無知蒙昧なる妖怪の迷信を打破せよ!
円了は哲学の合理的な思考のありかたを重んじた。思い込みや偏見に囚われることなく、客観的な観察と主体的な思考にもとづいて世界を見つめる。そうした理想をかかげて身のまわりのことを解き明かしていく。その時代、人々の周囲にはいまだ不可思議な事象が満ちあふれ、さまざまな迷信が語り伝えられていた。なかには妖怪のしわざに違いないと考えられていたことどもが無数にあった。
「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」と題する版画がある(『妖怪学とは何か』書影参照)。東海道五十三次の連作で名高い歌川広重が描いた。円了が生まれる一年前の安政四年(一八五七)、維新のほんの十年あまり前の作品である。狐が松明(たいまつ)を口にくわえて集まっている。時代はほどなく文明開化を迎え、街に瓦斯(ガス)灯がともり、やがて電灯が普及していく。だがそれは都会の話。日が暮れてしまえば村の夜は真っ暗だった。そこには闇夜のあやかしの世界がなおも人々の日常を支配していた。
哲学の普及をみずからの使命とした円了にとって、まず立ち向かうべきは、世間にはびこる無知蒙昧なる妖怪の迷信を打破し、不合理な現象を合理的に解明していくことだった。妖怪の存在を否定するために妖怪を研究したのである。そしてその成果を「妖怪学」という正規の科目として哲学館で講義した。円了という一個人のなかで、哲学と妖怪学は分かちがたく結びついている。両者はじつに表裏一体をなしていた。
世間一般に思われているような河童や天狗、お化けや幽霊だけが妖怪学の対象とする領域ではない。『妖怪学講義録』は記す。「何をか妖怪と云う。曰く異常変態にして且つその道理を解すべからざる所謂不可思議に属するものにして、換言せば不思議と異常変態とを兼ぬるものこれなり」と。すなわち通有の道理では解することのできない不可思議な現象全般を妖怪の名で総括し、その考究を妖怪学のめざすところと定めたのである。