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第027話 閑話1 まほろばで見る夢

 ああ、あの夢だ。

 そう思うと夢の中でまで沈んだ気持ちになる。

 行くあてのない孤児になったような。



 ***



 俺はその日、WEBサイトを巡回していて、目についたあるニュース記事を見ていた。

 それは経済新聞が投資家向けに書いたよくある記事で、とある企業が新商品を開発したというものだった。


 その新商品は新技術を使った太陽光発電パネルで、メーカーの言い分では素子の改良で発電効率が伸び、さらにパネル表面のフィルムにも特殊な加工が為され、耐候性も良好というものだった。

 企業独自開発の特許技術がふんだんに使われた最新鋭のソーラーパネルであり、特許は申請中であると書かれていた。


 ゾッとした気分を覚えた俺は、すぐに特許庁に連絡して情報を調べた。

 神に祈るような気分で連絡を聞くと、確かに特許は申請されていた。

 俺が(自分の中では)天才的な閃きと思い、研究していた新規技術は、企業に先を越されていた。


 終わった。


 この技術で特許をとり、あわよくばそれを手土産に一部上場企業に入社して……と思っていたのに。


 その時の俺は、だらだらとポスドクをやっている、一介の研究者だった。

 長い休暇から帰った俺は、特許を先取りされたショックで抜け殻のような顔をしていた。


 そうして、放心状態のまま、久しぶりに研究室に顔を出した。

 すると、研究室には俺のパソコンがなかった。


「ごめんねぇ、君が休んでる間に、××君が君のピーシーに水かけちゃってさ、修理だしといたから」


 教授に言われて、俺はなにがあったのか察した。

 教授の言い分に、そこはかとない演技臭さを嗅ぎとったからだった。

 教授は、研究者としては一人前でも、役者としては落第ものだった。


 一瞬、頭のなかが真っ白になり、次の瞬間には脳細胞が一斉に酸化反応を起こしたように熱に浮かされた。

 ありていにいえば、怒りで頭が沸騰した。


「あー……そうなんですか。じゃあ今日はやれることないですね」

「悪いねっ」

「いえいえ、××君に気にしないでって言っといてください。落ち込んでいるようなら」


 ××君はもう三十五にもなる先輩のポスドクで、異常なほど気弱な男だった。

 ついでにいえば、俺が特許を先取りされたと思っていた企業は、このラボに頻繁に出入りしている企業でもある。


 広いようで狭い業界なので、特にそれが必然とは思わなかったが、パソコンがなくなっていたことで、紐が繋がった。

 そもそも、ノートパソコンならともかく、デスクトップのパソコンが、水をこぼされたから壊れたというのは、ちょっと状況が想像できなかった。


 吸気ファンにホースで水でも流し込んだのならともかく、普通ならちょっと水がかかったからといって、壊れたとは思わないだろう。

 拭いて終わりか、場合によっては俺が留守の間に乾燥することを期待して、電源を抜いておくくらいはするかもしれない。

 だが、本人に無断で修理に出したりするか?

 中のデータが破損するかもわからないのに。

 

 とはいえ、まだ俺の研究が盗まれたと決まったわけではない。

 正真正銘、被害妄想かもしれない。

 そんな状況で騒いだら、もし俺の杞憂が現実だったとしても、ボッコボコに叩かれて放り出されるだけだ。

 ポスドクの立場なんてものは、吹けば飛ぶようなものなのだ。


 慌てるな、慌てるな。と自分に言い聞かせつつ、机を調べた。


 この大学では研究内容は各々に宛てがわれたパソコンに保存しておくのと同時に、接続してあるサーバーにバックアップをとることになっている。


 研究が盗まれたと仮定すると、パソコンのSSDに保管されている研究データは完全に消去されているだろうし、サーバーのバックアップも消去されているだろう。

 もちろん俺にはサーバーのバックアップまで消去するなんてことは不可能だが、教授の管理者権限があれば、容易に可能だ。


 パソコン本体も、バックアップのデータも両方消されてしまったとしたら、俺がその研究をしていたという証拠自体がなくなってしまう。


 だが、俺はUSBに繋いだ小型の外付けSSDにもバックアップを取っていた。

 以前、研究用のパソコンが一つ前の型で、HDDだったころ、HDDがぶっ壊れてしまったとき、サーバーに接続するパスワードをすっかり忘れてしまい、運悪くサーバー管理者が盲腸で入院していたため、再発行に一週間ほどかかり、その間研究が進まなくなったことがあった。


