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[木内里美の是正勧告]

日本で衰退する倫理観、忘れ去られたリベラルアーツ教育を取り戻せ!

2023年5月29日(月)木内 里美(オラン 代表取締役社長)

日本はもともと倫理観やモラルの高い国だったが、その衰退が言われてずいぶん経つ。倫理観は国の文化を醸成するもので、海外を歩いてみれば、街の景観や衛生環境からも国のモラルやルールを尊重するか否かが見えてくる。倫理観やモラルの欠如は、実は日本そのものの劣化と関係が深いのではないだろうか。

 親が我が子を育児放棄(ネグレクト)するような、これまでの常識では考えられないことが頻発している。それどころか虐待したり、行き過ぎた折檻で殺してしまったり、車に置き去りにして死に至らしめるといった、あってはならないニュースが絶えない。親だけではなく、子供を預かる託児所でも虐待があったりする。児童虐待防止活動に取り組むNPO、児童虐待防止全国ネットワークのWebサイトによれば、児童虐待の件数は年々急増しており、特に心理的虐待の増加が目立つ(図1)。より陰湿化しているのではないだろうか?

図1:児童相談所での虐待相談内容別の割合(出典:児童虐待防止全国ネットワーク)
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子供や動物の虐待に見る倫理喪失

 身近に見られる倫理問題として、電車の優先席の近くに立つ身体の不自由な方や高齢者に席を譲ろうとせず、黙々とスマホを弄っている若者の姿を見ることは日常的だ。ペットに至ってはもっと凄まじい。虐待や殺傷も多いし、引っ越しや飼えなくなって置き去りにすることも絶えない。どちらも倫理観や道徳、モラルの喪失だ。置き去りにされたペットは、保護されても引き取り手がなければ殺処分になる。この殺処分が行われていることも釈然としない。

ペットを大切にしない人が増えている

 どうしてこのような行為に至るのだろうか? 精神構造を知りたいものだが、到底理解はできないだろう。知り合いに私財を投じてペットを保護し、里親を探すマッチングをしている人がいる。引き取り手がないと自ら飼い育てるなど、その直向きさには頭が下がるが、根本解決にはならない。

 もちろん今に始まった話ではなく、古くから人権問題はあった。歴史的には、部落差別やアイヌなど少数民族、ハンセン病など感染症患者の差別などの問題である。だとしても、近年の日本社会で虐待や差別は、多様かつ顕著になっているように感じる。最近では外国人技能実習制度に隠れた外国人労働者の虐待や冷遇がある。出入国管理における入管収容施設での非人道的扱いや難民認定と強制送還の扱いについて、国際的に批判を浴びる事態が生じている。しかもそのような事態に、メディアも国民の反応も他人事で済ませてしまっている。

 経済的な貧困が精神的貧困を招くことは十分にありうる。長く続く日本の経済低迷は、心のゆとりを失わせているかもしれないが、それが主因ではないだろう。2021年の統計によると、フィリピンの平均年収は日本の約10分の1だ。中心都市のマニラでも貧困層の住む地域があり、ホームレスがたくさんいる。それでも幼子を育て、ペットを可愛がっている。公共交通に乗れば、老人にはすぐに席を空ける。倫理観やモラルの欠如は、実は日本そのものの劣化と関係が深いのではないか、というのが筆者の仮説である。

倫理観の劣化は文化の劣化につながる

 そもそも「倫理観とは何か」から、振り返らなければならない。わかりやすく言えば、人として守らねばならない規範や秩序を意味し、善悪・正邪の直観的な判断に基づくものである。モラルとか良心とかルール順守などの道徳規範も同じカテゴリーと考えてよい。例えば、公共の場や他人の所有地にペットボトルや空き缶などを投げ捨てる、いわゆるポイ捨てが悪であることはだれでもわかる。しかし、自治体がポイ捨て禁止条例を作らねばならないのは倫理観が欠如している1つの証左であろう。

 倫理観はどこから生まれてくるのだろうか? 生を受けた時から身についている倫理基盤のようなものがあるようにも思える。しかし自己認知が進むまでの幼少期には善悪の適切な判断はできず、親が折りに触れて躾として教えることも多い。

 かつての古い日本の家庭の躾では、日本らしい宗教観に基づいた「お天道さんが見ている」とか「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれる」とか子供心にも印象に残るように躾をしていた。ご近所の人も子供達に善悪を教えていた。今時の家庭では、どのように躾をしているのかとても気掛かりだ。

 倫理観は国の文化を醸成する。海外を歩いてみるとわかるが、街の景観や衛生環境からも国のモラルやルールを尊重するか否かが見えてくる。人とコンタクトするとさらにその国の倫理観がわかる。時間や約束にルーズな国も少なくない。住んでみればもっと実感するだろう。

 もともと倫理観の高い日本で、そのレベルが衰退しているのはどうしてなのか。長期的な経済不況で収入も増えず、貧困化していることが影響していることは否めない。一般的に貧困層が多い国は倫理観が薄い気がする。即物的、短絡的、利己主義などの思想は深い思慮がないので、当然倫理観は劣化する。

 核家族化して、家族集団の中で学ぶ倫理が薄れたこともあるかもしれない。ある意味で愛情の欠如や幸福感の欠如が起こっているのかもしれない。2023年の世界幸福度ランキングで日本は47位だ。要因別で見ると寛容さが低くなっている。アジアでもシンガポールや台湾の後塵を拝しているのが実態だ。日本文化の劣化が倫理事象からも見えてくる。

●Next:情報モラル教育はあるが、道徳や倫理の教育方針が見当たらない

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