝しげにその人を見た。


「ユーリくんのイトコさんがご入学されると聞きまして。お顔を拝見しようかと」

「マメな野郎だな」

「そこの彼女がイトコさんですよね」

「そうだよ」


「シャ、シャムです。よろしくお願いします」

 私はぺこりと頭を下げて挨拶した。


「うん、よろしくね。ボクはミャロっていいます」

 ミャロと名乗ったその人は、わざわざしゃがんで挨拶を返してくれた。

「よろしくお願いします」


 緊張して何故か「よろしくお願いします」を二度繰り返してしまった。

 変に思われただろうか?

 恥ずかしい。

 ミャロさんはそんな私を可笑しがるふうもなく、ニコニコと私を見ていた。


「こいつはただシャムを見物しにきただけだから、どうでもいい」

「ひどい」


 ずいぶんな言いようなのに、ミャロさんはなんだか嬉しそうだった。

 ユーリに気が置けない風に扱って貰えることが、嬉しいという感じ。

 どういう関係なんだろう。


「シャムに紹介したいのはこっちだ」

「キャロルだ。よろしくな」


 キャロルと名乗った女の人は、片手を差し出して握手を求めてきた。

 私は、その手を握る。


 細くて綺麗な手なのに、手のひらの皮は少し固かった。

 かちかちに硬くなってささくれだった皮が、私の手に刺さって、少しチクリとした。

 なんだかユーリの手と似ている。


「よろしくお願いします。シャムです」

「シャムちゃんか。イトコと違って素直で可愛い子だな。これでこそ好感が持てるというものだ」

「嫌味か」


 ユーリは面白そうに笑いながら言う。

 嫌味か、なんて言った割には、ぜんぜん嫌がっていない。

 なんだか面白いな。


 この二人に対するユーリの態度は、私に対する態度とも、家族に対する態度とも違って、なんだかすごくあけすけだ。

 余計な気遣いがない気がする。


 これが友達ってやつなんだろうか?

 私にも、こういう友達が作れるのかな。


「それにしても、ほんとにちっちゃくて可愛いなぁ」


 キャロルさんは握手をしたまま、私の手をぎゅっと握りつつ、開いた手で頭をなでなでしてきた。


 私はちっちゃいのだろうか。

 確かに、午前の入学式で一緒に座っていた人たちは、考えてみれば私と同年齢にもかかわらず、私よりだいぶ背が高かった気がする。


 それにしても、すっごい頭をなでなでしてくる。

 ちょっとしつこい。


「そのくらいにしとけ。猫かなにかじゃないんだから」

「う……そうだな」


 キャロルさんは、やっと私の頭から手を離してくれた。


 今度はユーリが私の頭に触った。

 さささっと私の髪を整える。

 なんだかくすぐったかった。


 髪を整え終わると、

「それじゃ、頼むぞ」

 と、ユーリはキャロルさんの肩をぽんと叩いた。


「分かった。それより、礼のほうはわかってるんだろうな?」

「分かってるって。あーほんとは乗せたくないんだけどなー、しょーがないなー」

「ふふふ、絶対に乗せてもらうからな」


「殿下をまんまと……」

 という声がミャロさんの口から聞こえてきた。


「それじゃ、よろしくな」


「任せておけ」

 キャロルさんはそう言うと、私の手を再びとった。

 ユーリは私に背を向ける。


 このままどっか行っちゃいそうな感じだ。

 あれ?


「ユーリは行かないんですか?」

「えっ、俺がいったらぶっ殺されるだろ」


 え。

 こ、殺されるの?


「シャムちゃん、女子寮には男の人は入れないんだよ」


 えええええ!!!


 寮ってユーリは入れない場所だったの!?


