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創作ノート

短編小説を書いています。

エクリプスリアルム(36)

 

5月29日(水)

昨日、あの動画を見た時、私は絶望の底に叩き落された気がした。

これから、どうすればいいのか分からなかった。

怖くて怖くてたまらなかった。

ずっと混乱していたし、ずっと怯えていた。

その中でも私は今日一日、あの映像についてずっと考えていた。あの映像が意味しているものは何なのか。そしてその映像が映す未来から逃れるためにはどうすればいいのか。

まだ深い霧の中を彷徨っているような状態だけど、頭の中を少しでも整理するためにも、昨日、今日の二日間で私の身に起きたことをこの日記に記しておこうと思う。

 

昨日の夜、つまり、5月28日の夜、私は20時過ぎに会社を出た。

本社ビルの入口で、同じく家路につこうとしている人たちに混じって、カードリーダーをゲートにかざす。いつもと変わらない帰宅時の光景だった。

すでに春から梅雨の季節に移り変わろうとしていて、建物を出た途端、嫌な蒸し暑さが体を覆う。

これから梅雨が来るのか……。

雨が降ると通勤が大変だし、湿度が高いとじめじめとして不快になる。梅雨を通り越して夏になればいいのに、などと都合の良いことを考えながら、本社ビルの前の道を歩いていた。

本社ビルから五分ほど歩くと、H通りにぶつかる。そしてH通り沿いに十分ほど歩くと駅にたどり着く。私はその片道15分の道を、毎日歩いて会社に通勤していた。

H通りに入ったところで、私は始めの異変に気づいた。

やけにH通りが混んでいて、車が長い渋滞の列を作っている。H通りは交通量が多い道ではあったけど、車線も多く、ここまでの渋滞は今まで見たことが無かった。

何だろうと思いながらも、徒歩の私には車の渋滞は関係なかったので、深く考えもせずにH通り沿いを歩いていた。すると、私が進んでいる方向の少し行った先で、赤いランプが煩く光っているのが目に入った。

屋根に電光掲示板が設置された白黒の警察車両が道路に止まっていた。

その電光掲示板には赤い文字で大きく「事故」と表示されていて、その前で一人の警官が立って、H通りを通る車の交通整理をしている。その先ではパトカーや救急車が何台も停まっているのが見える。騒然とした空気が辺りを覆っていて、私の目にも事の重大さが分かった。

H通りでの事故……。

最近、同じことを目にしたか、聞いた記憶があった。

私はすぐに、茜から送られてきたメッセージに添付されていたリンクのことを思い出した。そしてそのリンク先で目にした一つの動画のことを思い出していた。

そうだ、あの動画で見たんだ……。

確か、あの動画のタイトルは……。

未来の日付になっていたことは薄ぼんやりと憶えていたのだけど、具体的な日付までは憶えていない。歩きながらスマホを取り出して動画を確認するのも憚られたので、私は嫌な胸騒ぎを感じながらも、人々の流れに埋もれるようにして歩き続けた。

道路では、前後を潰されて大きく変形した車が停車していた。

「こちら、事故現場です」

私のすぐ横から女性の声が聞こえた。

反射的にその声の方に視線を向けると、マイクを握った女性レポーターが、大破した車を前にして上ずった声で何かを喋っている。事故に気を取られていた私は、その女性のそばに来るまで彼女の存在に全く気づかなかった。その女性レポーターには男性カメラマンの握るカメラが向けられている。そしてそのカメラは、女性の直ぐそばに立つ私にも同じように向けられていた。

駅に着き電車に乗ると、私はドアにもたれるようにして立ちながら、バッグの中からスマホを取り出した。

急いでメッセージアプリを起動させて、茜からのメッセージを開く。メッセージの下に添付されているリンクをタップすると、数日前に目にした画面が再び立ち上がった。

その動画のタイトルである、“Date: May 28. 2024”という文字が目に入る。

5月28日……。

それは昨日の日付、つまり、私がH通りで事故に遭遇した日の日付だった。

私はすぐに動画を再生させた。スマホ画面では、先ほど私が目にしていた光景と全く同じ光景が画面に流れていた。そしてその画面の上には“H通りで多重玉突き事故発生。死者は5名。”というテロップが表示されていた。

私は動画を停止させ、次に、ネットニュースを開く。そのトップ記事に、次のような文字が踊っていた。

「H通りで玉突き事故。死者5名。後続車であるトラック運転手の前方不注意が原因か」

電車に揺られながら、私はこの文字を黙って見つめていた。

私の身に何かが起きていた。だけど、その時の私には、自分の身に何が起きているのかを全く分かってはいなかった。

家に帰ると、居間で母がテレビを見ていた。

「おかえり」私の方を振り返りながら母が言う。私は「ただいま」と言いながらも、目はテレビ画面の方を向いていた。母は、夜のこの時間はNHKのニュース番組を見るのが習慣になっている。画面では、女性キャスターが深刻そうな顔で、カメラに向かって何やらしゃべっている。そのキャスターの下には、

「本日、午後7時頃、H通りで多重玉突き事故発生」

というテロップが出ている。

あの事故だ……。

私の目はテレビ画面に釘付けになる。

画面がテレビ局のセットから、外の映像に切り替わった。

パトカーの赤いランプを背にして、女性レポーターがキャスター以上に深刻な顔でしゃべっている。すると、画面の右端から一人の女性が歩いて来た。その女性は、レポーターの近くまで来たところで、何かに気づいたかのようにはっとした素振りを見せて、カメラの方に顔を向けた。

その女性は私だった。

そして今、目にしている映像は、先ほどスマホ画面で眼にした、茜から送られてきた動画の映像と全く同じものだった。

居間に立ち尽くした私は、半ば呆然としながらその画面の中の自分の姿を見つめ続ける。

「あれ、この人、美咲じゃないの?」

母の声が遠くで聞こえた。

今、目の前で起こっているこの状況がうまく理解できなかった。

「何これ……」

無意識のうちに呟いていた。

 

 

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