 それ以来、セキュリティ上問題があるとは思いつつも、外付けのSSDにもバックアップを取るように設定をしていた。

 ちょうど、壊れたノートパソコンからサルベージしたSSDが一個余っていたのだ。

 その外付けSSDは、USBハブの一つにくっついたまま、机に入っているはずだ。


 果たして、その外付けSSDは机のなかに入ったまま、そこにあった。

 良かった。

 パソコンに直付けではなく、USBハブに繋がっていたのが幸いしたか、見逃されていた。


 俺は外付けSSDを回収すると、

「休み中に思いついたことがあって、図書館で調べたいことがあるんですが、今日はなにか急ぎの仕事あったりしますか?」

 と教授に聞いた。


 いつもなら何かと用事をいいつける教授は「いやぁ~、大丈夫」と快く許してくれた。

 負い目でもあるのか。


「それじゃ、ちょっと行ってきますね」

 と、俺は研究室を出て行った。


 それから一週間ほどして、俺は学校と企業を相手取って訴訟を起こした。


 なけなしの金で探偵を雇い、レコーダーで無知を装って様々な言質を集め、企業から教授への謎の顧問料の支払いも暴いてもらい、弁護士に相談し、起訴した。


 本来なら、このような裁判で勝ちを拾うことは難しい。

 盗んだ側は「技術は自主開発した」と言い張るし、それを否定する証拠を集めるのは決定的に難しいからだ。


 だが、俺の場合は企業側がミスをしていた。

 特許申請の際に提出していたデータの中に、俺が実験で算出したデータと全く同じものが入っていたのだ。

 似た傾向のあるデータは出るにしても、閾値の小数点以下まで全く同じデータが、別の研究室で別の機材でやった実験から出てくるというのは、明らかにおかしなことだ。

 ビタ一文払わない構えを見せていた企業も、これには参ったという様子だった。


 結果的に、俺は勝てなかったが、負けもしなかった。

 示談になったのだ。

 大学側と企業側、別々に示談金を貰える事になり、俺はそれで妥協した。


 俺は、一生は遊んで暮らせないが、当分は遊んで暮らせる、サラリーマンの生涯賃金の半分くらいの金を手に入れた。

 粘って特許を奪っても、どうせ二十年しかもたないのだし、一生遊べる金が入ってくるわけではない。

 個人ではまともに特許料の徴収ができるとも限らないので、これでいいと思った。


 だが、職を失った俺に、世間は冷たかった。


「研究がなかったら、貴方ってなんの取り柄もないじゃない。性格も悪いし話もつまらないし、馬鹿みたいね」


 家に来た彼女が、家に置いた自分の荷物を集めながら言った。


 俺も、まったくその通りだと思った。


 反論のしようもなかった。

 俺には友達という友達もいなかったし、性格も悪いし話もつまらない。

 そして、研究室と揉め事を起こして放り出され、正真正銘の無職になってしまった男など、馬鹿みたいなのも確かだった。


 同時に、やっぱりそういう風に思われていたのだと思うと、奇妙に傷ついた。


「そうか、じゃあお別れだな」

「そうね。清々するわ」


 確かにお前の言うとおりだ、と納得する反面、俺は(いきどお)りを覚えてもいた。


 こいつは、旅の恥をかき捨てるかのように、捨てた男は幾ら傷つけても構わないと思っているのだろう。

 人間に優しさという概念があるとすれば、この女ほど優しさから遠い女はないと思った。


 人生で初めて女にモテたと思ったら、これだ。


 有名大学の研究職だというので誤解でもしていたのだろうか。

 将来は教授かなにかで、有望株だと。


 別にポスドクは未来ある研究職なんかではないし、教授どころか助教授になるのも絶望的だ。

 うまく自主研究で成果を残せなければ、三流大学の講師にでもなれれば恩の字というところだった。


 俺はそれでもついて来てくれるいい女だと勝手に思っていた。

 勝手に誤解していた。

 とんでもなかった。


「清々するか。実は示談金で一生遊んで暮らせる金を貰えたんだけどな。しょうがない、一人で使うよ」


 俺がそう言うと、示談金を貰ったことを知らなかった彼女は、唖然とした顔をしていた。

 俺は彼女をアパートの外に突き飛ばすと、扉を閉めた。


 少し胸がスカっとしたあと、すぐに胸糞が悪くなった。

 ガキが虚勢を張るように嘘をついて、見得を張って喜ぶなんて、なんて小さい男だ。

 これじゃ、俺もあのクソみたいな女と同類だ。


 自分がどうしようもない底辺に落ちてしまった気がして、イラついて壁を殴った。

 安い壁紙が割れ、自分のしていることの馬鹿さかげんに腹が立った。


 いっそ本当に旅行にいってやるか。


 俺は愛車の250ccのバイクに服とテントと寝袋を積むと、その日のうちに走りだした。

 行くあてもなく新潟まで走り、興に乗ってフェリーに乗船し北海道まで行って、三週間後帰ってきた。


 帰ったのは自宅が恋しくなったからではなく、国内を旅行するという行為に、急に興が醒めたのだった。

