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第001話 誕生

 なんだか夢見心地のような気分で、俺はぬるま湯のような海の中を漂っていた。

 それは異常なほど長い夢で、それなのに途中で飽きることもなく、飽きるということを感じる機能がまだ備わっていないように、頭の中が単調で、ぼやけていた。

 心地いい温度と体温の中で、幸福ばかりを感じる世界。

 その中で、俺は無限とも思える惰眠を貪った。


 一週間とも一年とも思えるような平和な時間の後、唐突にプロレスラーにヘッドロックをかまされたような強烈な圧搾(あっさく)感が頭を襲い、突然に平和は破られた。


 頭を割って殺す気か、というような生命の重篤な危機を感じた後、悪夢から覚めたような開放感があり、俺は謎の圧搾感から解放され、外気に触れた。


 再びぬるま湯に浸かり、これまでと違ってさらさらとした湯で体を洗い清められ、俺はやわらかい布にくるまれ、誰かの手に抱かれた。


 目は重度の近視老眼を患っているかのように、近くも遠くも不明瞭にしか世界を映さない。

 良い酒で深く酔った夜のように胡乱になった脳は、痛みを与える要因から逃れつつ、食欲と睡眠欲を充足させるという目的を満たすことで精一杯だった。


 誰とも分からぬ人間の乳を本能的に吸いながら、視界が光に満たされるのと夜の帳が降りるのとを十回ほど見たころ、俺の頭のなかはようやく明瞭になりはじめていた。



 ***



(まだ、夢を見ているのか?)


 柔らかな思考の中で、つらつらと考え続けているのはそのことだった。

 夢をみているとしか思われない。

 だが、もうずっと長いこと夢の中にいる気がする。


 謎の頭痛があったのはもう数日前のことだが、夢の中にそのような長期記憶があるのは、やはりおかしなことのように思われた。


「ゆえをいっえいっうおーか」


 言葉にしてまとめてみようと思っても、喉が上手いこと動かずに言葉にならなかった。

 この現実感はなんなのだろう。

 天国か地獄か来世にでも飛んでしまったのだろうか。


 最後のハッキリとしている記憶は、冷たい水のなかで足掻き、溺れるシーンだった。

 体の芯から冷たくなっていき、そのうち体が動かせなくなり、水を飲み、水の中に沈んだ。

 だが、今は、状況はわからないが、どこも痛くはないし、冷たくもない。


 俺は柔らかいベッドに寝かせられ、一日中ぼーっとしているのが仕事のようだった。

 夢か現か幻か、まったく分からない現状で、どうにも俺は幼児になってしまっているらしい。



 ***



 胸をさらけ出して俺に乳をくれるのは、俺の母親らしかった。

 日がな一日、俺に寄り添ってあれこれと世話をしてくれている。

 こうやってオムツまで替えられていると、なんだか急に老けて老人になったような思いがする。


 胸は小さいが、俺の母親はとても美人だった。

 欧州系の目鼻立ちがくっきりした顔つきではなく、アジア系とも思われないのだが、日本にいたときの感覚でいえば、町ですれ違ったら思わず振り向いてしまうくらいの容姿を持っている。


 だが、その容姿は、俺の見知った人間のものではない。

 まるきり人間と同じように見えるのだが、耳の形だけは明らかに違う。

 耳が少し尖っていて、髪の毛の延長のような毛が耳の先を覆っていた。

 耳朶の中はピンク色をしているが、耳周りから耳の先は髪の毛に覆われているのがわかる。

 暖かそうではあるのだが、見た目はやはり異質に感じた。


 そして、話す言葉はまったくの意味不明だった。

 彼女は、夜になると産着(うぶぎ)に包まれた俺をぎゅっと抱きながら、子守話と思われる話を小さな声で朗々と吟じてくれるのだが、これもまったく意味が分からない。



 ***



 時々、母親が夕食の調理でもしているのか、子守をバトンタッチされるのが、俺の父親らしき男だった。

 彼も日本で町を歩いていたらいかにもモテそうな風体の男で、抱かれているとわかるのだが、細身でありながら服の下はかなり鍛えていて、引き締まった筋肉を感じる。


 ボクサーか体操の選手みたいな体つきだ。

 いったい何の仕事をしているのだろうか。


 彼らの生活レベルを見てみると、どうみても現代のようには思われない。

 服が全て天然繊維製だし、一度母親に台所に連れて行かれた時は、竈が現役で使われていた。


 すると父親は何か肉体労働もしているのだろうか。

 いや、食卓に肉が頻繁に出ているらしいところや、家の作りなどを見ても、生活ぶりはなかなか良いようだから、単純な肉体労働ということはないだろう。

 だが、体を使う仕事をしているのは間違いなさそうだ。


 なんにしろ、意味不明なことばかりだった。

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