唯一の生きる糧だった真衣を失い、狂っていく真衣の母親。
その様が菜摘の目の前に一つのイメージとして鮮やかに浮かんでいた。男の話から作り出されたそのイメージは、不思議な現実感を伴って菜摘に迫ってくる。ついさっき写真で見たばかりの彼女の顔が恨めしそうにこちらを見つめながら、菜摘の前にゆらゆらと揺れているのが見える気がした。その顔を見続けているのが耐えられなくて、菜摘は思わず目をぎゅっと閉じる。だけど顔は、目を閉じた暗闇の中で先ほど以上の鮮明さで菜摘を見つめていた。
「どうしましたか?」
男の問いかけに菜摘は目を開ける。男は怪訝な表情を顔ににじませながら、菜摘の方を見ていた。
「いえ。何でもありません」
「こんな希望のない暗い話をいきなりされて、気が滅入ってしまったのでしょう」
「そんなことは……」
首を横に振りながら菜摘は、男が語ったばかりの、真衣の母親の悲しい物語の結末を思い出す。男は、今、確かに「姉は今でもその病院に入院しています」と言った。現在も閉鎖病棟に入院しているのだとしたら、病院の外に出るというのも難しいはずだ。
それなら……。
武井有加里を殺し、私の前に立ち現れ、そして私に「佐々木真衣」の名で「次はお前だ」というメッセージを送ってきたのは真衣の母親ではないということなのか。
自分自身そのものであり、そして自分の生きる意味であった娘の真衣をいじめによって死に追いやった加害者を、真衣の母親が娘の着ていた制服を身にまとって一人ずつ復讐して回っている。写真を見ているときに浮かび上がったその鮮烈なイメージは、私の思い違いということなのか。
いや……。
菜摘は心の中で呟く。
この男の言葉が全て真実だという保証はどこにもないのだ。
確かに全てが嘘という訳ではないのかもしれない。だけど真実の中に嘘を散りばめているのだとしたら、それを識別する術を自分は何一つ持ち合わせていないということに菜摘は気付いた。
「暗い話はこれくらいにしましょう。それよりも、真衣の高校での様子について話を聞かせて下さい」
「真衣の……高校での様子……」
「はい。先ほどお話ししたように、私が真衣、そして私の姉と一緒に暮らした期間は二年にも満たなかった。それまでも私と姉はそれほど交流があった訳ではなかったし、一緒に暮らした二年間も真衣は日中は学校に行っていたし、家にいるときはずっと自分の母親と二人でいたので、お恥ずかしながら私は真衣とそれほど深い話をした記憶が無いのです。
日々、真衣がどのように過ごしていたのか、そのことについて自分は全く知らないということに気付きました。真衣の短い人生の中で、何に感動し、何に悲しみ、そして何に怒りを感じたのか。私は全く知らないということに気付いたのです。
交流は無かったが、それでも私にとっては血の繋がった姪です。だから私は、真衣が高校の中でどのように過ごしていたのかを知っておきたいのです」
「……そう言われても」
菜摘は言葉を濁す。
「ほんの些細なことでもいいので、教えていただけないでしょうか」
真衣の高校での様子。
菜摘の頭の中には、武井有加里に突き飛ばされて転んでしまった真衣、周りから嘲りの視線で見られていた真衣、教室の一番後ろの席で武井有加里たちに囲まれ、罵詈雑言を投げつけられている真衣、そして、俯きながらそれに必死に堪えている真衣の姿しか浮かんでこなかった。どんなにそれ以外の光景を思い出そうとしても、真衣がいじめられている光景がそれ以外の光景を上書きしていくように、菜摘の前には現れてくれなかった。
「真衣は……」
いじめられていました。
そんなこと、実の叔父に向かって言える訳がない。
たとえ自分がそのいじめに加担していないとしても、言うことは出来ない。
それに、あの真衣のノートには武井有加里だけでなく菜摘自身もいじめの加害者として名指しされている。そのことを目の前の男に知られるのを心のどこかで恐れていた。いじめに加担していないのだとしても、そのいじめから真衣を救うことをしなかった、いや、救うことを考えることすらしなかった自分に対して心のどこかでは罪の意識に苛まれ続けていた。