 一緒の寮とは思っていなかったけど、入れもしないなんて。

 それじゃユーリとどこで会えばいいんだろう。


 がーん……。


「不安に思うことはないぞ。私がついているからな」


 なんの慰めにもならないよ……。



 ***



 ユーリと別れ、キャロルさんに手を引かれて向かった先は、やたら大きな建物だった。


 石と煉瓦が山のように積まれた建物で、壁には大量に窓がついてる。

 田舎のお屋敷より、はるかに大きい。

 これが寮だとすれば、一体何人が住んでいるのだろう。


 門の前には人だかりができている。

 なんだか大騒ぎだ。

 私のような、新しく入寮する子たちが騒がしているのだろう。


 人通りの中を、手を引かれたまま、てくてくと歩く。


「ごきげんよう、キャロルさま」


 と、通りすがりの人たちは一様に型にはめたような挨拶をしてきた。

 一体何なんだろう。


「ごきげんよう、キャロルさま」

 会う人会う人がそういって、会釈をしてくる。


 顔を合わせたらそういう挨拶をする仕組みなのかな?

 同じような挨拶は、そこらじゅうで行われていた。

 だけど、歩いてるだけで全員に挨拶されるなんて人は、どうもキャロルさんだけのようだ。

 なんだか変な感じだ。


 ずっと昔、お父さんが生きていたころは、お父さんと一緒に家に帰ると、衛兵や召使いたちが同じように挨拶していた。

 ゴキゲンヨウではないけれど、お疲れ様です、とか、お帰りなさいませ、とか言われていた。


 今はお母さんやルークさんが挨拶されているけど、それと同じに見える。

 あれだ、寮の(あるじ)みたいな感じなんだ。


 でも、中にはキャロルさんよりだいぶ体が大きい、大人みたいな学生もいる。

 私と同じ服を、サイズはまちまちではあるものの、みんなきっちり着ている。

 その人たちもキャロルさんには腰を折って「ごきげんよう」と挨拶していた。


 キャロルさんは、その挨拶に、いちいち「うん」とか「おはよう」とか返している。

 なんだか凄いな。


「ここでは基本、あーいう風に、ごきげんようごきげんようと言っておけばいい」

 ゴキゲンヨウって言っておけばいいんだ。


「わかりました」


 そんな言葉初めて聞いたんだけど、たぶんこの寮の人々特有の挨拶かなにかなんだろう。

 ゴキゲンヨウ、ゴキゲンヨウ。

 オハヨーとかと比べるとやけに長いから、朝から何度もいうと辛いかも。


「ごきげんよう、キャロルさま」


 試しに言ってみると、キャロルさんはぶっと吹き出した。


「フフ、その調子だ」

「なにかおかしかったですか?」

「いや、おかしくはないが、ユーリのイトコに言われたと思うと、面白くてな」


 なにがおもしろポイントだったのだろう……。


 そのまま寮の大きな扉をくぐって、奥のほうに行くと、なんだかひらけた空間に出た。

 吹き抜けの天井から、天然の陽光が差し込んでいる。

 どうも、建物の真ん中がくり抜かれているようだ。


 くり抜かれた部分は、庭園になっていて、ちょっとした森ができている。

 背の高い木は、全部シラカバだった。

 根本には、鮮やかな花が咲く低木が生えている。

 植物の緑色が、石の世界に映えて見えた。


 庭園前の大きなロビーのような場所には、人だかりができていた。

 なんだかカンバンが貼りだされているらしい。


「通してくれ」


 そう言いながらキャロルさんが人だかりに入ると、ささっと割けるように道が開けた。

 すごい。

 やはりキャロルさんは、ここでは特別な存在のようだ。


「えーっと、どこだろ……。よし、ちゃんとなってるな」


 と一人で言うと、私の手を引きながら、また歩き始めた。



 ***



 階段を幾つか登って三階まで行くと、キャロルさんは一つの部屋のところで止まった。


「ここがシャムちゃんの部屋だ」


 キャロルさんはコンコンと部屋をノックした。

「どーぞー」

 と間延びした声が帰ってくる。


 入ってみると、そこは二段ベッドが入った小さな部屋だった。

 田舎のお屋敷にある私の部屋と同じくらいの広さだ。


 ベッドの横には小さなクローゼットと、二台の机がある。

 一つの机はまっさらでなにも乗っていない机で、もう一つのほうには人が座っていた。