 北海道は美しかったが、日本国内を走っているうちは、胸に滞ったモヤモヤは消えなかった。


 アパートを解約すると、母親の実家だった持ち家に引っ越し、荷解きもしないうちに、俺はバックパッカーに転職した。

 羽田から台湾桃園行きの航空便に乗って、そこから旅を始めた。


 青春時代の焼き直しをするように、そこらじゅうをほっつき歩いた。


 台湾から中国にわたりインドからイスラエルに行ってイスタンブルを通ってスペインまで行った。

 そこからアメリカへ渡って、ロサンゼルス国際空港から日本に帰った。


 一年ぶりに自宅に帰り、旅に満足したら、俺はもうなにもやることがなかった。

 ネットとゲームと本読みに耽溺するような日々を送って、冷蔵庫の中で忘れられた野菜のように、静かに干からび腐っていった。



 ***



 目が覚めたときには寮の天井が見えていた。


 夢か。


 自分の手のひらを見て確認する。

 白くて小さい手だ。

 黄色い肌の大人の手ではない。


 ふう。

 起き上がると、気持ちの悪い汗がこびりついた服が肌にぺとりとついた。


「大丈夫か? ずいぶんうなされていたぞ」


 隣のベッドから声がかかる。

 そっちを見ると、そこにはキャロルがいた。


 一気に目が覚める。

 というか青ざめた。


「……なんでここにいる」

「ここが私のベッドだからだ」


 ああ、そういえば、そんな話を聞いたことがあったような。

 もう一人のルームメイトはキャロル殿下であると。


 その時は「ふーん、一応は部屋を用意しただけで、どうせ一度も使いやしないんだろ。部屋が広くて儲けたな」としか思わなかった。


 本当に男ばかりの部屋に泊まらせるとは、王城の連中はなにを考えている。

 馬鹿の集まりか。


 しかし、昨日の夜にはこいつはいなかった。

 ドッラもいなかった。

 今日は休みだから、王都に実家があるやつは帰って、そちらで泊まる場合が多いのだ。


 だから、昨日は一人で寝たはず。

 ということは、キャロルは夜中か朝に来たのだろう。


 つーか、どうせ使うことはないんだから使わせて貰おうと思って、学校の荷物を好き勝手にキャロルのベッドの上に置いていた。

 どこに行ったんだろうな。


 ブチ切れたキャロルに捨てられたのかな。

 見回すと、俺の机の上にそれらがキチンと揃えて置いてあった。


 ご丁寧にも、服は畳まれ、他のものは揃えられて積まれている。

 ああよかった。


 当のキャロルは、パジャマのような真っ白な上下を着て、ベッドの上で平然と胡座をかいている。

 ここにいるのが当たり前という顔だ。

 いや、こいつのベッドなんだから、当たり前っちゃ当たり前なんだが……。


 危険だろ。

 やっぱり、何度考えても当たり前でもなんでもない。

 止めようとする奴はおらんかったんかい。


 それとも、俺とドッラが安牌だと思っているのか。

 ……。

 考えてみれば、ドッラと喧嘩する前の俺は、スッゲーよく出来た落ち着きのある子で通ってたし、さらに言えば首席だった。


 そしてドッラはクソガキだが、なにしろ近衛軍幹部の子だ。

 安牌と思って俺とドッラをルームメイトにしたのか。

 五席までは別の部屋、なんてのは、キャロルの安全と比べればゴミのようなルールだろうしな。


 なるほど。

 ひとまず理由はついた。


 外を見ると、まだ夜明け前で、薄暗かった。


 胡座のままベッドの上に座ったキャロルは、ふいに、

「それにしても、どんな夢を見ていたのだ」

 と聞いてきた。


「……女にフラれて旅に出る夢だ」

 と正直に答えてやった。

「なんだ……? 女に振られると旅に出るのか?」


 キャロルは小首をかしげて言う。

 あれ。

 そういう風習はないのか。


「まあ女にフラれただけじゃないんだけどな。仕事をクビになって無職になったら、女のほうにゴミみたいに捨てられたから、なにもかも虚しくなって旅に出たんだ」

「ふうん……よくわからぬ」


 よくわかんないのか。

 文化が違うってやつか。

 クビになって女に捨てられ涙目になって旅に出るなんていうのは中々典型的な話だと思うけどな。


「失業したのは残念だろうが、なんで女に捨てられたのがショックなのだ」

「そりゃ……付き合ってたんだからショックだろ」


「そうか? むしろ安堵するところじゃないのか?」

「安堵?」


 この国では女にフラれたらホッとしなきゃならんのか。

 理解不能な文化である。


「だって、その女は屑だろ」

 キャロルはバッサリと斬り捨てた。


 屑か。

 俺も昔はそう考えて憤っていたこともあった。

 特に北海道にいるときに、事実婚の状態であったから、半分貰う権利がある。などというメールが来た時には。


「でも男は無職なんだから、屑というほどでもないだろ」

「ん? ああ、そうじゃない」


 ????

