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2023.06.11

妖怪博士と呼ばれた哲学者 彼が妖怪の撲滅に命を懸けた理由とは?

妖怪学の創始者・井上円了のこと
明治時代の哲学者にして宗教家、東洋大学の創設者でもある井上円了(えんりょう)は、「妖怪学」の創始者でもありました。哲学者はなぜ全国を旅して妖怪事象を収集し、世間の迷信を一網打尽にすることを己の使命としたのでしょうか。井上円了『妖怪学とは何か』(講談社学術文庫)の編者を務めた菊地章太氏が、その謎に迫ります!

哲学者がなぜ妖怪を?

妖怪は学問の対象になるか。

明治の世に井上円了はその実現へ向けて邁進した。

円了は越後の真宗の寺に生まれた。生家の寺を捨て、東京で哲学を教える学校を創った。僧侶となる道を放棄した身だが、かえってそれだからこそか、文明開化の時代に即応した仏教のありかたを模索した。そのうえに、妖怪学という学問を確立すべく、全国を歩きまわって妖怪の伝承を収集して等身におよぶ著述をなした。

哲学をおのが本尊とした人が、なぜ妖怪を研究対象としたのか。──それは決して余技でもなく道楽でもない。生涯をかけて学問体系の構築をめざしたのだ。本書はその浩瀚(こうかん)な業績のなかから、妖怪学研究の精華を汲み取ろうとする試みである。それは頼るものとてない未開の原野を開墾しつづけた明治人の軌跡をたどる作業にほかならない。

前代未聞! 家も職も捨て「哲学大学」の創設へ

井上円了、幼名を岸丸(きしまる)といい、のちに襲常(ともつね)と改めた。ついで円了を名のり、甫水(ほすい)と号した。安政五年(一八五八)に越後国三島郡浦村に生まれた。現在の新潟県長岡市浦である。甫水の号は「浦」の字を割ったもの。

生家の慈光寺は真宗大谷派に属している。寺の門前に道一本へだてて土手があり、あがれば目の前は信濃川である。滔々たる流れが越後平野をうるおしている。