 その机はメチャクチャにものが積まれていて、ごちゃごちゃだった。

 まるで、家にある私の机みたいだ。

 お母さんにいつも「掃除しなさい」と言われる、あれだ。


「リリー。話していた子だ」

「うん」


 リリーと呼ばれたその人は、制服の前に分厚いエプロンをかけていた。


「かわいらしい子やねぇ」


 椅子に座ったまま、私をみて柔らかに言った。

 なんだか穏やかな人だな。

 ちょっと山の背の方の方言があって、私やキャロルさんより幾らか年上に見えた。


「まー、仲良くやろー」

 ひらひらと手を振ってきた。

「よろしくお願いします」

 私はぺこりと頭を下げた。


 この人となら、上手くやっていけるかもしれない。

 そんなに怖くない。


「礼儀ただしい子やねー。殿下がおーげさにいうから、心配してもーたよぉ」


 リリーさんはなんだかほっとしているご様子だった。

 私のことを、どんな人間だと思っていたのだろう。

 といっても、私のほうも会ってもいない同室の人を恐れていたのだけど。


「私も今日初めて会ったんだ」

「そーなんかぁ。じゃあ、ユーリくんはよっぽど心配性なんやねぇ」

「ほんとにな。なんだかこの子は自分の数倍頭がいい大天才だから、馬鹿どもに汚染されるのが怖いみたいなことを言っていたぞ」


 ユーリは何を言ってるんだろう。

 そんなことを言って回っているのだろうか。


 そんなわけないのに。

 ユーリはよく「俺のほうが一年長く生きてるからな」なんて言ってごまかすけど、出会って三年経った今でも、初めて会ったときのユーリのレベルにたどり着いているようには、とても思えない。

 一年どころか、百年くらい差がついている気がする。


 ということは、ユーリは私より百倍頭がいいとしか、説明できないのだ。

 私がユーリより頭がいいなんてことは、論理的にありえない。


「ユーリくんよりずっと頭がええなんて、すごい子やなぁ」

「そんなわけないですっ」


 私はあわてて否定した。


「まー、冷静に考えたらそうかもなぁ。ユーリくんみたいな子がポコポコ産まれたら、どんだけーって話やし」

 納得してくれたようだ。


 よかった。

 どんだけーって言葉は初めて聞いたけど。


 今日は初めて聞く言葉がおおい。

 ゴキゲンヨウ、ドンダケー。

 どういう意味なんだろ。


「あんなのは一人で十分だ。シャムちゃんは似なくてよかった」

「そうかなぁ。面白そうな子ぉやとおもうけど」

「会ってみれば分かるぞ。なんとも捻くれてる。あれで有能だから始末がわるい」


 酷い言われようだ。

 褒めてるんだか貶してるんだか分からない。

 でも、ユーリに捻くれてるところなんてないと思うけど。


「講義のコマが合わないんよなぁ」

 リリーさんは心底残念そうだ。


「すまん、話の途中で悪いが、ちょっと失礼するよ。この子に寮を案内してあげないと」

「え、それも殿下がやるのん? いつも忙しそーにしとるのに」


「奴との約束だからな。ちゃんとやってやらないと」

「そっかー。特別なんやねぇ」


 リリーさんはニヤニヤしている。


「特別ではないが、奴が頼み事をしてくるなんて初めての事だからな」


 ユーリはキャロルさんに、無理に頼み事したのかな。

 なんだか申し訳なくなる。


「それが特別っていうんやんかぁ」

「いわない」


「だって、義理で仕方なくやっとるだけやったら、そこまでやんないやないの~?」

「アホなことをいうな。これは単なる取引だ」


「へぇ~、取引なん? どんな取引なん?」

 リリーさんは興味しんしんのようだ。


「……行ってくる」

 キャロルさんはリリーさんの問いには答えず、私の手を引っ張って部屋を出た。


「シャムちゃん、また~」

 扉の向こうから声が聞こえた。



 ***



 それから、階段を登ったり下りたりしながら色々な場所を案内された。

 洗濯室、風呂場、炊場、水場、井戸、売店、食堂、といろいろな施設があった。

 どこへいってもキャロルさんは注目の的で、通ろうとすれば向こうから道を開けてくれた。


 ところが、食堂から園庭に向かう道を手を握られながら歩いていると、突然人影が表れて、私達ふたりの行く手を塞いだ。

 当たり前だけど、女の子だった。


 なにか用があるのかな?