 何が違うの?


「結婚相手を選ぶにおいて真っ先に除くべき男のことを屑というのだ」


 へ、へぇ……。

 なにが「そうじゃない」なのか分からんが。


「この場合は女だが、女でも基本的には変わらぬだろう」


 よく判らん。

 屑というのは、コイツの中では一種の専門用語なのか。


「お母様は、人となり以外のものを見て、私と結婚したがる男は屑だと言っていた」

「へー」


 なんだか得意げだ。

 毎度思うが、なんで得意げなんだこいつは。


 しかし女王陛下はたいへん手厳しいことを言う方のようだな。

 将来謁見したとき「あなたは最低の屑ですね」とか蔑まれるように言われたらどうしよう。


「なぜだか分かるか?」

「分かんねえな」

「そうか、お前にも分からんか」


 だからなんで嬉しげなんだよお前は。

 家訓の由来なんてわかるか。


「そういう男は、美貌でも地位でもいいが、惹かれるモノがなくなったら心が離れてしまうのだ。心が離れてしまったら、そいつは女を裏切る。そういう男を夫にしてはいかん」


 ぐっ……。


 身につまされる。

 というか、なぜか自分が人格攻撃をされているような気分になる。

 俺のことじゃないのに、なんだか暗に嫌味を言われているような……。


「だが、人となりで結婚する場合はそれはない。王位を失うことはあっても、私が私でなくなることはないからな。私自身が屑にならない限り、裏切られる心配はない」


 単純明快な理屈だ。


「まー、それは確かにそうだな」


 一理ある。

 一理どころか百理くらいあるかもしれない。


「だが、それをたしかめるのは大変なのだ。男は顔や体を見ていても、心を愛してると言うからな」


 キャロルは、なんだかしたりげにウンウンと頷いていた。


 まったく意味わかってないだろ……。


「それにしても妙な夢をみたものだな。まだ女と付き合ったこともないのに、屑な女に引っかかって捨てられる夢を見るとは。小説かなにかでも読んだか」


「よくわかったな」

 そういうことにしておくか。


 これは小説の話だ。

 そうであったらどんなに良かったかと思うが。


「ふふん」


 だからなぜ得意げなのだ。

 どうだ、私の推測が的中したか。してやったり。みたいな感じか。


「つーか、お前はなんでここにいるんだよ。いくらベッドが用意されているとはいえ、嫁入り前の娘がこんな所に来るもんじゃないぞ」


 クソガキに犯されでもしたらどうする。

 今はまだいいが、あと何年かしたら本格的に危険になるぞ。


「なんだ、お前もそんなこと言うのか」

 きょとんとした顔をしておる。

 さては他のやつにも同じようなことを言われたな。

「ジジイみたいなやつだな」


 ジジイとは。

 俺の精神年齢を考えれば言い得て妙ともいえるが、失礼なことをいいよる。


「将来の騎士と友誼を深めねば、騎士院にきた意味がないのだ」


 やっぱりそういう狙いがあったのか。

 子どもなりに良く考えてるな。


「教養院で深めればいいだろ」

「教養院でも深めるさ。どうも、向こうに泊まれとうるさいしな。だが、こちらのほうが、私にとっては重要なのだ」


 教養院より騎士院のほうが重要らしい。

 別に見得で騎士院に入ったわけではないんだな。


 判断も間違っていないだろう。

 言うまでもないが、今は教養院でやるような内政向きの勉強を優先するような時勢ではない。


「そうか、まあ頑張ってくれ。俺は顔でも洗ってくる」

「洗ってきたらイッキョクだからな」


 ???

 イッキョク?


「イッキョクってなんだよ」

「斗棋に決まってるだろ」


 ああ、一局か。

 あまりに唐突だったからわからんかった。


 なにが決まっているのだろうか。

 いつ決まったのだろうか。

 謎である。


「なぜ俺が」

「寮の評判によるとお前が一番強いらしいからな、今日はお前を倒すために来たんだ。ふふん」


 ………。

 どんな暇人だよ。

 まあ、ちょっとくらい付き合ってやっても構いやしないが。


「まー別にいいけどな……。お前もしかして斗棋めっちゃ好きなタイプか」

「ああ、好きだな、大好きだ」

「そうか」


 なんか、そこはかとなく、ルークと同じ匂いがするな。

 それが気のせいだったらいいんだが。

結果:十戦九勝一負(棄権・敵前逃亡)

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