 私がそう思った時だった。


「お姉様、一体全体、どういうつもりなのよ!!!」

 と、唐突に大声で怒鳴りつけてきた。


 私はもちろん初対面なので、この子のお姉様ではない。

 ということは、キャロルさんの妹さんである、という推論が成り立つだろう。


 私が今年入学した新入生であるのだから、つまりは私と同い年ということになるのかな。

 キャロルさんは私のいっこ上だから、そう考えるのが妥当だ。


 目の前の女の子は、とても可愛らしい顔をしていて、お姉さん似の小麦色の髪も似合っているけれど、なんだか顔を真っ赤にして涙ぐんでいて、可愛い顔が台無しだった。


 キャロルさんを見上げると、「あっちゃー」みたいな顔をしている。

 どうも、会いたくなかったご様子だ。


「どういうつもりもない」

「そこの子は誰よ!」


 私を人差し指でゆびさしてくる。

 失礼なことをされている感じがするが、気圧されてしまってそれどころじゃなかった。


「この子は私の学友のイトコだ。後見人(パトロン)を頼まれてな」

「私は実の妹よ!? お姉様が後見人(パトロン)になってくれなきゃ、私の立場がないじゃないの!!」


 事情が全然飲み込めないけれど、女の子はすごく感情的に喚いている。

 こんなに他人が怒っているのを見るのは初めてで、私は怖かった。


「立場もなにも、お前は王族じゃないか。誰がお前を軽んじたりする。余計な心配をするな」

「そういう問題じゃないでしょ!?」

「そういう問題だ。現に私は後見人(パトロン)なんて最初から付けなかった。王族は自分の道くらい自分で切りひら……」

「違う違う違う!!! なんでわからないのよ。私は妹なんだよ!?」


 なんなんだろう……この人……。

 怖い……。


 何をそんなに怒ってるのだろう。

 キャロルさんが当然に行うべき行いをしなかったから怒っているようだけど。


 それって、もしかして私のことなのかな。

 だけど、キャロルさんの口ぶりから察すると、最初から、妹さんのぱとろん? になるつもりはなかったようだけど。


「いったいぜんたい、誰かの後見を必要とする王族がどこにいる」

 キャロルさんはなんだか呆れているご様子だ。


「いっぱいいるじゃない!!!」

「いない」

「いなくてもなんでも、わたしがみっともないでしょう!!!」


 みっともないって。

 なにがみっともないのか分からないけれど、こんなところで大声で喋る内容じゃないような気が。

 ここは廊下の真ん中で、なにやら大声に釣られて人が集まりはじめている。


 私は当事者の一員だからわからないけれど、私がとりまいている衆人の一人だったら、どう思うだろう。


 堂々としていれば、みっともないなんて思わないはずだ。

 仕立て上げた真新しい服を着て、髪の毛もこんなにきれいな小麦色の髪を丹念に梳かしあげていて、思わず見惚れそうなほどに可愛らしい顔立ちをしているのだから。


 だけど、自分から「わたしはみっともない」と言ってしまったら、「ああこの子はみっともないのだ」と思ってしまうだろう。


 周囲は、いよいよ人が集まってきて、私はいたたまれなくなってきた。


 そんな私を見ると、

「帰り道は分かるか?」

 と、キャロルさんは小声で聞いてきた。


 私はコクコクと頷く。


「まだ途中だが仕方あるまい。キミは部屋に戻れ」

「はい」


 私も、こんな良く分からない状況のなかにいたくない。

 私は、キャロルさんの影に隠れるようにして、増えてきた人混みの中に紛れた。



 ***



「はぁ、はぁ……」


 なんとか部屋の前まで戻ってきた。

 半分は自分の部屋ということになるのだろうけど、勝手に入っちゃっていいのかな。


 一応、ノックしておこう。

 私は、息を整えると、ドアをこんこんと叩いた。


「入ってええよー」

 という声が聞こえてきたので、ノブを回してドアを開けた。


「あ、おかえりー」

「た、ただいま……です」


 なんだか「ただいま」と言うのがちょっと気恥ずかしい。

 家ではあまり言う機会のない言葉だったから。


「なんや一人で帰ってきたんかー。殿下に途中ですっぽかされてしもたん?」

「いえ、なんだか途中で問題が起こって」

「問題ってなに? ここで殿下にいちゃもんつけるやつなんておらんと思うけどー」


 私は、かい摘んでさっき起きたことを話した。


「あー、なるほどなー。そりゃ殿下も困るやろなぁ。あの妹さんかぁ……」


 なにやら、リリーさんには事情が分かるらしい。


後見人(パトロン)ってなんなんですか?」

 それが、あの女の子の怒っていた問題の焦点のように思えたので、私は質問した。


「うーん、簡単にいうとなー、寮に入ったときにその子を案内する上級生やねん。寮内じゃ親みたいな姉みたいな立場……って言ったらええかな? 寮内の人気者が後見人(パトロン)だったりすると、周りのほうが気ぃ使ってくれたりするし、苛められたりもしないから、なにかと便利なんよ」


 なるほど。

 単純にユーリの友達だから案内してくれたんだと思っていたけど、なんだか違ったらしい。

 ユーリがそういうふうに手配しておいてくれたんだろう。


「殿下は将来は王様になろうかって人やから、殿下が後見人(パトロン)になってくれるいうんは、とってもとっても贅沢な話なんよ。妹さんもそれが望みやったんやろうねぇ」


 キャロルさんは未来の王様だったのか。

 すごい人だったんだ。

 ユーリはそんな人と友達なんだ。


 でも、だとすると、あの女の子には悪いことをしちゃった事になるのかな。

 あとであの怒りを私に向けられるかと思うと、背筋が凍る思いがする。


「シャムちゃんは気にせんでええと思うよ。家庭の問題やと思うし」

「……そうですか」

「まー、ないとは思うけど、妹さんがちょっかいだしてくるようならウチに相談し。大したことはできんけど、殿下に話しといたるわ」

「わかりました」


 大丈夫だろうか。



 ***



「ところで、二段ベッド上と下どっちがええ?」

 リリーさんが聞いてきた。

 うーん。

「リリーさんが元々使っていたほうは、どちらなんですか?」


「私はねぇ、昨日までは別の部屋に住んでたんよー。そこでは上だったかな?」

「そうなんですか」


 机の散らかり具合からして、ずっとここに住んでいたんだと思っていた。

 ベッドを取っちゃいけないと思ったのだけど。


「私はどちらでもいいです」

「気にせんでええのよぉ。あとで替えてもええんやしー」


 うーん。

 本当にどっちでもいいんだけど。


「じゃあ、上で」

「それじゃ私が下やねぇ」


 リリーさんはちょっと嬉しそうだった。

 内心下が良かったという感じだ。

 上を選んでよかった。


 なんで上だったかというと、上のほうが考え事に適してる感じがしたから。

 それに、はしごを登ってベッドにいくなんて、なんだか面白そうだ。


 そのあと、お互い自分の机の椅子に座って向かい合った。

 ゆったりとしたいい椅子だった。

 私には大きすぎる気もするけど、リリーさんにはちょうど良さそう。


 リリーさんにちょうどいいということは、そのうち私にもちょうどよくなるということだ。

 きっと。

 たぶん。


「一応、自己紹介しとこか。私はリリー・アミアンいうのよ。実家は機械屋さん」

「機械屋さん……ですか?」


 一応は貴族しか入学できない学校だと思っていたけど。

 職人さんでも入学できるんだ。


「機械屋さんだけど村長なんよ~。流れの落ちぶれ貴族やねん」

 私の疑問を察したのか、何も言わずとも説明してくれた。

「そうなんですか」

 やっぱり貴族だったようだ。


 でも、流れの落ちぶれ貴族というのは、良く分からない。

 落ちぶれはわかるけど、流れの貴族ってことはころころ領地が移動するのだろうか。

 ちょっと想像できなかった。


「それで、私も機械が好きやねん。趣味は時計いじり。ほら見て」


 リリーさんが手振りで指した机の上には、なんだか小さな作業台みたいなものが置いてあって、その上には金屑がたくさん散らばっていた。


 なんだか凄いなあ。

 私は近づいて見てみた。


 机の上には、いろいろな大きさの歯車や部品が転がっていた。

 特に小さな部品は、細かな仕切りが入った化粧箱のようなものに入れられている。


 これが時計の部品なのだろう。

 作業台の真ん中に、半分まで組み上げられた時計があった。

 家にある振り子時計とは違う、小さな手のひらサイズの時計のものだ。


 こういうのは、お母さんが持っているのを見たことがある。

 興味を持って「分解したいから見せて」と言ったら、ちょっと青い顔をして「ダメ、絶対ダメ」と言われたアレだ。


「小さな機械なんですね」

「そうなんやよー」

「すごいなあ、どういう仕組みなんだろう」


 結局、仕組みは謎のままだったので、けっこう気になる。


「ばらばらじゃーちょっとわからんかもしれんね」

「ちょっと見させて貰ってもいいですか?」

「ええよ~」

 リリーさんはあっさりと許可してくれた。


 じっくりと観察すると、どうもこれは組み上がったもののようだ。

 文字盤と針が外れていて、中身がむき出しになっているだけで、部品が欠損しているわけではなさそう。


 なんとなくだが、大まかな理屈は分かった。

 細かい歯車の配置なんかは、もっと分解しないと分からないけど。


 誰がこんな仕組みを考えたのだろう。

 どうやってこんな小さな部品を作ったのだろう。

 頭のいい人がいるんだなあ。


「わかったかな?」

 と、リリーさんが聞いてきた。

「細かいところは分かりませんでしたが、だいたいは。こういう仕組みだったんですね」

「わかったのん?」

「? 全部は分かりません……けど」


 全部わからないとまずかったのだろうか。


「よかったら、わかったことお姉さんに教えてくれんかな?」

 え、教えるの。


「ぜんまいの動力から等時性を得るのに、振り子の代わりに小さなぜんまいを使うのは、とても面白い発想だと思います。これが振り子の代わりをしてるんですね」


 私はさっくりと気づいたことをまとめた。


「えっ……よ、よー分かるなぁ。こういうの見たことあるん?」

 リリーさんはちょっと驚いたような顔をしていた。


「ありませんけど……家の振り子時計は分解したことがあるので」

 ユーリと一緒に分解してみたことがある。

「基本的にはそうやけど……見ただけでわかるんかいなぁ」


「前から仕組みは気になっていましたから……振り子時計だと、姿勢を変えたら仕組みが破綻してしまうはずなので、こういう持ち運びの時計はどうやって等時性を取っているのかなって。バネ定数が一定なのを利用していたんですね」


「ば、バネ定数?」

 あれ、別の言い方をするのかな。


「こちらだと別の言い方をするんでしょうか?」

「え、えーっと、シャムちゃんは機械のこと勉強してきたん?」


 なんだか、リリーさんに戸惑いを与えてしまっている気がする。

 なにも変なことは言っていないはずなのに。


「いえ、特には」


 振り子時計を分解したのは、振り子の等時性とベクトルの働きについて教えてもらっている途中のことだった。

 見つかると怒られるので、夜中こっそりと二人で分解して中身を見たのだ。


 ユーリは常夜灯の薄暗い光を頼りに、コックンコックン音を出す時計の前で、ベクトルの変化のしかたについて教えてくれた。

 時計の仕組みについて知ったのは、言ってみればついでのことだ。


「じゃあ何を勉強してたん?」

「特別に何を勉強したというわけではないですけど……数学と天体力学と物理学ですかね」


 ユーリが特に重点的に教えてくれたのは、そのあたりのことだ。


「て、てんたいりきがく??? それって、なんの学問やの?」

「星の動き方についての学問ですね」


「へ、へぇ……ほんに面白い子ぉやね……ユーリくんが心配したのも分かる気がするわぁ」

 リリーさんは引きつったような笑いをしていた。


 あれ……。

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